パウル・ドルーデ

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パウル・ドルーデ
Paul Drude
パウル・カール・ルートヴィヒ・ドルーデ
人物情報
生誕 1863年7月12日
ブラウンシュヴァイク公国 ブラウンシュヴァイク
死没 1906年7月5日(42歳)
Flag of Prussia (1892-1918).svg プロイセン王国 ブランデンブルク州英語版 ベルリン
自殺
居住 ドイツの旗 ドイツ
国籍 ドイツの旗 ドイツ
出身校 ゲッティンゲン大学
学問
研究分野 物理学
研究機関 ベルリン大学
ギーセン大学
博士課程
指導教員
ヴォルデマール・フォークト
博士課程
指導学生
Paul Cermak
Markus Lange
主な業績 ドルーデモデル
プロジェクト:人物伝
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パウル・カール・ルートヴィヒ・ドルーデ(Paul Karl Ludwig Drude, 1863年7月12日 - 1906年7月5日)はドイツ物理学者である。金属の電気伝導自由電子のモデルを適用したことで知られている。

ブラウンシュヴァイクで物理学者の息子に生まれた。ゲッティンゲン大学フライブルク大学ベルリン大学数学を学ぶが、ヴォルデマール・フォークトの影響によって、物理学に転じた。フォークトの指導のもとで光学を研究した。1894年ライプツィヒ大学の員外教授になった。1900年に電気伝導に関する自由電子モデルによる解析を発表した。1901年から1905年までギーセン大学の教授、1905年にベルリン大学の物理学研究所の所長になった。43歳でベルリンで自殺した。

外部リンク[編集]