バハン

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バハン
Baran
برن
view of East-side of the town, مشهد من الجانب الشرقي من المدينة
バハンの位置(ソマリア内)
バハン
バハン
ソマリアでの位置
座標: 北緯10度42分50秒 東経48度20分5秒 / 北緯10.71389度 東経48.33472度 / 10.71389; 48.33472
ソマリアの旗 ソマリア
行政区画 サナーグ州
バハン県
人口 (2007)
 - 計 120,000人
等時帯 +3

バハン(Badhan, Baran, ソマリ語: Badhan, アラビア語: برن‎, Baran, イタリア語: Badhan)はソマリア北東部にあるサナーグ州所属の都市。2007年7月、プントランドから独立宣言をしたマーヒルの首都となったが、2009年1月に再びプントランドに戻っている。

バハンは海岸から南方100キロメートルぐらいの位置にあるが、海岸との間に標高1800メートルほどのカルマドー山脈があるので海は見えない。

ソマリア内戦以降、バハンは避難民の流入により規模がむしろ拡大し、1つの病院、3つの高校、大学がある。バハンは主に4つの地区、クドロホ(Qudloho)、中心街(Upper Market)、周辺街(Lower Market)、ニューバハン(New Badhan)からなる。

歴史[編集]

バハンの住宅地域

この辺りは水が豊富だったため、14世紀にソマリ族ダロッド氏族の支族ワルサンガリ英語版が放牧地として利用していた。

1860年頃には低地であるフベーラ(Hubeera)に集落が作られたが、雨季にはしばしば水害があった。そのため、1970年頃に現在のバハンに移された。

1900年代の始め、サイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサンがイギリスおよびエチオピアに対して反乱を起こすと、ワルサンガリ王国英語版もこれに同調した。ハッサンはバハンに砦の建設を命じている。砦の遺跡もあるが、今日では傷みが激しい。

行政府[編集]

選挙で選ばれた女性議員

2006年、地区議長としてアフメド・ムセ・スルダン(Ahmed Muse Suldan)が選出されたが、その自治権は限られたものだった。

2007年には周辺地域と共にマーヒルとしてプントランドから独立し、バハンはその首都となった。しかしプントランド・ソマリランド紛争の影響で立ち行かなくなり、2009年にプントランドに復した。

2011年3月20日にプントランドの元内務長官アブドゥラヒ・アフメド・ジャマ英語版監督の下で選挙が行われ、地区議長としてアブディリザク・アフメド・イッセ(Abdirizak Ahmed Isse、男性)、副議長としてザイナブ・アブディ・モハメド(Zainab Abdi Mohamed、女性)が選出された[1]。この選挙で9人の女性議員が選ばれている[2]

選挙には地元の長老達も協力しており、交易、財産管理、犯罪対策、土地管理についても地区行政府は長老達の合意の下に話を進めている。なお、本来ソマリアでは地方行政府(あるいは氏族集団)の自治権は強いが、ソマリア内戦の影響で、内戦以前ほどの影響力は無くなっている。

議会の構成員は、小氏族ごとに人数が割り当てられており、男16名、女12名から成る。

教育[編集]

2009年時点で、バハンには3つの小中学校、3つの高校がある。また、地元住民のみならずサナーグ州全体の人を対象とした工科大学設立も計画されている。

バハンにあるマーヒル大学は、国外避難でアメリカのミネアポリスで暮らしていたマーヒル出身のアブディラフマン・ヘルジ博士が出資し、現在学長を務めている。学科は教育学と情報工学であり、保健、ビジネス、金融についても教えられている。

人道支援団体のホーン・リリーフ英語版がボラマに本拠を置いており、活動の一環として牧畜指導者の育成を行っている。

2008年時点で、語学学校が5校あり、アラビア語英語を教えている。中でもラフォーレ英語学校とタワカル英語教育センターが大きい。

初等学校[編集]

  • Alfurqan初等および中等学校
  • Alnour初等および中等学校
  • Sinai初等および中等学校
  • Alfurqan高校
  • Alnour高校
  • Badhan高校

高校卒業後の学校[編集]

  • ラフォーレ英語学校
  • タワカル語学学校
  • ハジ・アヤンコミュニティカレッジ
  • イクラ高等教育大学
  • マーヒル大学

交通[編集]

陸上[編集]

バハン・ラスコレー道路(白線のように見える部分)

交通は主に徒歩である。自動車を持つ住民は少ない。バハンはサナーグ州の中心都市なので、東のボサソと西のエリガボをつなぐ道路がバハンを経由している。また、北のラスコレー英語版と南西のラス・アノドをつなぐ道路もバハンを通る。道は舗装されておらず、整備も不十分である。

バハンとラスコレーを結ぶ道路はゲールドラ道と呼ばれ、95キロメートルある。舗装されておらず、水はけも悪い。バハンを出て数キロメートルは、時々ワジ(涸れ川)を横切る。その先はカルマドー山脈を超える細い山道が60キロメートル続く。

空路[編集]

バハンにある仮設滑走路。現在はほとんど使われていない。

バハンはかつて石油採掘調査が行われていたこともあり、1980年代に作られた仮設滑走路がある。滑走路は町の中心にあり、南東方向に向かって作られている。長さ2キロメートル、幅65メートルである。ソマリア内戦直後の1993年から1996年にかけては、ソマリア南東部に住んでいたワルサンガリ氏族をこの地に避難させるのに使われていた。ただし排水溝は無く、今は目印の類が草に埋まっており、路面も草と泥だらけである。さらには、滑走路を横切る生活道路も2本ほど作られている。そのため、現在では、バハン空港はほとんど使われていない。地元NGOによる整備も検討されているが、まずは暗渠の設置が必要であり、見通しは立っていない。

バハン近郊で空港があるのはラスコレー英語版である。エリガボの空港もよく使われる。

公共機関[編集]

バハンには、国外避難者からの支援で作られたサナーグ州でもっとも大きな病院がある。産科を含めて基本診療科目が揃った施設だったが、資金不足のため、2009年2月から活動を停止している。大きな病院に行くにはバリ州のボサソにまで行かなければならない。小規模な診療施設はあり、応急処置や簡単な治療を受けることができる。

産業[編集]

バハンに建てられた新しいホテル

バハンは都市として急成長している。バハマはソマリア内戦前には人口が1万5千に満たないどこにでもある小さな町だった。しかしソマリア内戦後、サナーグ州は比較的治安が良かったため、国中から人が集まり、バハンの人口は2003年には9万2千[3] 、2007年には12万人にまで急増した。サナーグ州の中央付近に位置するという好条件もあり、自然な成り行きとして乳業などの小規模産業が盛んになっている。2009年にはイギリスのカーディフの人物が3階建の新しいホテルを建設している。

観光[編集]

バハンは気温が高いため、観光は雨季の9月から翌5月が適している。

街中にはコーヒーショップもあり、カートを扱っている店、インターネットカフェなどがある。ホテルやゲストハウスも豊富である。

郊外には岩山や草原があり、珍しい動物や樹木が観察できる。

バハンの北から西にかけて、ソマリアでは珍しく緑に覆われたカルマドー山脈英語版に囲まれており、中でも西方に見えるシンビリス英語版山は標高2,450メートルでソマリア最高峰である。

通信[編集]

バハンでは電話が使える。電話会社はボサソに本社があるゴリステレソム社である。電話は有線、携帯電話と共に使え、コーヒーショップでは簡便ながらインターネットが使用可能である。

ギャラリー[編集]

Badhan
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気温(°C
総降水量(mm)

参考文献[編集]

座標: 北緯10度42分50秒 東経048度20分05秒 / 北緯10.71389度 東経48.33472度 / 10.71389; 48.33472