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ハーヴィクスベック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州: ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区: ミュンスター行政管区
郡: コースフェルト郡
緯度経度: 北緯51度58分40秒 東経07度25分00秒 / 北緯51.97778度 東経7.41667度 / 51.97778; 7.41667座標: 北緯51度58分40秒 東経07度25分00秒 / 北緯51.97778度 東経7.41667度 / 51.97778; 7.41667
標高: 海抜 90 m
面積: 53.17 km2
人口:

12,215人(2023年12月31日現在) [1]

人口密度: 230 人/km2
郵便番号: 48329
市外局番: 02507
ナンバープレート: COE
自治体コード:

05 5 58 020

行政庁舎の住所: Willi-Richter-Platz 1
48329 Havixbeck
ウェブサイト: www.havixbeck.de
首長: イェルン・メルトゲン (Jörn Möltgen)
郡内の位置
地図
地図

ハーヴィクスベック (ドイツ語: Havixbeck, 低地ドイツ語: Havkesbieck) は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州ミュンスター行政管区コースフェルト郡に属す町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町は同州北部、バウム山地ドイツ語版英語版の北東周縁部に位置している。

地理

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ハーヴィクスベックは、バウム山地の麓に位置する。この山地の最も高い峰である高さ 188.7 m のヴェスターベルクは、ノットゥルン町内に位置する。ハーヴィクスベック地区の西からミュンステルシェ・アー川ドイツ語版英語版が湧出し、ミュンスター市を流れた後、グレーヴェン近郊でエムス川に注ぐ。

隣接する市町村

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ハーヴィクスベックは、北から時計回りに以下の市町村と境を接している: アルテンベルゲシュタインフルト郡)、郡独立市ミュンスター、以下いずれもコースフェルト郡ゼンデンノットゥルンビラーベック

自治体の構成

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自治体ハーヴィクスベックには、同名の首邑と、約 4 km 北東に位置するホーエンホルテ地区 (低地ドイツ語: Hoonholt) の他に、農場集落のゲネリヒ、ヘルケントルプ、マスベック、ラスベック、ナトルプ、ポッペンベック、ティルベック、ヴァーリンゲン、ブロック、ショーネバックが含まれる。ブロックとショーネベックは、1974年12月31日の市町村再編までアムト・ロクセルに属していた。

歴史

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ハーヴィクスベックの地域で先史時代古代に定住がなされていたことは考古学的出土品によって証明されている。たとえば、1938年にラスベック集落で紀元前1万5千年頃の Tardenoisien(中石器時代の文化様式)の遺物が発見されている。また、ヘルケントルプからは紀元前2000年頃の輝緑岩石斧が出土した[2]

ハーヴィクスベック

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790年頃にフランク人が旧ケーニヒス街道沿いのハーヴィクスベックの領域内に荘園の拠点を建設し、土地の管理や農業経営を行った。この頃、湧き水の出るバウム山地の北東斜面にはすでに農業集落が形成されていた。文献に記録された最も古い農場は、ナトルプ(890年頃)、ティルベック(890年頃)、ポッペンベック(1050年頃)にあった[2][3]。ゲネリヒも890年頃にヴェルデン修道院ドイツ語版英語版の最も古い土地台帳に記録されている。この文書で用いられている Geldrike という地名は、「犠牲」や「償い」を意味する語 Geld と「囲い」を意味する Rike/Recke とに由来する。

900年頃に、それまでビラーベックに属していたハーヴィクスベックは独立した教区に昇格した[2][4]1040年に設けられたシュルツェンホーフ(地方管理官の農場)ハーヴィクスベック[5]は、ヴィガー夫妻の寄進によりミュンスター司教領ドイツ語版英語版の所有となったとされる[2]。集落ハーヴィクスベックは、1137年にミュンスター司教ヴェルナードイツ語版英語版から聖堂参事会への寄進状に Haueskesbeke という表記で初めて言及されている[6]。この地名は小川に由来する。hab あるいは hav という音節はおそらく水を表す[3]

1147年に農村マスベック (Moersbecke) 内に、聖マウリッツ修道院の荘園オーバーホーフ Varwecke があると記録されている[7]。当時の管理官で、後に所有者となるエーファーヴィン・ドロステは、ドロステ・ツー・ヒュルスホフ家の出身であった。この荘園はシュタインフルトの貴族に売却され、さらにその後ツヴィッケル男爵家の所有となった。これが後のノストホフ農場であるとされる[8]

シュターペル館

1975年以前の歴史的なハーヴィクスベックの町域内には、現在も2つの水城が遺されている[9]1211年から記録が遺るシュターペル館[9]は、何世紀もの間、貴族ケルケリンク家の所有で、その後婚姻によりドロステ・ツー・ヒュルスホフ家およびライツ・フォン・フレンツ家の手に渡った。ハーヴィクスベック館は聖マウリッツ修道院の荘園であったブリューニングスホーフに由来し、1396年騎士ディートリヒ・フォン・ショーネベックに土地とともにレーエンとして授与された。その後婚姻によりベーフェルン家が所有し、現在のルネサンス様式の領主館を建設した。ツヴィッケル家がこの家族と結婚し、現在もこの城を所有している。

ハーヴィクスベックは、何度も火災に苦しめられた。1559年には教会と教会広場周辺の建物が火災によって失われ、1577年にも繰り返された。1690年4月25日には44軒の家屋と教会施設の一部が焼失した。1729年には集落の中心にあったシュルツェンホーフ・ハーヴィクスベックが焼け落ち、1734年にすぐ近くに新たに建設された[10]

ホーエンホルテ

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ホーエンホルテ地区では、同名の領主館の近くに1142年にリウトベルト・フォン・ベーヴェルンによってベネディクト会修道院が創設され、ランスの聖ニケア修道院の修道士がこれを所有した。初代プリオールドイツ語版英語版(首席修道士または副院長にあたる地位)にはリウトベルトの兄弟にあたるテオデリヒが就任した。しかし1188年には修道士たちがホーエンホルテを去り、修道院はミュンスター司教ヘルマン2世フォン・カッツェネルンボーゲンに移譲され、アウグスチノ女子修道会の手に渡った。ホーエンホルテ修道院は、1292年の火災後に現在の場所に新たに建設された。この修道院は1557年に世俗の貴族の女子修道院に改変された[11]。修道院は1811年に廃止された[12]。ホーエンホルテは、1859年に独立した教区に昇格し、ハーヴィクスベック、ロクセル、アルテンベルゲがその管轄下に入った[13]

1748年、聖堂参事会員のアウグスト・ヴィルヘルム・フォン・ヴォルフ=メッテルニヒがホーエンホルテのミュンステルシェ・アー川に橋を架けた。現在ではこの川がコースフェルト郡シュタインフルト郡との境界となっている。

行政史

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行政史の上からは、ハーヴィクスベックは変遷に富んだ歴史をたどった。ハーヴィクスベックは、元々は、ミュンスターラントのザクセン人ガウドイツ語版英語版であるスコーピンガウに属していた。ミュンスター司教領ドイツ語版英語版内ではアムト・ホルストマールに属した[2]1803年帝国代表者会議主要決議に従って、ハーヴィクスベックの一部(ティルベック、ヴァーリンゲン、ホーエンホルテ)はプロイセンに、ハーヴィクスベック本体はザルム=ホルストマール侯領ドイツ語版英語版に属した。フランス統治時代には、ベルク大公国の下、一時的にコースフェルトに編入された後、再びミュンスターに属した[2]。ハーヴィクスベックは、1816年に新設されたコースフェルト郡の一部となったが、早くも1832年に行政再編の一環としてミュンスター郡に編入された[14]1844年からハーヴィクスベックは独自のアムトを形成した[15]。このアムト・ハーヴィクスベックは1929年に廃止され、自治体としてのハーヴィクスベックはアムト・ロクセルに編入された[16]1955年4月1日にハーヴィクスベックはアムト・ロクセルから分離され、ミュンスター郡のアムトに属さない自治体となった[17]

自治体再編の結果ハーヴィクスベックは、廃止されたロクセル(現在はミュンスター市の市区)の一部を取り込んで拡大し[18]1975年1月1日から再びコースフェルト郡の一部となった[2]

ヒュルスホフ城

1975年から、それまでロクセルの一部であった農業集落ショーネベック(中世のショーネベック騎士家の本拠を含む)がハーヴィクスベックに移管された。これによりハーヴィクスベックは第3の有名な水城を獲得した。それは、11世紀に Hoff von Hulshove(ヒュルスホフ荘園)の主城として記録されているヒュルスホフ城である[19]。この城は1417年から2012年まで、ハーヴィクスベックのシュターペル城を建設したドロステ・ツー・ヒュルスホフ家の累代の城であった[20]。1797年に、ドイツで最も有名な女流作家・詩人の一人に数えられるアネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフがここで生まれた。現在、ヒュルスホフ城は博物館とともに、アネッテ・フォン・ドロステ・ツー・ヒュルスホフ財団によってノルトライン=ヴェストファーレン州の文学センターとして拡充されている[21]

文化

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議会

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ハーヴィクスベックの町議会は26議席からなる[22][23]

首長

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イェルン・メルトゲン(同盟90/緑の党)は、2020年に決選投票の結果ハーヴィクスベックの町長に選出された[24]

紋章

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図柄: 銀地。右(向かって左)を向いたの嘴と爪を持つ黒いオオタカ (ドイツ語: Habicht) が、銀の斜め波帯があるの三峰の山の上に描かれている[25]

オオタカと波帯は、町名の Havix - beck の語呂合わせである。緑の三峰の山はバウム山地にある町の立地を表現している。黒と白は、数世紀もの間ハーヴィクスベックを拠点としたフォン・ツヴィッケル家の色である[25]

姉妹自治体

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ハーヴィクスベックは、以下の自治体と姉妹自治体関係にある[26]

文化と見どころ

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ホルシュティーゲ放送博物館と創設者ラインホルト・ホルトシュティーゲ

博物館

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ハーヴィクスベックには全国的に重要な博物館が3館ある。バウムベルガー砂岩博物館は、バウムベルガー砂岩の成り立ちや1000年間にわたるその採掘について展示している。さらに、ミュンスターラントの彫刻家や石工の芸術、クニュプフェルやシュラーゲアイゼン(ともに石工や鍛冶屋が使う伝統的な工具)の技も紹介している。この博物館では夏季にアマチュアのための特別な彫刻コースを開講している[27]

ハーヴィクスベックのラジオ・テレビ技術者ラインホルト・ホルトシュティーゲ(1929-2011)が開設した民営のホルトシュティーゲ放送博物館は、ラジオおよびテレビ技術の歴史を紹介している。こうしいた展示は、ドイツではユニークなものである[28]

ドロステ博物館は、詩人アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフの生涯、特に子供時代の品を展示している。この博物館は、1417年からミュンスターラント貴族ドロステ・ツー・ヒュルスホフ家の居館であったヒュルスホフ城の主館に入っている[29]

ハーヴィクスベック館

建築

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ヒュルスホフ城、シュターペル館、ハーヴィクスベック館は、ミュンスターラントの多くの城館の3例である。町の中心には中世の遺構であるトーアハウス(楼門)と聖ディオニシウス教会がある。トーアハウスのアーチには、ここでスペイン兵が撃退された1587年4月12日の戦闘の痕跡が遺っている。ハーヴィクスベックにはホーエンホルテ修道院教会もある。ビラーベックへ向かう州道沿いに、騎士スヴァー・フォン・ベーヴェルンの死を記念したゴシック様式のポッペンベッカー十字がある。

ティルベック修道院の「はだしの道」のモニュメント

公園

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ティルベック修道院の魅力の1つが「はだしの道」である。この種の公園は訪問者が裸足で散策し、この特別な種類の感覚的な体験を通してリラックスと健康促進およびストレス軽減につながるよう設計されている。

スポーツ

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この町で最も会員数の多いクラブが、SV シュヴァルツ=ヴァイス・ハーヴィクスベックである。このクラブには9つの部門(サッカーハンドボールバスケットボールバドミントン徒手体操/器械体操柔道/合気道卓球バレーボール陸上競技)がある。サッカーの第1チームは、2018/19年シーズンにクライスリーガAに昇格したが、2022/23年シーズンにクライスリーガBに降格した。

ホーエンホルテ地区にはスポーツクラブ ゲルプ=シュヴァルツ・ホーエンホルテ(略称: GSH)がある。この地区の住民の多くがこのスポーツクラブの会員であり(2016年3月31日現在の会員数は840人)、1974年以降はボランティアベースで存続している。スポーツ種目は、サッカー(シニア、ユース、女子。シニア第1チームはクライスリーガAミュンスターでプレイしている)、体操、ダンステニスランニングおよびウォーキング、合気道、ダーツ、児童グループがある。

この町には、ドイツ・ライフセービング協会 (DLRG) の地域グループがある。この団体は、コースモデルを設けて水泳初心者のトレーニングの大部分を引き受けており、夏季には無料でバッジテストを定期的に行っている。DLRG ハーヴィクスベック地域グループには強力なユースグループがあり、青少年向けに定期的な水泳教室の他に年間を通して様々な活動を行っている[30]

音楽

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ハーヴィクスベックには、ブラスオーケストラ・フォン1878と1973年に創設されたユーゲントオーケストラ・ハーヴィクスベック e.V.(直訳: 青年オーケストラ・ハーヴィクスベック) の2つのアマチュア・ブラウオーケストラがある。ユーゲントオーケストラは、かつての指揮者ギュンター・メルテンスによって私的に設立されて発展し、公的支援を受ける音楽教育体制を整備し、ドイツの多くのアマチュア・アンサンブルの規範とされている。ユーゲントオーケストラ・ハーヴィクスベックは、ハーヴィクスベック音楽学校の運営母体である。1975年、新設されたハーヴィクスベック室内合唱団が活動を開始した。1976年にはユーゲントシュピールマンスツーク・ハーヴィクスベック(直訳: ハーヴィクスベック青年演奏家集団)も創設された。この団体は、年齢層の変化に伴いシュピールマンスツーク・ハーヴィクスベックと改名された。2007年から毎年ホーエンホルテで音楽祭「ホーエンホルテ=ロックト!」が開催されている。主催者たちは2011年にユーゲントクルトゥールフェライン・ホーエンホルテe.V.(直訳: ホーエンホルテ文化クラブ)を設立した。

経済と社会資本

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ハーヴィクスベックの経済は、主に3つの産業地区にある中小企業によって成り立っている。

交通

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最寄りのアウトバーンのインターチェンジは、約 12 km 離れた連邦アウトバーン1号線のミュンスター北インターチェンジである。

ハーヴィクスベックは、ミュンスターからコースフェルトへ向かうバウムベルゲ鉄道沿いにあり、1時間間隔で列車(RB 63)が運行している。ミュンスターからの所要時間は約20分である。

路線番号 行程 運行間隔
RB 63 バウムベルゲ鉄道
コースフェルト(ヴェストファーレン) - コースフェルト・シュールツェントルム - ルートゥム(一部停車しない列車がある) - ビラーベック - ハーヴィクスベック - ミュンスター=ロクセル - ミュンスター=メクレンベック - ミュンスター(ヴェストファーレン)中央駅ドイツ語版英語版 (- ミュンスター・ツェントルム・ノルト (平日のみ)
2023年12月の時刻表による。
60分
30分(コースフェルト - ミュンスター中央駅間の平日のみ)

同じく1時間ごとに運行されているバスを使うと、乗降箇所にもよるがミュンスターへの所要時間は20分から50分程度である。さらに、金曜から土曜にかけての夜間にミュンスターに往来する夜行バス N64号線や土曜日から日曜日の夜間にハーヴィクスベックとミュンスターやシュタットローンドイツ語版英語版とを結ぶ夜行バス N7号線がある。

ハーヴィクスベックは、以下の広域自転車道やサイクリングのためのテーマルートに結ばれている: 欧州自転車道R1号線[31]、100城ルート[32]、砂岩ルート[33]

公共機関

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ハーヴィクスベック郊外に、ティルベック修道院が障害者のための居住・労働施設を運営している。

教育

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  • バウムベルゲ=シューレ(カトリック基礎課程学校)
  • ミュンスターラントシューレ(州認定の代替学校)
  • アンネ=フランク総合学校
  • 音楽学校(ユーゲントオーケストラ・ハーヴィクスベックが運営している)
  • 市民大学

人物

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出身者

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関連図書

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  • Reinhold Holtstiege (1991). Havixbeck und seine Vergangenheit. Dülmen: Laumann. ISBN 978-3-87466-152-2 
  • Peter Ilisch (2005), “Zu den Anfängen des Dorfes Havixbeck”, Geschichtsblätter des Kreises Coesfeld 30: pp. 1–12 
  • Edeltraud Balzer (2006). Adel – Kirche – Stiftung. Münster: Verlag Aschendorff. ISBN 978-3-402-03872-7 

脚注

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出典

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  1. ^ Bevölkerung der Gemeinden Nordrhein-Westfalens am 31. Dezember 2023 – Fortschreibung des Bevölkerungsstandes auf Basis des Zensus vom 9. Mai 2011
  2. ^ a b c d e f g Gemeinde Havixbeck”. Bezirksregierung Münster. 2013年5月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年5月2日閲覧。
  3. ^ a b Heinz Heineberg, Klaus Temlitz, ed (2000). Der Kreis Coesfeld. Städte und Gemeinden in Westfalen. Band 7. Münster: Ardey-Verlag. p. 142. ISBN 978-3-87023-101-9 
  4. ^ Detlef B. Fischer (2003). Chronik des Münsterlandes. Münster: Aschendorff-Verlag. p. 22. ISBN 978-3-402-05343-0 
  5. ^ Detlef B. Fischer (2003). Chronik des Münsterlandes. Münster: Aschendorff-Verlag. p. 25. ISBN 978-3-402-05343-0 
  6. ^ Detlef B. Fischer (2003). Chronik des Münsterlandes. Münster: Aschendorff-Verlag. p. 33. ISBN 978-3-402-05343-0 
  7. ^ Codex Traditionum Westfalicarum, p.168
  8. ^ Johann Holsenbürger (1868). Die Herren v. Deckenbrock (v. Droste-Hülshoff) und ihre Besitzungen, Bd. 1: 1209–1570. Münster: Regensberg. pp. 26–27 
  9. ^ a b Detlef B. Fischer (2003). Chronik des Münsterlandes. Münster: Aschendorff-Verlag. pp. 45, 74. ISBN 978-3-402-05343-0 
  10. ^ Detlef B. Fischer (2003). Chronik des Münsterlandes. Münster: Aschendorff-Verlag. pp. 140, 150, 234, 248. ISBN 978-3-402-05343-0 
  11. ^ Detlef B. Fischer (2003). Chronik des Münsterlandes. Münster: Aschendorff-Verlag. pp. 34, 40, 62, 110, 138-. ISBN 978-3-402-05343-0 
  12. ^ Heinz Heineberg, Klaus Temlitz, ed (2000). Der Kreis Coesfeld. Städte und Gemeinden in Westfalen. Band 7. Münster: Ardey-Verlag. p. 143. ISBN 978-3-87023-101-9 
  13. ^ Detlef B. Fischer (2003). Chronik des Münsterlandes. Münster: Aschendorff-Verlag. p. 355. ISBN 978-3-402-05343-0 
  14. ^ Detlef B. Fischer (2003). Chronik des Münsterlandes. Münster: Aschendorff-Verlag. pp. 293, 326. ISBN 978-3-402-05343-0 
  15. ^ Amtsblatt für den Regierungsbezirk Münster. 1816-2006 1844 (3): p. 17, https://sammlungen.ulb.uni-muenster.de/hd/periodical/pageview/1070015+2025年5月4日閲覧。 
  16. ^ Amtsblatt für den Regierungsbezirk Münster. 1816-2006 1929 (23): p. 94, https://sammlungen.ulb.uni-muenster.de/hd/periodical/pageview/3483235+2025年5月4日閲覧。 
  17. ^ Zahlen, Daten und Fakten - Gemeindechronik”. Gemeinde Havixbeck. 2025年5月4日閲覧。
  18. ^ Statistisches Bundesamt, ed (1983). Historisches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland. Namens-, Grenz- und Schlüsselnummernänderungen bei Gemeinden, Kreisen und Regierungsbezirken vom 27.5.1970 bis 31.12.1982. Stuttgart / Mainz: W. Kohlhammer. p. 314. ISBN 978-3-17-003263-7 
  19. ^ Karl Emerich Krämer (1975). Von Burg zu Burg in Westfalen. Duisburg: Mercator-Verlag. p. 12. ISBN 978-3-87463-061-0 
  20. ^ 900 Jahre Droste zu Hülshoff. Horben: Verlag LPV Hortense von Gelmini. (2018). ISBN 978-3-936509-16-8 
  21. ^ Burg Hülshoff - Center for Literature”. 2025年5月6日閲覧。
  22. ^ Ratswahl / Gemeinde Havixbeck 13.09.2020”. 2025年5月5日閲覧。
  23. ^ Gemeinderat”. Gemeinde Havixbeck. 2025年5月5日閲覧。
  24. ^ Bürgermeisterstichwahl / Gemeinde Havixbeck 27.09.2020”. 2025年5月5日閲覧。
  25. ^ a b Wappen der Gemeinde Havixbeck”. Kreis Coesfeld. 2025年5月5日閲覧。
  26. ^ Städtepartnerschaften”. Gemeinde Havixbeck. 2025年5月5日閲覧。
  27. ^ Baumberger Sandstein Museum”. 2025年5月5日閲覧。
  28. ^ Rundfunkmuseum Holtstiege / museum.de”. 2025年5月5日閲覧。
  29. ^ Drostemuseum Burg Hülshoff”. 2025年5月6日閲覧。
  30. ^ DLRG Ortsgruppe Havixbeck”. 2025年5月6日閲覧。
  31. ^ Unterwegs auf dem Europaradweg R1”. 2025年5月6日閲覧。
  32. ^ 100-Schlösser-Route”. 2025年4月29日閲覧。
  33. ^ Baumberger Sandsteinroute”. 2025年5月6日閲覧。

外部リンク

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