ノート:野村胡堂

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

著作の年表示について[編集]

「著作」節の各作品に付してある「1926」などの年表示は、その作品(単行本)の初出の時点を示すのがよいと思いますが、ここではそうなっていないようです。 というのは、「金銀島 1947.3」、「都市覆滅団 1951」、「岩窟の大殿堂 1954」などは、私は小学3年生だった1940年(昭和15年)の正月に読んだ記憶があるからです。 どなたか精査して、初出時点に直して頂けると幸いです。--Midz会話2012年7月21日 (土) 01:30 (UTC)[返信]

近所の図書館で「二上洋一:『少年小説の系譜』」を眺めて、上に挙げた3点のうち、「金銀島」と「岩窟の大殿堂」は確かに1940年以前に発表されていることを確かめました。そして「少年少女小説」節をつくり、その本で分かったことを使って整理しました。それ以外の作品・著作についても何方か同様の整理して頂けると幸いです。 なお、上で挙げた3点は確かに単行本で読んだので、1940年にはこれらはまとめて単行本シリーズとして出版されていたと思います。--Midz会話2012年7月25日 (水) 09:15 (UTC)[返信]

「あらえびす」と「野村あらえびす」[編集]

添付した資料のほか、小林俊一『ソニーを創った男 井深大』ワック、2002年9月28日 初版発行、ISBN 4-89831-042-7、108頁にも、"大正二年にはすでに胡堂というペンネームを使い始めているが、大正十三年には勤務先の報知新聞社の職務が編集局相談役になるとともに、執筆生活にウェートを移した。この年から音楽評論の筆もとり始め、この分野での筆名「あらえびす」を使いだしている。"とあります。時系列的観点から、「あらえびす」を前に出し、戦後1946年あたりから「あらえびす」とともに見受けられるようになる「野村あらえびす」を後にもってきました。「あらえびす」から「野村あらえびす」に変更したというような記述は見つけられなかったので、「野村あらえびす」というのが本人が筆名として使用したのか、出版社の都合で「野村」がついたのか、その他の経緯があってのことなのか、わかりません。このあたりのいきさつを見つけることができた利用者には、是非加筆して欲しいと思います。また、野村胡堂#「あらえびす」の由来は、トリビアの類に思われますので、注釈にまとめたほうがよいと思います。-- Takabeg会話2020年1月15日 (水) 13:25 (UTC)[返信]

コメント 客観的な基準があるのにそれを使わず、個人のものさしのためにあれこれ出典を並べて考える必要はないでしょう。国会図書館で定めた標目・優先語彙に従う方がシンプルです。 ペンネームの由来をどこに書くかは、構成を見て決めればよいでしょう。収まりがよさそうなところにくればよい。平文で書けるならそれに越したことはない。 "あらえびす"の登場時期、ペンネームの使用時期については異説あり。[1][2]--Bellis会話2020年1月15日 (水) 15:36 (UTC)[返信]

「客観的な基準」の根拠が分からないのですが、国会図書館が客観的で研究者たちによる二次資料・三次資料が主観的であるとする根拠はあるのでしょうか?国会デジタルですと1946年から「野村あらえびす」が登場しますが、実際には大正時代から「野村あらえびす」という形での第三者言及や出版は存在しているようです。また、「野村」のついていない「胡堂」単独の表記も多く、それとの関係で二次資料・三次資料では「野村」のついていない「あらえびす」が多用されているのかもしれません。ただ、事情を解説しているソースを発見していないので本文に書きようがないのが痛いところです。そもそも利用者:Pooh456さんによる特別:差分/75624880の要約:「野村の音楽評論家としての名義は「あらえびす」であり「野村あらえびす」ではない。」というのは事実に反しています。利用者:Bellisさんはこの要約文に驚愕したのかもしれません。二次資料・三次資料の多くで「野村」のついていない「あらえびす」が表記されているのは事実でして、「野村あらえびす」と書いているものも三点ほど見つけましたが、両者の関係を解説したソースが無い以上、どちらを前に出すかは「趣味」の問題になってしまうのかもしれません。-- Takabeg会話2020年1月25日 (土) 13:36 (UTC)[返信]
> 国会図書館が客観的で研究者たちによる二次資料・三次資料が主観的であるとする
こういう主張をした覚えはないので。何かの誤解でしょう。
国会図書館の典拠情報は「あらえびす」「野村あらえびす」を同一ページで併記して、明確に優先順位を付けている資料です。他では特に断りもなく併記あるいは片方のみの記載になっています。なによりも、典拠情報は、著作者と著作物を紐付けするための基礎情報なので、標目を優先して挙げた方が資料に当たる際には都合がよくなるように整備されています。それに対して、名もなき個人が「私が多く目にしたのはこっち」(※私はこれを主観的だと指摘しました)とした判断を優先する必要はあるのでしょうか。
例えば「野村胡堂・あらえびす記念館」公式サイトで「あらえびす」と書いてあるからなどという考えはとても採用できません。野村胡堂・あらえびす記念館が出版した本では署名を「野村あらえびす」としているからです[3]。看板(見出し)に正式名称やフルネームをいちいち書くものでしょうか。--Bellis会話2020年2月2日 (日) 14:35 (UTC)[返信]
コメント おっしゃる意味が良く分かりませんが、この本の中に「野村本人が『野村あらえびす』と署名している」旨の言及がある、ということですか?--Pooh456会話2020年2月3日 (月) 02:30 (UTC)[返信]
「名もなき個人」云々については、利用者は皆「名もなき個人」の立場で執筆しているわけですから、それでは誰も執筆できなくなってしまいます。比較的手に入りやすい百科事典の類 (いくつかはコトバンクでも閲覧できます) での関連記述を列挙しておきます:
  • 山崎一穎「野村胡堂」『日本大百科全書 18』小学館、昭和62年11月1日 初版第一刷発行、ISBN 4-09-526018-1、458頁。に "また「あらえびす」の名でレコード評論でも知られた。"
  • 浅井清「野村胡堂」『世界大百科事典 22』平凡社、1988年3月15日 初版発行、2007年9月1日改訂新版発行、259頁。に "別名あらえびす。"
  • 無署名「野村胡堂」『ブリタニカ国際百科事典 小項目事典 Reference Guide 5』TBSブリタニカ、1974年7月1日 初版発行、39頁。に"また「あらえびす」の別号で書いた音楽評論でも一家をなした。"
  • 無署名「野村胡堂」『新潮日本人名事典』新潮社、一九九一年三月五日 発行、ISBN 4-10-730210-5、1349頁。に "また、筆名あらえびすによるレコード評論も多数ある。"
  • 縄田一男「野村胡堂」『[現代日本]朝日人物事典』朝日新聞社、1990年12月10日発行、ISBN 4-02-340051-3、1253頁。に"一方、あらえびすの名で音楽評論家としても活躍、この方面での代表作に『バッハからシューベルト』がある。"

とあります。また、google booksをのぞき見しただけですので号数が不明な状態ですが、『国文学解釋と鑑賞』至文堂、1989年の178頁に、"「野村あらえびす」あるいは「あらえびす」は、銭形平次のあの野村胡堂の音楽関係の筆名であることは周知の事実である。"という記述があります。どっちも間違えではないということで、私見ですけど、「あらえびす」を別号、「野村あらえびす」を筆名と扱うくらいでいいような気がします。本来、この「論争」でつっかえていると、内容の拡充にも支障が出てきてしまうのではないかと危惧しています。本来重要なのは内容ですから。-- Takabeg会話2020年2月5日 (水) 12:03 (UTC)[返信]

「野村の音楽評論家としての名義は「あらえびす」であり「野村あらえびす」ではない。」について申し上げておきます。
  • 中公文庫『名曲決定盤』の著者紹介
  • 「野村胡堂・あらえびす記念館」公式サイト、野村のプロフィール
という2つのWP:Vを満たす出典を提示している以上、WP:V#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」により、「野村の音楽評論家としての筆名は『あらえびす』。」とウィキペディアに書くことができると思料します。
一方で、Takabegさんが、「日外アソシエーツ編『新訂 作家・小説家人名事典』」というWP:Vを満たす出典を提示して「野村あらえびすとも。」と記述なさったのは、WP:NPOVに照らし、これまた問題ないと思料します。強いて言うと、国立国会図書館の検索データは不要でしょう。
「あらえびす」と「野村あらえびす」のどちらを優先するかですが、WP:NPOV##対立する観点との相対的な勢力差を正確に示すに照らし、現状の「あらえびす」を優先する記述が妥当と考えます。
以下は私見です。「(1)「胡堂」も「あらえびす」も、号にあたるものと思われる。」「(2)号は、本来は苗字をつけずに用いるものなので(鴎外や漱石がそうしている例を記憶します)、『本来は』「胡堂」「あらえびす」「野村長一」が正しいのではないか。」「(3)たとえば明治42年に出た漱石の小説の奥付の著者名は本名の『夏目金之助』であり、『漱石』でも『夏目漱石』でもない(外部リンク)。」「(4)号は日本で古くから用いられていた。一方、実名と完全に別の『筆名』という概念は明治や大正には一般化していず、昭和戦後になってから一般化したように思える。」
もちろん、これらの私見はウィキペディアの記事に反映すべきではありません。--Pooh456会話) 2020年1月25日 (土) 14:11 (UTC) /修正 --Pooh456会話2020年1月25日 (土) 14:17 (UTC)[返信]
日外アソシエーツ編『号・別名事典 近代・現代』日外アソシエーツ、1994年10月25日 第1刷発行、ISBN 4-8169-1259-2 を見てみました。

107頁に"薫舟<俳号> 野村胡堂・・・以下略"

125頁に"胡堂<号> 野村胡堂・・・以下略"

巻末についている「姓名から引く号・別名一覧」の

521頁に"あらえびす⇒野村胡堂(のむらこどう)を見よ"

658頁に"野村胡堂 長一<本名> 胡堂<号> 薫舟<俳号> あらえびす<別名>

とあります。-- Takabeg会話2020年2月5日 (水) 12:06 (UTC)[返信]