ハンス・アルバート

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ハンス・アルバート
2005年撮影
生誕 (1921-02-08) 1921年2月8日(100歳)
ドイツの旗 ドイツ国ヴァイマル共和政ケルン
時代 20世紀の哲学
地域 西洋哲学ドイツ哲学
出身校 ケルン大学
学派 分析哲学可謬主義反証可能性主義批判的合理主義反基礎付け主義
研究分野 社会科学の哲学科学哲学実証主義認識論合理性不確実性、正当化主義(Justificationism)
主な概念 批判的合理主義の社会理論および政治理論への応用
ミュンヒハウゼンのトリレンマ
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ハンス・アルバート(Hans Albert、1921年2月8日 - )は、ドイツ哲学者批判的合理主義者であり、特に合理的なヒューリスティクスに重きを置いている。また、ハイデッガーガダマーに端を発する大陸哲学的解釈学の伝統を強く批判している。

概要[編集]

ケルン出身の哲学者社会科学自然科学を対象とした哲学を研究し、基礎付け主義や正当化(justification)などの批判を行った。現在はハイデルベルクに居住している。

経歴[編集]

1921年2月8日、ヴァイマル共和政下のケルンに、古典研究を専門とする言語学者とプロテスタントの宗教教師の子として生まれる。幼い頃から歴史に関心を寄せ、オスヴァルト・シュペングラーを読み耽り、特に戦史を熱心に研究した。

高校卒業後の1939年、国家労働奉仕団のボランティアに志願し、ジークフリート線に配置された。その後、ウィーンの予備隊やフランスギリシャの砲兵隊に参加した。

ナチス・ドイツの敗戦後、アメリカの捕虜となったアルバートは、当初は経営学の学位を取得することを目標に、ケルン大学で勉強を始めた。最初の社会学の講義はレオポルド・フォン・ヴィーゼの講義で、政治経済学の卒業論文を書く機会を得て、1952年に学位を取得した。

1955年、アルベートの教授資格(ハビリテーション)論文『Nationalökonomie als Soziologie der kommerziellen Beziehungen』は、彼の批判が経済学社会学のどちらかに帰することが出来ないために却下された。ドイツ共産党員の嫌疑をかけられていたことも影響した。 1957年、社会政策に関する一連のエッセイで博士号を取得した。

1963年、マンハイム・ビジネススクール(後のマンハイム大学)に赴任。以来、退職するまでマンハイムに滞在した。1989年、マンハイム大学を退職し、同大名誉教授となった。

研究[編集]

カール・ポパー批判的合理主義をドイツで承継し、基礎付け主義ミュンヒハウゼンのトリレンマとして知られるアポリアに陥るとした。

また、ドイツ社会学における実証主義論争において、『全体的理性の神話』を発表し、ユルゲン・ハーバーマスを批判。その後、カール=オットー・アーペルを批判し、論争を繰り広げた。

関連項目[編集]