ノート:須恵器

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祝部土器は旧称では[編集]

20世紀前半までは祝部土器(いわいべどき)と呼ばれることがあった。」とあった箇所が、6月7日の版で「祝部式土器または略称で祝部土器(いわいべどき)とも呼ばれる。」と書き換えられました。コトバンクの[1]のように、事典・辞書類では昔の用語として書かれています。私が歴史の本を呼んだ範囲でも、祝部土器というのはごく古い論文に見るだけです。須恵器を祝部式土器などと書いている本や論文は現代にはないと思うのですが、どうでしょうか。もし祝部式土器として研究している人や本があるならそれを典拠に示してください。--Kinori会話2015年10月17日 (土) 10:58 (UTC)[返信]

福岡県糟屋郡須恵町[編集]

「用語と特徴」の節に、福岡県糟屋郡須恵町で須恵器が生産されていたという加筆がありましたが、これはこの節に書くことではありませんよね。また、古代から中世にかけて、というのもよくわかりません。中世に須恵器はなくなっているはずです。そして、出典として付けられた須惠町のサイトには、ヨムギ古墳で須恵器が出土した、とあるだけで、須恵町で須恵器が生産されたとも、中世まで作られたとも書いていません。須恵器は古墳から出土しますが、作る窯は別の場所にあります。出典となるサイトからは、須惠町が須恵器生産で重要だったとは言えないのではないでしょうか。ヨムギ古墳自体がそんなに大きな古墳ではないようですし、おびただしい古墳から須恵器が出ていることをふまえますと、ここに掲載しなくてよいように思います。--Kinori会話2019年10月31日 (木) 15:54 (UTC)[返信]

反対の意見がありませんでしたので、除きました。--Kinori会話2019年11月11日 (月) 07:14 (UTC)[返信]