ハルバード
ハルバード(Halberd)は、15世紀 - 19世紀のヨーロッパで主に使用された武器である。ハルベルトあるいはハルバート(Halbert)とも呼ばれる。語源は、ドイツ語で「棒」を表すハルム(halm)と「斧」を意味するベルテ(berte)からなる造語であるとする説がある。
概要[編集]
「槍斧」「斧槍」「鉾槍」などと日本語訳される。長さは2~2.5mほど[1]、重さは2.2~3.1kgほどである。[2]。槍の穂先に斧頭、その反対側に突起(ピック)が取り付けられている。状況に応じた用途の広さが特徴的な長柄武器(ポールウェポン)であり、その実用性から、ヨーロッパ全域で広く使用されていた。[3]
少なくとも斬る、突く、鉤爪で引っかける、鉤爪で叩くといった使い方ができる。さらに鉤爪で鎧や兜を破壊したり、馬上から敵を引き摺り降ろしたり、敵の足を払ったりと、様々な使い方が可能だった。[3]
14世紀の後期に歩兵が使うようになり、16世紀の初頭までにはヨーロッパで広く用いられるようになっていた。[4]
ハルバードは重量と長さのおかげで敵の歩兵や重装甲の騎兵にも有効な武器であり[5]、屈強な男が使えば板金鎧を粉砕できた[6]。
戦場でのハルバード兵の役割は部隊旗や楽隊、士官の護衛の他に、敵のパイク兵の戦列を打ち抜いて、密集陣内部に斬り込んできた敵を排除する事や、パイク兵の密集陣を斬り裂く事だった。[2]パイク兵にとって斬り込み隊のハルバード兵や両手剣兵は天敵であったが[7][6][8]、斬り込むハルバード兵や両手剣兵の死亡率も高かった[5]。
スイス傭兵のハルバード兵はパイク兵の隊列を横や後ろからの攻撃から守る軽装歩兵としての役目を果たし、散兵として使われるので個人戦闘にも対応できる。[9]
ドイツ傭兵ランツクネヒトのハルバード兵はツヴァイハンダー兵に次ぐ斬り込み隊としての役目[5]の他にパイクを切断され、予備武器しか持たなくなった敵を乱戦用のサブウェポンであるカッツバルゲルという剣と併用して襲う。[9]
ハルバードはイングランドのビル(長鉈)よりも丈があり、リーチが長かったが、その分、接近戦での使用が限られた。[1][10]それを改善するために槍の穂先や、ウォーハンマー、鎧を貫く刃などが組み合わされた武器が何種類も作られた。[10]ハルバードや同種の武器の多くは柄の部分が金属補強されており、斬り落とされるのを防いだ。[10]
比較的未熟な兵士であってもハルバードの様な武器を使うことは可能ではあったが、効果的に扱うにはかなりの訓練を必要とした。[10]熟練のハルバード隊は柄の長さをうまく利用して、刺突する者と叩き切る者に分かれて戦った。[10]
パイク(長槍)は主として刺突のための武器であり、ビル(長鉈)は主に斬撃用武器だったが、ハルバードはその間のどこかに位置している。[10]柄が長くなればそれだけ訓練が必要になったが、より長いリーチを獲得できた。[10]
中世を通じてパイクを含む長柄武器の先端には戸惑うほどの多彩な種類が現れたが、どのタイプが最も威力があり、どういう状況で使われたかという議論が中世より現代に至るまで続いているが、未だにはっきりとした答えが出ていない。[10]
しかし、銃器の発展などの理由で16世紀半ばには、ハルバード兵は戦場から姿を消すことになる。しかし、それでも下士官の象徴としては利用され続け、ナポレオン時代などでは、隊列を整えたり、後ろに下がる兵士を前に押し戻すのに使われている。[2]
歴史[編集]
生誕地はスイスで、6世紀から9世紀に北欧で使用されていた。13世紀にスクラマサクス(片刃の短剣)を棒の先に取り付けた事から始まったとも言われている。その後も改良が重ねられ、今日知られる形となったのは15世紀の末頃で、白兵戦武器の黄金時代ルネサンスの頃には最も利用された武器の一つである。
1477年のナンシーの戦いでブルゴーニュ公であったシャルル突進公を戦死させた直接要因がこのハルバードの一撃によるもので、ブルゴーニュ公国を事実上の滅亡に追いやった、文字通り歴史を変えた武器でもある。[2]
16世紀には、5メートルもの柄を持った槍(パイク)が登場するが、武器としてハルバードの戦場での歴史は、16世紀終わりのマスケット銃の登場まで続くこととなる。
武器としての完成度もさることながら、その洗練された形状から美術品としての価値もあり、戦場から遠のいた後も、儀礼用として様々な祭典に使用された。バチカンのスイス衛兵がその例であり、彼らの装備の一つとして今日も使用されている。