バディ・カーライル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
バディ・カーライル
Buddy Carlyle
アトランタ・ブレーブス コーチ #70
Caryle B2016.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ネブラスカ州オマハ
生年月日 (1977-12-21) 1977年12月21日(40歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト2巡目(全体38位)でシンシナティ・レッズから指名
初出場 MLB / 1999年8月29日
NPB / 2001年4月6日
KBO / 2006年
最終出場 MLB / 2009年9月3日
NPB / 2010年8月25日
KBO / 2006年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • アトランタ・ブレーブス (2016 - )

アール・レスター・"バディ"・カーライルEarl Lester "Buddy" Carlyle , 1977年12月21日 - )は、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ出身の元プロ野球選手投手)。現在はアトランタ・ブレーブスのコーチ補佐。

経歴[編集]

プロ入りとパドレス時代[編集]

1996年MLBドラフト2巡目(全体38位)でシンシナティ・レッズに指名され、7月21日に契約。

1998年4月8日トレードサンディエゴ・パドレスに移籍し、翌1999年8月29日ミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。シーズン終盤にメジャー初白星を挙げる。

阪神時代[編集]

2000年11月3日阪神タイガースに入団。1年目の2001年は7勝10敗と負け越し、防御率3.87はリーグ14位だった。2年目の2002年は調子を落として二軍暮らしが多くなる。結局、シーズン未勝利に終わり(2敗)、防御率も7.53と大きく悪化し、同年オフに解雇。

LG時代まで[編集]

2002年12月18日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結んだが、メジャーでの出場はなく、2003年10月15日FAとなった。同年12月23日ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。2004年はマイナーリーグで12勝5敗・防御率3.19と好投したが、メジャー昇格はならず、FAとなった。11月18日ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。2005年中継ぎとしてメジャー昇格も果たすが結果が出ず、すぐにマイナー降格。5月4日に放出された。12月15日フロリダ・マーリンズと契約した。

2006年5月18日に放出され、その後韓国プロ野球(KBO)LGツインズと契約。

ブレーブス時代[編集]

2006年12月4日アトランタ・ブレーブスと契約。2007年6月7日に先発として登板し、7年269日ぶりのメジャーでの勝ち星を挙げる。しかしチームの中継ぎの事情により、その日のうちにマイナー降格という憂き目に遭った。また、7月6日のパドレス戦の4回、メジャー史上39回目の「1イニング三者3球三振」を記録。

2008年は45試合に登板してまずまずの成績を残すも、2009年は打ち込まれることが多く不本意な成績に終わる。10月9日にFAとなった。

日本ハム時代[編集]

2009年11月17日北海道日本ハムファイターズとの契約に合意した旨が日本ハム球団から発表された。

2010年は、開幕一軍、先発ローテーションを任されたが、間もなく二軍落ち。監督、コーチからも捕手のサインに首を横に振ることが多かったことから「ストレート、速球に頼りすぎ」の評価を受けた。結局、7試合に登板(そのうち4試合は先発)し、開幕ローテーション入りも果たしたが1勝も挙げられずに9月30日に退団が決まった[1]

ヤンキース復帰[編集]

2010年12月2日ニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ[2]

2011年4月23日にメジャー昇格。7月5日に傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースに降格し、8月20日に自由契約になった。

ブレーブス復帰[編集]

2012年1月30日にブレーブスとマイナー契約を結んだ。11月3日にFAとなった。

ブルージェイズ傘下時代[編集]

2012年12月11日トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。

2013年は、傘下のAAA級バッファロー・バイソンズで開幕を迎えた。11月5日にFAとなった。

メッツ時代[編集]

2014年2月18日ニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ[3]。開幕後は傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズで18試合に登板。1勝1敗1セーブ・防御率1.27と好投し、5月31日にメッツとメジャー契約を結んだ[4]。同日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では同点の延長11回裏から3年ぶりのメジャー登板。3回を2安打無失点に抑え、直後の14回表にメッツが勝ち越したため、勝利投手となった[5]。2度目の登板となった6月4日シカゴ・カブス戦では、1.1回を無失点に抑えたが、6月5日DFAとなり、6月7日にAAA級ラスベガスへ降格した。7月6日ジョン・ニースが故障で離脱したため、再びメッツとメジャー契約を結んだ[6]。昇格後は3試合に登板したが、7月20日にDFAとなり[7]7月23日にAAA級ラスベガスへ降格した。7月26日松坂大輔故障者リスト入りしたため、メッツと再びメジャー契約を結んだ[8]。この年は27試合に登板し、1勝1敗、防御率1.45だった。オフの10月31日40人枠を外れ、AAA級ラスベガスへ降格し、11月4日にFAとなった。

2015年1月5日にメッツとマイナー契約で再契約した[9]4月5日にメジャー契約を結び昇格したが、5月14日に背中の痙攣で15日間の故障者入りし[10]7月7日に60日間の故障者リストに移行した[11]。同年は11試合に投げたが、防御率5.63と今一つだった。しかし1勝を挙げたほか、メジャー初セーブもマークした。11月10日にFAとなった[12]

2016年はメッツと再びマイナー契約したが、スプリングトレーニング終盤に解雇された。

引退後[編集]

2016年5月10日に古巣アトランタ・ブレーブスのコーチ補佐に就任したことが発表され、同時に現役引退を表明した[13]

プレースタイル[編集]

最速96mph(約154km/h)、平均90mph(約145km/h)のフォーシームシンカーを主体に、カーブスライダーチェンジアップを投げる。また、2011年まではカットボールも持ち球としていた。全投球の80%以上がフォーシームとシンカーの2球種で占められており、変化球はスライダーが大半を占める。カーブ、チェンジアップは合わせて全体の5%未満でしかない。もともとは制球力に問題があったが、阪神を退団後に制球力が向上し、北海道日本ハムを退団後からさらに磨きがかかった。メッツ以降では与四球率1.38をマークしており、制球力を武器とした。

人物[編集]

2009年5月に1型糖尿病を発症したことを明らかにしている。2010年春季キャンプ中、本人の希望で阪神のキャンプ地・宜野座を訪問し、同じく1型糖尿病を発症している岩田稔との対談を行った。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1999 SD 7 7 0 0 0 1 3 0 0 .250 162 37.2 36 7 17 0 2 29 1 0 28 25 5.97 1.41
2000 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 18 3.0 6 0 3 0 0 2 0 0 7 7 21.00 3.00
2001 阪神 28 26 0 0 0 7 10 0 -- .412 652 153.1 151 22 64 2 1 111 2 2 73 66 3.87 1.40
2002 3 3 0 0 0 0 2 0 -- .000 65 14.1 17 1 5 0 1 13 1 0 12 12 7.53 1.53
2005 LAD 10 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 62 14.0 16 4 4 0 1 13 0 0 13 13 8.36 1.43
2006 LG 32 3 0 0 -- 2 6 2 11 .250 215 52.2 45 3 11 2 4 48 0 1 21 19 3.25 1.06
2007 ATL 22 20 0 0 0 8 7 0 0 .533 462 107.0 117 19 32 8 2 74 3 0 67 62 5.21 1.39
2008 45 0 0 0 0 2 0 0 0 1.000 259 62.2 52 5 26 6 1 59 4 1 26 25 3.59 1.24
2009 16 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 107 21.1 35 5 12 4 0 12 2 0 23 21 8.86 2.20
2010 日本ハム 7 4 0 0 0 0 3 0 0 .000 125 27.2 35 2 11 0 1 14 1 1 18 15 4.88 1.67
2011 NYY 8 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 34 7.2 5 1 7 1 0 9 2 0 4 4 4.70 1.56
2014 NYM 27 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 119 31.0 23 2 5 0 0 28 0 0 6 5 1.45 0.90
2015 11 0 0 0 0 1 0 1 4 1.000 32 8.0 8 0 1 0 0 6 1 0 5 5 5.63 1.13
MLB:9年 150 27 0 0 0 13 13 0 8 .500 1255 292.1 298 43 107 19 6 232 13 1 179 167 5.14 1.39
NPB:3年 38 33 0 0 0 7 15 0 0 .318 842 195.1 203 25 80 2 3 138 4 3 103 93 4.28 1.45
KBO:1年 32 3 0 0 -- 2 6 2 11 .250 215 52.2 45 3 11 2 4 48 0 1 21 19 3.25 1.06
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録[編集]

NPB投手記録
NPB打撃記録

背番号[編集]

  • 58 (1999年 - 2000年、2005年)
  • 26 (2001年 - 2002年)
  • 38 (2007年 - 2009年)
  • 12 (2010年)
  • 41 (2011年)
  • 44 (2014年)
  • 43 (2015年)

脚注[編集]

  1. ^ カーライル選手退団のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2010年9月30日). 2015年11月11日閲覧。
  2. ^ NEW YORK POST Archived 2010年12月3日, at the Wayback Machine.
  3. ^ Mets sign RHP Buddy Carlyle”. ESPN. 2014年2月18日閲覧。
  4. ^ Anthony DiComo (2014年5月31日). “After swapping Montero for Carlyle, Mets call Eveland”. MLB.com. 2014年6月1日閲覧。
  5. ^ Scores for May 31, 2014”. ESPN MLB (2014年5月31日). 2014年6月1日閲覧。
  6. ^ Mike Axisa (2014年7月6日). “Mets place lefty Jon Niese on 15-day DL with shoulder strain”. CBS Sports. 2014年7月7日閲覧。
  7. ^ Anthony DiComo (2014年7月20日). “Dice-K back to bullpen as Niese returns from DL”. MLB.com. 2014年7月21日閲覧。
  8. ^ Caitlin Swieca (2014年7月26日). “Mets place Dice-K on 15-day DL, recall Carlyle”. MLB.com. 2014年7月27日閲覧。
  9. ^ Mets sign Buddy Carlyle to a minor league contract”. MLB.com Mets Press Release (2015年1月5日). 2015年1月6日閲覧。
  10. ^ Anthony DiComo (2015年5月12日). “Back injury could force Carlyle to disabled list” (英語). MLB.com. http://m.mlb.com/news/article/123987996/back-injury-could-force-mets-relief-pitcher-buddy-carlyle-to-disabled-list 2015年11月11日閲覧。 
  11. ^ Transactions | mets.com” (英語). MLB.com (2015年7月7日). 2015年11月11日閲覧。
  12. ^ Transactions | mets.com” (英語). MLB.com (2015年11月10日). 2015年11月11日閲覧。
  13. ^ “元阪神、日ハムのカーライルが引退 ブレーブスのコーチ補佐に就任 ”. デイリースポーツ. (2016年5月11日). http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2016/05/11/0009072173.shtml 2016年5月11日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]