バロメッツ

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バロメッツの想像図

バロメッツ(Barometz)は、黒海沿岸、中国モンゴルヨーロッパ各地の荒野に分布するといわれた伝説植物である。このには、の入った実がなると考えられていた。

1801年のバロメッツの想像図

特徴[編集]

スキタイの羊、ダッタン人の羊、リコポデウムとも呼ばれるこの木は、本当の名を「プランタ・タルタリカ・バロメッツ」といい、ヒョウタンに似ているものの、引っ張っても曲がるだけで折れない、柔軟な茎をもっているとされた。

時期が来ると実をつけ、採取して割れば中から肉と血と骨を持つ子羊が収穫できるが、この羊は生きていない。実が熟して割れるまで放置しておくと、「ぅめー」と鳴く生きた羊が顔を出し、茎と繋がったまま、木の周りの草を食べて生き、近くに畑があれば食い散らかしてしまう。周囲の草がなくなると、やがて飢えて、羊は木とともに死ぬ。ある時期のバロメッツの周りには、この死んだ羊が集中して山積みになるので、それを求めて狼や人があつまって来るのだと言う。この羊は蹄まで羊毛なので無駄な所がほとんど無く、その金色の羊毛は重宝された。肉はカニがするとされた。

伝説の発端[編集]

この伝説は、ヨーロッパ人の誤解から生まれた物だと考えられている。バロメッツから採れる羊毛とされた繊維は木綿の事で、木綿を知らなかった当時のヨーロッパ人は「綿の採れる木」を「ウールを産む木」だと解釈して、この植物の伝説が産まれたとされる。

 イタリアの宣教師オデリコは、1314年ごろに東方布教の旅行を記録した書物『東方紀行』において、カスピ山脈(現在のコーカサス山脈)には一頭の仔羊大の獣が生まれるメロンがあると紹介した。ジョン・マンデヴィルの『東方旅行記』(1360年ごろ)やヴァンサン・ド・ボーヴェによる中世の百科事典『自然の鏡』(1473年)にも同様の記述がある。16世紀初めのスロベニアの外交官シギスモンド・ヘルベルスタインの見聞録『ロシア事情解説』(1549年)では、原産地はサマルカンドとされ、その繊維はヴェネチアに輸出されて回教徒の帽子の裏の毛皮の代わりに用いられると書かれている。日本では、屋代弘賢が編集した江戸後期の類書古今要覧稿』が中国の地理書『西使記』を引用し、「壠種の羊は、西海に出づ。羊の臍をもって土中に種え、そそぐに水をもってす。雷を聞いて臍系を土中に生ず。長ずるに及び、驚かすに水をもってすれば、臍すなわち断つ。すなわちよく行いて草を噛む。秋に至って食らうべし。臍内また種あり」と書いた。南方熊楠は『十二支考』において「これは支那で羔子(カオツエ)と俗称し、韃靼の植物羔とてむかし欧州で珍重された奇薬で、地中に羊児自然と生じおり、狼好んでこれを食らうに、傷つけば血を出す、など言った」と記載した。澁澤龍彦は『幻想博物誌』に所収のエッセイにおいて「スキタイの羊」として紹介している。

フィクションへの影響[編集]

参考文献[編集]

  • 『幻獣事典』新星出版社、2009年、p130(全192ページ)。
  • 『世界不思議物語』日本リーダーズダイジェスト、1979年、p180(全591ページ)。