ノート:2018年

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2018年の日本[編集]

「予定」節から日本国内の情報を2018年の日本へ転記しました--aki42006会話2017年12月31日 (日) 00:19 (UTC)[返信]

2018年のアメリカ合衆国[編集]

2018年のアメリカ合衆国を作成しました。アメリカ合衆国国内の情報は、こちらに加筆をお願いします--aki42006会話2018年1月1日 (月) 00:33 (UTC)[返信]

日本の事柄の記述について[編集]

編集合戦は本意でないためこれ以上差し戻すつもりはありませんが、まずは過去の議論として『ノート:2011年#「2011年の日本」への分割について』や『ノート:2011年#編集合戦について』をお読みください。

本記事では国際的観点から書くのは基本ですが、世界に影響する事柄にのみならず日本の出来事でも大きな災害や事件関連、注目に値する事柄は記述できるものと考えます。例えば、台湾で2月に発生したMw 6.4の地震(死者17人)は記述されていますが、日本で発生した死者・行方不明者40人以上で大規模停電も起きたMj 6.7の北海道胆振東部地震が記述できないのは変です。また、平成最悪の水害とされる死者200人以上に上った平成30年7月豪雨が記述できないのは変です。日本も世界の一部ですし、国際的観点=日本除外ではありません。ただし、Mj 6.1の大阪府北部地震については大都市直下型地震ながら、記述すべきか微妙に感じたためコメントアウトにしています。

この他、オウム真理教事件の13人死刑執行については、化学兵器が使用された地下鉄サリン事件などは世界にも大きな影響を与え、何より日本で一度に13人に対する死刑が執行されたことは記述に値する事柄であると思います(特に西欧では死刑制度が廃止され、先進国で大量に死刑執行が起きたのは国際的観点から特筆性がある)。

日本の事柄を書くべきかの選別は難しい場面もあり、記述者には本記事の主旨を把握していない人も当然いるためローカルな事柄が書かれてしまうこともありますが、過去にも議論されており日本の事柄を一切書くべきではないという結論には至っていません(そもそも日本語版のため日本の話題がどうしても多く、日本のローカルな話題で偏ってしまうため「○○年の日本」として分割することになりました⇒『ノート:2006年#あまりにも「できごと」の項目が多すぎます』)。

また、日本国内のことは「2018年の日本」のページに全て集約するために分割しているわけではありませんし、そういうルールもありません。○○年の年記事を見たときに日本ローカルな話題は「○○年の日本」へという誘導はありますが、日本の話題(世界に影響を与える事柄に加え、上記のように大きな災害・事件・事柄など)が一切書かれていないのは逆に偏っていますし変です。極端すぎます。

このことを踏まえて国際的観点から、日本を含めた世界の事柄を記述すべきと考えます。--121.117.146.171 2018年9月17日 (月) 00:43 (UTC)[返信]

  • コメント 日本国内の出来事だから2018年に書いてはいけない、とは思いません。ただし、日本国内で完結するローカルな出来事を2018年に記載すべきとも思いません(2018年の日本で良いのではないでしょうか?)。日本国外のメディアや文献、論文等で特によく詳説されていて、特筆性が非常に高いと思われることについては載せる(世界レベルの話ですので)、そうでないものは2018年の日本で、とすれば良いのではないでしょうか?本当に特筆性があるならば信頼できる第三者言及が存在するはずです。例えば、オウムの死刑執行では、直後に海外メディアでも速報されていたことが日本の全国紙でも報道されており(産経新聞毎日新聞)、一連の事件も死刑執行も日本国内で行われているものの国際的観点からみても2018年に載せることに大きな違和感は覚えません(ただ、ウィキペディアは速報サイトではないので、何らかの形で歴史的な特筆性を保証することも求められていくでしょう)--郊外生活会話2018年9月17日 (月) 02:15 (UTC)[返信]