ノート:通行手形

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この記事は、著作権侵害の虞で再三削除されているが、新しい記事になりうるのでパスポートへのリダイレクトは不適切です。221.113.171.31 2004年8月2日 (月) 12:31 (UTC)[返信]

私が身分証明書へのリダイレクトに直しました。220.99.44.44 2004年8月17日 (火) 17:08 (UTC)[返信]

通行手形? 往来手形? 廃止された時期などのメモ[編集]

通行手形という形で記事名になってますが、往来手形の方が正しいような感じですね。また伝(旅行証)という言葉も使われていたようで…。

あといわゆる江戸時代の通行手形が廃止された時期について追記しようかと思ったのですが、どうもよくわからないのでノートにメモだけ。明治2年に江戸幕府が設けた関所がすべて廃止されたものの、往来手形そのものは身分を証明する必要があるため発行は続けられていたようです。しかし、原則として明治4年の戸籍法の成立までは人々の移動は自由になった感じです。明治4年の戸籍法の施行が行われると旅行届けを出すことが求められたようですが、実際には守らない人が多くいたようで明治10年頃には各県で届出督励布達が出されています。なお西南戦争終結後は人の制限が厳しくなったようです。ただし戸籍法の規定にある旅行届けは、明治13年の大審院では、帰宅後に届出を出した者に対する告発すべて無罪または免罪となっており、明治10年頃に各地で出された届出督励布達がその根拠となったものの、明治14年に政府は大審院での無罪・免罪の結果を受けて、届出督励布達を廃止を公布し、明治15年1月1日から旅行届けそのものが法的根拠を失っています。 なお、遡ること明治12年頃には各郡町村が行っていた往来券の発給そのものの廃止も進んでいたようです。このため明治10年ころまではいわゆる通行手形と呼ばれるものは発行されていたようで、現在のように人の移動が自由になったのは明治15年以降…というようです。実際、このあたりの記事を書こうかと思っていたのですが、廃止に至るまでの経緯が煩雑なので…ノートにだけ記しておきます。 なお、上記の文の根拠は和光大学の奥須磨子氏による「明治前半期・旅の法制的環境」です。ネット検索すれば出てくるかと思います。内容としては二次資料になりますがpdfで無料で閲覧できるので、興味のある方はぜひ。--221.171.222.184 2016年9月7日 (水) 12:37 (UTC)[返信]