ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツ

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ハインリヒ39世・ロイス・ツー・ケストリッツPrinz Heinrich XXXIX. Reuß zu Köstritz, 1891年6月23日 エルンストブルン英語版 - 1946年2月24日 ザルツブルク)は、ドイツオーストリアの貴族、地主。

作曲家のロイス=ケストリッツ侯ハインリヒ24世と、ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ74世の娘エリーザベト(1860年 - 1931年)の間の第3子、長男。両親は同族の従叔母・従甥同士。

国家学及び法学を大学で専攻し、法学博士号を取得[1]。1910年父の死と同時にロイス=ケストリッツ家の分封領(パラギウムドイツ語版)の家督を相続したが、同家の当主が帯びていた「ロイス=ケストリッツ侯(Fürst Reuß-Köstritz)」の称号を名乗ることは辞退した。弟系ロイス侯国の侯家分流の当主として、家督には弟系ロイス邦議会ドイツ語版の世襲投票権が付随した。1912年12月5日から1919年2月12日まで、同邦議会議員を務めた。1912年12月5日からは、邦議会の決定によりハインリヒ39世は代理人を議会に出席させた。ドイツ革命に伴う君主制廃止後、邦議会からの抗議を受けて議員を辞職したときは、僅か26歳の若さだった。

プロイセン陸軍大尉の階級を有した。ニーダーエスタライヒ州のエルンストブルン及びハーゲンベルク(現ファルバッハドイツ語版の一部)の家族世襲財産の保有者だった。ゲーラフリーメーソン団体に所属してもいた。プロテスタント系のヨハネ騎士団騎士にも叙任された。

1918年8月7日カステルドイツ語版にて、フリードリヒ・カール・ツー・カステル=カステルドイツ語版侯の娘アントニア(1896年 - 1971年)と結婚し、間に6人の子をもうけた。

  • ハインリヒ4世(1919年 - 2012年) - ロイス侯家家長
  • ハインリヒ6世(1922年 - 1942年) - スターリングラードの戦いに従軍・戦死
  • アマデーア・カロリーネ・アンナ・エリーザベト・ゲルトルート・フィーオラ・エレオノーレ(1923年 - 2015年) - 1959年ラインホルト・ザックス(Reinhold Sachs)と結婚
  • ゲルトルート・レナータ・アンナ・エリーザベト・ユッタ・ガスパリーネ(1924年 - 2011年) - 1950年アンリ・グラン・デノン(Henri Grand d'Esnon)と結婚
  • ハインリヒ7世(1927年 - 2002年) - 1971年男爵令嬢ブリヒッテ・ファン・テュイル=セロ―スケルケンと結婚
  • エリーザベト・ドナータ・レギーナ・エンマ・クレメンティーネ(1932年 - ) - 1960年クレディトン主教ピーター・コールマンドイツ語版と結婚

参考文献[編集]

  • Reyk Seela: Landtage und Gebietsvertretungen in den reußischen Staaten 1848/67–1923. Biographisches Handbuch (= Parlamente in Thüringen 1809–1952. Tl. 2). G. Fischer, Jena u. a. 1996, ISBN 3-437-35046-3, S. 246.
  • Michael Stolle: Der Komponist Heinrich XXIV. Reuß-Köstritz: ein Meister strenger Schönheit, Hildesheim; Zürich; New York: Georg Olms Verlag, 2016, ISBN 978-3-487-08577-7.

引用[編集]

  1. ^ Michael Stolle: Der Komponist Heinrich XXIV. Reuß-Köstritz: ein Meister strenger Schönheit, Hildesheim; Zürich; New York: Georg Olms Verlag, 2016, ISBN 978-3-487-08577-7, S. 310.