ハリド・ブラールズ

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ハリド・ブラールズ Football pictogram.svg
Khalid Boulahrouz.jpg
名前
愛称 人食いハリド(Khalid the Cannibal)
ラテン文字 Khalid Boulahrouz
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
モロッコの旗 モロッコ
生年月日 (1981-12-28) 1981年12月28日(36歳)
出身地 マースライス
身長 183cm
体重 82kg
選手情報
ポジション DF (CB, RSB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2004 オランダの旗 RKC 64 (4)
2004-2006 ドイツの旗 ハンブルガーSV 52 (1)
2006-2008 イングランドの旗 チェルシー 13 (0)
2007-2008 スペインの旗 セビージャ (loan) 6 (0)
2008-2012 ドイツの旗 シュトゥットガルト 64 (2)
2012-2013 ポルトガルの旗 スポルティングCP 11 (0)
2013-2014 デンマークの旗 ブレンビー 13 (0)
2014-2015 オランダの旗 フェイエノールト 11 (0)
代表歴2
2002-2003 オランダの旗 オランダU-21 5 (0)
2004-2012 オランダの旗 オランダ 35 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年4月19日現在。
2. 2013年12月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ハリド・ブラールズKhalid Boulahrouz1981年12月28日 - )は、オランダ南ホラント州マースライス出身の元サッカー選手同国代表でもあった。現役時代のポジションはDF

名前の表記はブーラルーズボウラロウズなども存在する。オランダでの発音はブラルーズがより近い。モロッコ移民の血を引くオランダ代表DF。実家は9人兄弟。

経歴[編集]

ユース時代から地元のエクセルシオール・マースライス、アヤックスHFCハールレムAZアルクマールと渡り歩き、2002年RKCヴァールヴァイクでプロとしてのキャリアをスタート。当時の監督だったマルティン・ヨルに見出されすぐにポジションを獲得した。その一方で国外はおろか国内での知名度も低かったが、2004-05シーズン前に転機が訪れた。2004年7月1日DF補強が急務であったドイツハンブルガーSVが彼を獲得したのである。この獲得には不安も囁かれたがブンデスリーガの環境に応し、2004年9月3日には念願の代表デビューを果たした。2005-06シーズンはダニエル・ファン・ブイテンとのCBコンビでHSVの上位進出に貢献。ブラールズのハード・マーク、フィジカルを生かしたファン・ブイデンとの名コンビで、得点は少ないものの失点を最小限に抑えた。

2006年からはイングランドチェルシーFCでプレー。しかし、プレミアリーグのサッカーに順応しきれずさらに故障もあってベンチ暮らしが続いた。そして、2007年5月6日アーセナルFC戦で自身の判断ミスからPKを献上し一発退場。その試合は結局1-1のドローに終わり、結果的にマンチェスター・ユナイテッドFCの優勝をアシストする形になった。

2007年7月12日スペインセビージャFCレンタル移籍で加入していたが、6試合の出場にとどまった。レンタル期間が満了した後の2008年7月21日に移籍金500万ユーロでVfBシュトゥットガルトへ移籍し、3シーズンぶりのブンデスリーガ復帰を果たした。

2011-12シーズンをもってシュトゥットガルトとの契約が満了。2012年7月18日ポルトガルスポルティングCPへフリーで移籍した[1]

代表歴[編集]

先述の通り2004年9月3日の親善試合・リヒテンシュタイン戦でデビュー。マルコ・ファン・バステンに重用され2006 FIFAワールドカップ予選には7試合に出場し、本大会でもメンバー入り。退場者が両チームあわせて4人も発生したベスト16のポルトガル戦では開始早々クリスティアーノ・ロナウドの右太腿にタックルしてイエロー(彼はその後負傷退場)そして後半にルイス・フィーゴに肘うちを喰らわせ、退場した。

EURO2008では一度選考から漏れたものの、ライアン・バベルの負傷により追加招集を受ける。本大会では右サイドバックとして全4試合に出場した。

エピソード[編集]

  • 機動力をいかしたハードマークが持ち味でディフェンスならプレーするポジションを選ばないユーティリティー性も持つ。
  • そのハードなプレイから「人食い」の異名を持つ。
  • 幼少期に父親を亡くし母子家庭で苦労を重ねた経歴を持つ。
  • ヤープ・スタムからは「自身の後継者だ」と評されている。
  • 身長は183cmと176cmの二説がある。
  • EURO2008期間中に、未熟児で生まれた娘が亡くなるという悲劇を味わった。彼は悲しみに耐え、ロシア戦も先発出場。チームは腕に喪章をつけてプレーした。

脚注[編集]

外部リンク[編集]