ノート:長井雅楽

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『その斉明さから敬親から厚い信任を受け、敬親の世子である毛利定広の後見人にもなった。そして安政5年(1858年)、長州藩の重役である直目付となる。 』とありますが、ここでいう「斉明」は文意から判断して「英邁・聡明」の意に解釈されますが、斉明を調べたところ「ものいみする。身を清め、心を正す。」という意味のようです。--240D:1:7905:1900:997C:F3A8:1E1B:4A6 2018年9月15日 (土) 01:59 (UTC)[返信]