バンジャマン・フォンダーヌ

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バンジャマン・フォンダーヌ(Benjamin Fondane、1898年11月14日 - 1944年10月3日[1])は、ルーマニア生まれ、フランスに移住した詩人哲学者脚本家ホロコースト犠牲者。ルーマニアでの筆名はベンジャミン・フンドヤヌ(Benjamin Fundoianu)。

経歴[編集]

1898年 ルーマニア北東部の古都ヤシに生まれる。出生時の名はベンヤミン・ヴェクスラー(Benjamin Wechsler)。ユダヤ系であり、母方の祖父はヘブライ語学者で、ヤシに初めてユダヤ人学校を作った人であった[2]

1919年 首都ブカレストに移住。旺盛な文学活動や女優である姉らとの演劇活動を、パリに移住するまでの間この地で展開した[3]

1923年 パリに移住[3]

1944年 姉とともにフランス警察に連行され、一度は釈放のチャンスを得るが、自分だけ助かることを拒絶し、姉とともにアウシュヴィッツに送られ死んだ[3]

作品・著作[編集]

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脚本[編集]

  • 霧笛 (原題"Rapt"、1934年、フランス映画)[4]
  • アイズ・ワイド・オープン[5]

哲学書[編集]

関連項目[編集]

  • 蟹工船 - 小林多喜二のプロレタリア小説。フォンダーヌからの影響があるとされる[6]
  • レーゼシナリオ - 『アイズ・ワイド・オープン』がそうだとされる[5]
  • シネポエム
  • シオラン - フォンダーヌと同様にルーマニア出身のフランス思想家。フォンダーヌのことを「気高い(noble)」と回想した[3]
  • レフ・シェストフ - ロシア出身の哲学者。フォンダーヌに多大な影響を与えた[3]

出典[編集]

  1. ^ encyclopedie universalis
  2. ^ 内山憲一「バンジャマン・フォンダーヌの肖像 : 『ボードレールと深淵の体験』をめぐって」『仏語仏文学研究』第26巻、東京大学仏語仏文学研究会、2002年、161-175頁、doi:10.15083/00036217hdl:2261/8006ISSN 09190473 
  3. ^ a b c d e バンジャマン・フォンダーヌの肖像 内山憲一
  4. ^ 映画ドットコム 『霧笛』
  5. ^ a b クインビー・メルトン英訳版
  6. ^ de Ceccatty, René (2010年1月7日). “"Le Bateau-usine", de Takiji Kobayashi : l'enfer des mers russo-japonaises”. Le Monde des Livres. http://www.lemonde.fr/livres/article/2010/01/07/le-bateau-usine-de-takiji-kobayashi_1288456_3260.html 2013年4月14日閲覧。  - ル・モンド紙の週刊別冊に掲載された『蟹工船』書評

外部リンク[編集]