ハーバート・サミュエル (初代サミュエル子爵)

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イギリスの旗 イギリスの政治家
初代サミュエル子爵
ハーバート・サミュエル
Herbert Samuel, 1st Viscount Samuel
Gws samuel 01.jpg
生年月日 1870年11月6日
出生地 イギリスの旗 イギリスランカシャー州、リヴァプールトックステス
没年月日 1963年2月5日
出身校 ユニヴァーシティ・カレッジ・スクール
オックスフォード大学ベリオール・カレッジ
所属政党 自由党
称号 一等バス勲章勲爵士 (GCB)
メリット勲章勲爵士 (OM)
一等大英帝国勲章勲爵士 (GBE)
枢密顧問官 (PC)
配偶者 ベアトリス・フランクリン
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初代サミュエル子爵ハーバート・ルイス・サミュエルHerbert Louis Samuel, 1st Viscount Samuel, GCB, OM, GBE, PC1870年11月6日 - 1963年2月5日[1])は、イギリスの政治家・外交官・思想家・貴族。

自由党の政治家で自由党政権(あるいは自由党参加政権)で閣僚職を歴任した。1931年にロイド・ジョージの後を受けて自由党党首に就任した。

経歴[編集]

リヴァプールトックステス英語版に生まれる。祖先はポーランド系で、サミュエル・モンタギューに始まるスウェイスリング男爵家は親戚である。また、熱心なユダヤ教徒でもあった[2][3]。父エドウィンはユダヤ銀行家だった[4]

1902年クリーヴランド選挙区英語版から選出されて自由党の庶民院議員となり、1918年まで務めた[5]

1905年から1909年にかけてキャンベル=バナマン内閣とアスキス内閣で内務省政務次官英語版を務めた。1909年からランカスター公領大臣英語版、1910年~1914年・1914年~1916年にかけて郵政長官英語版)、1916年には内務大臣を務めた[5][6]。郵政長官在職中の1912年に発生したマルコニ事件英語版ではロイド・ジョージルーファス・アイザックスとともにインサイダー取引を疑われた閣僚の一人だったが、失脚は免れた[7]

第一次世界大戦後の1920年から1925年にかけてはイギリス委任統治領となったパレスチナ高等弁務官英語版を務めた。移住ユダヤ人とそれに不満を募らせるアラブ民族主義者の仲裁に尽力した[8]

1925年には政府の石炭業調査のための王立委員会の委員長に就任し、翌1926年5月に「炭鉱の統合を進めて巨大化させる合理化によって坑外浴場設置等の労働条件改善を改善しつつ、労働賃金は切り下げざるをえない」とする政府への報告書をまとめた[9][10]。しかし炭坑労働者はこの報告に強く反発し、労働組合会議(TUC)はその声に押されてゼネストに入った。しかしTUCがゼネストに消極的なことに目を付けたサミュエルは彼らに妥協案を突き付けた。この狙いは当たり、TUCは炭坑労働者を見捨ててサミュエルの妥協案に飛びつき、これによりゼネストを終息させることに成功している[11]

1929年から1935年にかけてはダーウェン選挙区英語版から選出されて再び庶民院議員となる[5][6]

1931年にロイド・ジョージに代わって自由党党首に就任[4]。同年8月にマクドナルド挙国一致内閣を支持して同内閣の内務大臣に就任した。閣内では自由貿易主義の閣僚であったため、その翌年には政府が保護貿易主義に傾いたことに反発して下野した[4][12]。下野後も1935年まで自由党党首を務め、内閣に残留するジョン・サイモンの指導する分派挙国自由党英語版と対立した[4]

1937年連合王国貴族爵位サミュエル子爵に叙され、貴族院議員に列した[13]

1944年から1955年にかけて貴族院自由党院内総務を務めた[4]

1963年2月5日に死去した[5]

栄典[編集]

爵位[編集]

1937年6月8日に以下の爵位を新規に叙される[5]

勲章[編集]

家族[編集]

1897年にベアトリス・フランクリンと結婚し、彼女との間に以下の3男1女を儲けた[5][6]

  • 長男エドウィン・ハーバート・サミュエル英語版 (1898-1978) - 第2代サミュエル子爵を継承
  • 次男フィリップ・エリス・ハーバート・サミュエル (1900-1996)
  • 三男ゴドフリー・ハーバート・サミュエル (1904-1982)
  • 長女ナンシー・アデレード・サミュエル(生没年不詳) - アーサー・サラマンと結婚

著書[編集]

  • "Practical Ethics" (1937年)
  • "In Search of Reality" (1957年)

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ Jewish Virtual Library Herbert Louis Samuel (1870 - 1963)
  2. ^ Wasserstein, Bernard. "Samuel, Herbert Louis". Oxford Dictionary of National Biography. Oxford University Press. Retrieved 22 March 2014.
  3. ^ Wasserstein, Bernard, "Herbert Samuel: A Political Life" 1992, p.9. Cited by Huneidi, Sahar "A Broken Trust, Herbert Samuel, Zionism and the Palestinians", 2001. p.80
  4. ^ a b c d e 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 664.
  5. ^ a b c d e f g Heraldic Media Limited. “Samuel, Viscount (UK, 1937)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年8月13日閲覧。
  6. ^ a b c d e f Lundy, Darryl. “Herbert Louis Samuel, 1st Viscount Samuel” (英語). thepeerage.com. 2016年8月13日閲覧。
  7. ^ 吉沢英成 1989, p. 40-224.
  8. ^ クラーク 2004, p. 129.
  9. ^ 坂井秀夫 1974, p. 63.
  10. ^ クラーク 2004, p. 133.
  11. ^ クラーク 2004, p. 134.
  12. ^ クラーク 2004, p. 167.
  13. ^ UK Parliament. “Mr Herbert Samuel” (英語). HANSARD 1803-2005. 2016年8月13日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]

ウィキメディア・コモンズには、初代サミュエル子爵ハーバート・サミュエルに関するカテゴリがあります。

グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会
先代:
アルフレッド・ピース英語版
クリーヴランド選挙区英語版選出庶民院議員
1902年英語版1918年
次代:
サー・パーク・ゴフ準男爵英語版
先代:
サー・フランク・サンダーソン準男爵英語版
ダーウェン選挙区英語版選出庶民院議員
1929年1935年
次代:
ステュアート・ラッセル英語版
公職
先代:
トマス・コクラン英語版
内務省政務次官英語版
1905年–1909年
次代:
チャールズ・マスターマン英語版
先代:
初代フィッツモーリス男爵英語版
ランカスター公領大臣英語版
1909年–1910年
次代:
ジャック・ピース英語版
先代:
シドニー・バクストン英語版
郵政長官英語版
1910年–1914年
次代:
チャールズ・ホブハウス英語版
先代:
ジョン・バーンズ英語版
自治長官英語版
1914年–1915年
次代:
ウォルター・ロング英語版
先代:
チャールズ・ホブハウス英語版
郵政長官英語版
1915年–1916年
次代:
ジャック・ピース英語版
先代:
ウィンストン・チャーチル
ランカスター公領大臣英語版
1915年–1916年
次代:
エドウィン・サミュエル・モンタギュー英語版
先代:
サー・ジョン・サイモン
内務大臣
1916年1月-12月
次代:
サー・ジョージ・ケイヴ英語版
先代:
ジョン・ロバート・クラインス
内務大臣
1931年–1932年
次代:
サー・ジョン・ギルモア準男爵英語版
外交職
先代:
サー・ルイス・ボルス英語版
パレスチナ行政長官
パレスチナ高等弁務官英語版
1920年–1925年
次代:
初代プルーマー男爵英語版
党職
先代:
不明
自由党副党首
1929年–1931年
次代:
サー・アーチボルド・シンクレア準男爵英語版
先代:
デビッド・ロイド・ジョージ
自由党党首英語版
1931年–1935年
次代:
サー・アーチボルド・シンクレア準男爵英語版
先代:
初代クルー侯爵
自由党貴族院院内総務英語版
1944年–1955年
次代:
第2代レア男爵英語版
イギリスの爵位
新設 初代サミュエル子爵
1937年–1963年
次代:
エドウィン・サミュエル英語版