ハル・イン・チロル
ハル・イン・チロル Hall in Tirol ![]() | |||
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位置 | |||
![]() ハル・イン・チロルの位置 | |||
座標 : 北緯47度17分 東経11度30分 / 北緯47.283度 東経11.500度 | |||
行政 | |||
国 | ![]() | ||
州 (Bundesland) | ![]() | ||
郡 (Bezirk) | - | ||
ハル・イン・チロル | |||
地理 | |||
面積 | |||
域 | 5.54 km2 | ||
標高 | 574 m | ||
人口 | |||
人口 | (2011年1月現在) | ||
域 | 12,695人 | ||
人口密度 | 2,074人/km2 | ||
その他 | |||
等時帯 | CET (UTC+1) | ||
夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
市外局番 | 05223 | ||
ナンバープレート | IL | ||
公式ウェブサイト : http://www.hall-in-tirol.at |
ハル・イン・チロル(Hall in Tirol)は、オーストリアのチロル州の町である。インスブルックの東5kmの場所にあり、海抜は574mで2011年1月の人口は約12,700人である。ハレ(Halle)またはハル(Hall)はケルト語で塩を示す言葉である。
1232年の文書に岩塩の採掘場として知られており、現在の名前も1256年まで遡ることができる。
町の北部のハル谷のアプサムでの岩塩の採掘が13世紀以来の町の周辺地域の主要な産業であった。神聖ローマ帝国勢力下のオーストリア公国時代のチロル伯マインハルトの命令によって作られた10kmのパイプラインでハルの蒸発池に導かれた。町の紋章は、塩の樽を抱える2頭のライオンがデザインされている。ハルで製造された塩はチロルやシュヴァルツヴァルト、ライン渓谷に出荷された。1303年に塩の販売の権利を与えられた町となり、イン川、ドナウ川をつかって、チロルの北部の主要市場に出荷された。1447年の火災で市街地のかなりの部分が罹災することにより、一時的に衰退したが、1447年に貨幣製造がメランからハルに移され、1486年に、高品位なターラー銀貨がハルのハーゼック城で作られた。16世紀には自動化されたコイニングマシンが導入された。この機械のレプリカはハル貨幣博物館(旧:ハーゼック城)に展示されている。
15世紀-16世紀には、ハルはオーストリアの最も重要な町の一つとなり、この期間に現在も残るアンブラス城、旧市街の教会や修道院の多くが建設された。オーストリアの西部で最大の古い町並みとなっている。
オーストリア=ハンガリー帝国軍の駐屯地になり、帝国崩壊後も駐屯地と大規模な貨物駅は第二次世界大戦中に激しい爆撃を受けたが、旧市街はほぼ無傷で残った。1938年から1974年の間、町の名称は、ゾルバット・ハルと呼ばれていたが、塩の採掘場が1967年に閉鎖された後、町の名前からゾルバットが削除された。
姉妹都市[編集]
参照[編集]
- 『ザルツブルクとチロル アルプスの山と街を歩く』、2013年、ダイヤモンド社
外部リンク[編集]
- チロル州観光局日本担当オフィス公式サイト(日本語)