ハリー・ポッターと賢者の石

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ハリー・ポッターと賢者の石
Harry Potter and the Philosopher's Stone
J・K・ローリングが本作を執筆したエディンバラのカフェ「エレファント・ハウス」
J・K・ローリングが本作を執筆したエディンバラのカフェ「エレファント・ハウス」
著者 J・K・ローリング
訳者 松岡佑子
イラスト イギリスの旗 トーマス・テイラー
日本の旗 ダン・シュレシンジャー
発行日 イギリスの旗 1997年6月26日
日本の旗 1999年12月8日
発行元 イギリスの旗 Bloomsbury Publishing英語版
日本の旗 静山社
ジャンル ファンタジー
イギリスの旗 イギリス
言語 英語
次作 ハリー・ポッターと秘密の部屋
コード イギリスの旗 ISBN 0-7475-3269-9
日本の旗 ISBN 4-915512-37-1
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ハリー・ポッターと賢者の石』(ハリー・ポッターとけんじゃのいし、原題: Harry Potter and the Philosopher's Stone)は、イギリス児童文学作家J・K・ローリングが1997年に発表した、子供向けファンタジー小説ハリー・ポッター』シリーズの第1巻。同年のカーネギー賞佳作(commended)に選出されたほか、数々の賞を受賞している。2001年には映画化された。

あらすじ[編集]

10年前に両親が亡くなったあと、ロンドン近郊のサレーに住むダーズリー家に引き取られていたハリー・ポッターは、伯父バーノンと伯母(母親の姉)ペチュニアになかば虐待とも言える扱いを受け、その息子である同い年の従兄ダドリーにもいじめられる孤独な毎日を送っていた。しかしハリーには、追いかけてくるダドリーから瞬間移動で逃げたり、蛇と会話してダドリーにけしかけたりといった、困ったことになると何かが起きる、自分でも分からない不思議な力があった。

1991年。11歳を目前にしたとき、ホグワーツ魔法魔術学校から「階段下の物置内」を自室とするハリー宛に入学許可証が届く。しかし、バーノンはハリーに手紙を見せず、その後も毎日徐々に枚数を増やしながら送られてくる手紙を避けるために家から逃げ出してまで、ハリーの魔法学校入学を阻止しようとする。しかし送り主は遠い逃亡先のホテルにさえも手紙を送ってくる。そして、ようやく人里離れた海の上の小屋を見つけて逃げ込んだダーズリー一家のまえに、見知らぬ大男が現れる。

大男の名はルビウス・ハグリッド。ホグワーツの森番をしているという。ハグリッドは、ダーズリー夫妻がハリーにひた隠しにしていたハリーの本当の生い立ちを告げる。交通事故で亡くなったと聞かされていた両親は、じつは高名な魔法使いであり、当時強大な勢力を有した史上最凶とも言われる闇の魔法使い、ヴォルデモート卿に殺害されていた。ヴォルデモートは生後間もないハリーも殺そうとしたが、なぜか魔法が自身にはね返ったことでハリーは生き延び、ヴォルデモートは肉体を失って逃げ去った。ヴォルデモートと対峙しながら唯一逃げ延びたハリーは、魔法界で「生き残った男の子」として有名だった。

翌日、入学に際して必要な教材を買い揃えるため、ハグリッドに連れられてダイアゴン横丁を訪れる。そこで同じく今回ホグワーツに入学するという少年と出会うが、魔法界の名家の出であるらしく、ハグリッドを悪く言ったり純血主義を語ったりしたため、嫌いになりはじめる。そうして準備を整えたハリーはハグリッドに渡されたチケットで後日「ホグワーツ特急」に乗り込み、そこでロン・ウィーズリーハーマイオニー・グレンジャーに出会う。また、ダイアゴン横丁で出会った少年ドラコ・マルフォイとも再会し、そこでも嫌味ばかりを言うマルフォイを本格的に嫌いになる。

ホグワーツの入学式で「組分け帽子」による組(寮)分けが名前順に行われ、悪い噂が多いうえにマルフォイの入寮が決まった「スリザリン」だけは嫌だと願いながら、ハリーは組分け帽子をかぶる。帽子は迷いながらもスリザリンを勧めるがハリーの意志を汲み、勇気ある者が住まう寮「グリフィンドール」に決まる。入学式の挨拶でアルバス・ダンブルドア校長は「禁じられた森」と4階[注 1]の廊下へは立ち入らないよう、全校生徒に告げる。

同じグリフィンドール生となったロンは汽車での一件もあり、すぐに親友になる。ロンは純血の魔法使いで、ハリーにいろいろな魔法界の習慣を教える。一方、両親ともマグル(非魔法使い)であるが優等生のハーマイオニーとは、彼女の規則に厳格でお節介ともいえる性格からそりがあわない。しかしふたりはハロウィンの日にハーマイオニーを助けるためにトロールを倒す。この日を境にハーマイオニーと和解し、のちのちまで三人は行動をともにするようになる。

三人は、魔法薬学の教授であるセブルス・スネイプが、禁じられた廊下に隠された「なにか」を盗もうとしていると疑う。というのも、スネイプはハロウィンの日のトロール騒ぎのなかでひとりだけ4階に向かい、待ち受けていた三頭犬に足を噛まれていた。そしてハーマイオニーによると、スネイプはハリーの初めてのクィディッチの試合で、呪文をかけてハリーを箒(ほうき)から落とそうとしたという。だがハグリッドは、ダンブルドアの信頼を理由にスネイプを疑おうとしないうえに、「なにか」については何も話そうとしない。三人は図書館に足繁く通い、ハグリッドがうっかり漏らしたニコラス・フラメルのことを調べようとする。

クリスマス休暇に学校に残っていたハリーは、送り主不明のプレゼントを受け取る。それは着ると目では見えなくなる「透明マント」で、ハリーの父ジェームズが所有していたものらしい。ハリーはこれを着て深夜の図書館に行き、フラメルについて調べようとするが、魔法がかかっている禁書の棚の本を開いたために、学校の管理人アーガス・フィルチに見つかりそうになり、手近な教室へと逃げ込む。そこには鏡があり、覗くとハリーの死んだ家族を映し出す。これに魅了されたハリーは翌日ロンを誘って鏡を見せるが、ロンは将来の栄光に輝く自分自身を見る。そして、三たび鏡を見に来たハリーはダンブルドアに遭遇する。ダンブルドアはその鏡が人の心の奥底の望みを映す「みぞの鏡」であり、これに魅入られて発狂した者がいたことを説明し、もう鏡を探してはいけないとハリーに忠告する。

学期が再開され、三人はようやくフラメルがダンブルドアの友人で著名な錬金術師であることを突き止める。唯一彼だけが所有するという「賢者の石」(どんな金属も黄金に変え、飲めば不老不死になる「命の水」を作り出す)こそが、学校に隠され、スネイプに狙われているものだと確信する。そしてハリーは深夜の校内で、スネイプが「闇の魔術に対する防衛術」の神経質な教師、クィリナス・クィレルを脅しているところを目撃する。クィレルは脅しに屈しなかったが、それも時間の問題に思われた。

三人からそれを聞かされたハグリッドは、スネイプがホグワーツの教授陣とともに守りの魔法を仕掛けたことから、スネイプへの疑いをなお否定する。そして三人のもとに別の新たな問題を持ち込む。ホグズミードにある酒場「ホッグズ・ヘッド」で、見知らぬ男から入手した非合法のドラゴンの卵を孵し、家で隠して育てるというのだ。案の定ドラゴンは素人の手に負えない大きさになり、苦境に陥る。だがロンの兄でドラゴン研究者のチャーリー・ウィーズリーとその友人のおかげで、夜間にドラゴンをこっそり逃がすことに成功する[注 2]。しかし、その計画を盗み聞いていたマルフォイの密告によって、夜中に校内を出歩いているところをマルフォイもろともフィルチに捕まる。

罰則として、一同とともに禁じられた森でハグリッドの仕事を手伝うことになったハリーだが、森のなかでマントを着た正体不明のものに襲われる。それは蘇りの効能があるというユニコーンの血を啜っていた。ケンタウルスフィレンツェに辛くも助けられたハリーは、自分を襲ったものがヴォルデモート卿で、失った肉体を取り戻すため学校に隠された賢者の石を狙っているとほのめかされる。ヴォルデモートが石を手に入れることを三人は危惧する。

進級試験の最終日、ハグリッドが酒場でドラゴンの卵をくれた男に、賢者の石が隠された場所を守っている三頭犬に対処する方法を教えたことを知る。守りの秘密が完全に漏れたことを悟ったハリーたち三人は、副校長のミネルバ・マクゴナガル教授に危険を伝えようとするが、まともに取り合ってもらえず、さらにはダンブルドアが緊急に魔法省へ呼び出されて不在だということを聞く。ダンブルドアが不在となるその夜を狙って、スネイプが賢者の石を盗みに入ることを三人は確信する。

彼らは内通者のあとを追って、ポモーナ・スプラウト教授の悪魔の罠、フィリウス・フリットウィック教授の空飛ぶ鍵などの仕掛けを突破しながら石が隠された一室へと迫る。ロンは途中、ミネルバ・マクゴナガル教授が仕掛けた巨大チェスと勇敢に戦うが、ハリーを勝利に導くために自分が犠牲になって気絶する。一方ハーマイオニーは、スネイプの罠である薬の論理パズルを解く[注 3]。ハリーはハーマイオニーに自分が賢者の石を盗もうとしている者のあとを追ったことをダンブルドアへ知らせるよう依頼し、ついに最後の部屋に辿り着く。そこでハリーが見たのは、スネイプではなくクィレルだった。じつはクィレルこそがヴォルデモート卿の内通者だった。クィレルはターバンで隠した後頭部にヴォルデモートを憑依させていた。

クィレルはなぜか部屋に設置されていた「みぞの鏡」から賢者の石をどうしても取り出せなかったが、ハリーが鏡を覗くと石は簡単にハリーのポケットに入る。ヴォルデモートはクィレルにハリーを殺させて石を奪おうとするが、クィレルはハリーの体に触れただけで身体が焼けただれて死亡する。ヴォルデモートは憑依した人間が死んだために、ふたたび体を持たないままの姿で消えていく。

ハリーが気がつくと医務室に横たわっており、ダンブルドアが見舞いに来ていた。彼は魔法省で偽の呼び出しに気づいてホグワーツに急いで戻り、ハリーを救い出したのである。ダンブルドアは、フラメルと話し合って賢者の石を壊したことを語る。ダンブルドアは、クィレルがハリーに触れられなかったのはハリーの母親であるリリーの守りの魔法のおかげであったこと、そして、クィディッチの試合でスネイプはハリーを殺そうとしたのではなく、むしろクィレルの呪文に抗してハリーを救おうとしていたことなどを語る。ハリーだけが石を取り出すことに成功した理由は、「みぞの鏡」が賢者の石を使いたい者ではなく、見つけたい者の手に入るように仕組まれていたためであった。

学年度末パーティーでグリフィンドール寮は、寮対抗杯の駆け込みの点数として、ロンがホグワーツでもまれにみるチェスの名試合を制したことで50点、ハーマイオニーが薬の論理パズルを解いたことや友人の危機を救ったことで50点、ハリーが並外れた勇気と精神力を発揮したことで60点を与えられ、1位であるスリザリンと同位になる。さらにはネビル・ロングボトムが、規則破りをする三人を止めようとしたことも勇気のいる行為と評価されて10点をもらい、グリフィンドールは寮杯を獲得する。そして夏休みを迎え、生徒たちは帰りのホグワーツ特急に乗り込み、ハリーもダーズリー家に帰宅する。

制作、出版および評判[編集]

制作[編集]

ローリングの処女作である本書は1990年6月頃から1995年にかけて執筆された。1990年、ジョー・ローリング(彼女が好んでいたとおり[注 4])は、マンチェスターのアパートにボーイフレンドと引っ越したいと考えていた。彼女の言葉によると「アパート探しを終えたある週末、列車に乗って1人でロンドンに戻ったとき、ハリー・ポッターのアイデアが頭の中に降りてきたんです…。痩せこけていて、小さくて、黒髪で、眼鏡を掛けた少年が私にとってますます魔法使いになっていきました…。私が『賢者の石』を書き始めたのはまさにその夜でした。でも、最初の2、3ページは完成品とは似ても似つかぬものでした。」とある[4]。その後ローリングの母が亡くなり、その苦しみに耐えるため、ローリングは自分の苦悩を孤児のハリーに転嫁した[4]。ローリングは6年を費やして『ハリー・ポッターと賢者の石』を書き上げ、それがブルームズベリー社に採用されたあと、Scottish Arts Councilから8,000ポンドの助成金を得て、続編の企画を立てることができた[5]。彼女はその本を著作権エージェントと出版社に送り、そして2番目に声をかけたエージェントは1年をかけて出版社に売り込もうとしたが、ほとんどのエージェントは約90,000語というのは長すぎると考えた。Bloomsbury Children's Booksで新人作家による個性的なファンタジー作品の品揃えを作り上げていたバリー・カニンガム社が本書の受け入れを推薦したところ[6]、ブルームスベリー社の最高経営責任者の8才の娘が「ほかの何よりいい」と言った[7]

イギリスでの出版と評判[編集]

実在のキングス・クロス駅にある架空の9と34番線を模したもの。荷物用の台車が魔法の壁を通り抜けている途中に見える。

ブルームスベリー社は本書を受け入れ、ローリングに2,500ポンドの前金を支払い[8]、カニンガムは本書の発売時に引用できる批評を得るために、慎重に選ばれた作家、批評家、書店に校正刷りを送った[6]。彼は、本の長さについては気にしておらず、それよりも著者の名前を気にしていた。彼には書名が少年向けのように聞こえたが、少年は男性作家の本を好むと彼は信じていたためである。そこでローリングは、出版直前にJ・K・ローリングというペンネームを名乗るようになった[6]。1997年6月、ブルームスベリー社は『賢者の石』をハードカバーで500部発行し、そのうち300部が図書館に配布された[9]。1999年9月までのすべてのイギリス版の著作権ページには、彼女の本来の名前である「Joanne Rowling」が記載されている(1998年のアメリカの初版では「Joanne」の表記は完全に削除されている)[10]。初刷が少ないのは処女作では標準的であり、カニンガムは書店員がこの本を読んでお客様に薦めてくれることを期待していた[6]。この初刷の例は、2007年のヘリテージ・オークションズで33,460ドルという高値で落札されている[11]

本のカバーに刷られた推薦文の1つを以前に提供していたLindsey Fraserは[6]、1997年6月28日付の『ザ・スコッツマン』紙に、最初に発行されたと思われる批評を書いている。彼女は『ハリー・ポッターと賢者の石』を「非常に面白いスリラー」と記し、またローリングを「子供のための一流作家」と記した[6][12]。また、『ヘラルド』紙に掲載された初期の批評では、「この本を手放せた子供はまだ見たことがない」と書かれている。スコットランド以外の新聞でも本書は注目され始め、『ガーディアン』紙や『サンデー・タイムズ』紙には熱烈な批評が掲載され、1997年9月には児童書専門誌『ブックス・フォー・キープス』がこの小説に5つ星のうちの4つ星をつけた[6]。『サンデー・タイムズ』紙は「ダールとの比較は、今回、理にかなっている」と述べ、また『ガーディアン』紙は「創意に富んだ知力で放たれた豊かな質感のある小説」と見なし、そして『ザ・スコッツマン』紙は「傑作のすべての資質」があると述べた[6]

1997年、イギリス版はBritish Book Awardsと、Nestlé Smarties Book Prize(ネスレ・スマーティーズ賞)の9歳から11歳の部で金メダルを受賞した[13]。子供の投票で選ばれるスマーティーズ賞は、多くの児童書が何年も掛かるところ、出版から6ヶ月以内で本書を有名にした[6]。翌年、『賢者の石』は、子供が決める他のほとんどすべての主要なイギリスの賞を受賞した[6][注 5]。また、大人が審査員を務める児童書の賞の最終選考にも残ったが[14]、受賞には至らなかった。サンドラ・ベケットは子供に人気のある本は多くを求められず最高の文学水準ではないと見なされていると批評した。たとえば、ローリングの本が登場するより前に子供たちから圧倒的な人気を誇っていたダールの作品を、文壇は見下していた[15]。2003年には、この小説はBBCの調査「The Big Read」で22位に掲載された[16]

『ハリー・ポッターと賢者の石』は、文学的な価値より販売面で評価される出版業界の2つの賞、British Book Awards Children's Book of the Yearと、Booksellers' Association / Bookseller Author of the Yearを受賞した[6]。1999年3月までに、イギリス版は30万部余りを売り上げ[17]、この物語は2001年12月にも英国で最も売れた本だった[18]点字版は1998年5月にScottish Braille Press社から出版された[19]

ホグワーツ特急がロンドンから出発した9と34番線ホームが記念され、実在するキングス・クロス駅に看板や、壁を通り抜けているように見える台車が設置されている[20]

米国での出版と評判[編集]

英国から米国への変換例[21][22]
英国 米国
mum, mam mom
sherbet lemon lemon drop
motorbike motorcycle
chips fries
crisp chip
jelly Jell-O
jacket potato baked potato
jumper sweater

スカラスティック社は1997年4月に開催されたボローニャ国際児童図書展で105,000ドルという児童書としては異例の高額で米国での権利を買い取った[6]。スカラスティック社のArthur Levineは、「philosopher」は読者にとって古臭すぎる響きと考え[23]、(「Harry Potter and the School of Magic[注 6]」という書名案も含めて[24])議論を重ねた結果、ローリングが提案した『Harry Potter and the Sorcerer's Stone[注 7]』という書名で[6] 1998年9月にアメリカ版が出版された[25]。ローリングは、この変更を後悔しており当時もっと強い立場ならそれに反対したでしょう、と後に述べている[1]Philip Nelは、この変更によって錬金術との関連性が失われたことや、たとえば「crumpet」が「muffin」になるなど、翻訳によって他のいくつかの用語の意味が変化したことを指摘した。ローリングは『ハリー・ポッターと賢者の石』でイギリス英語の「mum」やシェーマス・フィネガンが話すアイルランド英語の「mam」を両方アメリカ英語の「mom」へ変更することを容認したものの、(その後の本ではこの変更を拒否し)『賢者の石』の後の版ではそれを覆した。しかしNelは、スカラスティック社の翻訳は当時のイギリス英語の書籍に行われた多くの翻訳よりもかなり繊細で、他のいくつかの変更は有益なコピーエディット(文章の編集)と見なせると考えていた[21]。シリーズ初期のイギリス版はアメリカ版の数ヶ月前に発行されていたため、アメリカの読者の中にはオンラインショップから購入しイギリス英語版に慣れ親しむ人もいた[26]

当初、最も権威のある批評家たちは本書を無視し、カーカス・レビューブックリストなどの出版業界や図書館の広報に委ねて、児童向け小説の娯楽志向の基準でしか本書を検討しなかった。しかし、より洞察力のある専門家の批評(ローリングが構築した世界の複雑さ、奥深さ、矛盾のなさを指摘した「Cooperative Children's Book Center Choices」によるものなど)は、大手新聞社の批評家の注目を集めた[27]。『ボストン・グローブ』紙や、『ニューヨーク・タイムズ』紙のマイケル・ワイネリップ氏は、最後の章がこの本の最も弱い部分だと不満を述べたが[12][28]、彼らをはじめアメリカのほとんどの批評家は、本書を熱烈に称賛した[6][12]。 その1年後、アメリカ版は「American Library Association Notable Book」、「Publishers Weekly 1998 Best Book of the Year」、「New York Public Library 1998 Best Book of the Year」に選ばれ、Parenting Magazineの「Book of the Year Award for 1998」[13]、「School Library Journal Best Book of the Year」、「American Library Association Best Book for Young Adults」を受賞した[6]

1999年8月、『Harry Potter and the Sorcerer's Stone』は、『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラー小説リストで1位になり[29]、自分たちの本が上位に入るのを見たいと熱望していた他の出版社からの圧力により、『ニューヨーク・タイムズ』紙がリストを子供向けと大人向けに分割するまで、1999年から2000年の大半でリストの上位に居続けた[15][27]パブリッシャーズ・ウィークリー誌が2001年12月に発表した児童小説の累積売上高についての報道では、『Harry Potter and the Sorcerer's Stone』はハードカバー(500万部以上)の中で19位、ペーパーバック(660万部以上)の中で7位である[30]

2008年5月、スカラスティック社は、最初のアメリカ版の発売10周年を機に[31]、2008年10月1日に発売された[32]、本書の10周年記念版の制作を発表した[31]。本書の15周年に際して、スカラスティック社は、カズ・キブイシが描く新しいカバーアートと共に、2013年に『Sorcerer's Stone』を他の6作品と一緒に再発売した[33][34][35]

翻訳[編集]

2008年半ばまでに、67の言語で公式翻訳版が出版された[36][37]。2017年11月までに、本書は80の言語に翻訳され、80番目はスコットランド低地語になった[38]。ブルームスベリー社はラテン語古代ギリシア語の翻訳版を出版しており[39][40]、後者は「何世紀にも渡って書かれた古代ギリシア語の散文のうちの、最も重要な作品の一つ」と言われている[41]

スタイルとテーマ[編集]

米国の児童文学学者であるフィリップ・ネルは、ローリングが12才の時からとても尊敬していたジェイン・オースティンの影響を強調した。どちらの小説家も再読を強く勧めている。なぜならば、取るに足らないことに見える一つ一つが物語のかなり後の重要な出来事や登場人物の伏線となっているからである。たとえば、シリウス・ブラックは「ハリー・ポッターと賢者の石」の冒頭で簡単に触れられているが、3巻から5巻では主要な登場人物になっている。オースティンのヒロインのように、ハリーは本の終わりに自分の考えを見直さなければならないことがよくある。「ハリー・ポッター」の本の中のいくつかの社会的行動は、手紙をみんなで読んで盛り上がるなど、オースティンを連想させる。どちらの作家も社会的行動を風刺し、登場人物に人柄を表す名前をつけている。しかしネルの意見では、ローリングのユーモアは大きくカリカチュアに基づいており、彼女が考案した名前はチャールズ・ディケンズの物語に見られるようなものであるという[12]:13–15。またホリンズ大学英語教授であるアマンダ・コックレルは、それらの多くは古代ローマ神話から18世紀のドイツ文学に至るまでの引喩によって、それらの持ち主の特徴を表現していると指摘した[42]。「ナルニア国ものがたり」シリーズの作者であるC・S・ルイスのように、ローリングは児童向けの物語と大人向けの物語の間に厳密な区別はないと考えている。ネルもまた、多くの優れた児童文学作家のように、ローリングはファンタジーヤング・アダルト小説、寄宿学校の物語、教養小説やその他多くの文学のジャンルを組み合わせていると指摘した[12]:51–52

一部の批評家は「賢者の石」を1990年に亡くなったロアルド・ダールの物語と比較した。1970年代以降、多くの作家が彼の後継者としてもてはやされたが、子供たちからの人気は彼に及ばず、「賢者の石」が発売直後に行われた調査では、もっとも人気のある児童書10冊の内で、1位の作品を含み7冊がダールの作品だった。1990年代後半に人気を博したその他の児童文学作家はアメリカのR・L・スタインだけだった。「賢者の石」の物語のいくつかの要素はダールの物語の一部と共通点がある。たとえば、「おばけ桃の冒険」の主人公は両親を失い、ハリーを召使いのように扱っていたダーズリー夫妻に似た太っちょと痩せっぽちの不愉快な二人の叔母と住まなければならなかった。しかしハリー・ポッターは、子供のままで大人の責任を負うことのできる、独特の作品だった[6]

図書館員のNancy Knappとマーケティング学教授のStephen Brownは、特にダイアゴン横丁のような店の場面の描写が生き生きとして細かいと指摘した[13][43]。Tad Brennanは、ローリングの文章はホメーロスの文章「速く、明白、かつ単刀直入な表現」に似ていると論評した[41]スティーヴン・キングは「イギリスのファンタジー作家ならではの一種の遊び心のあるディティール」と称賛し、ローリングが笑いを楽しんだあと、素早く前に進んでいくから、それらは機能していると結論付けた[44]

サセックス大学の名誉上級講師であるニコラス・タッカーは初期の「ハリー・ポッター」についてヴィクトリア朝エドワード朝の児童文学を彷彿とさせるものと述べている。ホグワーツは旧式の寄宿学校であり、教師は生徒を名字で礼儀正しく呼びかけ、自分に関連する寮の評判をとても気にしていた。ダーズリー家を始め、登場人物の性格は外見にはっきりと表れており、アーガス・フィルチの飼い猫ミセス・ノリスなど、不道徳あるいは悪意のある登場人物は改心するのではなく打ち砕かれるものだった。また主人公は、虐待された孤児だが本当の居場所を見つけ、カリスマ性がありスポーツが得意で、弱者を思いやり守る心をもっていた[45]。その他一部の解説者は、この本は多くの社会的固定観念を含む高度に階層化された社会を表現していると述べた[46]。しかしKarin Westermanは1990年代のイギリスとの類似性について示している。崩壊しつつあるがその権力と地位を支持する人々によって守られていた階級制度、ホグワーツの生徒の多民族構成、様々な知的種族間の人種的緊張、および校内のいじめなど[47]

Susan Hallは、魔法省の役人の行動は法、説明責任または法的な異議申し立てにより拘束されないということから、この本には法の支配がないと書いた。これはヴォルデモートに彼の考える恐ろしい秩序を提供する機会を与える。この副作用として、高度に統制されたマグルの世界で育てられたハリーとハーマイオニーは、魔法使いには馴染みのない方法で考えることで解決策を見つける。たとえばハーマイオニーは、賢者の石を見つける上で障害の一つは魔法の力ではなく論理の問題であることと、ほとんどの魔法使いにはそれを解決する見込みがないことを指摘する。[48]

極端に型にはまり、身分にこだわり、実利主義的なダーズリー家の不愉快な特徴づけは、結婚した異性愛カップルを「好ましい規範」として扱う、1990年代初頭の英国政府の家族政策に対する、シングル・マザーであるローリングの反発である、とネルは示唆した。大人や子供の魔法使いとハリーの関係は愛情と忠義に基づいている。このことは、シリーズを通して彼が一時的にウィーズリー一家の一員になるときはいつでも幸せでいることや、最初はルビウス・ハグリッドを、後にリーマス・ルーピンやシリウス・ブラックを彼の父親代わりのように扱うことに反映されている[12]:13–15, 47–48[42]

映画[編集]

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ハリー・ポッターと賢者の石
Harry Potter And The Sorcerer's Stone
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監督 クリス・コロンバス
脚本 スティーブ・クローブス
製作 マーク・ラドクリフ
デヴィッド・ハイマン
マイケル・バーナサン
ダンカン・ヘンダーソン
製作総指揮 クリス・コロンバス
出演者 ダニエル・ラドクリフ
ルパート・グリント
エマ・ワトソン
ジョン・クリーズ
ロビー・コルトレーン
リチャード・グリフィス
リチャード・ハリス
イアン・ハート
ジョン・ハート
アラン・リックマン
フィオナ・ショウ
マギー・スミス
ショーン・ビガースタッフ
ワーウィック・デイヴィス
ジュリー・ウォルターズ
ゾーイ・ワナメイカー
デイビッド・ブラッドリー
トム・フェルトン
音楽 ジョン・ウィリアムズ
撮影 ジョン・シール
編集 リチャード・フランシス=ブルース
製作会社
配給 ワーナー・ブラザース
公開 イギリスの旗 2001年11月4日
アメリカ合衆国の旗 2001年11月16日
日本の旗 2001年12月1日
上映時間 152分(オリジナル劇場版)
159分(ロングバージョン)
製作国 イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
言語 英語
製作費 US$ 125,000,000[49]
興行収入 US$ 974,733,550[49]
203億円[50] 日本の旗
次作 ハリー・ポッターと秘密の部屋
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2001年にワーナー・ブラザース製作で映画化された。配役にはすべてイギリス人俳優を起用している。

第74回アカデミー賞では3つの賞においてノミネートされた(作曲賞、美術賞、衣裳デザイン賞)。

この映画の原題が「Harry Potter and the Philosopher's Stone」でないのは、アメリカにおいては原作本のタイトルが "Sorcerer's" に変更されて出版されたことにもとづく(タイトル変更の経緯については「ハリー・ポッターシリーズ」を参照)。ただし、英国版を含む国際版のタイトルは原題どおり "Philosopher's" に入れ替えられている。作中で「賢者の石」と発する場面と「賢者の石」を調べる場面は"Sorcerer's"と"Philosopher's" の2通り撮影された。

当初、監督にスティーヴン・スピルバーグ、ハリー役にハーレイ・ジョエル・オスメントが候補として挙げられていたが、スピルバーグは考慮はしたものの最終的に受諾しなかった。原作者のJ・K・ローリングが反対したことが理由とも噂されたが、ローリング自身が公式サイトでこれを否定している。スピルバーグと本作品の監督コロンバスは師弟関係である。

コロンバスは子役の選定において、自身の監督作『ホーム・アローン』に出演したマコーレー・カルキンの両親が、カルキンの稼いだギャラを巡って裁判を起こしたことに学び、今作では両親もどんな人物かを考慮して選定した[51]

日本での興行成績は『千と千尋の神隠し』『タイタニック』に次ぐ第3位を記録した。のちに『アナと雪の女王』(2014年公開)、『君の名は。』(2016年公開)、『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』(2020年公開)に抜かれ、第6位となる。

特典ディスク付きのDVDには未公開シーンが収録されている(続編も同様)。

チェスをするシーンで使っている駒は、ルイス島のチェス駒である。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

役名 俳優 日本語吹替
ハリー・ポッター
タイトル・ロール
11歳 ダニエル・ラドクリフ 小野賢章
赤ん坊 サンダース・トリプレットス
ロン・ウィーズリー ルパート・グリント 常盤祐貴
ハーマイオニー・グレンジャー エマ・ワトソン 須藤祐実
アルバス・ダンブルドア リチャード・ハリス 永井一郎
ミネルバ・マクゴナガル マギー・スミス 谷育子
ルビウス・ハグリッド ロビー・コルトレーン 斎藤志郎
セブルス・スネイプ アラン・リックマン 土師孝也
フィリウス・フリットウィック ワーウィック・デイヴィス 田村錦人
ゴブリン
グリップフック 宮澤正
ヴァーン・J・トロイヤー
クィリナス・クィレル イアン・ハート 横堀悦夫
マダム・フーチ ゾーイ・ワナメイカー 火野カチコ
アーガス・フィルチ デイビッド・ブラッドリー 青野武
ドラコ・マルフォイ トム・フェルトン 三枝享祐
ネビル・ロングボトム マシュー・ルイス 上野容
バーノン・ダーズリー リチャード・グリフィス 楠見尚己
ペチュニア・ダーズリー フィオナ・ショウ さとうあい
ダドリー・ダーズリー ハリー・メリング 忍足航己
ビンセント・クラッブ ジェイミー・ウェイレット
グレゴリー・ゴイル ジョシュア・ハードマン
オリバー・ウッド ショーン・ビガースタッフ 川島得愛
フレッド・ウィーズリー ジェームズ・フェルプス 尾崎光洋
ジョージ・ウィーズリー オリバー・フェルプス
シェーマス・フィネガン デヴォン・マーレイ 渡辺悠
ディーン・トーマス アルフレッド・イーノック 山本隆平
パーシー・ウィーズリー クリス・ランキン 宮野真守
リー・ジョーダン ルーク・ヤングブラッド 進藤一宏
ケイティ・ベル エミリー・デイル
アンジェリーナ・ジョンソン ダニエル・テイラー
アリシア・スピネット リー・シュザーランド
テレンス・ヒッグス ウィル・シークストン
エイドリアン・ピュシー スコット・ファーン
マーカス・フリント ジェイミー・イェイツ 天田真人
スーザン・ボーンズ エレノア・コロンバス
モリー・ウィーズリー ジュリー・ウォルターズ 一龍斎貞友
ジニー・ウィーズリー ボニー・ライト 山田千晴
ほとんど首無しニック ジョン・クリーズ たかお鷹
オリバンダー老人 ジョン・ハート 小林勝也
血みどろ男爵 トレンス・ベイラー
太った修道士 シモン・フィッシャー・ベッカー
灰色のレディ ニーナ・ヤング
組分け帽子の声 レスリー・フィリップス 石森達幸
太った婦人 エリザベス・スプリッグズ 竹口安芸子
ジェームズ・ポッター エイドリアン・ローリンズ
リリー・ポッター ジェラルディン・ソマーヴィル
フィレンツェの声 レイ・フィアロン 宮内敦士
動物園
キングス・クロス駅駅員 ハリー・テイラー 石住昭彦
ディーダラス・ディグル デイビッド・ブレット
漏れ鍋のバーテンダー デレク・デッドマン
ホグワーツ特急のワゴン販売員 ジーン・サザーン
ヴォルデモート卿 リチャード・ブレマー 江原正士
その他 甲斐田裕子
浅井清己
佐々木広太
田谷隼
よのひかり
演出 木村絵理子
翻訳 岸田恵子
翻訳監修 松岡佑子
録音 高久孝雄
田中和成
金谷和美
池田裕貴
編集 オムニバス・ジャパン
プロデューサー 尾谷アイコ
小出春美
制作 東北新社
ワーナー・ホーム・ビデオ

制作[編集]

企画[編集]

1997年、プロデューサーのデヴィッド・ハイマンは高い評価の映画にできる児童書を探していた[52]。ハイマンはダイアナ・ウィン・ジョーンズの小説『うちの一階には鬼がいる!』の制作を企画していたが、その計画は流れた。そこでヘイデイ・フィルムズのハイマンのスタッフは『ハリー・ポッターと賢者の石』を提案し、彼のアシスタントは「クールなアイデア」と考えた[52]。ハイマンは、このアイデアをワーナー・ブラザースに売り込み[53]、1999年にローリングは「ハリー・ポッター」の最初の4冊の権利を同社に売却した。売却額は100万ポンドと言われている[54]。ローリングがハイマンに強く求めたのは厳密にイギリス人とアイルランド人の配役を守ることだった。後者としては、ダンブルドア役のリチャード・ハリスやペチュニア・ダーズリー役のフィオナ・ショウが起用され、『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』で原作の登場人物がフランス人や東欧人を指定されている場合に、そのように俳優が起用されているように、絶対に必要である場合を除いて外国人俳優は選ばれなかった[55]。ローリングは登場人物の権利を売ることで、作者の書いていない続編をワーナー・ブラザースが作れるようになり「物語の残りの部分を彼らに支配されたくなかった」ため、権利の売却をためらっていた[56]

当初はスティーヴン・スピルバーグに監督を交渉していたが、スピルバーグは辞退した[57]。伝えられるところによると、スピルバーグはアメリカ人俳優のハーレイ・ジョエル・オスメントがハリー・ポッターの声で出演するアニメーション映画にするか[58]、または原作の続きの要素も取り入れた映画にしたいと考えていたという[59]。スピルバーグは(彼の意見では)それは「樽の中のアヒルを撃つようなもの。ただのスラムダンク。10億ドルを引き落として個人の銀行口座に入れるようなもので、なんの挑戦もありません。」と強く主張した[60]。ローリングは映画の監督選びに関与しておらず「私が彼(スピルバーグ)を'veto-ed'〔ママ[注 8]できた(あるいはしただろう)と考える人は、自動速記羽根ペンQQQのサービスが必要でしょう」と主張した[61]。ハイマンは、スピルバーグは代わりに『A.I. Artificial Intelligence』を監督することを決めたと振り返る[59]

"「ハリー・ポッター」は一生に一度の不朽の文学的功績です。世界中で熱狂的ファンを生んでいる作品だけに、子供と魔法の両方に親近感のある監督を見つけることが重要でした。この仕事にクリス以上に理想的な人は考えられません。"
ロレンツォ・ディ・ボナヴェンチュラ[62]

スピルバーグと別れたあと、ほかの監督たちとの話し合いが始まった。そこにはクリス・コロンバステリー・ギリアムジョナサン・デミマイク・ニューウェル (のちに4作目の監督を務める)、アラン・パーカーウォルフガング・ペーターゼンロブ・ライナーアイヴァン・ライトマンティム・ロビンスブラッド・シルバーリングM・ナイト・シャマランピーター・ウィアーといった人たちがいる[59][63][64]。ペーターゼンとライナーは2000年3月に共に候補から外れ[65]、候補はシルバーリング、コロンバス、パーカー、ギリアムに絞られた[66]。ローリングが最初に選んだ監督はテリー・ギリアムだったが[67]、ワーナー・ブラザースはコロンバスを選んだ。コロンバスが『ホーム・アローン』や『ミセス・ダウト』といったファミリー映画を手がけたことが決定に影響したという[62]。コロンバスは、マグルの場面は「殺風景で陰気に」したいが魔法の世界では「色、雰囲気や細部に深くこだわったものに」設定したいと述べ、2時間にわたってこの映画に掛ける自身のビジョンを売り込んだ。コロンバスはデヴィッド・リーンの映画『大いなる遺産』(1946年)や『オリヴァ・ツイスト』(1948年)から刺激を受け、「あの暗がり、あの鋭さ、素晴らしい撮影」を使いたいと思い、さらに『オリバー!』(1968年)や『ゴッドファーザー』(1972年)の色彩設計からも触発された[59]

脚本にはスティーヴ・クローヴスが選ばれた。クローヴスはこの本の映画化を、「次の2冊と同じように上手く映画化できる作品」ではないので、「タフ(きつい、厳しい)」と表現した[68]。クローヴスはワーナー・ブラザースから映画化を提案された本のあらすじをよく受け取っていた。クローヴスは「ほとんど読んだことがなかった」が、「ハリー・ポッター」は彼の目を引いたといい[53]、この本を買いに行き、すぐにシリーズのファンになった[68]。ワーナー・ブラザースとの話のときに、クローヴスは「この映画はイギリスのものでなければならないし、登場人物たちに忠実でなければならない。」と述べた[68]。ローリングに初めて会ったとき、クローヴスは「彼女の宝物を『破壊』する」とローリングに思わせたくなかったので緊張していた[53]。ローリングは「このスティーヴ・クローヴスを嫌いになる用意はできていました」と認めつつ、彼との初めての出会いを思い出した。「彼に初めて会ったとき、彼は私に言ったの。『私が一番好きな登場人物が誰か分かりますか?』と。ロンって言うんだろうなと思いました。ロンと言うつもりなのは分かる。でも彼は『ハーマイオニー』って言ったのです。私は少し和みました[53]。」ローリングは、コロンバスが気にしない取り決めで、大きい創造的な権限を与えられていた。

ワーナー・ブラザースは当初、2001年7月4日の週末に映画を公開することを予定しており、あまりにも短い制作期間のため複数の監督候補が辞退した。しかし時間的な制約から、公開日は2001年11月16日に延期された[69]

配役[編集]

ローリングは配役をイギリス人にすることを強く求めた[55]。スージー・フィギスがキャスティング・ディレクターに任命され、コロンバスとローリングの両名と協力し、主役のハリー、ロン、ハーマイオニーのオーディションを行った[70]。主要3役について、イギリス人の子供たちだけを対象とした公開キャスティング・コールが行われた[71][72]。もっとも重要なオーディションは3部構成で行われ、小説の1ページを読み、次にホグワーツに到着した生徒たちの場面を即興で演じ、最後にコロンバスの前で台本を数ページ読む必要があった[72]。1985年の映画『ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎』のためコロンバスが書いた脚本の場面もオーディションで使われた[73]。2000年7月11日、オーディションを受けた何千人もの子供たちを誰ひとりとして「価値がある」とコロンバスは見なしていない、とフィギスは不満を漏らし制作から離れた[73]。2000年8月までに、アラン・リックマンリチャード・ハリスがそれぞれセブルス・スネイプ役とアルバス・ダンブルドア役の最終交渉に入り[74]、同月末に決定した[75]。8月14日、ローリングのお気に入りであるマギー・スミスロビー・コルトレーンが、ミネルバ・マクゴナガル役とルビウス・ハグリッド役に選ばれた[76]。8月21日、ダニエル・ラドクリフと新人のルパート・グリントエマ・ワトソンが、それぞれハリー・ポッター役、ロン・ウィーズリー役、ハーマイオニー・グレンジャー役に選ばれた[77]。2000年11月には、ジュリー・ウォルターズジョン・クリーズがそれぞれモリー・ウィーズリー役とほとんど首無しニック役で出演者に加わった[78][79]

撮影[編集]

前に溝と木がある大きな城。
アニック・カースルはホグワーツの主要なロケーション撮影地として使用された。

2人のイギリスの映画関係者が英国での撮影を要請し、ロケーション撮影地の確保、リーブスデン・スタジオの使用、イギリスの児童労働法の変更(週あたりの労働時間について少し追加することや、撮影現場での授業のタイミングを柔軟にすること)などの支援を申し出た[59]。ワーナー・ブラザースは彼らの提案を受け入れた。撮影はリーブスデン・スタジオで2000年9月29日から2001年3月23日まで行われ[80]、7月に最終作業が行われた[63][81]。2000年10月2日、ノース・ヨークシャー州のゴースランド駅(Goathland railway station)で主要撮影が行われた[82]カンタベリー大聖堂とスコットランドのインヴェライロルト城がホグワーツのロケーション撮影地候補として挙がっていたが、カンタベリー大聖堂は、映画のテーマが「異教徒」であることを懸念してワーナー・ブラザースの提案を断った[83][84]。最終的にはアニック・カースルグロスター大聖堂がホグワーツの主要なロケーション撮影地として選ばれ[85]、一部の場面はハロウスクールでも撮影された[86]。その他にホグワーツの場面がダラム大聖堂で2週間に渡って撮影され[87]、廊下や教室の場面が撮影された[88]。オックスフォード大学の神学部(Divinity School)がホグワーツの病院棟として使われ、ボドリアン図書館の一部であるハンフリー公図書館がホグワーツ図書館として使われた[89]。プリベット通りの撮影は バークシャー州ブラックネルのPicket Post Closeで行われた[87]。Picket Post Closeでの撮影は、予定していた1日ではなく2日掛かったため、Picket Post Closeの住民への支払いもそれに応じて増えた[87]。プリベット通りに設定されたその後の場面は、リーブスデン・スタジオで作られたセットで撮影され、ロケでの撮影より安く済むことが証明された[90]。ロンドンのオーストラリア・ハウス(オーストラリア高等弁務官事務所)がグリンゴッツ魔法銀行のロケーション撮影地として選ばれ[85]オックスフォード大学クライスト・チャーチがホグワーツのトロフィールームに選ばれた[91]ロンドン動物園はハリーが誤ってダドリーに蛇をけしかける場面のロケーション撮影地として使われ[91]キングス・クロス駅も本で指定されているとおり使われた[92]

「The Glass House」と読める看板が掲げられた青く塗られた建物。扉には眼鏡の広告が貼られている。
漏れ鍋」(Leaky Cauldron)の外観として使われたロンドンの店舗。

アメリカでは書名が異なるため、俳優が賢者の石を「philosopher's」と名前で言っている場面はすべて「sorcerer's」と撮りなおす必要があった[63]。子供たちは4時間の撮影のあと、学校の勉強を3時間した。彼らは、メイクアップ・スタッフが顔に施す偽の怪我を好きになった。ラドクリフの目はハリーのように緑ではなく青いため、当初は緑のコンタクトレンズをつけるつもりだったが、ラドクリフはこのレンズに強い苛立ちをおぼえた。そこでローリングとの相談した結果、ハリーの目は青くてもいいということになった[93]

デザインと特殊効果[編集]

ジュディアンナ・マコフスキーが衣装デザイナーを務めた。クィディッチのローブは、当初アメリカ版の本の表紙に掲載されていたものを使う予定だったが、彼女はこれを「だらしない」と判断し、デザインを変更した。代わりに彼女はクィディッチの選手に「名門私立校風のセーター、19世紀のフェンシング用ブリーチ(ズボン)とアームガード」を着せた[94]。プロダクションデザイナーのスチュアート・クレイグは、イギリスの多くの大聖堂に基づいて、ホグワーツの大広間などのセットをリーブスデン・スタジオに作り上げた。もともと、ダイアゴン横丁の撮影には既存の古い通りを使うように頼まれていたが、クレイグはチューダー様式ジョージアン様式クイーン・アン様式の建物からなる独自のセットを作ることにした[94]

元々、コロンバスはフラッフィーなどの魔法生物を作るためアニマトロニクスとCGアニメーション両方使うことを計画していた[70]。「スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス」を手がけたニック・ダッドマンは必要な特殊造形の制作を任され、ジム・ヘンソンズ・クリーチャーショップがクリーチャー造形を提供した[95]。ジョン・コッピンジャーは、創造する必要がある魔法生物は何度もデザインされなければならないと述べている[96]。この映画は600近い特殊効果が使われており、多くの企業が関わっている。インダストリアル・ライト&マジック社はクィレルの後頭部にヴォルデモート卿の顔を作り、リズム&ヒューズ・スタジオは(ハグリッドの赤ちゃんドラゴン)ノーバートのアニメーションを、ソニー・ピクチャーズ・イメージワークスクィディッチの場面を制作した[97]

音楽[編集]

ジョン・ウィリアムズが作曲を担当した。

作曲にはジョン・ウィリアムズが選ばれた[98]。ウィリアムズは、2001年9月にロンドンで録音する前に、ロサンゼルスとタングルウッドの自宅で作曲した。メイン・テーマの1つは「ヘドウィグのテーマ」と題された。ウィリアムズは完成した楽譜に「みんなが気に入っているようだった」と残し、シリーズを通して繰り返し使われるテーマとなった[99]。作曲に最初に選ばれたのはジェームズ・ホーナーだったが断られた[100]。サウンドトラック・アルバムが2001年10月30日にCD形式で発売された[99]

原作本との違い[編集]

コロンバスは、細部が正しいことを確認するため、ローリングに繰り返し相談した[95]。クローブスは、この映画が原作本に「本当に忠実」であると述べている。彼はローリングが認めた台詞を追加した。当初入れられていた台詞の1つについては、ローリングが当時未発表の『ハリー・ポッター』第5作『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の出来事と直接矛盾すると言ったため、削除しなければならなかった[101]

映画版からは一部の端役が削除されており、中でもポルターガイストのピーブズは、俳優のリック・メイヨールが演じたが、彼のシーンは最終的に映画からカットされ公開されることはなかった。バーノン・ダーズリーとペチュニア・ダーズリーの視点で語られる原作本の最初の章は映画にはない。ハリーとドラコの、マダム・マルキンの洋装店での最初の出会いと、真夜中の決闘は映画には登場しない。ノーバートは、映画ではダンブルドアに連れて行かれたことになっているが、原作本ではハリーとハーマイオニーの手でチャーリー・ウィーズリーの友人のところに連れて行かなければならなかった[102]。クローブスによれば、「原作本の中で(ローリングが)簡単に変更できると感じた部分」だったという[94]。その結果、禁じられた森での居残りの罰の理由が変更された。小説では、ハリーとハーマイオニーは放課後に天文台の塔を出たときにフィルチに捕まったために居残りの罰が与えられ、ネビルとマルフォイはマクゴナガル先生に廊下で捕まったために居残りをさせられる。映画では、ハリー、ハーマイオニー、ロンは放課後にハグリッドの小屋にいるところをマルフォイに見つかって居残りを命じられ、マルフォイもベッドを抜け出したために居残りを命じられる[102]クィディッチの競技場は伝統的な競技場から観客席に囲まれたオープン・フィールドに変更された[94]

映画では原作本の時系列は強制されていない。原作本では、ハリーの11歳の誕生日は1991年である[103]。プリベット通り四番地の映画のセットでは、ダドリーの小学校からの証明書には2001年と書かれている[104]

DVD/Blu-ray[編集]

日本ではワーナー・ブラザース・ホームエンターテイメントよりブルーレイ、DVDが発売。

  • ハリー・ポッターと賢者の石 特別版(DVD2枚組、2002年5月15日発売)
  • 【完全限定生産】ハリー・ポッターと賢者の石 DVDスペシャルBOX(2枚組、ニンバス2000バージョンと金のスニッチの2種類で発売、いずれも2002年5月15日発売)
  • ハリー・ポッターと賢者の石 DVD(1枚組、2006年12月8日発売)
  • ハリー・ポッターと賢者の石 ブルーレイ(1枚組、2007年12月19日発売)
  • 【数量限定生産】ハリー・ポッターと賢者の石 ブルーレイ アルティメット・コレクターズ・エディション(3枚組、2009年12月23日発売)
  • 【数量限定生産】ハリー・ポッターと賢者の石 DVD アルティメット・コレクターズ・エディション(4枚組、2009年12月23日発売)
  • ハリー・ポッターと賢者の石 コレクターズ・エディション(Blu-ray版:3枚組 / DVD版:4枚組、2016年3月23日発売)
  • ハリー・ポッターと賢者の石 〈4K ULTRA HD&ブルーレイセット〉(3枚組、2017年12月20日発売)
  • ハリー・ポッターと賢者の石 & ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 魔法の世界 入学セット(Blu-ray / DVDともに2枚組、2018年10月3日発売)

サウンドトラック[編集]

テレビ放送[編集]

回数 テレビ局 番組名 放送日 放送時間 視聴率 備考
初回 日本テレビ 金曜ロードショー 2004年6月25日 20:00 - 23:09 30.8% 地上波初放送
ノーカット
78分拡大、63分繰上げ
2回目 TBS - 2005年11月23日 20:00 - 22:54 21.3% ノーカット
60分拡大、60分繰上げ
3回目 2009年7月10日 19:55 - 21:48 14.7% 59分拡大
4回目 日本テレビ 金曜ロードショー
→金曜ロードSHOW!
2010年10月29日 21:00 - 23:44 12.1% 50分拡大
5回目 2013年3月15日 21:00 - 23:29 12.5% 35分拡大
6回目 2014年7月25日 13.3%
7回目 2015年5月22日 13.9%
8回目 2016年11月25日 9.9%
9回目 2020年10月23日 21:00 - 23:24 8.5% 30分拡大
  • 視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。

ゲーム[編集]

ハリー・ポッターと賢者の石』(Windows / PlayStation / ゲームボーイアドバンス / ゲームボーイカラー / ニンテンドーゲームキューブ / PlayStation 2用)がエレクトロニック・アーツより発売された。PlayStation版はアルゴノートゲームスが開発。日本国内では、2001年より順にソフトが展開。シリーズの映画化にあわせて廉価版も発売されている。

第1巻当初よりストーリー中盤で行なわれる魔法使いのスポーツ、クィディッチを題材にした『ハリー・ポッター クィディッチ・ワールドカップ』も発売されている。Windows、ニンテンドーゲームキューブ、ゲームボーイアドバンス、PlayStation 2より2003年にリリース。こちらもメーカーはエレクトロニック・アーツ。

テレビゲームに限らず、カードゲーム(ウィザーズ・オブ・ザ・コースト、日本での発売元はメディアファクトリー)、ボードゲーム(マテル)等も発売。

その他[編集]

カードゲームではないが、劇場映画が題材のトレーディングカードもアートボックスが取り扱った。ブロックのおもちゃで知られるレゴでも販売されている。

関連書籍に含まれるがデアゴスティーニ・ジャパンより『ハリー・ポッター チェスコレクション』なども出版され、隔週刊で全47号が刊行。

また、2001年から2003年に放送されたテレビアニメ星のカービィ』の第38話「読むぞい!驚異のミリオンセラー」が本作のパロディとなっている。おもなパロディ要素は作中においてミリオンセラーの小説「パピー・ポッティーと愚者の石(略称:パピポテ)」、ホグワーツを模した魔法学校、原作者「ローリン先生」、ほうきに乗ってボールカービィ)を棒で飛ばすスポーツ(クィディッチ)など。

2018年4月には、jam cityがロールプレイングゲーム、『ハリー・ポッター:ホグワーツの謎英語版』のスマートフォン向けアプリケーションを開始した。

ハリー・ポッター:魔法同盟』が、2019年6月21日にNianticによってリリースされた。 拡張現実モバイルゲーム、『Pokémon GO』の『ハリー・ポッター』版であるといえる。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 映画版ではイギリス英語で「4階」を意味する「third floor」を「3階」と誤訳している。
  2. ^ 映画版ではダンブルドアが取り計らったことになっている。
  3. ^ 映画版ではこの場面はなく、後述のハーマイオニーに対する評価の理由も変更されている。
  4. ^ J.K.ローリングはミドルネームのないJoanne Rowlingという名前で洗礼を受け、J.K. Rowlingというペンネームで出版活動をしていた。[1]。彼女はいつも「ジョー」と呼ばれていたという[2]。本書の著作権ページには、彼女の名前が「Joanne Rowling」と記されている[3]
  5. ^ The Children's Book Award, The Young Telegraph Paperback of the Year Award, the Birmingham Cable Children's Book Award and the Sheffield Children's Book Award.
  6. ^ 直訳すると『ハリー・ポッターと魔法学校』
  7. ^ 直訳すると『ハリー・ポッターと魔法使いの石』
  8. ^ 拒否?

出典[編集]

  1. ^ a b BBC "Red Nose Day" Online Chat Transcript”. BBC. MuggleNet (2001年3月12日). 2013年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月2日閲覧。
  2. ^ Rogers, Shelagh (2000年10月23日). “Interview: J.K. Rowling”. This Morning. Accio Quote. 2013年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月3日閲覧。
  3. ^ Rowling, J.K. (1997). Harry Potter and the Philosopher's Stone. Bloomsbury. p. copyright notice. ISBN 978-0-7475-3274-3 
  4. ^ a b Riccio, Heather (1995–2009). “Interview with JK Rowling, Author of Harry Potter”. Hilary Magazine. 2009年1月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月12日閲覧。
  5. ^ Kirk, Connie Ann (1 January 2003). “Early Career”. J.K. Rowling: A Biography. Greenwood Publishing Group. p. 62. ISBN 978-0313322051. https://books.google.com/books?id=GJgbW9c9mpwC&q=rowling+grant+8%2C000&pg=PA62 2014年3月14日閲覧。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Eccleshare, Julia (2002). “The Publishing of a Phenomenon”. A guide to the Harry Potter novels. Continuum International. pp. 7–14. ISBN 978-0-8264-5317-4. https://books.google.com/books?id=cHjF5K2uVdsC&pg=PA7 2009年5月15日閲覧。 
  7. ^ “Revealed: the eight-year-old girl who saved Harry Potter”. The Independent (London). (3 July 2005). オリジナルの6 December 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131206130553/http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/news/revealed-the-eightyearold-girl-who-saved-harry-potter-296456.html 2009年5月20日閲覧。. 
  8. ^ Lawless, John (29 May 2005). “Nigel Newton”. Bloomberg Businessweek (McGraw-Hill). オリジナルの27 August 2006時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20060827032307/http://www.businessweek.com/magazine/content/05_22/b3935414.htm 2006年9月9日閲覧。. 
  9. ^ Elisco, Lester. “The Phenomenon of Harry Potter”. TomFolio.com. 2017年4月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年1月22日閲覧。
  10. ^ Harry Potter and the Mystery of the Author's Name”. Cotsen Children's Library. Princeton University (2014年9月15日). 2014年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月16日閲覧。
  11. ^ J.K. Rowling: The Rare True First Edition of the First Harry Potter Book, Harry Potter and the Philosopher's Stone.”. Heritage Auctions (2007年10月26日). 2009年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年9月9日閲覧。
  12. ^ a b c d e f Nel, Philip (2001). “Reviews of the Novels”. J.K. Rowling's Harry Potter novels: a reader's guide. Continuum International. pp. 53–55. ISBN 978-0-8264-5232-0. オリジナルの13 November 2013時点におけるアーカイブ。. https://books.google.com/books?id=qQYfoV62d30C&pg=PA53 2009年5月15日閲覧。 
  13. ^ a b c Knapp, N.F. (2003). “In Defense of Harry Potter: An Apologia”. School Libraries Worldwide (International Association of School Librarianship) 9 (1): 78–91. オリジナルの9 March 2011時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110309051050/http://www.iasl-online.org/files/jan03-knapp.pdf 2009年5月14日閲覧。. 
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  16. ^ "BBC – The Big Read" Archived 31 October 2012 at the Wayback Machine.. BBC. April 2003, Retrieved 12 December 2013
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  18. ^ Jury, J. (2001年12月22日). “Harry Potter hides fall in number of books sold a downturn in book sales”. The Independent (London). オリジナルの2010年7月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100707082907/http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/news/harry-potter-hides-fall-in-number-of-books-sold--a-downturn-in-book-sales-748142.html 2009年5月16日閲覧。 
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外部リンク[編集]