ノート:角田晃一

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現状の記述で疑問に思うこと[編集]

コメント依頼で紛糾してしまっています。個別具体的な問題と、必要な対策を示すことは、この記事で「不正確な・疑わしい」「きっちり出典を示されていない」記述を除去したことの妥当性をある程度補強すると思います。

ちょっとふだんよりはかなり細かいことを、重箱の隅をつついたり、言葉尻を捉えるようなことを指摘しますが、ご容赦ください。

テンプレート部分

現行の記述 問題点 改善方法 『騎手という稼業 騎手物語 別冊宝島 その他
国籍 日本 日本国籍であるという出典を示してください 「国籍」の項目を消したって困らないでしょう? 言及なし 言及なし
出身地 名和町 名和町出身という出典を示してください。「出身」は出生地のことなのか、それ以外の定義なのかも示してください。 定義はともかく、明確に「名和町出身」と書いてある出典があれば解決します。 鳥取県出身(p48) 名和チェック OK。(p141)
体重51.0kg いまは調教師なのに、20年近く昔の騎手時代のときの体重を書く必要性を示してください。 51.0kg(騎手時代・1998年)とすればいいです。ただし、彼が重賞初出走の時、49kgの斤量で騎乗していたことも忘れないでください。ある時点での「体重」なんて必要ですか? 51kgと書いてある(p48)。(対談は1997年5月) ノースフライトの安田記念のときに「日頃50kgある」。直接的な言及ではないが、「48kgまで減量した」ことを示唆する記述もある。(p136-137)
重賞38勝(JRA) 少なくとも重賞39勝以上のはずです。 1997年オグリキャップ記念。「(JRA)」をはずすなり、地方を別枠にするなりすればいいでしょう。しかし地方競馬の「重賞」を数えきるのは結構難しいと思いますよ? - -
G1級勝利 G1「級」の表現については議論があったはずです。 議論に基づいて解決してください。 - -
通算勝利713勝 もっと勝ってます。 オグリキャップ記念のことも思い出してください。地方競馬の完全な成績がすぐにわからなければ、(JRA)とつけることでひとまず解決することもできます。 - -

ここらへんのいくつかは、記事そのものというよりテンプレートの設計に由来する問題ですけどね。

来歴

現行の記述 疑問点 改善方法 『騎手という稼業』 騎手物語 別冊宝島 その他
名和町にて出生 間違いなく名和町で生まれたことの出典を。
1970年生まれの人に対してものすごいアホな事を言いますが、現在の鳥取県大山町で産婦人科を検索しても0件です。(たまたま検索できなかったかもしれないし、1970年当時はあったということは当たり前に想像できる。)
住所は名和町でも、米子や赤碕の病院や奥さんの実家のある町で産声を上げたってこともありえます。「名和町にて」って書くから怪しくなるのであって、表現をちょっと変えれば済む話です。よその場所で出産し、名和町に出生届を出したというのを「名和町で出生した」と書くのかどうかです。 名和、家族構成に関する言及なし チェック OK。「○○の生まれ」(p141)
4人兄妹の 4人であるとか、「姉弟」や「兄弟」ではなく「兄妹」であるという出典を出してください。 出典を出すだけ。 言及なし チェック OK。プライバシーを心配するレベルで詳述あり(p141)
長兄でありながら体躯が小さく 長兄であることと体の大きさの統計でもあるんですか? 「長兄」は不要では? 言及なし 妹・弟は体が普通より大きめだったのに対し、角田だけ小柄だった(p141-142)
父は騎手になることを進路の一つとして提案 出典を 言及なし チェック OK。(p141)
競馬とは無縁の環境であった鳥取 鳥取が競馬とは無縁の環境であることを論証してください 誰々は『文献』でそう書いた、という書き方もできます。 鳥取に関する言及なし 「鳥取に住み、競馬とは無縁の人生を送っていた父」(p141)
競馬サークルにも知人のいなかった 競馬学校に入る15歳の時点で競馬サークルに知人がいる割合はどれぐらい? そう書いてある出典があればいいです 言及なし チェック OK。(p142)
デビュー当初「うちの馬は全てお前に任せる」と告げた渡辺 出典を示してください。実際には「全ての馬」を任せていないことは容易に証明可能です。(例:メモリーバイス、リリーズブーケ) 「誰々によれば渡辺はこう言ったという」という表現にすることもできます 言及なし チェック OK(p136)
単にそう言った、というだけでなく、渡辺師はこの年の「最高勝率調教師」である(p136)、ことも書くとよりよいのでは。
他厩舎からも騎乗馬を回してもらうよう手配するなど角田を支援。その期待に応え 具体的に出典をお願いします。 出典にそう書いてあるならいいです 言及なし 大雑把に言うと“事実”ではなく、「支援してくれたんだと思う」という角田の見解。(p142)
師匠の渡辺の縁で 徒弟制時代ではない、競馬学校出の騎手でも、調教師を「師匠」とするんでしょうか? そう書いてある出典を。「所属厩舎の」と変えて解決することもできます。 言及なし 「師匠」という表現はない。ただし渡辺から見て角田が「弟子にあたる」という表現がある(p135)。そのほか「厩舎の長」という表現がある(p143)。
武田文吾一門の厩舎の馬に騎乗することがあった角田は1991年、シスタートウショウに 角田騎手はそれより前から「トウショウ」の馬に数多く乗っています。トウショウマリオ、サマンサトウショウ、ヌエボトウショウ・・・。「武田文吾一門の厩舎の馬」とみるより「トウショウ」の馬とみることもできます。トウショウマリオの奥平師は「二本柳」の系統のはずです。 そう書いてある出典を示してください。あるいは、「武田一門の馬に乗ることが多かった[出典]。1991年・・・」とすることもできます。 角田「シスタートウショウは岡潤一郎が乗ることになっていたが、たまたま岡が騎乗停止になって自分にまわってきた」(p52)
角田「負けたあと謝りに行ったら勉強になったなと言われた」(p52)
小林「鶴留も渡辺も武田一門だ」(p52)
チェック OK。武田門下の縁でシスターに乗った(p143)
この頃より「牝馬の角田」と そう言われ始めたのが「この頃から」であることを証明してください。 そう呼ばれた時期に言及した出典を示してください。「この頃から」を省くことでも解決します。 小林「牝馬の角田と言われている」(p51,p53)
角田「たまたま。ふつう騎手はお手馬が同じレースでかち合うと牡馬の方を選ぶから、あまった牝馬の方が自分に回ってくる事が多い。」(p51)「牝馬が得意というイメージの定着はいやだ。」(p53)
小林「偶然ではないのでは」(p51)
言及なし(全く別の文脈で、「追い込み好き」と報じられた、という下りがある。(p142-143))
ヒシの冠名の・・・一時期をのぞいて長く主戦として・・・ なぜヒシのことだけ書くのか。「一時期?長く?」ヒシマサルのときは角田は降ろされていますし、ヒシアマゾンが関西遠征のときは角田じゃないです。トウショウは?トウショウは関東馬が関西に遠征すると角田に乗り替わっていますよ。 そのことをことさら取り上げた出典を示してください。あるいは表現を変えたり、中立的な観点やより俯瞰的な観点からの記述にしてください。たとえば「重賞◯勝のうち×勝はヒシの馬だ」とか。 角田「ぜんぶ、他の騎手が乗らないので自分に回ってきた。」(p52) 1994年7月時点での原稿のため該当せず
幻の三冠馬と呼ばれたフジキセキ 私はカミノエルフを幻の年度代表馬と呼んでいました。 サラッと「ぼくが思う最強馬」を混ぜ込まないでください 角田「もっと大きなところを勝っていたと思う」(p49)
フジキセキ以来の念願 逆に聞きますけどフジキセキ以前は角田は日本ダービーなんか念願でもなんでもないと言っていたんですか? ここに「表現を改善するヒント」があります。 対談以後の出来事のため該当せず
主戦を降ろされる不運 定年解散は「運」ですか?たまたま偶然運悪く起きたことですか?最初から決まっていて運勢など関係無かった予定通りの出来事では? 表現を改めれば済む話。
2004年3月よりフリー・・・勝ち鞍を大幅に減らした時期があった・・・騎乗回数を回復し
*1989年336戦43勝(勝率0.126)
*1991年477戦67勝(勝率0.149)
*1998年290戦16勝(勝率0.055)
*2000年376戦36勝(勝率0.095)
*2003年411戦20勝(勝率0.049)
*2004年327戦14勝(勝率0.043)
*2005年274戦10勝(勝率0.036)
・・・なんかいかにも厩舎解散が引き金で全てを説明できそうな書きっぷりですけど、勝数、勝率、賞金、順位は1990年代から右肩下がりなんですが・・・なにかほかにもあるんじゃないでしょうか?
直接因果関係に言及した出典を示すほかに、成績の数字と、厩舎解散とかのイベントを切り離して説明するという方法もあります。
騎手成績の表
初騎乗
誤/3歳未勝利 正/4歳未勝利
次の「初勝利」で「4歳500万下」としている以上、「馬齢表記がどうの」は言い訳になりません。
デビュー戦や初勝利に関するエピソードあり(p142)

ちょっと後半は雑になってしまいましたが、これらの疑問が既に示されている参考文献で解決するなら、より細かく出典を示すことを求めます。

なお、いま示されている参考文献3冊とも近々入手します(既にポチりました)。2,3週間程度以内に検証のうえで、手を入れることを予告しておきます。--柒月例祭会話2015年9月15日 (火) 09:48 (UTC)[返信]

参考文献に示されている書籍のうち「騎手物語」「騎手という稼業」を、ざっとではありますが確認し、サンドボックスにて反映させました。まずは出典補記までで、文章の表現などは徐々に訂正していきましょう。成績についてもJRAでないレースについての指摘もあるようですし。あと、上の表につきましては、自己解決された点は早急に取り除いて頂ければ、見通しが良くなってありがたいです。けっこうな部分は文献を読めば解決するものでしたし、せっかく購入されたのであれば、それを読んでから疑問点を洗い出しても遅くなかったと思います。それと、出生地について、どこで生まれてどこに出生地を書いたとか、そこまで厳密に考えて記載しなければならないものですか? それは「些細」と言いませんかね。--Bellcricket会話2015年9月15日 (火) 11:05 (UTC)[返信]
  • ありがとうございます。
出生地については仰るとおり些細でしょうねえ。最初にことわったように、あえて些細な事までいちいち指摘しました。仮に「出地は名和である」と書いてあるものを出典に「出地が名和である」と書いたらマチガイになりうることは認めていただけますよね?だから「ホントに出生地が名和って書いてあるの?」と尋ねるのはおかしくないでしょう?「はい、出典にそう書いてあります」と回答もらえば、「わざわざ確認してもらってありがとう」で解決です。上で列記したようなことは、たいがい半ば言いがかりみたいなもんです。私もべつに普段からそこまでとやかく言う気はないです。よーく読んだら「あれ?」って思うことがある場合に、それをノートで指摘すること自体は建設的でしょう?
私が言いたいのは、もしもHOPEさんがこうやっておかしいと思った点をいちいち指摘して、「変だと思うのでいちど除去します」ってやれば、Bellcricketさんだってブロックしなければいかんというほどの破壊だとは思わなかっただろうなあ、ってことなんです。
ただ「出典がない」とだけ言って除去したというのは、私も乱暴だなあと思います。私とBellcricketさんが違う点があるとすれば、私の目線では、HOPEさんはいちいち説明しないだけで、記述にいろいろ不審な点があると思ったからそこを選択的に除去したのだろう、と思っています(少なくともこの記事に限っては。)。Bellcricketさんは、HOPEさんが出典がないというただそれだけの理由で無差別に除去していると見た。ちゃんと説明をしなければ、Bellcricketさんのように思うのは当然だし、はっきり言ってまあ、HOPEさんの言動がそういうオーラを出してしまっている。だからBellcricketさんが悪いとは私は思っていません。
このメッセージは、Bellcricketさんに「こんだけおかしいんだから全部直せよ」って言いたいのではなく、HOPEさんへ「ちゃんとワンステップづつ丁寧にやりましょうよ」と伝えたいのです。--柒月例祭会話2015年9月15日 (火) 12:21 (UTC)[返信]
  • どこに書いておこうかと思いましたが、ここに書いておきますね。
  • 鳥取という競馬とは無関係の環境で育った」 を私が気にする理由。
  • 名和町のあたりは鎌倉時代からの馬産地、それも、中国地方(そしておそらく近畿地方も含めて)で1、2を争う馬産地でした。(『日本馬政史』五巻p362-366など。)
  • 名和の賑やかなあたりには「馬郡」という土地があります。(『鳥取県の地名』p604)
  • 名和町のお隣の赤碕には、国営の種馬所がありました。名和と赤碕は、府中競馬場と調布ぐらいの距離です。
  • 日露戦争で乃木将軍が旅順を落とした時、ロシア軍の司令官ステッセル将軍からアラブの名馬を贈られました。その名馬は壽号と命名されて、赤碕で種牡馬になっています。
  • 赤碕の観光地のひとつで神崎神社というのがあって、そこでは馬と牛が祀られています。そこの毎月一度の例祭日には臨時列車が出るほど人が集まりました。
  • 名和町の反対側のお隣の米子には競馬場がありました。名和と米子は吉祥寺と府中競馬場ぐらいの距離です。
  • キズナ (競走馬)サカラート、ナムラサンクス、ウィッシュドリーム。これらの馬は鳥取県大山町(名和町も合併した)に放牧に出されたり、そこで暮らしたりしています。私もネットで調べただけなのでこれより古い時代のことはわかりませんが、1993年天皇賞3着馬がいるような場所なら、1970年代にも当時の活躍馬がやってきていた可能性はあるのでは?
  • 角田騎手が3歳から小学校卒業するまでぐらいの時代は、日本競馬史上最大の競馬ブームの時代で、日本人全員が大好きだったというハイセイコー全盛期です。
  • ハイセイコーの騎手がレコードを出して大ヒットし、テレビの歌謡番組で歌っていたような時代です。
  • ちょうどその頃子供だった世代がおとなになった頃に、その世代が中心となって武豊とオグリキャップの第二次競馬ブームが起きます。
そういう土地柄で、そういう時代に育って、「競馬とは無縁の環境であった鳥取」だなんて、簡単に言ってくれるなよと。お父さんがテレビでハイセイコーを見ていたり、親戚の叔父さんがハイセイコーの馬券を買ったことがあったぐらいのことはあったっておかしくない。 要出典だろと。このぐらい説明すれば、私が「怪しいと思う」というのもそれなりには分かってもらえるんじゃないかなと思う。もしも仮に角田騎手本人が「競馬とは無縁でした」と明言したとしても、それは「角田騎手のまわりが競馬と無縁だった」というだけであって、「鳥取が競馬と無縁」なわけではない。
まあ、ほとんど言いがかりなのは認めます。たとえば『角田は鳥取で育った。彼の周りの環境は競馬と無縁だった』と書きなおせば解決しちゃいます。--柒月例祭会話2015年9月16日 (水) 14:13 (UTC)[返信]
話は、資料を読んでからにしましょうよ。資料のない状況であれこれ言っても仕方のないことです。資料を読んで、論点を絞って、それから話し合わないと、他の方があまりの問題点の多さに議論への参加に躊躇してしまいかねません。長文を読むのって大変なんですよ。--Bellcricket会話2015年9月16日 (水) 21:27 (UTC)[返信]
  • 参考文献1点め。ちょっと表が肥大化してしまうのはあれなんですが、せっかくなので表に追記しておきます。
  • 『騎手という稼業』小林常浩 - これは「本人の対談」を掲載した文献でした。
  • 「本人の対談」は、一般論としては取り扱い注意の情報源です。第三者による評価ではないので、対談の中で本人が「Aだ」と言っていても、ただちに「Aだ」と書くことが妥当とは限りません。「本人はAだと言っている」と書くとか、事実との突き合わせが必要なことがあるかもしれません。とはいえ、個別具体的に問題がありそうな部分というのは、私にはそんなにあるようにも思いませんでした。(いくつかはあります。)
  • 小林が「Aだ」といったのを「そうではない」と角田が否定する、というやりとりがちょこちょこあります(一般論として対談ではそういうことはよくある。)。それを記事では「Aだ」と書いてある。完全ダメとは言わないし、小林による評価は第三者の評価だ、と言うこともできるけれど、表現には一考の余地があると思う。他の文献も待ってから。
  • 色々なことを、本人は「たまたまだ」としています。本当に偶然なのか、プロのアスリートがよくそうするように、第三者からは実力や日頃の努力の成果とみられるものを、本人が「たまたま」と表現することはあるでしょう。
  • 「武田一門」のところは、注意深く出典を読むと、「武田一門だから馬が回ってきた」と読めるかというと必ずしもそうではありません。「武田一門だから負けても怒られなかった」と読むことができます。--柒月例祭会話2015年9月17日 (木) 02:13 (UTC)[返信]

報告参考文献2点目。疑問点のいくつかは解決、いくつかは疑問通りの問題があることがわかりました。出典とちょっと語順や表現を変えた程度ですが、結果的に文意が変わっちゃってるのかな。文献3点目待ち。ただ、最後の「別冊宝島」は1998年の発行なので、ヒシアケボノ以降のエピソードに関する検証は望めない。

Bellcricketさんにあらかじめ2、3点相談しておきたいんですが、Bellcricketさんの意見を聞かせてください。
  • 私はテンプレート部分の「体重」は不要と思っています。文献2の『騎手物語』にもあるように、現役騎手なんて乗る馬のハンデにあわせて減量してコロコロ体重変わるわけだし、今は調教師であり、20年近く前のある瞬間の体重をテンプレートで示す必要なんて無い。そのかわりに、本文の中で出典付きでエピソードの一環としてあるレースでの体重を書いてもいい。と、私は思うのですがどうでしょうか。
  • 今後の修正・加筆についてですが、Bellcricketさんの下書きを拝見しました。私は、Bellcricketさんが最初に出典強化に取り組んだ、ということを残すという意味でも、BellcricketさんがBellcricketさんの下書きを投下するべきだと思っています。ただ、少なくとも現時点では、いまのBellcricketさんの下書きは、現行記事に出典を補った形になっていて、文章や構成が大きく変わっているという感じではないですよね。もし、Bellcricketさんがこのあとご自身で大きく本文をいじる予定であればそれでいいのですが、そうでないのであれば、Bellcricketさんの投稿後に私は大幅に加筆・改稿したい(Wikipedia:ページの編集は大胆に)。今回の3つの文献以外にも、何か資料を追加しつつ。その結果として、章・節の構成や表現は大きく変えることになりますが、そういう流れでもいいでしょうか?基本的なこととして、たとえば私が大幅に改稿したものを投下して、それを見てBellcricketさんが「こんなのふざけんな」ということであれば、さらに改稿なり差し戻ししてもらっても構わないです。一度投下した後は基本的には手離れするつもりです。もちろん、これおかしいからちょっと文献もういちどチェックしてくれ、とということがあれば対応します。いいでしょうか?--柒月例祭会話2015年9月18日 (金) 12:33 (UTC)[返信]
平時の体重というものは、時に減量して騎乗したとか、その減量がどの程度で、いかに大変だったのか、それとも楽だったかを示す上では重要かと思います。たしかに現在は調教師ですが、騎手時代と但し書きをすれば良いでしょう。騎手含めスポーツ選手には身長・体重といった体格は重要な情報であり、だからこそ、プロフィール欄にはたいてい身長・体重が明記されているのだと思います。少なくとも、残しておいても害は無い。残す意味が薄いけど消す意味もそれほどない、のであれば、わざわざ削る手間をかけることは無いでしょう。それと、私の下書きは冒頭部分を書き足した程度のものですし、いかように編集されても、まったくかまいません。気になることがあれば手直ししますし、それで何かあれば、また話し合って決めましょう。--Bellcricket会話2015年9月19日 (土) 02:16 (UTC)[返信]

報告体重の件は了解しました。

  • 参考文献3冊目の『別冊宝島 競馬騎手名鑑'98』が手に入りました。が、今回の目的にはほぼ用をなさないものでした。p180が角田騎手のページですが、要するに「1997年の成績」のデータだけです。平地/障害、競馬場別、距離別の1着から着外までの回数を表にしたもの。わずかな文章がありますが、「中距離戦の先行馬で人気上位のときの連対率が高い」みたいなものでしかなく、ちょっと使いようがない。いま出典として使われている5箇所(生年月日、鳥取県出身、身長、体重、血液型)以外には使えそうなものが無いです。(「星座:蠍座」てのぐらい。)
  • ひとまず参考文献として挙げられていた3つを検証した結果としては、上の表で示したように、いくつかはちょっと文言を手直しするぐらいでなんとかなりそうですね。「ヒシ」関係と、2001年のジャングルポケット以降については、とりあえずこれら3文献では確認が取れませんので、当面「要出典」というところでしょう。いくつかのG1優勝馬に関連するエピソードは、その馬に関連するものを探せば出典や、もっと詳しい記述が出てくるような気がします。「厩舎が解散したこと」「フリーに転向したこと」「成績が低迷したこと」などは、単発的にはニュースやデータベースで出典をつけることはできるだろうと思いますが(実際には私もまだ探してないです)、それらを結びつけて因果関係のように評価するとなると、難易度があがるように思います。(要は因果関係があるみたいに書かなければいいだけ。)
  • 「調教師転向」以降のことについては、現役で日々情勢が変わっていくようなことだろうし、私個人としてはちょっと手を出しにくい(気乗りがしない)です。--柒月例祭会話2015年9月19日 (土) 10:09 (UTC)[返信]

コメント 保護期間は終了した様子ですが、その後どうでしょう。私の方では、当座はいまのほかに大きな出典を見出す予定はなく(小さなものはいくつか)、ぼちぼち加筆に入りたいなと思っております。もし差支えなければ、いちどBellcricketさんに修正版を投下していただき、その後、私の方で作業に入りたいなと思います。(特に急ぐものでもないので、催促するわけではありません。)--柒月例祭会話2015年10月13日 (火) 08:08 (UTC)[返信]

入手出来ていない出典に関する備忘録[編集]

IPさんがつけてくださった「出典検索」というやつ、私はこういうのがあるのを知りませんでした。便利ですねこれ。

で、そこを眺めていて、手がかりになりそうなものを書き留めておきます。(私もちょっと入手が容易ではなさそうだと思うので。)

  • 同姓同名で、医療分野で実績のあるかたがいるようです。
  • [1]『サンデー毎日』(?)第74巻、第18~21号、1995:角田騎手と渡辺厩舎の関係、海外騎乗に関する言及がありそうです。