パスクアーレ・フォッジャ

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パスクアーレ・フォッジャ Football pictogram.svg
Pasquale Foggia at Auronzo.JPG
名前
ラテン文字 Pasquale FOGGIA
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1983-06-03) 1983年6月3日(34歳)
出身地 ナポリ
身長 167cm
体重 67kg
選手情報
ポジション WG
利き足 左足
代表歴
2007-2009 イタリアの旗 イタリア 3 (1)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パスクアーレ・フォッジャPasquale Foggia, 1983年6月3日 - )は、イタリアナポリ出身のサッカー選手ドバイ・クラブ所属。ポジションはWG

経歴[編集]

2000-01シーズンにセリエC1・トレヴィーゾでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。ACミランとの共同保有であり、短い期間ではあったがACミランのユースでの練習の経験もある。トレヴィーゾでは計69試合に出場し13得点、2002-2003シーズンはセリエBでのプレーを経験した。2003-2004年シーズンにはエンポリFCに、引き続きACミランとの共同保有で移籍し、セリエAデビューを果たし2004年までの1シーズン半で28試合に出場し1得点。2005年はセリエBのクロトーネFCにレンタル移籍し15試合出場1得点だった。

2005-06シーズンはセリエA・アスコリにレンタル移籍し33試合に出場した。主に4-4-2システムの右サイドで30試合に先発出場、左利きの選手独特の内に切れ込むドリブルで好機を演出とすると共に自身も4得点を上げチームのセリエA残留に貢献、同じ小柄な左利きの右ウイングで1982 FIFAワールドカップの優勝メンバーであるブルーノ・コンティの再来との評価も得た。

ラツィオでプレーするフォッジャ

2006-07シーズンはACミランへの復帰も検討されたが、4-3-1-2システムではポジションが限られる為、前シーズンの活躍を買われてラツィオに完全移籍。しかしながらラツィオでもシーズン途中にシステムが4-4-2から4-3-1-2に変更されポジションを失ったことから(3試合に先発、8試合に途中出場、1ゴールだった)、冬にレッジーナにレンタル移籍をする。レッジーナでは(かつては中村俊輔が背負った)背番号10を与えられ3-4-2-1システムの右セカンドトップとして15試合に出場(内先発は11試合)し4得点。ロランド・ビアンキニコラ・アモルーゾと共に魅惑の3トップを組み、カルチョ・スキャンダルの影響で勝点-11からのスタートという処分からの、残留に貢献した。

2007-08シーズンはレンタル移籍でにカリアリに移籍。2年前にアスコリで残留を実現させたマルコ・ジャンパオロ監督の下、同じく当時左のサイドハーフとして活躍したミケーレ・フィーニとのコンビを組んだ。また、4-3-3、4-2-3-1のウイングに高い適性を持つことから同システムで試合に臨むことの多いイタリア代表ロベルト・ドナドーニ監督からも注目をされており、2007年10月には初のA代表への招集を受けた。2008-09シーズンからラツィオに復帰することが決定した。

代表では2007年、ジョージア戦で初出場。2009年のコンフェデレーションズカップのメンバーに選出されると、同年の北アイルランドとの親善試合で代表初ゴールを決めた。

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ
SSラツィオ

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