ノート:麻原彰晃

Jump to navigation Jump to search

このページには削除された版があります。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/「利用者:非公認ふなっしー」によるコピペ案件」をご覧ください。

出身予備校に関する記述[編集]

Arpeggioさんによる「代々木ゼミナール渋谷校?」と同様の趣旨です。些末なことではありますが、出典付きの記述ですし、9年も経過しているので改めて節を設けます。

標題の件ですが、2006年3月24日に「代々木ゼミナール池袋校」(差分1)と具体的な校名が書かれ、同年5月7日に「代々木ゼミナール渋谷校」へと書き換えられています(差分2差分3)。この記述は出典の無いまま放置されていましたが、2013年7月13日に「1977年(昭和52年)春(22歳)に再上京し、代々木ゼミナール渋谷校(現在は廃校により存在しない)に入学」の部分に対して出典が付されました(差分4)。

しかし、Arpeggioさんのご指摘どおり「代々木ゼミナール渋谷校」は当記事と当記事を参考にしたと思われるページでしか見当たりません。念のため、『渋谷区教育史 資料編』(渋谷区教育委員会、1992年、全国書誌番号:92066951)巻末の年表 (p.685-793) をチェックしましたが、1977年以前に開設された渋谷区内の代々木ゼミナールは代々木校(1953年6月開校)、原宿校(1966年1月開校)の2校しか確認できませんでした。『ゼンリンの住宅地図 渋谷区 1977』(日本住宅地図出版東京支社、1976年11月、1977年10月再販、全国書誌番号:20526429)でも同様です。

そこで、差分4で挙げられていた出典 髙山文彦著『麻原彰晃の誕生』(2006年、文春新書、ISBN 4-16-660492-9)55頁を確認したところ、該当するのは以下の記述でした。

…… 東京・渋谷の代々木ゼミナールに通いはじめたのは二十二歳、一九七七年の春からだ。 …… — 髙山文彦、『麻原彰晃の誕生』p.55 l.14

確かに「東京・渋谷」と明記されていますが、これは「東京都渋谷区」の省略にすぎず、「麻原が『渋谷校』に通っていた」「その『渋谷校』は廃校になった」という出典にはなりえないと思います。

参考のため、2つの資料を引用します。

…… 被告人は、卒業後、熊本市や鹿児島県姶良郡加治木町で鍼灸・マッサージ師をし、その後、長兄から資金援助を受けて上京し、同五十二年五月二十五日、受験予備校に入校したが、そこで同校に通っていた女性(当時十八歳)と知り合い、同五十三年一月七日、同女と結婚し、千葉県船橋市内で、「亜細亜堂」という名称で鍼灸院を開業した。 …… — 読売新聞社、1996年4月25日付 読売新聞夕刊 p.14 「麻原被告第2回公判検察冒頭陳述の全文」
77年5月 上京し、渋谷の代々木ゼミナールに入学 — 朝日新聞社、『週刊朝日』2012年6月22日号 「完全詳報 オウム事件のすべて」 p.25 「松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚とオウム真理教の歴史」(年表形式)

これらを総合して、特定の校名を挙げずに「1977年(昭和52年)5月に代々木ゼミナール(東京都渋谷区)に入学」程度の記述にとどめることを提案します。出典資料の妥当性も含めて、賛否・ご意見をよろしくお願いします。--Tkmkz会話] 2015年11月7日 (土) 13:14 (UTC)

遅ればせながら本文に反映しました(差分)。--Tkmkz (talk) 2018年4月5日 (木) 15:32 (UTC)