ノート:鬱ゲー

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2008年2月5日の「独自研究」、「出典」タグについて[編集]

「硬派の資料などが見つかりませんでした。違うかもしれませんが」との付記だったのですが、具体的にどの部分についてのことなのかが分かりません。現在のところ、本文中に「硬派」に関する記述はありませんので、他の記事(例えば燃えゲーなど)と間違われている可能性もあるかと思いましたので、一旦タグを削除して、こちらに項目を起こしました。仮に「本文中のこの部分に硬派に関する記述がないのがおかしい。」といった意味でタグを付けられたのであれば、改めて具体的な箇所を示していただいた上でこちら(ノート)にて討議いたしましょう。--螢66 2008年2月13日 (水) 13:40 (UTC)[返信]

検証可能性について[編集]

もっともらしく書いてありますが、一つも出典がありません。WP:VWikipedia:削除依頼/燃えゲーのように削除依頼を出そうと思います。--fromm 2008年8月30日 (土) 03:59 (UTC)[返信]

独自研究ではないでしょうか?--目蒲東急之介 2008年8月30日 (土) 04:00 (UTC)[返信]

三省堂「デイリー 新語辞典」[1]に掲載されていました。これ以上の出典は見つからず。--fromm 2008年11月17日 (月) 14:11 (UTC)[返信]

出典要求から3ヶ月近く経過しましたが、ひとつも出典の追記はありませんでした。このため、Wikipedia:検証可能性出典が明示されていない編集は、誰でも取り除くことができますに従い[2]と大幅に削除しました。--fromm 2008年11月17日 (月) 14:25 (UTC)[返信]

除去された部分がLondontoさんによって復帰されていましたが(差分)、出典の明記を伴っていなかったので差し戻しました。要約欄によると「ソースがある」とのことですので、出典を明記した上で、その情報源によって確認可能な記述のみを復帰してくださるようにお願いします。--貿易風 2008年11月29日 (土) 13:45 (UTC)[返信]

出た! 「要出典荒らし」。最近見かけないと思っていたんだけど。以前某記事(具体的に記事名を書くと、そっちも荒らされるかもしれないからな)で、執拗に「出典を明記してください」とか「検証可能性を求めてください」とか主張して、Wikiの記事の拡充を妨げて喜んでいた輩がいたな。しかも、「出典の明記」とか「検証可能性」とかもっともらしいことを言っているせいで、ただの荒らしよりなお、たちが悪い。またその手の人たちかな。
だいたいこの手のゲーム系の記事に出典を求めてどうするの? これはゲームユーザーの中で暗黙に了解された用語であって、ある意味リアルタイムな話題であって、それをわざわざ暇人みたいに追っかけて、事細かに説明している本なんてあるんかいな? ないだろうな。広辞苑とかに載ってていたら驚きだ。
こんな記事にも情報源とか求めるわけ? それじゃあ、Wikipediaが辞書・文献にも広く記載されないようなマイナーでマニア向けの用語まで記載するために、オープンソースにしたというコンセプトはどこに消えちゃうわけ?118.236.1.25 2008年12月10日 (水) 18:41 (UTC)[返信]

書かれている記述についての出典をできるだけ探すという努力を行っていただければ幸いです。現状のように、ソースを出せ、そんなものは必要ないでは、一時的に記述の増減が行われるだけであり、その記述が閲覧者の役に立つどうかが客観的にわからない状態になっています。Wikipediaに記述するということは、自分が知っていることを書き連ねることではなく、出典を探し、その情報がどこで得られたものかを明らかにする努力を最大限に行うことで、記述内容の信頼性を補っていることをご理解ください。急ぐ必要はないのですから、雑誌のバックナンバーでも、評論でも、ゆっくり探していただけることをお願いします。また、安易に荒らしという言葉で他の利用者を断じることもお控えください。--海獺 2008年12月10日 (水) 19:11 (UTC)[返信]

なんていうのかなぁ。「鬱ゲー」っていう言葉はさぁ、ゲームユーザーの間では常識の用語なんだよ。記載されている内容で、文句を言うギャルゲーマーの人はいないかな、っていうくらい中立的な内容だよ。事実そう考えている人は多いみたいだね、大幅削除されるたんびにrvされるんだもの。
だいたい主客転倒なんだよ。海獺さんもいうように、出典を求めることが目的じゃないでしょう。信憑性を確保することが目的でしょう? で、ギャルゲーマーなWikipedianたちが、ギャルゲーマーの間で常識として当たり前のように使われているこの言葉に対して、その当たり前な常識をもとにこの記事を拡充させてきたんだよ。もちろん偏った記述があるのなら、その都度ノートでその箇所を議論すればいい。そうして、中立的で信憑性のある記事を模索していくんだよ(この項目に関してはあまり議論が行われていないみたいだけど。よく似た言葉でそういう議論が活発な項目もある。具体的な項目名を挙げるとそのページも大幅削除されるかもしれないから書かないけど)。
つまり、検証するまでもないほどの常識を「検証可能性を求めるから出典を求めろ」と言われても、そんなの出てこないよ。でもこの記事のすべてが信憑性がないわけじゃない。実際そういう忠告をしてrvした人もいる。それを無視して記事の大幅削除をする人が「荒らし」ではないとでも? はてはて?--118.236.1.25 2008年12月10日 (水) 19:25 (UTC)[返信]

問題点を切り分けましょう。まず、ここがWikipediaであって、記述には出典が求められることはご理解いただいていると思います。ですからほかの人の行為を悪く言ったりすることは(できればモニターの前で言ってもらうなどして、ちょっとすっきりしていただいて)ことさら書かないでいただけると良いかと思います。
118.236.1.25さんが鬱ゲーという言葉を知った、認識した、こういう使い方をされているんだと理解を深めた場所や時間はわかりますでしょうか? Wikipediaでは2ちゃんねるやブログなどの出典は、厳密に申し上げれば出典として認められてはおりません。「信頼できる」とはなかなか言いがたいからです。しかしながら、どんなソースであっても提示していただくことによって、他の編集者にとっては新たな検討材料となります。ほかの出典を探す手がかりにさえなります。Wikipediaの記述に対する知的探求というのは実のところソース探しの旅でもありますので、できれば単に記述を復活させ、それを削除しというくり返しをするのではなくて、118.236.1.25さんが「鬱ゲーってものはこういうもの」でご自身のなかで「常識だよね」と思うに至ったソースを、探し、記載していただけたらと思います。項目の充実はこういった現在進行の言葉や事柄の場合、ソース自体が少ないのは自明ではありますが、そこを何とか探し出してくるというのがWikipediaの編集の醍醐味のひとつであると認識していただければ幸いです。--海獺 2008年12月10日 (水) 19:37 (UTC)[返信]

言いたいことは分かるんですよ。少なくとも、勝手にrvする人とは違って、海獺さんは理解もあるし節度もあるので。でも『「常識だよね」と思うに至ったソース』は、ギャルゲーマーたちとの会話であったり、先輩からの入れ知恵であったり、形あるものではない。では、そういう形のないソースは検証可能性に含まれない、と言われたら、この手の記事は全く執筆できなくなる。Wikipediaがオープンソースたる所以はないですよ。
たとえば同じ辞書で。広辞苑に新しく「うざい」って言葉が入ったが、そのソースは? 「若者が使っている会話」という形無いものがソースでしょう? 古代は万葉集に語源がある とか、中国の論語にその熟語が用いられたのが由来である、とか。そんなカッコいいものばかりじゃないよ。でも、それが辞書でしょう。
検証可能性が求められ、出典が明記できるなら、それならそれに基づいて記事を書けばいいじゃない。それは大賛成だよ。でも検証可能性をもともと追及できないもの・出典を求められないものに対して、「出典が不明だから記述できません」っておかしくない? ということは、広辞苑などのいわゆる「一般的な学術的辞書」ですら検証可能性を満たしてないよ? 検証可能性を求めるべきものと求めるべきでないものをきちんと区別しないと、Wikipediaの記述は委縮していくばかりだ。
そういう意味で、出典を求めるテンプレートすら、張るべきじゃないでしょう? とりあえず、ノート参照テンプで。--118.236.1.25 2008年12月10日 (水) 19:51 (UTC)[返信]

あと、追記。UptownGirlへ。謝罪するのなら、海獺さんにするんじゃなくて、俺にじゃない? 真面目に語っているのに「無神経」とか言われたのは俺なんだから。個人的にはIPさらけ出している非ログイン者のほうが、変な名前で誤魔化しているログイン者(もちろん一部に限っているんだろうけど)よりよっぽどマシだと思うけど。--118.236.1.25 2008年12月10日 (水) 20:11 (UTC)[返信]
くり返しご理解いただきたいのは、ソースを探すことと、それを何らかの形にすることが求められているということです。例えばゲーム番組や著名なゲーム評論サイト、あるいはゲームメーカーからのソースなどでも誰かが発言していたということは、全くないのでしょうか? それとも探していただいていない段階なのでしょうか? 本当に追求できないものでしょうか? 先輩やギャルゲーマーたちはどうやって認識したのでしょう? それを突き詰めていくと、どこかで形あるものに行き当たるはずです。その探求がWikipediaの醍醐味のひとつだと先ほども書かせていただきました。
私の勝手な希望ですが、Wikipediaの編集について、もう少しだけ厳しい試練を課していただいて、現状のように「そんなもんねよ」「あるわけないじゃん」で編集合戦になるよりは、時間をかけてでも諦めずに出典を探していただきたいと思います。
クソゲーバカゲーなども要出典や独自研究のタグが貼られていますが、それでも出典を明らかにしようとする努力が履歴にも現れています。タグは書かれている内容について、より高い信頼性を得るための貼られているのだと、私は解釈します。ですので現状での118.236.1.25さんのお考えは、ほかの関連する項目に対するここまでの編集者の努力に対して、聊か礼を失する発言であると思いますし、これに対して鬱ゲーの現状はいかにも記述が心もとなく、掘り下げ方が不足していると感じないでしょうか? そういった意味においても、Wikipediaでは検証可能性と、出典の明記に対しては今後も最優先で求められるものだと思います。そこにはもともと追求できないものだからしょうがないなどという諦観はありません。
繰り返しになりますが、現状の記述の除去と復帰について、118.236.1.25さんが、何かひとつでも出典を探そうとし、その成果が少しでも現れているのでしたら、こういった編集合戦のような状況にはなっていないであろうということを意識していただければ幸いです。
これは決して、誰が悪いとか言う論点ではなく、今後の記事の充実に対しての意見であることを重ねて表明しておきます。--海獺 2008年12月10日 (水) 20:16 (UTC)[返信]

うーん。納得はいかないけど。でも管理者から「Wikipediaはこういうものだから」と言われるのなら仕方がない。ただ、少なくとも現状の記述は、不可解で非中立的な記述は削除したため、これ以上の削除は暴挙だと思うよ。そこは、お互い折衷を付けてほしいところだ。
あと、一つ疑問だが。「ゲーム番組」や「著名なゲーム評論サイト」というのが検証可能性に上がっているのだが、これはソースにしていいの? 一人の、もしかしたら恐ろしくマイノリティーで非大衆的な意見を持つ評論家のサイトでも、それを「立派な出典」と認めてWikipediaに記載していいの? そもそもネット上なんだから、立派な評論家を名乗るド素人かもしれないけど、それでもいい? これこそ編集合戦のもとになると思うんだよね。多くの人の意見とは違うのに、「いや、この評論家のサイトにはこう書いてあるから、こっちこそ検証可能性を満たしているんだ」ってね。実際、別の項目で議論になっていて、すごくもめてたけど。
もし、これらを検証可能性というのだったら、はっきりいってそこらへんの駄作サイトや、思想の偏りまくった出版物を集めて検証可能性だと言い張ることは容易だよ。容易すぎる。でも個人的にそれはしたくないし、むしろそれを「Wikipediaの主張する検証可能性」だとは微塵も思っていなかったから。でも、そんなサイトを引き合いに出していいの? いいのかなぁ?
とりあえずWikipedia:検証可能性にはダメって書いてあるけど。でも評論家って評論しているだけで、事実を言っているとは限らないし、中立的とも限らないし、大衆的な意見を反映しているとも限らない。そんなことを言い出すと、他社の辞書とか、学術論文とか、教科書とか、その手の文献を探すしかない。でも学術論文とか教科書だって、「あの論文や教科書は中立的じゃない」とか言われると、もうどうしていいのか。「扶桑社の『新しい歴史教科書』から引用しました」って許されるの? もはや、何が何だか。
そもそもギャルゲー関係の記事でそんな硬派な文献が見つかるわけないし、(中立的な)学術論文とか教科書とか。だから、この手の記事の出典を明記するのは難しいって主張をしていたんだけど。分かってもらえないかな? いくつかの項目では『出典を明らかにしようとする努力が履歴にも現れています』って言われているけど、でも軒並み行き詰っているよね。しばしば編集合戦も起きているし。やっぱり、検証可能性の限界を迎えているんだよ。
Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自研究は載せないが3原則らしいけど。でもこれを厳密に3つとも満たすなんて、(一部の)教科書と学術論文くらいだよ。Wikipediaのいろんな記事を見回しても、厳しくこの原則を判断するのなら、こんな条件を厳密に満たしているのはWikipedia全体の1割もないよ。それじゃあ、Wikipediaって何のために存在するの?ってことになっちゃう。大原則はある程度守らないといけないし支持するけど、どこかでファジーに考えないとWikipediaは委縮する一方だ。管理者さんなんだから、そこはもう少し考えてほしいところだよ。
海獺さんに限った話じゃないけど、この手の記事ってなぜか検証可能性とか出典が他のジャンルの記事に比べて厳しく要求されるんだよね。たぶん、この世界に疎い人たちにとっては、俺たちにとって常識であるような知識でも無知なわけだから、やたら検証可能性とか出典を求めたがるんだろうけど。でも正論って怖いね、なにもできなくなっちゃう。「それがWikipediaです。ご納得いただけないのなら、執筆は控えてください」って言われたら仕方ないんだけど。それだったら、「この記事は? あの記事は?」って色々文句はあるよ。なんで、「この手のジャンルだけ…」って思うもん。俺だってWikipediaを良くしたい内の一人なんだから。
誰かが管理者に言わなきゃいけないことだと思うから、俺が言わせてもらったよ。もちろん海獺さんには海獺さんの考えがあるんだろうし、管理者としての建前もあるんだろうけど。でも、俺の意見はそんなにマイノリティーじゃないよ。とりあえず、海獺さんはイイ人みたいだから。「無神経」って馬鹿にしないしね。管理者がんばって。--118.236.1.25 2008年12月10日 (水) 21:08 (UTC)[返信]

先ほども書いたように、出所によっては「信頼できる情報源ではない」という判断がされることは充分考えられます。ただ、「これには出典がないのです」という段階で編集合戦になるよりも、出典が検証可能であるかどうか、その出典は信頼性があるのかどうかの議論のほうが、記事の内容のことを考えた場合、より有意義ではないでしょうか?
評論の内容が事実はどうかについてですが、これは「そういう風にその評論家がいっていますよ」ということを指し示すことそのものが大事なのであって、そこには評論家自身の主観が必ず入るものであるので、Wikipediaの記述が事実かどうかではなく、この評論家はこう言っているという記述スタイルにし、編集者ではない人の意見であると明記することによって中立性を保つという効果があります。
さて、出典を出し合うことをやめてしまうと、118.236.1.25さんが「これは鬱ゲーじゃないだろ」と思う作品について誰かが長々と持論を展開するかもしれません。その人が「こんなん常識だろ。出典なんかあるわけない」といえば、118.236.1.25さんは納得せざるを得なくなってしまいます。極端な例ですが、マリオカートが鬱ゲーであるという編集を誰かが行った場合、他の利用者はさておき、少なくとも118.236.1.25さんは反論ができなくなってしまうのです。Wikipediaはそれでは成り立ちませんので、非常に厄介な作業ことではありますが、楽しんで情報源を探してみてください。今回の私のとやり取りが有意義であることを願っています。--海獺 2008年12月10日 (水) 21:17 (UTC)[返信]

泣きゲーならゲームサイトやゲーム雑誌の出典を見つけやすいのですが、鬱ゲーはあまり登場しません。google検索結果[3],[4],[5],[6]。とにかく現状は何も出典が無いので、もう少しマシにしたいのです。。--fromm 2008年12月11日 (木) 02:20 (UTC)[返信]

それはそうかもしれないなぁ。「鬱ゲー」は特に出典は見つけにくいかもね。でも確かにこの言葉は存在するし、実際「君望」なんて、100人が100人「鬱ゲー」って主張するだろうから、確かにそういう言葉はあるんだよ。どう? ずいぶんと偏った記述は削ったつもりだけど。さらに「ここもおかしい」っていうのがあれば、ノートで議論すればいいんだよ。前に誰かが言っていたなぁ、「Wikipediaの基準はWikipedianが決めればいい」って。Wikipediaのノートで散々語って、それを検証可能性にしようぜってことかな。面白い発想だな。ここでの議論を盛り上げようよ。--118.236.1.25 2008年12月11日 (木) 02:31 (UTC)[返信]

ここは多少の補完になるかと思います。「鬱ゲーと呼ばれる主な作品」の節については、節建てして列挙する形をとると取りとめのない増加や編集合戦を誘発しかねないので、あまり賛成できません。そこを加筆依頼されるよりは全体を対象とされた方がいいのではないかと感じます。他の属性との重複の節は、ちょっとどうでしょうね。思われる、言えるってのは、どの記事でも排除されている記述ですし、全体を通して百科事典というよりもただの雑感といったところではないでしょうか。--Baldanders 2008年12月11日 (木) 09:53 (UTC)[返信]

別に「他の属性との重複」の項目自体は別にいいんじゃないかな? 上の参照ページにも描かれているけど、「泣きゲー」と「鬱ゲー」って両立する場合もあるんだから(このページには「鬱ゲー」は「泣きゲー」のバリエーションって書かれているけど。それは違うだろっ!って突っ込みたいな)。要は、「鬱ゲー」とそれ以外の属性とは相いれない関係ではありませんよ、ってことを書けばいいんじゃないかな? それを少し助長気味に描かれている感はあるから、その記述に関しては削除すればいいんだろうけど。--118.236.57.2 2008年12月11日 (木) 10:38 (UTC)[返信]
とりあえず{{出典の明記}}と{{独自研究}}のテンプレを除去なさらないようにお願いします(Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でテンプレートを剥がそうとすることも参照)。これらのテンプレは現状の記事が信頼できる情報源に基づいたものではないということを読者に示し、また情報源の提供を他の利用者に呼びかけるために必要なものです。
編集合戦になるといけないので復帰された記事内容そのものは差し戻しませんでした。独自研究色の強い部分がはだいぶ削られたとはいえ、それでもWikipediaに掲載できるために必要な検証可能性は満たされていません。掲載を希望される方に出典を探し明記する意思がみられないようでしたら再度除去しようと思いますが、少しずつでも出典を探していこうということであればすぐに再度除去するということはしませんので、よろしくお願いします。
118.236.1.25さんのおっしゃる「Wikipediaのノートで散々語って、それを検証可能性にしようぜ」については、情報源に基づいて記事を執筆せよと定めた検証可能性をはじめとする3方針が「利用者同士での合意によって覆されるものではない」と規定されている以上、不適当です。あくまでWikipediaは外部の情報源によって確認された情報を百科事典の記事としてまとめるプロジェクトであり、出典を示せない内容について「出典は無いけどこれは常識であり正しいはずだから載せる」というような判断をすることを禁じているのがWikipedia:検証可能性という方針であるともいえます。
出典を示すのがなかなか難しい分野ではありますが、Wikipediaの記事に掲載するためには情報源は不可欠ですので、よろしくお願いします。--貿易風 2008年12月11日 (木) 17:57 (UTC)[返信]

『独自研究色の強い部分がはだいぶ削られたとはいえ、それでもWikipediaに掲載できるために必要な検証可能性は満たされていません。』って、具体的にどこよ? なんかすごく記事を消したがっているみたいだけど。「検証可能性を満たしていません」じゃ分からんって。具体的にどの記述が満たされていない?
だいたいWIkipediaの基準って曖昧すぎるんだよね。よく分からないや。検証可能性ってどこまでの範囲をいうの。「鬱ゲー」って定義はもはや自明だけど、それも検証可能性が必要? ジャンルの歴史も、ただ歴史の事実を刻々と書き連ねているだけなんだけど、歴史的事実に検証可能性が必要? 他ジャンルとの重複って、これはなんか小難しく書いてあるけど、要は「鬱ゲー以外に泣きゲーなどのジャンルが重複することもあるよ~」って書いてあるだけなんだけど、こんな自明なことも検証可能性が必要?
そりゃあ、Wikipediaのシステム上『掲載を希望される方に出典を探し明記する』とは書かれているけど、具体的にどの部分がどのように検証可能性を満たしていないかすらノートで議論せず、得意げになって「さぁさぁ、消してしまうよ」っているのは横柄だな。なぜか消したがる人は「正論を振りかざし世界を委縮させる(カンヌ=ル・トワール)」だな。なんで議論しないかな。議論しようぜ。もっと建設的な意見が言える輩はいないのかな? 少しは期待しよう。--。--118.236.1.25 2008年12月12日 (金) 10:17 (UTC)[返信]

現在、この鬱ゲーの記事には出典や参考文献がいっさい明示されていないため、すべての記事内容が検証可能性を満たしていません。Wikipedia:検証可能性にあるように出典が明示されていない編集はだれでも取り除くことができますが、本当に全ての記述を取り除いて白紙化してしまうと記事として成立しなくなるので、スタブとして成立しうる最低限の定義部分を除いて他の部分を除去されたFrommさんのこの編集はちょうどよかったと思います。
118.236.1.25さんのおっしゃる「歴史的事実」も「他ジャンルとの重複」ももちろん掲載するには出典が必要ですので、今後も掲載し続けたいのであれば情報源の提示をお願いします(118.236.1.25さんにとって自明なことであっても検証可能性を満たさなくてもいいことにはなりません)。
なお、「鬱ゲーと泣きゲーのジャンルの重複」については、少し上のところで話題に出ている4Gamer.netの記事をある程度参考にできる可能性があるかと思います(全面的に信頼できるような情報源ではなさそうですが…)。
また、鬱ゲーの発祥時期について、
2001年前半には「鬱ゲー」という言葉を含んだタイトルのスレッドが2ちゃんねるなどの掲示板に多く立てられていることから、…
という記述がありますが、これについては実際に当時の過去ログを1次情報源として明記すれば、「少なくともxxx年xxx月頃には使われていたことが確認される」というような書き方はできるかもしれません。もっとも、Wikipediaでは原則として1次情報源でなく2次情報源を出典として記事を執筆すべきとされていますので、用語の発祥時期に言及した信頼できる2次情報源があるならそれを参考したほうがよいのですが。--貿易風 2008年12月12日 (金) 15:04 (UTC)(誤字・脱字修正)--貿易風 2008年12月13日 (土) 06:06 (UTC)[返信]

鬱ゲーと呼ばれる主な作品の節ですが、アダルト作品のみ発売日順に編集しておきました。鬱ゲーはシナリオ性の高さから近年評価の高まっているジャンルです。作品リストは削除しないようお願いします。大幅削除を行っている人は『鬱展開を嫌う人は多く、この記事が作品に対するネガティブキャンペーンになるので好ましくない』と思い込んでいる可能性があります。--Wyvern61 2008年12月14日 (日) 09:57 (UTC)[返信]

作品リストについてですが、上で挙がっているシンフォニック=レインのように、その作品が「鬱ゲーと呼ばれている(or考えられる、分類される)」ことを示す情報源が確認されているものに限って載せるのであれば僕は反対しません。それでもリストが膨張するようであればもう少し厳しい基準の設定かリストの廃止を検討すればいいかなと思っていますが、なんの裏づけもなく作品を列挙するのはWP:Vを満たさないだけでなく収集がつかなくなる可能性があります。
「鬱ゲーはシナリオ性の高さから近年評価の高まっているジャンル」については、信頼できる情報源による裏づけが取れれば本文に書ける可能性があるので出典をご存知でしたらお願いします。
なお、少なくとも僕は「この記事が作品に対するネガティブキャンペーンになるので好ましくない」とは考えていないですし、おそらく最初に除去を行ったfrommさんにもそういった意図はなかったであろうと思います。--貿易風 2008年12月16日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

鬱ゲーと呼ばれていることを示す情報源・・・ですか。レビューサイトなどでゲームのあらすじなどを読めばだいたい判らないでしょうか?Eroge RSS Checker←ここなんかでレビューサイトを検索できます。レビューサイトの情報では駄目なんですかね?自分はアダルト作品のリストは鬱ゲーで問題ないと思っていますが、以前のコンシューマのリストでは鬱ゲーというよりホラーゲームと思える作品もいくつか見られました。「鬱ゲーはシナリオ性の高さから近年評価の高まっているジャンル」についてですが、さよなら教毒本という同人誌の9ページに書いてあったのですが、情報源としては弱いですね。「近年、鬱ゲーは再評価されているらしい!?」と書かれていて、理由としてひぐらしのなく頃にSchool Daysなどがヒットしたことを挙げています。--Wyvern61 2008年12月21日 (日) 03:27 (UTC)[返信]

ゲームのあらすじやストーリー自体については考えようによっては作品自体が情報源になりえるとも思いますが、そのストーリー内容から「この物語は鬱展開だ」とか「このゲームは鬱ゲーだ」というような情報を導き出すとWP:NORに反してしまいます。検証可能性を満たすためには「その作品が鬱ゲーと呼ばれている」ということを裏付ける2次情報源が必要ですし、少なくとも自主公開でない程度の信頼性は求められると思います。
ちなみにその作品の(Wikipedia上の)個別記事において「この作品は鬱ゲーと呼ばれている」ということが出典付きで書かれているなら、この記事の作品リストでは個別に脚注出典をつける必要はないかなと思います(作品リストを残すなら、ですが)。
「さよなら教毒本」については、せっかく提示してくださったのですがおっしゃる通り情報源としては弱いですね…(同人誌は原則として出典にできないですし)。--貿易風 2008年12月23日 (火) 08:46 (UTC)[返信]

鬱ゲーというジャンルそのものは、殆ど全ての製作・販売会社が名乗っているわけではないのですが、その出典はどこにあるのでしょうか。ただの風評ならば、クソゲーや泣きゲーなどのジャンルは存在しない事になるので消す必要があると思うのですが?--以上の署名のないコメントは、123.222.183.94会話/Whois)さんが 2009年2月15日 (日) 14:38 (UTC) に投稿したものです。[返信]

クソゲーに関してはクソゲーをタイトルに含む書籍が複数発行されており、また『現代用語の基礎知識』にも掲載されています。泣きゲーについても記事によると本田透さんの『萌える男』で触れられているようです。「ジャンルとして存在せず、だからこれらの記事を削除すべきである」と僕は思いません(ただしこれらの記事の含まれる記述のうち出典不明の部分に関して123.222.183.94さんが除去する必要があると思われるのであればWP:Vに基づき除去することができます)。記事そのものを削除すべきとお考えでしたらそれぞれのノート(ノート:クソゲーノート:泣きゲー)で提案してみてください。
あと発言の最後には署名をお願いします(Wikipedia:署名を参照)。--貿易風 2009年2月16日 (月) 05:00 (UTC)[返信]

半年以上たちましたが、出典の問題は定義を除いてほとんど改善されていないため、あと2週間ほど待ってこのままであれば「概要」「ジャンルとしての歴史」「他の属性との重複」の節をWP:Vに基づき除去しようと思います。掲載を希望される方がまだいらっしゃいましたら情報源の提示をお願いします。なお、「他の属性との重複」については、(本項への情報源としては微妙かもしれませんが)『ライトノベル☆めった斬り!』(ISBN 978-4872339048)の210-211頁で「泣きゲー」との重複について『銀色』『君が望む永遠』といった作品を例に挙げて言及があったので、そのことだけ簡単に加筆して残りを除去しようと考えています。--貿易風 2009年9月6日 (日) 03:39 (UTC)[返信]

2週間たったので「概要」「ジャンルとしての歴史」「他の属性との重複」の3つの節を除去しました。また、{{独自研究}}は必要が無くなったと判断して取り除きました(差分)。
次に「鬱ゲーと呼ばれる主な作品」の節ですが、こちらについても「鬱ゲーに分類される」ということに対して出典が示されているものは無く、さよならを教えて ~comment te dire adieu~以外は各記事において鬱ゲーであるとの出典が示されているわけでもないので、こちらも2週間ほどして異論が無ければ除去しようと思います(SWAN SONGではいちおう出典がついていますが「一般に鬱ゲーとして認知されている」ことへの出典というわけではなさそうです)。いちおう
の4作品(と記事冒頭で触れた2作品)については『ライトノベル☆めった斬り!』を出典にしておけば検証可能性を満たせますが、これらの作品だけ残しても「たまたま『ライトノベル☆めった斬り!』に載っていた鬱ゲーのリスト」にしかならないので、仮にリストをつくるとすればもう少し資料が集まってからでよいと思います。--貿易風 2009年9月21日 (月) 04:27 (UTC)[返信]
作品リストを除去しておきました(差分)。--貿易風 2009年10月6日 (火) 12:21 (UTC)[返信]

以下の書籍の「あとがき」(大森望さんによる)の521頁にて、『School Days』が鬱ゲーとして挙げられていました。

参考メモとして残しておきます。--貿易風 2011年5月20日 (金) 01:21 (UTC)[返信]

一応、定義に出典だけでも[編集]

定義に出典だけでもつけたいのですが以前の議論でfrommさんが示された出典を出典としてつけてもいいでしょうか?。それともう一つ、日経MJの2006年08月21日(月)付の「3行ニュース」に鬱ゲーの意味が書かれているのでこれも出典にしていいのでしょうか?。--Nuonuonuo 2009年3月12日 (木) 04:28 (UTC)[返信]

なにも出典がついてない状態より好ましいと思いますので、僕のほうから(それら2つを)出典としてつけることに対して異論はありません。--貿易風 2009年3月12日 (木) 14:01 (UTC)[返信]
出典をつけてみました。--Nuonuonuo 2009年3月12日 (木) 14:50 (UTC)[返信]

一覧について[編集]

一覧を追加する編集があったのですが、現時点では一覧は載せないという形で合意されているので(「検証可能性について」の節の最後の方を参照)、いったん差し戻しました(差分)。掲載を希望される方は事前にこちらで提案をお願いします。--貿易風 2010年4月2日 (金) 02:31 (UTC)[返信]