バルトロメオ・ビアソレットー

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トリエステ市民植物園のビアソレットーの像

バルトロメオ・ビアソレットー(Bartolomeo Biasoletto、1793年4月24日 - 1859年1月17日)は、イタリアの薬剤師、植物学者である。

略歴[編集]

現在のクロアチア(当時はオーストリア=ハンガリー帝国)のボドニャンで生まれた。リエカトリエステの薬局で働いた後、ウィーン大学で薬学を学び、1814年に卒業した。ヴェルスで1年間、薬剤師として働く間に植物学に興味を持ち、植物標本を作り始めた。1817年に、トリエステに戻り、自らの薬局を開いた。アドリア海沿岸やオーストリア各地の植物を調査していたドイツの植物学者、ダーフィット・ハインリヒ・ホッペと知り合い、協力して、新種植物の発見や科学論文を執筆し、植物学者としての評価を得た[1]。1823年にパドヴァ大学から学位を取得した。

その後も各国の植物学者とイストリアなどの植物調査を行った[2]。1833年に、ムツィオ・トマシーニとアドリア海沿岸地域(ヴェネツィア・ジュリア地域)の調査を行った[3].。1838年に博物学愛好家のザクセン王、フリードリヒ・アウグスト2世が指揮したイストリア、ダルマチア、モンテネグロの植物調査にトマシーニと参加し、1841年に報告書、"Viaggio di S.M. Federico Augusto re di Sassonia per l’Istria, Dalmazia e Montenegro"を執筆した。1828年にトリエステに植物標本館をつくり1831年まで館長を務めた。トリエステ市民植物園(Civico Orto Botanico di Trieste)の創立者とされる。

フィレンチェの農業愛好家アカデミー(Accademia dei Georgofili)の会員であり[4]、ウィーンやプラハで行われた科学者の会議に参加した。

セリ科の植物の属名Biasolettiaに貢献名された。

著作[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Cfr. I. Cantù, L’Italia scientifica contemporanea. Notizie sugli italiani iscritti ai cinque primi congressi, Tip. Stella, Milano 1844, pp. 57-60, ad vocem
  2. ^ Cfr. C. Pericin, Gli uomini che hanno fatto la storia della flora istriana, in «Istrianet.org»
  3. ^ B. Biasoletto - |M. Tommasini, Streifzug von Triest nach Istrien im Fruhlinge 1833, mit besonderer Rucksicht auf Botanik, s.e., s.l. 1833.
  4. ^ Cfr. Atti dell’Accademia economica-agraria dei Georgofili, vol. XVII, Gabinetto Vieusseux, Firenze 1839, pp. 153-154

参考文献[編集]

  • Bicentenario della nascita di Bartolomeo Biasoletto insigne botanico (1793-1993), Unione degli istriani, Tip. Atena, Trieste 1993.
  • I. Cantù, L'Italia scientifica contemporanea. Notizie sugli italiani iscritti ai cinque primi congressi, Tip. Stella, Milano 1844.
  •  P. Sticotti, Bartolomeo Biasoletto. Aspetti della vita scientifica di Trieste nella prima metà dell'Ottocento, Tip. Smolars, Trieste 1945.