パク・ジニョン

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パク・ジニョン
Park Jin-young.jpg
基本情報
別名 JYP
J.Y. Park
J.Y. Park "The Asiansoul"
セクシーゴリラ[1]
生誕 (1972-01-13) 1972年1月13日(45歳)
出身地 大韓民国の旗 韓国 ソウル
学歴 延世大学校地質学科卒業[2]
延世大学校大学院政治外交学科修士課程中退[3]
ジャンル K-POPR&B
職業 シンガーソングライター音楽プロデューサー
担当楽器 ピアノキーボード
活動期間 1992年 -
レーベル ジニーミュージック
事務所 JYPエンターテインメント
公式サイト jyp.jype.com
パク・ジニョン
各種表記
ハングル 박진영
漢字 朴軫永
発音: パク・ジニョン
英語表記: Park Jin-Young
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パク・ジニョン(朴軫永[4]、박진영、1972年1月13日 - )は、韓国の男性シンガーソングライター、音楽プロデューサー、実業家である。JYPエンターテインメントの創業者で、godワンダーガールズTWICEらをスターダムに導いたことで知られる。182cm、74kg[1]。通称JYP。あだ名は「トッゴ、떡고」(が大好きなゴリラ[5][注釈 1]。趣味はバスケットボール囲碁

略歴[編集]

1972年、韓国ソウルで生まれる[6]。父親の転勤で小学1年生の時に渡米、2年余りニューヨークに居住する[7]ブラックミュージックに触れ、音楽にのめり込む[8]。また高校生の頃、KUWATA BANDスキップビートを聴きアジア人でも黒人音楽ができると衝撃を受ける。これらの経緯から大学入学後、歌手になることを決意する。

1992年にグループ「パク・ジニョンと新世代」で歌手デビューするも振るわず、再デビューのために受けたオーディションにも次々落選。その後、歌手キム・ゴンモのマネージャーに拾われバックダンサーを務めていた時に、作曲家キム・ヒョンソクと知り合い意気投合。ヒョンソクの家に転がり込み音楽理論を学ぶ。1994年にソロのR&B歌手として復帰、当時は珍しいメディア戦略やセクシャルな衣装とダンスで注目を集め、一躍人気者となる[9]

1997年、デヨンAV(現ポイボス)から独立し、「テホン企画」(現JYPエンターテインメント)を設立[10]。プロデュース活動も開始し[11]、R&Bやヒップホップ調の曲に家族愛など庶民的な内容の歌詞を付けて歌わせ、男性アイドルグループ「god」を幅広い年齢層から支持される国民的グループに押し上げるなどの手腕を発揮する[12]。その後も自社所属のピ(Rain)やワンダーガールズを人気歌手に育て上げ、JYPエンターテインメントを韓国4大芸能事務所[注釈 2]のひとつにまで成長させた。

1999年、結婚。

2001年4月、イニシャルを取って「JYPエンターテインメント」に社名を変更。8月、KOSDAQ上場。

2003年、米国に進出。ロサンゼルスを拠点にプロデュース活動を行う[13][14]。2004年にメイスの復帰作に曲を提供したのを皮切りに、Cassieウィル・スミスのプロデュースを手掛けるなどの実績を築く。日本でも活動し、AISMAPとコラボレーションを行った。

2007年、6年ぶりに歌手活動を再開。2008年、大統領直属諮問機関「未来企画委員会」の民間委員に任命された[15][注釈 3]

2009年、離婚。

2013年、9歳年下の一般女性と再婚[16]。2014年、「セウォル号転覆事故」後、ジニョンの妻が、フェリーを所有する清海鎮海運の実質オーナーであった救援派の牧師兪炳彦の姪であり、JYPに不法資金の疑いがあるなどの噂が立つ。これに対し「姪であることは事実だが、不法資金が流入した事実はない」と説明した[17]

2015年、韓国日本台湾混合ガールズグループTWICEをデビューさせる。

人物[編集]

自らリーダーになれ
JYPオフィス会議室の壁にスローガンとして掲げられている[18]
制作姿勢
楽器を弾きながら歌うスタイルや、様々なアーティストをプロデュースし、自らを中心にファミリーの様に活動することから、「韓国の小室哲哉」と呼ばれることがある[19]。小室の楽曲を愛聴していた事を公言しており、小室と対談した際、「中学生の頃、当時禁止されていた日本の音楽を闇市場で聴き、大きな衝撃を受けたのが渡辺美里の『My Revolution』だった。あの曲を作った方が目の前にいることに感激している」と語った。
親類
1970年代に一世を風靡した大学生グループ・サウンズ「サンドペブルス」の初代リーダーで、盧武鉉政権で青瓦台(大統領府)農漁村秘書官を務めた尹彰培を母方の叔父に[20]金大中政権で法務部長官を務め、新千年民主党民主党の代表も務めた朴相千を母方のいとこおじに持つ[21]
宗教
元はクリスチャンであったが、両親の信仰によって自らの信仰対象が決まったことを疑問に思うようになり、悩んだ挙句、無宗教となった[22]

エピソード[編集]

セックスはゲームだ
2001年発売のアルバム「Game」のプロモーション時に発言。様々な反響を呼ぶと同時にアンチも急激に増えた。当時の発言について後に「セックスを神聖視すべきではないという趣旨であって、ゲーム感覚という意味ではなかった」と説明している[23]
韓流輸出政策批判
2007年、母校の延世大学の特別講演で英語でスピーチをした際、文化輸出の成功を評価した上で、「これまでの韓流は純韓国産商品の一方的輸出であり、いずれ通用しなくなる。太極旗印の韓流を捨てる覚悟をしなければならない」「韓流を文化的意思疎通として理解せず、ナショナリズムに利用する人が多くいるせいで、海外では反発が起きている」と、韓流を取り巻く行き過ぎた国家主義による政界とマスメディアの対応を批判したことから[24][25]、大衆や専門家から賛否両論が噴出した[26][27][28]
画一的教育批判
「芸術分野で未来に向かって投資するとしたら、学校ではなく少年院を選択する」と発言し物議をかもす[29]
盗作疑惑
godのデビュー曲「어머님께 (Dear Mother)」は発表時、パク・ジニョンが制作したと発表していたが、のちに実は2パックの「Life Goes On」をサンプリングしたものであることが発覚し、クレジットが変更された[30]。これ以外にも、ことあるたびに盗作の疑いが掛けられている。
大統領選挙ロゴソング要求拒否
フックソングのトレンドを産んだワンダーガールズの大ヒット曲「テルミー」が、大統領選挙ロゴソング候補になった際、採用を拒否した。その理由を「人々が楽しんでいるのに失望感を抱かせると思ったため。約3億ウォンの収益を放棄することにためらいはなかった」と語った[18]

ディスコグラフィ[編集]

  • 떠도는 시간 (1992年)パク・ジニョンと新世代名義
  • 1集 Blue City (1994年)
  • 2集 딴따라 (1995年)
  • It's the Time (1996年)全曲英語詞
  • 3集 썸머징글벨 (1997年)
  • 4集 십년이 지나도...(1998年)
  • 5集 Kiss Me (1998年)
  • 6集 Game (2001年)
  • 7集 Back to Stage (2007年)
  • Sad Freedom (2009年)シングル

テレビドラマ[編集]

書籍[編集]

主なプロデュース歌手[編集]

韓国歌手[編集]

韓国以外の歌手[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 餅を人一倍食べる人をあざける語「トッポ、떡보」のもじり
  2. ^ SMエンターテインメント、YGエンターテインメント、JYPエンターテインメントの3大芸能事務所に、DSPメディアを加えて4大とした。
  3. ^ 大統領に直接、外国人俳優・歌手の育成、広告収益の上限の撤廃、違法ファイル対策を訴えるなどして、2年の任期を満了した。

出典[編集]

  1. ^ a b 公式プロフィール
  2. ^ <Wコラム>20年間の不祥事は「2PM」ニックンの飲酒運転だけ=「JYPエンターテインメント」創立者のパク・ジニョン氏
  3. ^ ‘21세기형 집현전’ 청와대 미래기획위 출범”. 大韓民国政策ポータル. 文化体育観光部 (2008年5月13日). 2010年2月10日閲覧。
  4. ^ 韓国取引所 JYP Ent.
  5. ^ “떡고 사장의 랜덤댄스는?”…박진영, ‘주간아이돌’ 출연dispatch 2016-04-05
  6. ^ [스타 메이커]JYP 엔터테인먼트 박진영”. 韓国アイドットコム (2003年3月26日). 2008年12月10日閲覧。
  7. ^ 박진영, "키스는 섹스보다 강하다" (단독인터뷰)”. マイデイリー (2007年12月4日). 2008年12月10日閲覧。
  8. ^ 가수 박진영 "실패를 두려워 말고 도전하라"”. 韓国アイドットコム (2008年9月4日). 2008年12月10日閲覧。
  9. ^ t MAP 박진영 ネイバー ニュース 2007-10-30
  10. ^ `비` 소속사 JYP엔터, 코스닥 직상장 추진한다”. イーデイリー (2007年1月30日). 2008年12月10日閲覧。
  11. ^ 박진영 “비가 월드스타? 아직은 아니죠””. 東亜ドットコム (2007年1月17日). 2008年12月10日閲覧。
  12. ^ [대중음악]돌아온 'god' 인기 대폭발…3집 나흘새 60만장 팔려”. 東亜ドットコム (2000年11月6日). 2008年12月1日閲覧。
  13. ^ 가수 겸 작곡가 박진영 "저 이렇게 살아요"”. 韓国アイドットコム (2004年9月7日). 2008年12月10日閲覧。
  14. ^ [3040 일과 꿈]박진영/대중음악, 날 떠나지마”. 東亜ドットコム (2003年2月12日). 2008年12月10日閲覧。
  15. ^ 이명박 만난 박진영 "규제 좀 풀어줘요"OhmyNews 2008.01.18
  16. ^ 박진영 결혼 발표 "이혼 4년 만에 재혼…첫 눈에 반한 9살 연하 여성"中央日報 2013.09.16
  17. ^ JYP "박진영 부인, 유병언 회장 조카 맞지만 구원파와 무관"世界日報 2014-4-28
  18. ^ a b [양성희기자의헬로파워맨 CEO·가수·프로듀서 박진영]中央日報 2007.12.05
  19. ^ 日経BP刊『日経エンタテインメント!』2011年10月号より。
  20. ^ 쉘위댄스 실장, 샌드페블즈 비서관, 소림사 가족…青瓦台ブリーフィング 2006-06-14
  21. ^ 민주당, 가수 박진영 영입 불발”. 京郷ドットコム (2010年1月26日). 2010年2月10日閲覧。
  22. ^ 박진영 종교는 무교, 과거 발언보니… "머리로는 알겠는데 안 믿어진다"etoday 2014-04-29
  23. ^ 박진영, "섹스는 게임이다, 너무 무겁게 보지 말아야.."漢江タイムズ 2015.10.20
  24. ^ パク・ジニョンが挑発提案「韓流のレッテル剥がさねば」”. 中央日報 (2007年2月7日). 2008年12月10日閲覧。
  25. ^ “한류 버릴 각오해야 더 큰 성공 가능””. 朝鮮ドットコム (2007年5月31日). 2008年12月10日閲覧。
  26. ^ パク・ジニョンさん「韓流の中は民族過剰」に賛否”. 中央日報 (2007年2月8日). 2008年12月10日閲覧。
  27. ^ [사설] ‘민족주의로 먹고사는 사람 많다’”. ソウル新聞 (2007年2月9日). 2008年12月10日閲覧。
  28. ^ [사설] 대중문화 사업가 박진영씨한테 배울 것”. 朝鮮ドットコム (2007年5月31日). 2008年12月10日閲覧。
  29. ^ [만물상] 박진영”. 朝鮮ドットコム (2007年7月2日). 2008年12月1日閲覧。
  30. ^ 새해에도 가요계 표절논쟁 계속”. 世界ドットコム (2007年1月9日). 2008年12月10日閲覧。
  31. ^ 박진영 "6년 만에 무대 서니 너무 떨려요"”. 韓国アイドットコム (2007年12月19日). 2008年12月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • NHK K-POP青春グラフィティ(2010年)
  • K-POP 遙かなる記憶(田月仙小学館

外部リンク[編集]