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バビロン第1王朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イラクの歴史

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先史

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バビロン第1王朝(バビロンだいいちおうちょう、古バビロニア王国)は、紀元前1830年 - 紀元前1595年にメソポタミア地方で栄えたアムル系の王朝。

ハンムラビ王(在位:紀元前1792年 - 紀元前1750年)治世下に全メソポタミア地方を征服した。「目には目を、歯には歯を」という同害復讐法の原則で有名なハンムラビ法典を作ったのもこの王である。

ハンムラビ以降の王は周辺諸国の反乱やカッシート人をはじめとする異民族の侵攻に悩まされた。最終的に紀元前1595年頃、ヒッタイトのムルシリ1世の侵攻を受けて滅ぼされた。

歴史

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歴代君主表

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経済

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古バビロニア時代前期から続く私的経済の活発化の流れと、ハンムラビと彼以前の王たちが続けてきた中央集権化と領土拡大によって、最大版図を実現したハンムラビ王のもとで経済は大きな発展を遂げた[1]。特に、商人組合であるカールムが結成されたことや、王権が主導する宮殿による経済活動、ナディートゥムを始めとする神殿による経済活動などが特徴的である、余剰生産物や不動産などの様々な商取引が積極的に行われ、膨大な契約や相続、資源の配分記録が残されている。一方で、貧富の差の拡大や様々な環境問題にも直面し、政治史と連動する形でサムス・イルナ治世後半以降の経済は現状維持と下降とを繰り返し衰退していった[1]。

ハンムラビ王によるメソポタミア南部の征服により、広大な領土を有していたバビロン第一王朝では、経済活動にも南北で違いが存在した[1]。例えば、バビロンやシッパルを中心とする北部では土地の売買が盛んであったのに対して、ウルクやウルを中心とする南部では家族による土地の共有が原則であり、売買の対象となることはほとんどなかった[2]。

脚注

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  1. 1 2 3 Karen Radner, Nadine Moeller, and D. T. Potts, ed (2022). The Oxford History of the Ancient Near East, Volume II: From the End of the Third Millennium BC to the Fall of Babylon. New York: Oxford University Press
  2. ↑ Postgate, Nicholas. (1992). Early Mesopotamia: Society and Economy at the Dawn of History. London and New York: Routledge

関連項目

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