バニーガール

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バニーガール

バニーガール(Bunny Girl)とは、ウサギをモチーフにしたレオタードなど、身体の線が出る衣装を着た女性。特に、飲食店の接客係やバラエティ番組のアシスタントを指す。

なお、英語圏では、バニーbunny)はウサギを示す幼児語(日本語における「ウサちゃん」に近い)であり、日常会話でウサギを指す場合はラビット(rabbit)を用いる。

バニーガールの歴史[編集]

起源[編集]

プレイボーイバニー(2011年)

バニーガールは、アメリカの成人雑誌『PLAYBOY』との連動企画で運営された高級クラブ「プレイボーイクラブ」のウエイトレス衣装として考案された。正式には(プレイボーイバニー、英語: Playboy Bunny、米国商標番号:0762884)という名で登録されている。PLAYBOYのシンボルマークである、ラビットヘッド(ウサギの頭)を題材にしている。1960年2月29日の夕方、シカゴの「プレイボーイクラブ」で初公表された。ウサギをモチーフにした理由は、ウサギが1年を通して発情期というイメージの生物であることからの連想で、「自分はいつでも男性を受け入れる準備ができている」という暗喩から。その当時のバニーガールの衣装には実際のウサギの毛皮を使用した物もあった。

1996年に放送されたテレビ東京知ってドーするの!?』において、バニーガールは雄ウサギをイメージしたと解説されたが、これはPLAYBOYのマスコットが雄ウサギのためである。

荒俣宏著 『世界大博物図鑑』によれば、「カフスとボウタイが男性の公的な場での衣装を、ウサギの格好とレオタードが女性のプライベートな場での衣装を」指すと言う。なお 荒俣の『エロトポリス』によれば、プレイボーイクラブのウサギは、「男根を切るための鋏」の象徴と言う。

反発[編集]

「プレイボーイクラブ」のバニーガール達は、女性という性を男性たちの楽しみのために商品化しているとの非難がフェミニストたちの間から起こり、グロリア・スタイネム(Gloria Steinem)が自らバニーガールの募集に応じて潜入。「ウェイトレス業に性病検査はあり得ない」と言う商業倫理を経営者に納得させるまでの楽屋裏の一部始終を『プレイボーイクラブ潜入記』として執筆。アメリカだけでなく、世界中でセンセーショナルな話題を呼び、その後スタイネムの変名であるマリー=オクス(青いコスチュームで有名だった)が「プレイボーイに貢献したバニーたち」の一人に数えられている旨を知り、ヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner)との間で長く裁判で争われた。

バニースーツ[編集]

バニーガールが着用する衣装類。
左上からウサギの耳をかたどったヘアバンド、蝶ネクタイ、カフス、右はレオタードでウサギの尻尾をかたどった飾りを取り付けている。
プレイボーイクラブ・バーの風景

バニーガールの衣装はバニースーツ、バニー服、バニーコート、バニーコスチュームなどと呼ばれ、燕尾服タキシードにウサギの意匠を取り入れたものがデザインの起源だと言われている。 なお、バニーガール衣装の上から羽織る燕尾服を指して「バニーコート」と呼ぶこともあるので注意が必要である。

衣装の組み合わせは、丸い尻尾の飾りを付けたレオタード、ウサギの耳をかたどったヘアバンド蝶ネクタイ付きの付け襟、カフスストッキングまたは網タイツハイヒールというのが標準的であり、バニースーツの上に、燕尾服かタキシード風の上着を羽織ることもある。衣裳本体、蝶ネクタイ、ヘアバンドの色は同じにすることが多い。

バニーガールの衣装(バニースーツ)の本体部分は形状こそスポーツ用のレオタードに似ているが、大きな違いとしては、上半身はコルセットに似た機能があり、ワイヤーやボーンで体や胸をサポートして体型をよく見せる働きがある。肩紐は付けないのが基本で、もし付けるとしても目立ちにくい透明な肩紐を用いる。

素材としては、ポリエステルナイロンサテンといった肌に密着しやすい素材が多いが、中には合成皮革(フェーク・レザー)やPVCを使う場合もある。

パーティグッズ・仮装衣装として、大型雑貨店やネットショップなどで、4000円から8000円程度のバニースーツが販売されている。しかしこれらの衣装に使用している生地は薄かったり素材が悪い場合が多い。縫製も簡単にしかされていないので、1回洗濯しただけで破損してしまうことがある。パーティーなどでたまにしか着ないのであれば十分だが、お店で制服として使用するのは適さない。 パーティグッズのバニーガール衣装は、バニークラブ等で使用されている本格的な衣装と比べると、簡素なデザインであることが多く、パーティー用と割り切って着る必要がある。

より本格的な物・店などの制服に採用されている物は、日本製の場合、専門店で3万円から販売されている。いずれも本格的かつ業務用となると高価だが、これは職人のお手製によるものである。著名なメーカーとしては、アトリエダーム、バニーガールテーラー、バニーガール向上委員会などがあげられる。

また、バニーガールはウサギバニーだけではなく、ネコバニー(通常のウサギバニーの耳に比べて短い、また尻尾が長いなど)も製作されている。

日本での普及[編集]

日本の飲食店でのバニーガール[編集]

1966年にバニーガールの接客を取り入れたナイトクラブ「ゴールデン月世界」が赤坂に開店した[1](同店はコパカバーナ、ニューラテンクォーターに次ぐ高級クラブ[2])。

アメリカのPLAYBOY CLUBが日本に進出したのは1976年。しかし、それよりも10年以上前の1960年代に、Zen、エスカイヤクラブなどの、バニーガールがホステス、あるいはウェイトレスを務める飲食店が日本に初めて登場した。PLAYBOY CLUBはその後日本から撤退したが、Zen、エスカイヤクラブは今でも存続している。 その後、LOFT101が石川県の金沢市に第1号店をオープンさせ、現在ではエスカイヤクラブに次ぐ12店舗にまで成長している。 1980年代には合法・違法を問わず、カジノが全国の繁華街に林立するようになる。そこでもバニーガールが大活躍する。 2000年代に入ると、風営法の適用を受けずに深夜営業できる「ガールズバー」の形態の店が普及し始める。ガールズバーの元祖が大阪でバニーガールの衣装を着た店であったことから、その後に開店するガールズバーでも制服にバニーガールの衣装を採用する店が多くなる。

バニーガールの衣装は手作業で多くの生地を縫い合わせるため、縫製代金が高い。日本の縫製工場で生産して問屋が仕入れ、小売店が販売する場合、販売価格が7万円程度もすることがあった。この高価な衣装代がバニーガールの普及を妨げていた。当時バニーガール衣装を購入できた店は、客単価の高い高級店に限られていた。 1980年代にアトリエダームが問屋や小売店を通さず、縫製工場が直接飲食店に販売する方式を始めた。これにより、3万円代でバニーガール衣装を購入することが可能になる。 そして2010年代、バニーガール向上委員会が海外の縫製工場でのバニーガール衣装の生産を開始し、1万円代でバニーガール衣装を購入することが可能になる。これにより客単価の安い店でもバニーガールの衣装を採用することが可能になった。

マスメディアでのバニーガール[編集]

かつては、バニーガールがテレビのバラエティ番組のアシスタントを務めることが多く見られた。 深夜番組『11PM』には、当時のPTAから「青少年に悪い影響を与える」とクレームが付いたと言われている。他に、『欽ちゃんの仮装大賞』で、合格者の首にメダルをかけるアシスタントの女性がバニーガールの衣装を着用していた。番組自体は現在でも継続しているが、アシスタントの女性が着る衣装は、1999年頃から着ぐるみのような衣装に変わってしまった。これもPTAなどからテレビ局へクームがあったと言われている。

他にも、『くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ン』の藤原美栄、『テレつく!』の松永瑠里などグラビアアイドルをバニーガールに起用する場合ある。有賀さつきフジテレビジョンのアナウンサーとしてデビューした時の最初の仕事がバニーガールだったといわれている。

役柄でバニーガールを演じた例

アメリカでバニーガールが出演するドラマが放送打ち切りになったことがあるが、近年は日本でも深夜番組以外でバニーガールを目にする機会が少なくなった。

コスプレとしてのバニーガール[編集]

「コスプレ」とは本来、アニメや漫画、ゲーム等の2次元の世界に登場するキャラクターに扮する(仮装する)活動を指したが、同人誌即売会のコミックマーケットに併設される「コスプレ広場」などのコスプレイベントが盛況になるに連れ、他の衣装の着用を趣味とする人たちもそこに便乗して参加するようになった。 例えばウエイトレスやナース(看護師)、キャビンアテンダント(CA)、警察官、軍服などの衣装は、本来その職業に就かなければ着用できないものである。1980年頃から、それらの職業に就いていない人が、それらの職業に憧れたり、衣装そのものに魅力を感じて、趣味としてそれらの衣装を着用する人が出始めた。バニーガールの衣装も本来は職業用のユニフォームであるので、その範疇に含まれる。

1990年代前半、一般人である因幡うさぎが、「コスプレとしてバニーガール衣装を着用する女性」の第一号として活動を始めるようになる。当時の風当たりは相当強く、同好の仲間を増やすなど、「バニーガール衣装を着るのが好きな女性」が存在することを世間にアピールしようと努力した。

1990年代後半、レースクイーンとして活動していた鈴々木保香が、レースクイーン仲間に声をかけ、「バニーガール向上委員会」を立ち上げる。

2001年、鈴々木保香が芸能事務所と組むことで、バニーガール向上委員会の活動が本格化する。新メンバーもオーディション雑誌で公募し、スカイパーフェクTVに独自の番組を持つようになる。この活動は2016年現在も継続している。

脚注[編集]

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  1. ^ 高度成長期の青春像 1960〜1975たばこと塩の博物館、1996年
  2. ^ Talent Scene Has ChangedBillboard 19 Dec 1970

関連項目[編集]