バルカン同盟
バルカン同盟(バルカンどうめい、ブルガリア語: Балкански съюз、ギリシア語: Βαλκανική Συμμαχία、セルビア語: Балкански савез)は、1912年にバルカン半島に属する諸国である、ブルガリア、セルビア、ギリシャ、モンテネグロの間で結ばれたオスマン帝国に対する同盟。しかし後にはブルガリアがセルビア・ギリシャの領土問題を理由に脱退し、同盟は崩壊した。
概要
[編集]オスマン帝国が弱体化するに伴い、バルカン半島で増加するオーストリアの勢力を押しとどめるために、ロシアの主導によりブルガリア、セルビア、ギリシャ、モンテネグロ間で同盟が締結された。
同盟諸国は1912年にオスマン帝国に対し宣戦布告し、第一次バルカン戦争が勃発。同盟側が勝利し、アルバニアも独立したことで、オスマン帝国はバルカン半島における領土や影響力を大幅に失った。
その後
[編集]マケドニア地域を巡る対立
[編集]しかし、ブルガリアとセルビア・ギリシャの間で齟齬が発生した。原因は、マケドニアの分割によるものだった。
発端となったのは、セルビアが第一次バルカン戦争前にブルガリアと締結した合意に違反し、ヴァルダル・マケドニアの本来ブルガリア領になるはずだった地域をセルビア領に組み込もうとしたことだった。セルビアの主張としては、アルバニア北部・中部の併合計画をオーストリアとイタリアによるアルバニアの主権の支持を理由に失敗したため、その代償としてヴァルダル・マケドニアに合意していた地域外の地域を欲しがったのだ。
ブルガリア、バルカン同盟を離脱
[編集]ブルガリアは、セルビアの合意破棄に反発し、バルカン同盟を脱退。さらにギリシャともエーゲ・マケドニアを巡って緊張関係にあったため、ブルガリアはセルビアとギリシャに侵攻。第二次バルカン戦争が勃発した。
しかし、ルーマニア王国とオスマン帝国がブルガリアへと侵攻したため、ブルガリアは降伏。同国はブカレスト条約とコンスタンティノープル条約を締結し、セルビア、ギリシャ、ルーマニア、オスマン帝国に領土の一部を割譲した。
これにより、ブルガリアはセルビアとギリシャから領土を奪還することを目指し、両国の牽制することも目的として旧敵・オスマン帝国と同盟(土勃同盟)を締結。