ヒヤム・ユネス

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ヒヤム・ユネス(: هيام يونس‎、Ar-Hiam Younis.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]、1946年1月28日 -)は、レバノン歌手作曲家および映画女優アラブ世界の多くの国で公演を行っており、500曲以上の楽曲を出版している。

来歴[編集]

13人の子供の末っ子として生まれ、幼少期を文学と詩に捧げた。1953年、彼女は多くの有名な俳優を輩出したエジプトの芸能事務所で、監督ハンリー・バラカットが手がけた映画『قلبي علي ولدي』(ハルビ・アーリ・ワリディ、我が心は息子にあり)に参加した。1957年には、レバノン映画の父として知られるジョルジュ・ナスル監督の映画『إلى أين』(イラ・アイン、何処へ)の制作に参加した。レバノン映画として初めてカンヌ国際映画祭に選出され、数々の賞を受賞した作品で二度目の映画経験を積む。その後、60年代初頭頃から民族音楽を歌うようになり、いくつかのテレビ番組に参加する。卓越した才覚を持つユネスは、ビシャーラ・アル=フーリー大統領に「二十世紀の奇跡」と称された。

脚注[編集]

注釈[編集]

参考文献[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

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