ハドソン・スクエア

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座標: 北緯40度43分36秒 西経74度00分22秒 / 北緯40.7268度 西経74.0060度 / 40.7268; -74.0060

チャールトン=キング=ヴァンダム歴史地区英語版のCharlton Streetに建つ連邦様式英語版の建築群。

ハドソン・スクエア (Hudson Square) は、ニューヨーク市マンハッタンダウンタウンに位置する地区である。ウエスト・ソーホー (West SoHo) と呼ばれることもある。

この地区の北端はウエスト・ハウストン・ストリート、南端はキャナル・ストリート、東端は6番街(アベニュー・オブ・ジ・アメリカス)、西端はハドソン川であるとされる。この地区の北はグリニッジ・ヴィレッジ、南はトライベッカ、東はソーホーである。

概要[編集]

ハドソン・スクエア地区の一部はチャールトン=キング=ヴァンダム歴史地区 (Charlton-King-Vandam Historic Districtに指定されている。この歴史地区には、19世紀前半に建てられた連邦様式 (Federal architectureグリーク・リヴァイヴァル様式 (Greek Revival architectureの長屋が集中している。この地区の重要な施設としてニュージャージーからマンハッタンへの入口であるホランド・トンネルがある。この地区で最も高い建築物はトランプ・ソーホー・ホテル (Trump SoHoである。

この地区内の地下鉄駅としては、スプリング・ストリート (Spring Street駅がある。またいくつかのバス路線がこの地区を走っている。

この地区はかつてはプリンティング・ディストリクト (Printing District) として知られていた。21世紀になっても、この地区では広告、デザイン、通信そしてアートなどのメディア関連の活動が活発である[1]

歴史[編集]

1776年、ジョージ・ワシントンがイギリス軍からニューヨークの防衛を指揮していたとき、彼の本部は現在のCharlton Streetおよびヴァリック・ストリートに位置するMortier Houseに置かれていた。"New Yorker"という言葉が使われた、現在知られている最古の出版物は、彼がロウアー・マンハッタンで書いた手紙である[2]

1827年3月16日にen:John Russwurm and en:Samuel Cornish編集によるFreedom's Journalというアメリカで最初のアフリカン・アメリカンの新聞はこの地で発刊された。この新聞は国内、国際、地域の最新の出来事や編集者による奴隷制や私刑、不正に対する抗議などの情報が掲載されていた[3]

トリニティ・ウォール・ストリートはハドソン・スクエア内に多くの商業用不動産を有している[4]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “Extra! Extra! Media firms move to Hudson Square”. The Villager. (2007年10月3日). http://www.thevillager.com/villager_231/hudsonsquare/extra.html 2010年7月31日閲覧。 
  2. ^ New York Times Correction”. 2014年1月7日閲覧。
  3. ^ Bacon, Jacqueline (2007). Freedom's Journal: The First African-American Newspaper. Lanham, MD: Lexington Books. p. 37. ISBN 978-0-7391-1893-1. https://books.google.co.jp/books?id=LcCg09qSN4sC&pg=PA37&lpg=PA37&redir_esc=y&hl=ja 2010年7月31日閲覧。 
  4. ^ Sharon Otterman (2013年4月24日). “Trinity Church Split on How to Manage $2 Billion Legacy of a Queen”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2013/04/25/nyregion/trinity-church-in-manhattan-is-split-on-how-to-spend-its-wealth.html 2013年4月25日閲覧。 

外部リンク[編集]

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