ノート:都築甚之助

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都築脚気研究所を調べた所、以下に気づきました。

“翌年(1911年)1月に『都築脚気研究所』を立ち上げ・・・”と なっていますが、1910年11月の誤りのようです。

以下の資料でいずれも1910年11月と明記されています。

(1)都築甚之助「アンチベリベリンを以てせし脚気の予防及治療試験附アンチベリベリン注射療法」 東京医事新誌1753号、1912年、2頁 (題名の原文はカタカナ)

(2)深海豊二『都築ドクトル余影』毎月新聞社出版部、1931年、3頁および165頁

(3)山下政三『脚気の歴史:ビタミンの発見』思文閣出版、1995年、275頁

(1)は、設立の1年半後の論文で「同年十一月始テ業務ヲ開キ、本年四月ニ至リ  始テ十分ノ活動ヲ営ムコトヲ得タリ」と書かれています。

(2)では、1910年11月23日に開所式を挙行したこと、1930年11月23日に  創立満二十周年の祝賀会が催されたことが書かれています。

(3)は、現在の都築甚之助のページでも脚注に挙げられている本です。

また設立時の名称は、「都築脚気研究所」ではなく、「私立脚気研究所」ですので、 設立時期の記述には「私立脚気研究所」を用いるべきです。(上記(2)の資料) 

なお、参考文献として、以下の書籍をあげるべきと思います。

深海豊二『都築ドクトル余影』毎月新聞社出版部、1931年11月23日。 (全体で、259頁、約200頁は都築甚之助の伝記、約50頁は知人23人の寄稿)--たぶのき会話2016年6月15日 (水) 09:11 (UTC)[返信]