ノート:

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分離の提案[編集]

  • 冒頭誘導部の項目が3つ以上あること。
  • 冒頭に漫画のキャラクターが書かれているのが百科事典としてふさわしいとは思えないこと。
  • 冒頭誘導方式を維持しなければならない理由が見当たらない。

以上を理由に冒頭部を銀 (曖昧さ回避)に分離します。反対される方は分離してはいけない理由を書いてください。「分離しなくてもよい」理由を書かれても無視しますのでご了承願います。異議申し立て期限は私の書き込みから168時間後とします。--Goki 2006年10月11日 (水) 04:16 (UTC)[返信]

(追記)冒頭部を関連項目として末尾に書くことに関しては反対はいたしません。(これが最大限の譲渡であることをあらかじめ書いておきます。)--Goki 2006年10月11日 (水) 04:16 (UTC)[返信]

この記事について[編集]

本稿の掲載記事について、たまたま閲覧していた海外雑貨輸入業等を行う会社のHPの「銀の話」に掲載された記事(白アリと銀に関する伝承等)と一言一句全く同じものがあったり、他の記事内容についても、極めて似ていることが分かり、報告させていただきました。どちらが先に作成していたのかまでは分かりませんが、取り急ぎご報告まで(ちなみに、参照先URLでは、記事の最後に"…All rights reserved"の言葉で締めくくってありました)。 参照URL:http://www.oroseda.com/file/ginhanashi.php 219.0.78.185 2007年10月6日 (土) 13:25 (UTC)[返信]


金と銀の価値の変遷について[編集]

読売新聞の手記を書いた人は『沈黙は金、雄弁は銀』の語源についていろんな文献をあたったようです。私も、金と銀の価値についてそれなりに人に聞いたり調べたりしました。化学的にも、銀の方が精錬が難しかったため、という理由があります。ちなみに、記事の丸写しではありません。--RJANKA 2007年11月7日 (水) 17:25 (UTC)RJANKA[返信]

講談社ブルーバックス「元素111の新知識」桜井弘 1997 ISBN4-06-257192-7 p221などにおいて、「中世以前のヨーロッパでは、金より銀が高価であった」「南米の探検/侵略によって持ち込まれた銀によって銀相場が一気に下落した」「古代エジプトの相場では金1に対し銀2.5であったらしい」などの記述がみられます。GcG / avatar of femtowaros 2007年11月27日 (火) 05:19 (UTC)[返信]

下にコメントしました。--あら金 2007年11月27日 (火) 14:17 (UTC)[返信]

下の項目につながりますが、『価格革命』は私が持っている山川の世界史Bの教科書から引用です。銀の価格暴落の発端がポトシ銀山だ、と書いてあり、石見については触れていなかったので。石見銀はポトシに比べたら微々たる量だったとも聞いたことがあります。--RJANKA 2007年12月5日 (水) 21:20 (UTC)[返信]

要出典の意図が伝わらなかったようなのでコメントします。銀の価値が低下したのは資料もあり納得できますが、(この場合は文脈からヨーロッパであると考えますが)金と銀の価値が逆転したという信頼できる情報源の出典がありましたらご提示ください。--あら金 2007年12月6日 (木) 00:30 (UTC)[返信]


16世紀中頃からのポトシ銀山および石見銀山を始めとする日本産銀の増産により、金銀比価が逆転した(この時点で銀価格が金価格を下回るようになった)というのは根拠がないと思われます。
本文にある「スペインやポルトガルにおいては、ポトシ鉱山や石見銀山の銀が大量にヨーロッパに流入するまで、金と銀の価値は現在とは逆だった。」の記述は正確とは言えず、寧ろこれを否定するような資料があります。
小葉田淳 『日本貨幣流通史』に洪武8年(1375年)から成化17年(1481年)にかけての中国の金銀比価の記述があり、金:銀は4~10:1と金のほうが数倍高い価格で推移しています。
また小葉田淳 『日本の貨幣』には日本では13世紀16世紀初期にかけて 金10(45)=銭30、銀10両(43匁)=銭5~6貫で推移しと記述されやはり金のほうが数倍高い価格となっています。
そして同書に天文10年(1541年)頃より金銀伴に下落し特に銀の下落が甚だしく 天文末~元亀天正年間に金十両=銭12~16貫、16世紀後半以降 金銀比価は10:1、17世紀前期は12~13:1となり、南米および石見銀山などの増産により銀価格が相対的に下落したことを記述しています。
つまりポトシ銀山および石見銀山の増産により銀価格の大幅な下落を招いたのは事実であるが、既にこのとき以前から日本および中国では金価格が銀価格を数倍上回っていたことになります。また西洋においてもこの時点で金銀比価が逆転していたというのは不自然で寧ろ日本および中国よりも金高銀安であったとすることを以下のHPで記述しています。金・銀
中世以前」というも年代的に幅が大きくあいまいであるし、金銀比価が現在と逆転していたのは古代エジプトの時代まで遡らなければならないことになっています。このHPや記事金銀比価に示されているような資料などを詳しく調査するなど、さらに検証が必要なように思われます。--As6022014 2009年3月3日 (火) 03:32 (UTC)[返信]

2年以上も前から[要出典]になったままのものは、削除してください。 出典が示されないまま放置されるのは可笑しいです。

記述を文献に基づいて訂正しました。--As6022014 2009年11月26日 (木) 08:09 (UTC)[返信]

保護指定解除の同意の形成[編集]

私の記事の根拠は上記の通りです。記事を差し戻したIPの会話ページに連絡を入れましたが反応がありません。利用者:竹麦魚さんから保護指定の解除の同意を形成するように言われたので、保護指定解除の同意を形成したいと思います。--RJANKA 2007年11月12日 (月) 19:12 (UTC)[返信]

〈通りがかりですが調べてみました〉通常「雄弁は銀、沈黙は金」の出典はトーマス・カーライル衣服哲学 III章 『衣装哲学』といわれて言います。衣装哲学ではスイスにある碑文を引用したといっています。
上記リンクを引用すると彼は" Speech too is great, but not the greatest. As the Swiss Inscription says:_Sprechen ist silbern, Schweigen ist golden_ (Speech is silvern, Silence is golden);"と著わしているので、銀よりも金が価値があるつもりでこの言葉を使っています。
したがって、「ポトシ鉱山の銀…」は事実ですし。「雄弁は銀、沈黙は金」も『衣装哲学』由来するものです。しかしトーマス・カーライルはそんなことは言っていないので、両者を結び付ける出典を示すのでなければ〈トーマス・カーライル以前のデモステネスであるというWebの説は出典がない〈Webページ:『沈黙は金』という言葉参照のこと〉 といわれています。〉、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に該当すると考えます。
つまり、「ポトシ鉱山の銀…」は歴史的事実として本文に記述することは問題ないと考えますが、RJANKA さんの論旨として〈すなわち、かつては銀が金より価値が高かったという証拠として〉「雄弁は銀、沈黙は金」と関連があるような言及はできないと考えます。--あら金 2007年11月27日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
RJANKAさんは[1]において、「『雄弁は銀、沈黙は金』という格言と、金の相場価値の変動については読売新聞にソースがある」と主張されています。が、これはあら金さんによって誤謬であるらしいことが示されました。
これについては、記事の削除ということで合意を取ってもよいと思いますが、もし読売新聞が「雄弁は銀、沈黙は金という格言は金の相場価値の変動に由来するものである」と書いているのであれば、「・・とする読売新聞の記事は誤りである」と記載するのもアリだと思います。これについて意見を伺いたく思います。GcG / avatar of femtowaros 2007年11月27日 (火) 15:58 (UTC)[返信]
補足すると、ドイツ語の諺に"Reden ist Silber, Schweigen ist Gold."は存在するらしいのですが、中世にすでに存在していたかどうか,あるいは元々意味が変わってしまっているなどに触れている出典情報が何一つ見つからないので、そういう出典が見つかるまでは本文にのせるには早いということです。--あら金 2007年11月27日 (火) 17:22 (UTC)[返信]
ポトシ鉱山の銀が大量にヨーロッパに流入するまで、金と銀の価値は現在とは逆だった。銀を鉱石から取り出すには金よりも手間が掛かったためである。」を本文に書き「『沈黙は金、雄弁は銀』という格言はその名残である。」部分は削除ということでどうでしょうか?私には諺の引用は付け足し(Tips)なので必須ではないように考えます。--あら金 2007年11月28日 (水) 02:39 (UTC)[返信]
〈訂正〉銀本位制に書かれているように、中世以来、金も銀も通貨の証拠とみなされていた〈金銀本位制〉のであるが金は国庫にしまい込まれて市場に流通せず、銀が貨幣として流通した〈グレシャムの法則;16世紀〉。最終的にはポトシ鉱山などで銀の価値が暴落し貨幣としての地位を失い金本位制に移行したというのが歴史の定説の様です。なので「金と銀の価値は現在とは逆だった」も言いすぎであろうと考えます。なので現在のママが妥当と考えます。
どうしても書きたいというのであれば「中世においては銀は貨幣として重用された。たとえばドルの語源は16世紀~18世紀の上質の銀貨「ターレルThaler」に由来する。」というのは未だ書かれていないのでそちらをどうぞ。それに「ポトシ鉱山の銀が大量にヨーロッパに流入することで銀は通貨として地位を失い金本位制が確立した。〈銀本位制に詳しい〉」と関連付ければ宜しいように考えます。--あら金 2007年11月28日 (水) 03:36 (UTC)[返信]


ちょっと話を元に戻す様で申し訳ありませんが、

 通説として、wikipedia の金の項目に書かれているように、 「有史以来、金は最も価値のある金属と考えられてきた。」である事に間違いないでしょう。 そうすると、RJANKAさんの主張する「金と銀の価値の変換」には矛盾が生じます。 読売新聞の記事というのは、2007-06-30 付のコラムだと思われますが、ポトシという文字はありません。 石見銀山に関しては記されているのですが、RJANKAさんは、ポトシ銀山と石見銀山を勝手に置き換えてしまったのでしょうか。

「ポトシ銀山」は、ボリビアのポトシ市で1545年に発見され、 「雄弁は銀、沈黙は金」は、トーマス・カーライルの『衣服哲学』(1833)に書かれたものである事。 異なる時代の「ポトシ銀山」と「雄弁は銀、沈黙は金」を結び付けるのは難しいものがあります。

今年世界遺産に登録されたばかりの石見銀山は、充実した資料がインターネットでも検索できます。 当時の世界相場も記されていますが、[ 金>銀 ]の範囲内で、銀の価値に変動があった事が記されています。

そして、読売新聞の記事では、「岩波ことわざ辞典」だけを資料としており、 個人で編集された「岩波ことわざ辞典」で『沈黙は金』の項目を読むと最後には、『・・・と推測される。』と記されております。 個人の推測で書かれた物で、金と銀の価値に関する他の資料も掲載されていませんので、これは断定できるものではないと思われます。

「雄弁は銀、沈黙は金」は、『現代英語ことわざ辞典』(リーベル出版)に詳しく書かれています。 確実な出典はやはり、カーライルの『衣服哲学』(1833-34)であり、 『衣服哲学』を読めば、「雄弁は銀、沈黙は金」はカーライルの思想上のものであることが明解であり、この言葉を誤って解釈する事はないでしょう。 金や銀という言葉が使われているからといって、金山や銀山と結びつけるのは誤りであると思われます。

有史以来と簡単にいっても、いつの時代、どこの社会と特定しなければ話にならないのではないでしょうか。世界は今よりも遥かに広かったのだし、時も緩やかに流れていたのだから。取り敢えず、旧約の創世記では一貫して銀が上位に挙げられているようですが、脱出記や民数記では金が上位になっているところもあり、まじめに研究しないと結論が出ませんね。HOTUMA 2007年11月28日 (水) 15:52 (UTC)[返信]
  • Genesis 13:2 (KJV) And Abram was very rich in cattle, in silver, and in gold.
  • Genesis 24:53 (KJV) And the servant brought forth jewels of silver, and jewels of gold, and raiment, and gave them to Rebekah:
  • Genesis 44:8 (KJV) Behold, the money, which we found in our sacks' mouths, we brought again unto thee out of the land of Canaan: how then should we steal out of thy lord's house silver or gold?
論旨がすこしそれましたでしょうか?金、銀に関する諺があったか無かったかという論議ではなく、銀が金よよりも価値があるとされた時代かあったかどうかです。ご指摘の引用では金と銀との価値がどちらが重いかという判断を語の出現順できめることはできないと考えます。なぜならばそれは文脈に依存するからです。銀のことに言及している文脈でついでに金のことをいうのであれば当然後で言及されるでしょう。したがって文章の論旨について金の価値と銀の価値を比較したものでなければ出現順だけではどのようにでも解釈は可能です。推測の域を出ないのであればまだ本文に載せるのははやすぎるというものです。--あら金 2007年11月28日 (水) 17:48 (UTC)[返信]
「銀が金よりも価値があるとされた時代かあったかどうか」ということですが、上にあげた元素111の新知識」桜井弘 1997 ISBN4-06-257192-7 p221より引用しますと、「(古代エジプトの銀の価値は金の2.5倍であったという。金に銀メッキをすることすらあったらしい、という文章ののち)中世ヨーロッパの時代にいたるまで、銀はずっと金より高価なものであった。その後、銀の価格が下落したのは、新大陸から多量の銀が流入したことによる(以下、古代中中国の銀行・金行の話に続く)」とかかれています。出典とするならば、これは一応信頼性のおける文献として使えるのではないでしょうか?GcG / avatar of femtowaros 2007年11月29日 (木) 14:00 (UTC)[返信]
桜井弘著の文献を引用するまでは構わないと考えます。ただ、私だったら「金に銀メッキをすることすらあったらしい」を高価である理由として示すのは「???」ですね。金を銀に見せるために全面的にメッキしたのか、装飾として部分的にめっきしたのかはわかりませんし、銀無垢の偽物をつくるのならば金よりも安い金属でもよいように考えます。あと、アルキメデスの密度と浮力のエピソードは金の王冠に混ぜものがあったという逸話であったと考えますが、時代と地域を限定しないと本文の論旨はつじつまが合わないと考えます。--あら金 2007年11月29日 (木) 16:21 (UTC)[返信]

(インデント戻し)個人ブログですが、この件に関して面白そうなものを見つけました。[2]。古代は精錬技術の問題から銀の方が高価であったが、その後銀の精錬技術の進歩と金の希少性から価値が逆転し、現在に至ったこと。また古代ギリシャでは銀の方が高価であったが、中世ヨーロッパでは金の方が9倍ほど高価であり、南米からもたらされた銀によって11倍、15倍と差が拡大したことなどが記述されています。GcG / avatar of femtowaros 2007年11月29日 (木) 17:03 (UTC)[返信]

(質問)このブログによると、「13世紀に「金:銀=1:9」であったが、アメリカ大陸の”銀”が流入し始めた17世紀には「1:11」に、また18世紀の初めには「1:15」になった。」と書かれていますが、9、11や15が銀の価値を示す指数だとすると、なぜアメリカ大陸の”銀が流入してダブつくほど銀の価値が上昇するのでしょうか?通常の経済原理と逆のように考えますし、文脈とも齟齬があります。私には金銀比価とは金1単位に対する銀の変換レートのように見えます。--あら金 2007年11月29日 (木) 17:35 (UTC)[返信]
その点については私も変だと思いました。1:9とか1:15.5と書いてあるのは、1:9の例だと(金)1(重量)と(銀)9(重量)が交換できる。と解釈すると意味が通ります。銀の金に対する相対的価値の低下を表現できますから。GcG / avatar of femtowaros 2007年11月29日 (木) 17:44 (UTC)[返信]
13世紀(=中世)に「(金)1(重量)と(銀)9(重量)が交換(=両替)できる。」であれば中世において金は銀の9倍の価値があるように読めてしまいます。実際、天然銀(エレクトラム;electrum)は金と銀との合金なのですが、手間がかかると言っているのは輝銀鉱 Ag2S,角銀鉱 AgClなどから水銀との合金として取り出し製錬する灰吹き法ですが、『世界大百科辞典』を引用すると「アナトリアにおこったヒッタイトは銀を含んだ鉛鉱石からおそらく灰吹精錬法に似た製法で銀を生産していたと思われ,フェニキア人はアナトリアから大量の銀をエジプトへ運んでいた。」ということです。国外から銀が流入してくる
私の使っている世界大百科辞典では引用すると次のとおりです。
  • 銀、『世界大百科辞典』、CD-ROM版、平凡社、1998年。
「[銀の象徴的意味] 銀は古くより高貴な工芸品に用いられたほか,貨幣の材料となり,さらに貨幣の代名詞ともなった(銀子(ぎんす),フランス語のアルジャン argent など)。銀の装身具は魔よけの意味をもち,地域によっては金よりも貴ばれている。」
「【世界の銀の歴史】[古代] 銀は古代から財宝,装飾品に用いられ,メソポタミアのウルク文化(前3400‐前3100ころ),エジプトのゲルゼー文化(前3400‐前3000ころ)の出土品中に,銀製の装飾品が発見されている。メソポタミアでは金より貴重とされ,バビロニアのハンムラピ王(前18世紀ころ)の時代には蓄蔵と支払に使用されていた。」
「前6世紀ころより,アッティカのラウレイオン銀山の方鉛鉱から造られたアテネのドラクメー貨は,地中海沿岸の標準貨幣になり,商業や奴隷売買に盛んに使われた。」
「ビザンティン帝国やイスラムの金貨に対して,デナリウスdenarius 銀貨と半デナリウス銀貨が造られた。12~13世紀に大型のグロッシェン Groschen 銀貨がイタリアで造られ,ドイツの銀産額が増大した15世紀末以来,ターラー Taler 貨(ヨアヒムスタール製)が造られた。これは16世紀以降各国で造られて世界貨幣となった。
  • 金、『世界大百科辞典』、CD-ROM版、平凡社、1998年。
「ローマ帝国では金貨が使用されていたが,帝国滅亡後はおもにビザンティンおよびアラビア諸国に流通していた。ヨーロッパでは銀貨が主として流通していたが,13世紀にはいってからヨーロッパでも金貨が鋳造されるようになった。」
なので金と銀の価値は時代と文化圏に依存すると考えます。--あら金 2007年11月29日 (木) 17:18 (UTC)[返信]
ご調査ありがとうございます。この件については「金と銀の価値は時代と文化圏に依存する。古代エジプト、メソポタミア、ギリシャなどでは金より銀が高価であった例がある。中世ヨーロッパにおいては、南米から多量に流入した銀によって急激な銀安が生じた」などと記述してみてはいかがでしょうか?よりよい記述があるとすればご提案頂けると幸いです。GcG / avatar of femtowaros 2007年11月29日 (木) 17:38 (UTC)[返信]
(被ったけどそのまま)あら金さん署名なしのIPアドレスさんは「有史以来...間違いない」などと簡単に言っていられますが、相当の根拠を持ってなさるのですか。中世以降の欧州と日本くらいの狭い範囲しか念頭に無いのではなかろうかと思いますが。それに対して、私は律法の創世記という限られた世界のことを示唆したに過ぎないのですが、エジプト以前のユダヤの社会でも金が銀より価値があったと断言する根拠を持ってなさるのですか。一読すれば分かるはずですが、創世記というのは「銀のことに言及」するような書物ではありません。それに、GcG / avatar of femtowarosさんによる桜井弘さんの引用で「「(古代エジプトの銀の価値は金の2.5倍であった」の部分は無視ですか。私も中世以降の欧州では金が高価であったと漠然と考えていますが、それさえも確信は持てません。ましてや、エリンやスオミではどうか、エジプトではどうか、カナンではどうかなど見当も付きません。HOTUMA 2007年11月29日 (木) 17:49 (UTC)[返信]
(コメント)記事の「有史以来、金は最も価値のある金属と考えられてきた。」は利用者:Suisui氏のw:en:Gold 29 June 2005 02:58 128.12.170.7版の翻訳[3]に由来するので私の編集ではありませんが、私の見解を述べるならば『世界大百科辞典』や金本位制などのつじつまより表現としては妥当であろうと考えています。つまり英語版の意見とお考えください。尚、「間違いない」は本文にも私の発言にもないのでHOTUMA氏の感想であろうと推察します。(古代)エジプトやカナンの例示については上の私の投稿のようにヒッタイト人の産出した銀が地中海貿易されていたそうです。中東は創世記のころはヒッタイト人の銀文化圏であり、ローマ帝国のころ(新約聖書でしょうか?聖書は詳しくないので)はローマの金文化圏だったのではと個人的には考えます。--あら金 2007年11月30日 (金) 02:55 (UTC)[返信]
HOTUMAさんは少々感情的になられているように見えます。そうでなければ失礼ではありますが、冷静にお願いします。銀の方が価値の高かった時代、社会が出典つきで示されたことから、「有史以来、金は最も価値のある金属と考えられてきた。」は完全とはいえないまでも多少不適切な記述なのかもしれませんね。
  1. 「有史以来、金は特別な価値のある金属と考えられてきた。」(鉄も、武器素材などとして特別な価値を認められてはきましたが・・)
  2. 「有史以来、金は最も価値のある金属の一つと考えられてきた。」
  3. 「有史以来、多くの時代、社会において金は最も価値のある金属と考えられてきた。」
などと表記すれば、金と銀の価値における微妙な問題もうまく表現できると思うのですが。GcG / avatar of femtowaros 2007年11月29日 (木) 18:08 (UTC)[返信]
(コメント)というか依頼ですが、金の記述の論議はノート:金でしましょう。--2007年11月30日 (金) 02:55 (UTC)
私の見解は、「価値」とは通貨価値(価格)だけではないと考えます。金の「永遠不滅のもの」、銀のようにほかの物質に変化しないという性質が永遠の生命と関連づけた価値形成に強く関与していると考えます。(出典;金、『世界大百科辞典』)また中世においても錬金術は錬術ではなく金の錬成を目指していたので金に対しても一定の価値を見出していたと考えます。一方、有史以来一貫して銀に執着してる地域があるわけではないので総論として「有史以来、金は最も価値のある金属と考えられてきた。」で言いすぎに当たるとは考えません。--あら金 2007年11月30日 (金) 02:55 (UTC)[返信]
あら金さんの主張も理解はします。金は色が特有で空気中で酸化もされないことから、富・権力の象徴として特別な位置にあったことは否定できません。しかし、「有史以来、金は最も価値のある金属と考えられてきた。」という記述は「例外を許さない」ニュアンスを含みますから、私は「つっこまれる余地を残すようであれば、上に挙げたような、より適切な記述にすべきだ」というふうに考えます。GcG / avatar of femtowaros 2007年11月30日 (金) 04:23 (UTC)[返信]
そういう突っ込みは揚げ足取りというものでしょう。今日、一部地域でのみ高価であるというならば毒殺に使ったポロニウムが一番高価であるとかレントゲニウムがグラム当たりのコスト計算で一番高いということになります。定説を書くというのは幾つもの文献を当たって妥当かどうかというはなしと存じます。銀が重宝されたということは金の価値が減るということを意味しません。価値感はゼロサムではないのですから当然と考えます。(もちろん貨幣価値は経済原理からいってゼロサムでなくてはなりません。)--あら金 2007年11月30日 (金) 05:06 (UTC)[返信]
言葉を返すようですが、あら金さんのその意見には納得できません。「有史以来、金は~~金属と考えられてきた。」という文脈は、ある国家なり集団の中で普遍的に用いられてきた(貴)金属の価値のことを指摘しているわけですから「最も」という表現はどうしても誤謬を含むのではないでしょうか?運転免許のペーパーテストなどで、「**は必ず**である」「全ての**は**である」という文脈が問題とされることが多々あるわけですから、「最も」という表現は忌避すべきであると考えます。
また、古代においても金より希少で単位重量/単位容積あたり高価な資源はあったのでしょうが、それらはあくまで「特殊」なものであって、価値が金との比較に引き合いに出される筋のものではなかったわけです。銀は金との価値の比較が引き合いに出されるような物質であり、今でいうポロニウムだとかシーボーギウムだとか、そういったものと同様の立ち位置にあるものとは異なるはずです(ちなみに、販売された最も高価な元素はカリフォルニウムであるそうです。)GcG / avatar of femtowaros 2007年11月30日 (金) 11:38 (UTC)[返信]
失礼。「間違いない」は無署名のIPアドレスの言葉でした。しかし、あら金さんも改めて「言いすぎに当たるとは考えません」と書いているので話は変わっていませんね。有史以来という言葉で、どれだけの地域と時代を指しているつもりなのか具体的にして貰えませんか。表現の問題なのか、理解の問題なのか、はっきりさせたいと思います。念のため、私とて「有史以来、銀は最も価値のある金属と考えられてきた」などというつもりはありません。HOTUMA 2007年11月30日 (金) 12:30 (UTC)[返信]
「金が最も価値ある金属であると有史以来考えられ続けててきた」と書かれているのであれば語弊はあります。しかし記事の文脈は歴史上の金の評価をワンセンテンスで総括するのが目的の文章です。金について総括であるならば歴史上の意見の多数を取り上げることについては「問題ない」と考えています。もちろんこれが、金銀比価論(Webでそのような専門分野があることを知りましたが…)や金銀本位制の記事であれば当然銀やそれ以外のものと比較しなければならず多数意見も少数意見も併記しなくてはならないと考えます。繰り返しになりますが「金」の記事の総括で金以外のことをかいても、ましてやその文の後に銀の価値のことに触れるわけでもないので、その厳密性の追及によって金のことに関する説明が向上するわけはないと考えます。(もちろん、金銀本位制に関する知識は増しますよ)そういう判断の上で「問題ない」です。--あら金 2007年11月30日 (金) 16:43 (UTC)[返信]

私は、あら金さんの考え方の方向性に賛成です。 金銀の輝きに目を眩ませてはなりません。

金は、「輝黄色で光沢のある貴金属。その外観、科学的に安定であること、天然に金属の状態で産出することなどで、古くから人間の注意をひいた金属の一つである。金は価値があると思われたため、金に関する歴史は他の金属の歴史とは大いに違っている。」 ブリタニカ国際大百科事典

机上で金銀の価値を争っても終わらないのですが、日本大百科全書(小学館)の銀の項目内にカラーの写真が掲載されています。これを単に見ると金と判断したくなる色をしています。昔の銀は、産出地によって異なるかもしれませんが、金を多く含んでいたそうで見た目には金にみえるのです。現代のような、純度の高いものでないと考えたほうが良さそうです。

ギリシャ神話でも、ヘシオドスの五時代の説話にもあるように、現代と同じように金銀を表現しています。ヘシオドスの神統記はギリシャ神話の中心的な存在であり、アポロドーロスなどもヘシオドスの骨子を取っています。

メネス Menes の法典(前3100頃)には、「金の一量は銀の二量半」と定められてあり、おそらくはこれが金のいちばん最初の基準であったと推定される。  ブリタニカ国際大百科事典 上記のように、前3100頃においても金は銀の2倍半の価値があったようです。

聖書には下記のような記述があります。 (すべて、聖書 新共同訳 日本聖書協会)

王上 10:21 ソロモン王の杯はすべて金、「レバノンの森の家」の器もすべて純金で出来ていた。銀製のものはなかった。ソロモンの時代には、銀は値打ちのないものと見なされていた。

代下 9:20 ソロモン王の杯はすべて金、「レバノンの森の家」の器もすべて純金で出来ていた。ソロモンの時代には、銀は値打ちのないものと見なされていた。

エズラ 7:56 しかし、銀は金よりも多く、銅は銀よりも多く、鉄は銅よりも多く、鉛は鉄よりも多く、粘土は鉛よりも多い。』

これらを参考にすると、「有史以来、金は最も価値のある金属と考えられてきた。」ものである事に疑う余地はありません。

ヘシオドスは人類が金属を手にした歴史を省庁しているとも考えられます。先史時代、人類が最初に手にした金属は金であったということです。古代の銀は純銀ではなく、金と銀の合金でelectrumといいます。であるからこそ、ある時期のエジプトにおいて金よりも純銀が高価であったという説があり、私はそれを否定する見識を持ちません。聖書について、民数記にも金を優先する記述が見られることは最初に述べた通りです。HOTUMA 2007年11月30日 (金) 13:52 (UTC)[返信]
(コメント)高純度の天然金は10%程度の銀を含みいわゆる黄金色をしているのでそのようなものをelectrumというそうです(出典『世界大百科辞典』)。低品位の天然金で20%以上銀などを含むと(いわゆる18金以下)色が変わり(いわゆる小判の山吹色)それらはelectrumとは別の呼称があるらしいです。--あら金 2007年11月30日 (金) 16:43 (UTC)[返信]
しかし、何というか、桜井弘さんの「古代エジプトの相場では金1に対し銀2.5であったらしい」というのはMenesを誤読してはいないだろうか。古王朝時代に銀が金より貴重だったという説があるのは事実だけど、今まで数字は聞いたことがないもので。古代エジプトなどと一括りにしているのも気になるところです。HOTUMA 2007年11月30日 (金) 14:06 (UTC)[返信]
(コメント)銀『世界大百科辞典』によると明確に銀を貴重とした文明はメソポタミア文明で、それを引用すると「メソポタミアでは金より貴重とされ,バビロニアのハンムラピ王(前18世紀ころ)の時代には蓄蔵と支払に使用されていた。 」だそうです。エジプトでの銀の装飾品は「エジプトのゲルゼー文化(前3400‐前3000ころ)の出土品中に,銀製の装飾品が発見されている。」ということでこのころは銀が使われていたようです。記事金の記述に関する私の見解は上に書いてあります。--あら金 2007年11月30日 (金) 16:43 (UTC)[返信]
明確に銀を上位にしたと知られているのは全て先史時代だということでしょうか。そうかもしれませんが、有史以来は金と断定するのは少し抵抗がありますね。それは別として、ページ保護の発端になった「ポトシで逆転」を唱えていたRJANKAさんが出て来なくなりましたが、GcGさんはどうですか。そろそろ、保護解除にならないものかと。古代のことを書くなら本文を編輯しながらでも良いと思いませんか。HOTUMA 2007年12月1日 (土) 03:00 (UTC)[返信]
今起きました。いろいろ見直してみたのですが、古代における銀のポジションは今の白金のようなものだったのだとすればこれまでの論議が納得できるように思います。有史以来、金は~~金属と考えられてきた。」という文については一度棚上げするとして、本文中における記述としては
  • ここで得られた、銀の社会的価値の変遷について文献を指摘しつつ記述。
  • 古代における銀は、金との合金であったことがしばしばある点について指摘。
  • 「雄弁は銀、沈黙は金」については、とりあえず元素とは関係がないので記述しない。
という方針を考えておりますが、いかがでしょうか?GcG / avatar of femtowaros 2007年12月1日 (土) 03:56 (UTC)[返信]
(賛成)--あら金 2007年12月1日 (土) 04:03 (UTC)[返信]

念のために確認させてください。文献を指摘しつつ記述といっても、桜井弘さんの「中世以前のヨーロッパでは、金より銀が高価であった」には難があるように思えます。これを採用するかしないかについて、あら金さんとGcGさんの思わくは一致していますか。それさえ一致していることが明らかになれば保護解除に賛成します。'HOTUMA 2007年12月1日 (土) 09:09 (UTC)[返信]

私としてはどちらでも構いません。「中世以前のヨーロッパでは、金より銀が高価であったとする文献があるが<ref>、これには疑問が残る」と書いてもいいでしょうし、疑わしいのでそもそも書かないというのも手でしょう。GcG / avatar of femtowaros 2007年12月1日 (土) 09:46 (UTC)[返信]

今回は、'HOTUMA 2007年12月1日 (土) 09:09 (UTC) さんの意見に賛成です。 そして、私は書かない方に賛成します。その手のものは原典まで探るべきであり、捏造まがいのものもありますので、注意が必要です。 取引された金銀が、その形状、彫金、純度などの詳細がわかるのでしたらいいのかもしれません。重さだけで判断するのは如何なものでしょう。

本日午前中に保護期間満了です。竹麦魚さん、絶妙の匙加減ですね。HOTUMA 2007年12月1日 (土) 11:45 (UTC)[返信]

銀の有害論についてのコメント[編集]

現在、銀の有害論を根拠に出典提示を求めておられる方がいます。出典提示が必要か不要かは根拠が正しいかどうかとは別の話なので要出典が妥当ではないという話ではないことを最初に明確にしておきます。

有害の例示として硝酸銀、シアン化銀、クロム酸銀を挙げています。これらが劇物ないしは毒物であることから「銀が人体に無害」とはいえないというロジックですが、この指摘にはいくつか疑問に思う点があります。

まず、硝酸銀、シアン化銀、クロム酸銀ですが、これらは特異的に水溶性が高い銀化合物であり、この三者をもって銀化合物の一般的性質として水溶性が高いとすることはできず(ええ、銀化合物は普通は水溶性が小さいです。)、三者が銀化合物の代表であるというのは観点として独自だと考えます。

また、シアン化銀、クロム酸銀の毒性については、シアンあるいはクロム酸の毒性が主であり、銀化合物に毒性があるという根拠にあげるには不適当です。

逆に言うと、細胞に対して何らかの障害性があるから殺菌剤として利用できるわけで、その障害性が人の健康や生命を脅かさないように(障害が局所にとどまり)作用点を制御することができるので殺菌剤として有用である理由と考えます。つまり、毒性の有無と殺菌剤として有用性とは、直接の関係がありません。

銀イオン自体は水に対する溶解性が低い点があげられます。また,銀イオンは銀に還元されやすく、その際に周囲から電子を奪うのでこれが細胞障害性に利用されます(硝酸銀が医療用の局所の収斂に使用される所以です。)。逆に銀イオンに戻るには、硝酸のような強い酸化剤や、強い光照射などが必要な(いったん金属銀に戻ると、体内の物理条件では再び銀イオンに戻るような条件ではないです。)点が、殺菌剤としての有効範囲を局所に限定させるように制御する上で有用です。

--あら金 2008年8月18日 (月) 22:21 (UTC)[返信]

同じく、シアン化銀、クロム酸銀を例示された要約欄を見てがっかりしました。毒性がアニオン種に依存する例を示されても困りますね。どうすればこのテンプレートを貼ったかたに納得いただけるのか見当がつきません。上のあら金さんのコメントをまず読んでいただきたいです。--Su-no-G 2008年8月19日 (火) 01:49 (UTC)[返信]

あら金さん、Su-no-Gに反論させていただきます。確かに私が要約欄に有害な銀化合物の例としてあげたうちシアン化銀クロム酸銀は確かに毒性を持つ陰イオンと銀イオンが結びついた化合物です。だがちょっと待って下さい。毒物・劇物リスト劇物その2には無機銀塩類が劇物として挙げられております。またこの2つのリンク先は「毒物・劇物リスト」の方は高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所のサイトにあるページで、「劇物その2」はメッキ会社の資料集であり、ともにWikipedia:検証可能性にある「信頼できる情報源が公表・出版している内容」にあたります(要するに個人サイト2ちゃんねるスレッド等ではないということ)。すなわち有機銀化合物、塩化銀雷銀以外の銀化合物は全て劇物なのです。しかも雷銀は非常に爆発性が強く、劇物に指定されていないとはいえ人体に無害とはとうてい思えません。「銀が無害」というのは独自研究以外の何者でもないのでYagitetuoさんによりなされた編集取り消しを差し戻させていただきます。

何かと苦言を申し上げましたが、あら金さんが「要出典が妥当ではないという話ではないことを最初に明確にしておきます」と言って下さった点に関しましては深く感謝申し上げます。--Ichiroh Satoh 2008年8月20日 (水) 10:09 (UTC)[返信]

いやですから、そのようにちゃんと調べたものをノートに示しつつ、要出典テンプレートを使うように今後は心がけて下さい。銀化合物が細胞毒性を持つことについては私もあら金さんも知っているところです。「環境に害がなく」という言い回しに厳密さを欠くことも分かっています。上のあら金さんのコメントはお読みいただいたものとして、改善案を示していただければ助かります。2008年8月18日 (月) 15:34 (UTC) の要約欄のコメントは取り消しということでよろしいでしょうか。--Su-no-G 2008年8月20日 (水) 10:20 (UTC)[返信]
曖昧な点の解消と出典提示しました。--あら金 2008年8月20日 (水) 11:05 (UTC)[返信]
ありがとうございます。金属に明示的に限定することで問題は解消されていると思います。--Su-no-G 2008年8月20日 (水) 11:16 (UTC)[返信]
Ichiroh Satoh氏はひとつ誤解されているようなので念のため説明しておきますが、毒物及び劇物取締法の「劇物」とかの区分は物質の物流・所持の方法に対する規制区分であって物質が有害性や危険性の判断基準ではないです。「有害だから劇物」なのではなく「法律・政令で指定したから劇物」です。毒物及び劇物指定令に「第二条 二十四  無機銀塩類。ただし、塩化銀及び雷酸銀を除く。」と書かれているから劇物なのです。実際にどの程度有害かどうかはMSDS等を調べなければ分かりません。例えば、劇物の臭化銀は水にほとんど溶けない(0.02mg/100mL(20℃)、0.37mg/100mL(100℃))ですが写真フィルムの感光剤として大量に使用続けられにもかかわらず『本品に関するデータが不足しているため、GHS分類できない。現時点で物理化学的危険性、健康に対する有害性、環境に対する有害性の全項目は、「分類対象外」、「分類できない又は「区分外」である。』--あら金 2008年8月20日 (水) 23:37 (UTC)[返信]

特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律(平成11年)の、第一種指定化学物質として政令番号No.64に「銀及びその水溶性化合物」が含まれています。--inanzu 2008年12月28日 (日) 07:34 (UTC)[返信]

「伝承」の項目が削除されている件について[編集]

古い編集に対しての疑問で申し訳ないのですが、 この版まで存在した「伝承」の項目が、この版 にて唐突に削除されております。

履歴やノートを見ましても、当時、この項目を削除する事についての議論は特になかったようなのですが、何か問題のある項目だった、という合意が当時なされていたのでしょうか?

内容の修正や、整理して縮小といった対応ではなく、いきなり削除で、しかも議論もコメントもない事について違和感を覚えます。

直ちに削除すべき有害な記述であったとは思えませんので、該当の項目を復活させても良いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。 --221.113.9.204 2010年6月27日 (日) 03:14 (UTC)[返信]

賛成です。出典がない、内容が完全でないなど不備もありましょうが、何もないよりはあったほうがいいと考えます。内容に疑義があれば、要出典なりを貼った上でこちらで発議されたらよいかと思います。ぎゅうひ 2010年6月27日 (日) 04:19 (UTC)[返信]
コメント前半は形式的に出典がついているので事実の提示であるが、後半の「これらの伝承には…」は単なるWikipedia投稿者の独自見解(証拠のない推測)なのでそれは不要だと考える。--あら金 2010年6月27日 (日) 05:19 (UTC)[返信]
(部分的復活に賛成)議論も要約欄も記述せず編集除去されたことは問題であると考えますが、この編集者は記述に独自見解が含まれていたから除去したものと推定されます。あら金氏の仰る通り後半の「これらの伝承には…」以降は明らかに独自見解ですから復活するならば前半部分のみでしょう。--As6022014 2010年7月6日 (火) 08:03 (UTC)敬称付記--As6022014 2010年7月6日 (火) 08:04 (UTC)[返信]

「モル体積」の3桁ずれについて[編集]

「モル体積」が3桁ずれていました。密度と原子量から導かれる値は3桁小さいので、指数を–3→–6に修正しました。多くの元素がこの状態にあるようです。詳しい経緯等は最初に提起したノート:ナトリウムをご参考下さい。--W.s.w.p. 2010年7月19日 (月) 12:57 (UTC)[返信]