ハンミーラ
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ハンミーラ Hammira | |
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メーワール王 | |
在位 | 1326年 - 1364年 |
別号 | マハーラーナー |
出生 |
1291年頃 不詳 |
死去 |
1364年 チットールガル |
子女 | ケーター |
王朝 | シソーディヤー朝 |
宗教 | ヒンドゥー教 |
ハンミーラ(Hammira, 1291年頃 - 1364年)は、北インドのラージャスターン地方、メーワール王国の君主(在位:1326年 - 1364年)。ハミール・シング(Hamir Singh)とも呼ばれる。また、彼の代から王はマハーラーナーの称号を使用するようになった。
生涯
[編集]1291年頃、メーワール王国の傍系一族シソーディヤー氏族の息子として誕生した[1][2]。
1303年、メーワール王国の首都チットールガルがハルジー朝のアラー・ウッディーン・ハルジーによって包囲・攻撃され、メーワール王ラタン・シングは生け捕りにされた[3]。一方、チットールガルの支配はアラー・ウッディーンの幼い息子ヒズル・ハーンに委ねられ[3]、「ヒズラーバード」に改称されてしばらくの間デリー・スルターン朝の支配が続いた[4]。この間、メーワール王国は一時中断していた。
1326年頃、ハンミーラはチットールガルを奪還し、メーワール王国を再興した[4][5]。また、グヒラ朝は彼の氏族の名を取ってシソーディヤー朝とも呼ばれるようになった。
1364年、ハンミーラはチットールガルで死亡した[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- サティーシュ・チャンドラ 著、小名康之、長島弘 訳『中世インドの歴史』山川出版社、2001年。
- 小谷汪之『世界歴史大系 南アジア史2 ―中世・近世―』山川出版社、2007年。
- P・N・チョプラ 著、三浦愛明 訳『インド史』法蔵館、1994年。