ノート:豊橋電気 (1894-1921)

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牟呂発電所の完成時期について[編集]

牟呂用水に豊橋電灯が建設した牟呂発電所ですが、完成時期について2つの説があるようです。一つは中部電力の『中部地方電気事業史』(1995)の記述に基づく「明治28年(1895年)9月」説。下巻の345頁にあります。もう一つは石田正治氏の報告「牟呂発電所遺構の調査研究」(『産業遺産研究』1996年6月号、Web上でも読めます)にある「明治29年(1896年)9月」説。確認したわけではないですが後者は当時の専門誌『電気之友』が出典のようです。1年差、どちらが正しいか。

会社の営業報告書を閲覧できれば一目瞭然であろうと思うのですが、『豊橋市史』の資料編には創業当初の第1回・第3回報告書のみ収録、「企業史料統合データベース」は1911年下期の第36回報告書以降の収録なので、1895/1896年9月の事項が載る報告書は現存しない様子。仕方がないので直前、1895年上期(6月まで)の動向を記した第3回事業報告書を読むと

  • 1895年5月1日、役員会で牟呂用水(原文「吉田新田用水路」)の利用を決定。
  • 5月4日、メーカーの三吉工場と談判の末、現在の機械一式を原価で引き渡し新しく発電機・水車を製造させる契約を締結。
  • 5月28日、三吉工場との契約に基づき用水路を測定。

とあります。第1回事業報告書には許認可手続きの日付も載っていますが、第3回報告書にはそれらの記述がない。従って測量までは進んだものの6月末までに許認可の出願には至っていないと考えられ、1895年7月1日以降の着手であると推測されます。そうすると7月許認可手続き着手、許認可を得て着工、9月までの3か月間で完成…ということになり突貫工事すぎる。第1回報告書ではボイラー・蒸気機関の据付だけでも1894年3月28日設置出願、4月2日据付許可、6月21日完成と3か月を要した旨の記述がありますが、水利権取得手続きや水路工事などが必要な新水力発電所建設が同じ3か月間で仕上がるとは思えない。以上から記事中では1896年9月完成の方が正しかろう判断し記述を修正しております。

『中部地方電気事業史』記載の発電所一覧は天竜電力の発電所完成時期が明確に誤り、日英水電小山発電所の運転開始時期を会社設立時期と間違えている、等々怪しい部分も見つかりますので、牟呂発電所の記述もこうした誤植の一つ、なのかもしれません。なお『豊橋百科事典』(2006)には牟呂発電所について1896年4月「設立」とあります。3つ目の1896年4月説ですが、原典は一体。--継之助会話2021年6月16日 (水) 07:25 (UTC)[返信]

(追記)愛知県公文書館に豊橋電燈株式会社第5回事業報告書を発見。1896年上期(1 - 6月)分なので、竣工時期がどちらであれ、何かが見つかる気がします。--継之助会話2021年6月17日 (木) 14:11 (UTC)[返信]

公文書館の「豊橋電燈株式会社第5回事業報告書」を見た結果、1896年4月説が正解でした。活字ではない&原本ではなく一部不明瞭ではありますが、「(1896年)3月12日牟呂発電所水車発電機の試運転(以下不明瞭)」という記述や、次のような記述を発見できました。
「発電所移転の為に1月以後兵営を除くの外は点火を休止し4月下旬に至り需要家一般への点火を試みたるも不幸にして水路上流に於て損所を生じ其工事を終るまでは時々点火を休止し全く水力の効用を収めたるは僅々40余日に過ぎず。然れども6月中旬以后水路工事も畧ぼ(ほぼ)落成し点火の成績頗る宜しきに依り需要続々増加の景況を呈せり」
完成の日付も書いてありそうなものの、ちょうど潰れて読めない部分でした。一方で梅田川発電所への言及は見当たりません。--継之助会話2021年6月30日 (水) 11:31 (UTC)[返信]