バリー・ギブ
| バリー・ギブ Barry Gibb | |
|---|---|
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2017年 | |
| 基本情報 | |
| 出生名 |
バリー・アラン・クロンプトン・ギブ Barry Alan Crompton Gibb[1][2] |
| 別名 | ジョニー・ヘイズ |
| 生誕 |
1946年9月1日(79歳) |
| 出身地 |
Rised in: Moved to: |
| ジャンル | ポップ、ロック、ディスコ、カントリー |
| 職業 | シンガーソングライター、音楽プロデューサー |
| 担当楽器 | ギター、ボーカル |
| 活動期間 | 1955年 - 現在 |
| レーベル | Leedon、Spin、Festival、Polydor、Philips、Lyntone、IBC、Mercury、Atco、RSO、Capitol、United Artists、Brunswick、Warner Bros.、Columbia |
| 共同作業者 | ビー・ジーズ (1958年-2012年) |
| 公式サイト | Official website |
バリー・ギブ(英: Barry Gibb、KBE、1946年9月1日 - )は、マン島出身のシンガーソングライター・音楽プロデューサーであり、2人の弟(ロビン・ギブ、モーリス・ギブ)と結成したビー・ジーズのメンバー。高いピッチのファルセットを歌声で使うことで知られる。また、チャートのトップ10に自らが手掛けた5曲を同時にランクインさせた唯一のシンガーソングライターとしても評価が高い。
ビー・ジーズのメンバーとして数々の殿堂に選ばれ[3][4][5][6][7][8]、バリー個人としてもオーストラリア勲章の受章[9]やケネディ・センター名誉賞を受賞している[10]。
若年期
[編集]バリーはマン島で父ヒュー・ギブ(1916~92)と母バーバラ(1920~2016)[12]の下で生まれた。バリーは5人きょうだいで、1人の姉(レズリー 1945年生)と3人の弟(双子のロビンとモーリス 1949年生、アンディ 1958年生[13])がいる。彼は家族とともに1953年にマンチェスターへ移り住み、彼が12歳の時に家族とともにオーストラリアのブリスベンに移った。彼ら兄弟のビー・ジーズとしての音楽キャリアはオーストラリアでスタートした。1967年にイングランドへ戻り、その後まもなくビージーズはスターになった。
来歴
[編集]

ビー・ジーズのメンバーとしてはもちろん、いちシンガーソングライターとして数々のヒット曲を書き下ろした。1978年、Billboard Hot 100のトップ10内に同時に5曲を送り込んだ。また、同年3月には、トップ5内の4曲が彼によって書かれた曲だった時期があった。1977年12月24日から1978年9月2日までの37週のうち、27週もの間彼の手掛けた曲が1位を記録していた。バリーが書いた曲は1960年代、1970年代、1980年代、1990年代の何れにも世界中の音楽チャートで1位を記録している。
1978年、フランキー・ヴァリが歌う映画『グリース』のテーマソングを作詞作曲。1980年にはバーブラ・ストライサンドのアルバム『ギルティー』を全面プロデュースし、バーブラとデュエットしたタイトル曲は全米3位を記録した。
1970年代からソロ・シングルを発表していたものの、1984年には初のソロ・アルバム『ヴォイジャー・ナウ』を発表。
1988年、ティモシー・ダルトン主演映画『この命尽きるまで』("Hawks")のサウンドトラックを手掛ける。
1994年、関節炎によって腰や右膝を負傷しビー・ジーズとしてのツアーをキャンセル。
2003年、モーリスが亡くなった事でビー・ジーズの活動を停止。その後再開させるものの、2012年にロビーが亡くなった事でグループとしての活動は消滅。以後はソロとして活動。
2005年、バーブラ・ストライサンドと再びタッグを組み『ギルティー・プレジャー』を発表し全英3位・全米5位を記録。
2007年には新曲「Drown On The River」をiTunesで発売。この曲はバート・レイノルズ主演の映画『ディール』で使用された。
2013年からミソロジー・ツアーを世界各地で開催。バンドメンバーには息子のステファンやモーリスの娘も参加。
2016年、32年ぶりのソロ・アルバム『イン・ザ・ナウ』を発表、息子達と共作したこの作品は全英2位を記録した。同年にはグラストンベリー・フェスティバルのコールドプレイのステージにゲスト出演。元々はパフォーマーとして出演する予定だったが家庭の事情によりゲスト出演に留まった。
2017年、満を持してグラストンベリー・フェスティバルにレジェンド・スロットとして登場し大喝采を浴びた[14]。
2018年、チャールズ皇太子よりナイトの爵位を授与された[15]。
2021年、ビー・ジーズの名曲を数々のアーティストとデュエットした3枚目のソロ・アルバム『グリーンフィールズ』がソロとして初の全英1位を記録[16]。
2023年、ケネディ・センター名誉賞を受賞[10]。
人物
[編集]1966年、19歳の時にモーリーン・ベイツと結婚するが2年で離婚。その後、以前番組で知り合った元ミス・エディンバラのリンダ・グレイと1970年に再婚し、1973年に長男のステファン、その後アシュリー、トラヴィス、マイケル、1991年に誕生したアレクサンドラという4男1女の子供達に恵まれる[18]。ステファンとアシュリーは音楽活動をしており、バリーの作品やコンサートにも参加している。
弟達を相次いで亡くした事で心に深いダメージを負いながらも活動しており、自らを「最後の生き残り」と称して「自分が年長者であるにも関わらずそうなってしまった事が理解できない」と辛い胸の内を2012年のインタビューで涙ながらに明かしている[19]。現在もソロでステージに立つ時は弟達と一緒にステージに立っているつもりで臨むという。
音域
[編集]範囲は A1[20]から C6[21]まで、5オクターブあり(A1、2、3、4、5)[22]、声のタイプはカウンターテナー[23][24][22]。
政治活動
[編集]2006年12月7日、バリー・ギブは他の4,500人のミュージシャンとともに、イギリス政府に対して50年の著作隣接権保護期間を延長するための広告をフィナンシャル・タイムズ紙に出した。彼らはアメリカのように著作隣接権保護期間を95年まで延長できるよう提案した。これは、2006年12月6日ガウアーズ報告書が著作隣接権保護期間は現行の50年を維持する内容であることをイギリス政府が発表したことに対する反発だった[25]。
自宅
[編集]2003年に亡くなったジョニー・キャッシュ[26]の家が2年後の2005年に売りに出され、その翌年バリーと彼の妻リンダはその家を購入した (沿って$230万ドル)[27][28]。バリーはこの家を作曲の楽園にすることを目的に購入した。だが2007年4月10日、改修中の家が火事にあった[29][30]。
バリー・ギブ・トーク・ショー
[編集]『バリー・ギブ・トーク・ショー』とは、サタデー・ナイト・ライブ内の人気コーナーで、コメディアンのジミー・ファロンが非常にあくが強いバリーに、ジャスティン・ティンバーレイクが無口という設定の弟のロビンにそれぞれ扮する内容。
2010年3月16日、バリーとロビンはジミーが司会のテレビ番組『レイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン』に出演し、キャリアや最近の出来事、そして『バリー・ギブ・トーク・ショー』について話した。
2013年にはバリーが『バリー・ギブ・トーク・ショー』にサプライズで出演した。
ディスコグラフィー
[編集]アルバム
[編集]- 1970: The Kid's No Good (未リリース)
- 1984: Now Voyager
- 1988: Hawks (サウンドトラック)
- 2006: The Eaten Alive Demos (iTunes)
- 2006: The Guilty Demos (iTunes)
- 2006: The Eyes That See in the Dark Demos (iTunes)
- 2006: The Heartbreaker Demos (iTunes)[31]
- 2016 『イン・ザ・ナウ』In the Now
- 2021 『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol.1』Greenfields
シングル
[編集]- 1969: "I'll Kiss Your Memory"
- 1978: "A Day in the Life"
- 1981: "Guilty" (duet with Barbra Streisand)
- 1981: "What Kind of Fool" (duet with Barbra Streisand)
- 1984: "Shine Shine"
- 1984: "Fine Line"
- 1988: "Childhood Days"
- 2006: "Dr. Mann"
- 2006: "Underworld"
- 2007: "Drown on the River"[32]
関連項目
[編集]- テリー・デサリオ - マイアミのクラブで歌っていたところをバリーに見いだされてデビュー。
脚注
[編集]- ↑ “Barry Gibb Biography” (英語). 2020年8月19日閲覧。
- ↑ “Bio” (英語). 2020年8月19日閲覧。
- ↑ “Barry Gibb Bio”. 2010年7月17日閲覧。
- ↑ “Barry Gibb Infosite”. 2010年7月17日閲覧。
- ↑ “Barry Gibb Biography at IMDb”. 2010年7月17日閲覧。
- ↑ “The Rock and Roll Hall of Fame”. 2010年7月17日閲覧。
- ↑ “The Songwriters Hall of Fame”. 2010年7月17日閲覧。
- ↑ “Gibb Songs: 1978”. 2010年7月17日閲覧。
- 1 2 “Barry Gibb Honored With Companion Of The Order Of Australia”. uDiscoverMusic (2022年1月27日). 2026年4月10日閲覧。
- 1 2 “ディオンヌ・ワーウィック、バリー・ギブらにケネディ・センター名誉賞”. BARKS (2023年6月23日). 2026年4月6日閲覧。
- ↑ “Rocklist.net...Q Magazine Lists..”. Q - 100 Greatest Singers (2007年4月). 2013年5月21日閲覧。
- ↑ «Barbara Gibb, mother of the Bee Gees, dies aged 95» www.theguardian.com
- ↑ «Andy Gibb, 30, Singer in 70's, Dies in Britain» www.nytimes.com
- ↑ “Barry Gibb brings Glastonbury to its feet”. BBC (2017年6月26日). 2026年4月6日閲覧。
- ↑ “ビー・ジーズのバリー・ギブ、ナイトの称号を授与される”. Billboard JAPAN (2018年6月27日). 2026年4月6日閲覧。
- ↑ “バリー・ギブ、最新アルバムがソロとして自身初の全英チャート1位を獲得”. uDiscoverMusic (2021年1月17日). 2026年4月6日閲覧。
- ↑ “Last Bee Gee Barry Gibb honoured by Australia”. New Daily (2022年1月28日). 2026年4月10日閲覧。
- ↑ “Who Is Barry Gibb’s Wife? All About Linda Gray”. People (2023年12月21日). 2026年4月6日閲覧。
- ↑ “Bee Gees' final show: When Barry Gibb gave emotional last performance with Robin before brother's death”. Smooth Radio (2024年1月19日). 2025年4月6日閲覧。
- ↑ «Barry Gibb - Cover You 1988» www.youtube.com
- ↑ «You Should Be Dancing (Edit)» www.youtube.com
- 1 2 «Barry Gibb vocals» www.allbeegees.blogspot.com
- ↑ «Can Women Sing in Falsetto?» www.slate.com
- ↑ «Why did the Bee Gees sing in falsetto?» www.smoothradio.com
- ↑ “Being For The Benefit Of British Musicians” (2006年12月8日). 2010年7月17日閲覧。
- ↑ «Johnny Cash died» www.theguardian.com
- ↑ «Property where Johnny Cash, June Carter Cash once lived sold» www.apnews.com
- ↑ «Gibb buys Johnny Cash's house» www.usatoday.com
- ↑ «Arde la casa que preteneció a Johnny Cash y que fue comprada por Barry Gibb, de The Bee Gees» www.lavanguardia.com
- ↑ «Johnny Cash's Former Home Burns to Ground» web.archive.org.com
- ↑ "Bee Gees Rarity Site"
- ↑ "Gibb Songs"