ヒエロニムス・コック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヒエロニムス・コック
Hieronymus Cock
ヒエロニムス・コックの肖像。ヨハネス・ウィーリクス英語版作、16世紀、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館蔵。
本名 Hieronymus Wellens de Cock
誕生日 1518年
出生地 アントウェルペン
死没年 1570年10月3日
死没地 アントウェルペン
配偶者 nl:Volcxken Diericx
活動期間 1545年 - 1570年
テンプレートを表示
店の入り口で客引きに立つコック。奥にいるのは妻nl:Volcxken Diericx
ハンス・フレーデマン・デ・フリースの1560年の版画より。

ヒエロニムス・コック[1]オランダ語: Hieronymus Cock1518年 - 1570年10月3日)は、フランドル版画家画家出版人

略歴[編集]

アントウェルペンで生まれた。父親のヤン・デ・コック(Jan Wellens de Cock: c.1470-1521)は画家で、兄のマタイス・コック(Matthijs Cock:1509/1510-1540/1548)も画家、版画家になった。

1545年聖ルカ組合に加入し[2]、1546年から1548年まで、ローマで修行した[2]。帰国後アントウェルペンに版画店「四方の風」(ラテン語: Aux Quatre Vents)を構え、ラファエロ・サンティらのイタリア絵画の複製版画や、ヒエロニムス・ボスピーテル・ブリューゲル素描を版画化し出版した[2]

アントウェルペンのヒエロニムス・コックの工房では、コルネリス・コルトなどが修行し、イタリアの版画家のジョルジョ・ギージも働いた。

1570年にヒエロニムス・コックが亡くなった後、工房は未亡人が運営したが、アントウェルペンでの出版はフィリップ・ハレの工房が担っていくことになった。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 賢い処女と愚かな処女のたとえ”. 国立西洋美術館. 2018年6月30日閲覧。
  2. ^ a b c コック【Hieronymus Cock】”. 世界大百科事典第2版. 2018年7月6日閲覧。