ノート:血液型性格分類/過去ログ1

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2006年9月のコメント[編集]

――脳にはABO血液型物質は存在しないが、弱いながら抗原抗体反応は起こるため、なんらかの類似物質が脳に存在する可能性は否定できないとされている

 と書かれたことに、

――出典は? どんなひとを対象にどのような方法で?

 との質問がでました。それに対する回答は、

――抗原抗体反応は、昔の否定派の本でもどの血液型の入門書にも出てますが

 血液型性格判断について、「脳に血液型物質があるのか」との疑問は、私も20年ほど前から紙誌に書いてきました。  未だ明確な回答はどなたからも得ていません。

////// 20年以上前にも、どの血液型の教科書にも抗原抗体反応は起こるって書いてありますが?

――「現代のエスプリ 血液型と性格―その史的展開と現在の問題点」など     これは出典ですか? 「現代のエスプリ―」など。「など」と書くからにはほかにもあるかと思いきや、

――「他には明確に血液型物質自体がないって書いてある本はありません」

 ??? ――(現代のエスプリ――に)「血液型物質自体はないって書いてありますが」

  んんん?

――「よく読むと類似物質の存在自体は何も否定してない、というか存在するって書いてあります」


 「現代のエスプリ――」に書いてあったことについての解釈を述べているだけですか。  一般書に書かれたものの解釈ではなくて、出典というのならば、そのもとになっている資料まで遡らなければなりません。  でなければ「テレビでいってた」と同じレベルです。  脳での抗原抗体反応がどんなものなのか。ABO式血液型物質、あるいはその類似物質を抗原とするものなのか。  

////// 20年以上前にも、どの血液型の教科書にも抗原抗体反応は起こるって書いてありますが?

 もっと単純なことですが、古川説がでた当時、ABO式血液型は遺伝形質としてわかっていたものの代表的なものでした。  換言すれば、形質遺伝についてもほとんどわかっていなかったのです。今では血液型の分類方式は100以上。  だれでも知っている Rh 式は、プラスとマイナスしかない。これで性格が二分できますか?  HLA ではどうでしょう。

///// 統計をおわかりですか? 男女の差を研究することは無意味ですか? 県民性は? 国民性は?


↑血液型で自己保身や金儲けや名声を得ようとしているせこい落ちぶれ研究者の詭弁
男女の差はホルモンや脳構造や身体的特徴といった実証例を、総合的に考慮しての話。
血液型の差と男女の差を同一視するのは、活字でしかものを考えられない人の詭弁であり、両者は実質的に全く違うものである。
水鉄砲と核ミサイルを、同一視しているようなものである。
国民性は文化や、環境、そして、その他遺伝子的実証例を総合的に考慮しての話。県民性に関しては、占い程度でしょう。
一方、血液型性格分類は、文化や環境を考慮せず、ABO式の血液型遺伝子だけで気質を判断することに拘っている稀にみる粗末な性格診断
すなわち、ホクロの位置や、耳糞の多さや、鼻毛の長さや、髪の毛の本数で気質を判断するようなもの。
鼻毛の長さも、耳糞の量も、ホクロの位置も、髪の毛の本数も、人によって違い、数や位置の『差』は実際に存在している現象である。
どんな微量の違いでも、気質を判断するに値するならば、たかが髪の毛一本の数の違いでも、微量だが、気質に差がでることは否定できない、といっているのが血液型オタクなのです。
しかし、仮に認知できないほどの微量の差でも、それで気質の違いを判断し応用しようとすることは無意味なのです。
万が一、耳糞の多さや、鼻毛の長さや、髪の毛の1本の差や、血液型などの、単一の現象だけで、気質の差に違いがあるとしても、
環境や文化やその他両親から受け継いだ遺伝子の影響の大きさに跡形もなくかき消される、まさに不毛な性格分類なのです。


 もっとも重要なことですが、古川説では「気質」となっていたものが、能見によって「性格」にすりかえられたことをどう思いますか。

////// 能見氏の本には理由はきちんと書いてありますが?


‥‥体は何も否定してない、というか存在するって書いてあります  他には明確に血液型物質自体がないって書いてある本はありません

↑血液型を肯定するための答えになっていない。

連鎖不平衡について[編集]

>しかし、最近のヒトゲノム研究では、遺伝子間の距離自体を問題にすること自体が無意味に近くなってきたようである。なぜなら、特定の遺伝子がそのまま性格に影響するのであれば、上のような遺伝子連鎖のメカニズムにも意味があるが、実際にはもっと複雑なメカニズムが働いているようだからである。現時点で確実と予測されることは、性格の違いは遺伝子連鎖のみによるものはかなり少ないだろうということである。

勝手に削除してしまうのも何だと思いまして、こっちに書きます。上記に引用した段落ですが、不正確なので全削除でよいと思いますがどうでしょう?「最近のヒトゲノム研究では、遺伝子間の距離自体を問題にすること自体が無意味に近くなってきた」というのは事実なんですか?私の知る限り、そのような事実はないんですが。「性格の違いは遺伝子連鎖のみによるものはかなり少ないだろうということ」というのも、正直、意味がよくわかりません。連鎖と連鎖不平衡の違いはわかっておられますか?「遺伝子連鎖のメカニズム」って何でしょう?--以上の署名のないコメントは、210.159.190.38会話/Whois)さんが 2004年7月20日 (火) 06:55 (UTC) に投稿したものです。

「9番染色体にあるABO式血液型の遺伝子のすぐ近くに、性格に関係すると思われる神経伝達物質の遺伝子がある」というんで、じゃあ糖鎖の遺伝子とドーパミン水酸化酵素の遺伝子がどんな関係で・・・というところから「連鎖不平衡」の話になった。でも、成松久さんらの『ゲノム情報を超えた生命の不思議 糖鎖』が登場して、9番染色体のことは「ごはさん」になったのだろうか?--以上の署名のないコメントは、百楽天会話投稿記録)さんが 2004年7月20日 (火) 16:53 (UTC) に投稿したものです。


些細な点ですが、Frederick Griffith が「グリフィッシュ」となっていたのを、一般的な表記だと思われる「グリフィス」に改めました。もし「グリフィッシュ」という表記が意図的なものだったのだとしたら再度ご修正ください。 --KAWASAKI Hiroyuki 2005年1月6日 (木) 15:07 (UTC)

カテゴリ整理[編集]

Category‐ノート:精神医学の議論の従い、この記事を一端Category:精神医学から外してCategory:医学に集めた後、どのように再分類すれば整合性が良いか考えて参りたいと存じます。どうぞ宜しくお願い申し上げます。--Tanadesuka 2005年1月17日 (月) 10:33 (UTC)

そもそも、これは医学記事なのでしょうか. 個人的には、内容からすると、別に医学カテゴリに含めなくても差し支えない様な気もしています. それに、「血液型性格分類」の議論や歴史に関する記述ばかりで、記事名に対しての説明がかなり少ないのが気がかりでもあります. a perfect fool 2005年1月17日 (月) 20:47 (UTC)
これは私が精神医学のカテゴリーに入れていたのですが精神医学が医学に吸収されたのでこうなりました。ですが否定にしろ肯定にしろ医学で取り扱う人体に関する事項なので基礎医学カテゴリーに入れるべきと思います。Izayohi 2005年1月17日 (月) 23:27 (UTC)
御指摘有難う御座います。Category:精神医学に入っていた記事はどれも扱いが難しいものばかりですね。この記事は現状では疑似科学的側面と科学的側面の両方をたぶんに含んだ記事なのではないかと存じます。ですから色々な所にカテゴライズされていた方がNPOVなのでは無いかと存じます。入るべきカテゴリとしては
  • 医学>基礎医学>血液学
  • 医学>基礎医学>脳科学
  • 医学>診断と治療
  • 医学>臨床医学>精神医学
  • 心理学
  • 疑似科学
等が挙げられるのではないかと存じますが、如何でしょうか。--Tanadesuka 2005年1月18日 (火) 01:33 (UTC)
診断と治療は関係ないのではずし、それ以外はそれでよいでしょう。人間の心は難物なので自然科学的な取扱いはできないのです。それにしても脳科学は世間をみると医学に匹敵する勢力をもっているので医学と脳科学同格としてカテゴリー二重化が必要だと存じます。Izayohi 2005年1月18日 (火) 01:41 (UTC)
御指摘有難う御座います。では
  • 医学>基礎医学>血液学
  • 医学>基礎医学>脳科学
  • 医学>臨床医学>精神医学
  • 脳科学
  • 心理学
  • 疑似科学
で如何でしょうか。--Tanadesuka 2005年1月18日 (火) 02:15 (UTC)
それで結構です。Izayohi 2005年1月18日 (火) 02:31 (UTC)

25%超えについて[編集]

...ある程度性格を知っている相手の血液型であれば、25%をはるかに超える確率で当てる事ができる人が存在する... と、ありますが、いま複数のウェブサイトを調べた結果、日本人の血液型は
A:40%
O:30%
B:20%
AB:10%
となっています。つまり、全く性格を知らない相手でも、「君はA型ですね?」といえばYesの確率が40%。これは「25%を遥かに超えている」といえるでしょう。また、O型についても、同様のことがいえます。--以上の署名のないコメントは、Kotax会話投稿記録)さんが 2005年9月30日 (金) 15:25 (UTC) に投稿したものです。 つまり、25%を超えることは何ら不可解なことではなく、ごくごく当然な現象であると思われます。
よって、血液型と性格の相関性に関してピグマリオン効果は働いるとは思われません(仮説にせよ根拠となる物が存在しない状態ではピグマリオン効果について記述すべきではないと思います。)--以上の署名のないコメントは、Kotax会話投稿記録)さんが 2005年9月30日 (金) 15:38 (UTC) に投稿したものです。

↑血液型の風説で、性格を意識して形作っている人達もいると思うので、そうしたものから判断もできるのではないでしょうか。 遺伝子的な問題ではなく、血液型の風説で作られた環境の問題で、性格に影響がでた人もいると思います。 とくに、実験をする際、被験者に、血液型は何型か?という実験をすると伝わっていれば、被験者も自ずとそれに答える形になると思います。--以上の署名のないコメントは、211.3.123.95会話/Whois)さんが 2006年12月7日 (木) 01:15 (UTC) に投稿したものです。

2006/01/01の一連の修正の理由[編集]

ウィキペディア的におかしな表現や明らかな間違いがあったので、いくつか修正しました。

  • 外国という表現はウィキペディアでは中立性を欠く表現のため、日本以外としました。[1]
  • インドでは国民の80%がB型と言われるという箇所は明らかに間違っていると思われます。各国国民の血液型に関する資料を幾つか見ましたが、インドのB型割合はどれもだいたい40~45%というところですね。ただ、インドは多民族によるモザイク国家なので、一地域の部族に限っていえば80%といえるかもしれませんが、インド全国でB型が8割ということはありえません。[2]
  • これは、日本語版の「血液型」の項目と諸外国語の同じ項目を比べてもよくわかることであり、たとえば中国語版の記事では血液型性格分類への言及もリンクもないのである。は不適切な根拠だと思いました。なぜなら、中国語版に血液型性格分類の言及が無いのはテンポラリなことであり、だれかが新たに言及すればこの文章は意味を持たなくないどころか不正確な表現となるからです。そもそも、○○語版は必ずしも○○国人が書いているとは限らない。たとえば日本人である私がフランス語版を書くこともできます。○○語版は必ずしも○○人の文化背景を持っているとは限らない以上、この記述はナンセンスです。
  • 日本では全ての血液型が20~40%の比率でばらけているというのは約10~40%としました。日本人のAB型の割合はだいたい9%~11%と書かれている資料が多いようです。ちなみに、日本では日本人の血液型は偏りが少なく世界的に見てユニークだと信じられていますが、東アジア、南アジア、中東、東欧はだいたいそんなものです。

それでは。--218.229.39.33 2006年1月1日 (日) 06:28 (UTC)

インドでは、B型の比率は北部で40%前後、南部では30%程度で国全体で見ると約37%前後である。 40%~45%と言うのは、北部の一部であり、どこでもと言うわけではない。 また、白人層にはA型が多く約33%~35%を占める、カーストの上層部のバラモンの血液型頻度はA型がB型やO型をしのぎ最も多い。 逆に、バラモン以外の下層では、B型が多い。 南部のドラビダ人はO型が4割を占め、スリランカでもO型が最も多い。 インドは、シャージャハンと言うモンゴル系の王が治めた時代にB型が増えたと考えられる。 --以上の署名のないコメントは、124.86.148.192会話/Whois)さんが 2006年9月21日 (木) 07:10 (UTC) に投稿したものです。

2006/04/16の削除部分について[編集]

「血液型性格分類の問題点」の以下の部分を削除しました。

  • また若い女性などには、B型は自己中心的であるという性格分類を信じ込み、その結果交際相手や結婚相手にB型の男性を避けたり、B型の男性を中傷する者も一部に存在する。B型は、日本ではA型やO型に比べて少数であり、より少数者であるAB型の男性に対してもB型男性に対するのと同様な偏見があるので、結果的に多数者による少数者の差別という現象になっている。

削除の理由ですが、一般的な例としてあげるには、かなり極端なものではないかと考えたからです。血液型性格分類・血液型占いが話題にのぼる場合(行為の是非は置いておくとして)、どの血液型もそれなりに褒められたりけなされたりされているものと思われます。そして大方の場合それはただの話の種・遊びと言えるでしょう。一部の若い女性に偏見が存在するという風評から「多数者による少数者の差別という現象」とまで結論付けるのは、さすがに無理があるのではないでしょうか。

以上です。削除部分に問題等ありましたら、復帰・改良をよろしくお願いします。--以上の署名のないコメントは、219.121.199.52会話/Whois)さんが 2006年4月15日 (土) 17:55 (UTC) に投稿したものです。

個人的な経験則を持ち出すのは得策ではないでしょうね。そういった発言がたまたま印象に残りやすい、という可能性もありますから。ただし、過去にTVで放映された番組に対しての批判意見に、B型の性格描写に対してのものが多かったのは面白いですが。86.101.91.207 2006年11月16日 (木) 02:02 (UTC)

占いのテンプレートを貼ってよいですか?[編集]

Template:占いというテンプレートを作りましたが、この記事に貼ってよいものかどうか迷っています。この記事は学術的に血液型正確分類を否定する内容が主であり、血液型ごとにどのような性格があるか、あるいは血液型による占い方の具体的内容はほとんど書かれていないからです(加筆依頼ではありません。念のため)。アドバイスをお願いします。--春野秋葉 2006年9月18日 (月) 14:47 (UTC)

血液型性格分類はABO式血液型によってあらかじめ決まった性格にあてはめるのみであり占いではないと思います。占いとは未来を予想するものですよね。Izayohi 2006年9月18日 (月) 22:41 (UTC)
「血液型占い」という呼称は性格分類という科学理論であるかのような呼称を嫌う人がそう読んでいると解釈しています。ちょうど子供を「子ども」と書くようなものです。
>>占いとは未来を予想するものですよね。
微妙に違うと思います。占いで性格を判断するのは割とよくやっていると思うのですが。例えば星占いでもそうですよね?--61.114.9.101 2006年10月30日 (月) 07:41 (UTC)

まず最初に、Template:占いは削除されましたので、以下「血液型占い」についての話に限定します。「血液型性格診断」とは異なる、血液型によって運勢を占うものは確実に存在します。関西ローカルのテレビ番組「ちちんぷいぷい」の「血液型ぷいぷい占い・明日の運勢」はその典型例です。血液型ぷいぷい占いのように血液型単独の占いは珍しいですが、たとえば星座占いと組み合わせて「理想の相手は牡羊座A型男性」なんて書いてあるのはたまに見かけます。--ハルノ アキハ 2006年11月1日 (水) 11:32 (UTC)

『NoveltySeekingと血液型の相関性』[編集]

血液型について現在の学校などの保健体育でも性格分類の根拠とは大いに違うことを指摘されている。 性格について証明されている唯一とも言える具体的な学術論文は「NoveltySeeking」と呼ばれるもので、 この論文には、まとめると以下のように記されている。

1.性格を決める脳内物質 ・ドーパミン(覚醒物質) ドーパミンが増えるほど、興奮し新しい物事に興味を示しやすくなる。 集中力が着き、次から次へと物事を処理しようとする。 ドーパミンが増えた状態では、非常に攻撃的になる。

・セロトニン(抑制物質) セロトニンが増えるほど、抑制的になり、物事を冷静に対処できるようになる。 また、脳内のドーパミン量を抑える働きがある。

2.先天的気質 ドーパミンレセプター内のDRD4と言う繰り返し配列が長いほどドーパミンの影響を受ける。 各人種ごとの配列数 白人は5~8の繰り返し配列。 黒人も5~7程度ではないかと推測される。 黄色人は1~4の繰り返し配列。一般的には2か4。 この配列が長い人の遺伝を新奇探索傾向と呼ぶ。

セロトニンレセプター5HTTの遺伝にはいくつかのタイプが確認されている。 Long型遺伝・・白人と黒人に強く現れるタイプ。(以後L型)  Short型遺伝・・黄色人種に強く現れるタイプ。(以後S型)  他にもK型というものがあるが、詳細は不明。  L型遺伝が強いほど、不安になりづらく、ストレスに強い気質になる。  S型遺伝が強いほど、不安になりやすく、ストレスに弱い気質になる。  S型遺伝を持つ動物は篇桃核に刺激を敏感に反応しやすく、恐怖など嫌悪を感じやすい。 いわゆる好き嫌いに関係する。 S型遺伝を持つ人の遺伝を危険回避傾向と呼ぶ

この遺伝と気質をまとめた唯一証明されている学会論文は、ユングの精神分析にも非常に類似している。 ユングの精神分析は外向性内向性に分けて説明されている。 外向性はユーロ、アフリカ、ポリネシア、オセアニア、アメリカに強く現れ、内向性はアジアでのみ強く現れていると言われている。

新奇探索傾向を持つ人は、イスラエル、アメリカ、スペイン、など白人に多く現れ、危険回避傾向を持つ人はアジアで多く現れている。 ユングの精神分析で当てはめると、欧米やアフリカでは外向性の気質が表れ、アジアでは内向性が現れている。

これらは血液型に当てはめると非常に信頼のある統計が採れる。 全ての説明を掲載するのは難しいので、ある程度の傾向をまとめ記す。

血液型の分布タイプ(ヒト科) O型・・アフリカ・欧米型  A型・・環太平洋・欧米型  B型・・アジア型  AB型・・アジア型 

血液型ごとの精神タイプ(ヒト科) O型・・外向性  A型・・外向性  B型・・内向性  AB型・・内向性 

血液型ごとの気質因子(ヒト科) O型・・新奇探索傾向(DRD4=5-8,L型)   A型・・新奇探索傾向(DRD4=5-8,L型)   B型・・危険回避傾向(DRD4=1-4,S型)   AB型・・危険回避傾向(DRD4=1-4,S型)  

これらの傾向は、各血液型ごとの自殺率などにも大いに影響を与えている。 B型とAB型はストレスに弱く欝になりやすく、自殺率も高い。 これは、アジア人種の性格で「気の弱さ」すなわち「神経質」で「不安神経症」「不眠症」などを起こすきっかけになる。 これは、「危険回避傾向」が強く「内向的」であるほど起こり易いのである。 これらの性質や傾向をふまえたあとに血液型占いや世間で噂される血液型性格診断などの多くの間違いに気づくはずである。つまり、現在出回っている血液型性格判断は、不正確極まりなく、また大きな誤解を招いていると言う結果となる。 また、これらの傾向は、絶対性は無く、たとえば、O型やA型であっても、アジア人種であるなら、危険回避傾向を持つのは妥当であり、逆にヨーロッパ人種であるならばB型やAB型であっても新奇探索傾向を持つのが妥当である。一般的に見て、血液型よりも、ずっと人種否、ドーパミンやセロトニンの方が圧倒的に気質に大きく関連していると見てよい。

また、気質だけでなく、体の部位の特徴にも、地理的分布の影響を与えやすい。 たとえば、「一重瞼」、「下戸」、「粉耳」、「アルカリ性体質」、「ネオテニー」、「精子不足」などの出現確率は世界統計的に、B型の多い地域に発生しやすい。 B型は癌に強いと言われているが、これは、「アルカリ性体質」との相関性を指摘されている。 また、B型は男らしく浮気が多いなどとの決め付けもよく聞くが、これもどうやらずいぶんな誤解であったようだ。 世界sex白書と言う文献では、不倫・浮気などが多いのは、ヨーロッパ人種であり、アジア系人種は逆に少なく、またsexの初体験の年齢が高く、sexの回数も少ない。因みに、アジア人種は男性ホルモンの量も少ない。 つまり、現在の世界統計的にはB型の人間には、浮気が少ないのであり、これは日本で言われることと真逆の結果になっていることに気づく。 これらのことから見ても、日本で行われてきた血液型性格判断は大いに間違いであることに気づく。 また、日本人により標本化された統計も、「その血液型をどう思っているか?」と言う統計ばかりで「先入観を促す」ものが多いのがわかる。


祖先型の血液型はA型?


A型はB型とO型の祖先型の血液型と言われており、現在では定説化している。 兄弟型のB型とO型はA型を隔て二分していると見てよい。 分布的にも、遺伝的にもB型とO型はA型を隔て遠い位置に分かれている。 OO型とBB型を基準に遺伝の遠さを見ると以下のような体系になる。 

OO-AO-AA-BO-AB-BB

また、脊椎動物の血液型構成は以下のようになっている。


魚類:A式 両生類:AB式 爬虫類:AB式 鳥類:AB式 哺乳類:ABO式 (哺乳類の中でも霊長類のみO型が確認されている)

因みに甲殻類はA式。

尚、O型はA型B型に比べると子に対し遺伝しにくい、しかし、現在の人間でO型が最多の血液型であるのは、資源の豊富な温暖な気候に順応したためと見てよい。

温暖な気候では、元々の霊長類の祖先であるA型は多くの種を広めやすかった。O型はそんな資源の多彩な中でA型から分岐した。O型は食料資源の豊富な暖かい地域でじょじょに広まっていった。 O型の種族が温暖化とともに北部へとその生息地を広めていった。 元々住んでいた、A型やB型の種族を寒い北へ北へと追いやり広まっていった。 そんな中で、資源の乏しい地域に追いやられたA型はそれがバネとなり、森や湖など資源の豊富なヨーロッパに到達すると資源を有効に活用した進歩的で創造的な文明を積極的に築いた。A型の多い白人の性格はいかに、豊富な資源を利用し斬新で有効な物を創造するかにこだわった。それは気質にも現れているのがよくわかる。白人の社会では、いかに独立し個人で切り開き、いかに財産を獲得するか?と言ういわば開拓・創造・競争の社会となっている。

B型はというと、極端に生きるための資源の乏しい、ステップやツンドラの地域に追いやられた。 夏に獲物を獲得すると、その乳を少しずつ飲み、あるいは冬のために醗酵させ保存させたりなどして、非常に保守的で質素に生き延びていた。勿論、肉を食べると言う贅沢はそうそう行わない。そんな中で乳製品を製造する文化が広まって行った。彼らは、生活資源である馬やヤギなどを大切に放牧し、それらの欠かせない資源を親から子へと相続させた。厳しい環境の中では、全ての生活資源が大切だったので何度もお古として使いまわした。現在のアジアで広まっている相続の文化は、実はアジア人のこんな保守的な面から生まれてきたのだ。また、アジアで生まれた発酵物はこれだけではない、イースト、醤、味噌、納豆、キムチなどである。

さて、A型の種族とB型の種族はその後、多くの資源を求め、以前は追われる実であったが、培った進歩性や保守性を武器に、人類の故郷である南へと侵略を始める。 そんな中で、モンゴル帝国はB型を大きく広めることとなる。 彼らは、東ヨーロッパや中東、遠くは北アフリカまでその勢力を拡大した。 大航海時代はA型の多い、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、イタリア、北欧などから発生し、以後彼らは、広い地域を植民地として治める。その後、産業革命以後A型の人口はどんどん増えてゆき、現代では最も人口増加率の停滞している血液型でもある。--以上の署名のないコメントは、124.86.148.192会話/Whois)さんが 2006年9月21日 (木) 06:49 (UTC) に投稿したものです。

世界の血液型頻度については、マヨネーズ 氏とも議論を重ねましたが、少なくとも人種との相関性は少なく、遺伝子交流の違いにより民族間で頻度の違いが生じている感があります。その証拠にモンゴルでは「B型」が多いとされていますが、全体の過半数を占めているわけではありません。アフリカ系やポリネシアなどの血液型分布と比較すれば、むしろ日本人の血液型分布に近いものがあります。モンゴル人は同じくB型が多く、血液型の頻度分布が類似しているインド人よりは遺伝的にはるかに日本人に近いことが遺伝子の研究でわかっています。ですから漢民族や朝鮮民族のような日本人よりもB型の多いとみられる民族集団が日本に渡ってきたとしても、偶然が重なって2,000年後には現在の日本のような血液型頻度になることも考えられうるのです。従って上記のとおり血液型と環境適合性を論じることは空想としては興味が持てる内容かもしれませんが、学術的には意味がないように思われます。--X-15 2007年4月14日 (土) 16:12 (UTC)

賛否論争について[編集]

>最近は大脳生理学や遺伝子工学的な見地による賛成論もある。 とありますが、どういう論拠によるものなのか、また論文の情報など、ご存知の方は加筆して頂けると嬉しく思います。 一般的に知られている「血液型性格診断」を積極的に肯定するもの、というよりは、性格と血液型の関連を示唆するようなものではないかと思うのですが、個人的にも興味がありますし、項目の充実にも繋がるのではないかと思います。86.101.91.207 2006年11月16日 (木) 02:11 (UTC)

「賛否論争が存在する」という点が事実かつ重要であり、肯定説や否定説のみを披露する場ではないと思います。中立性と発展性に留意し、いきなりすべての記述を元に戻すような行為は避けてください。 また、リンクの中には単なる書籍の宣伝サイトもあり、注意が必要です。--チョコラート 2007年2月28日 (水) 07:46 (UTC)

見出し文の修正について(2006/12/28~)[編集]

見出し文(目次までの文)への修正を戻しました。 >信じる・信じないものかかわらず、血液型別の性格特性は広く流布されているという事実が有るが、これらは能見親子の血液型説が発端に過ぎず、血液型で気質に違いが生じるという「噂」をメディアが食いついて、今に至るまで断続的に報道していることが原罪である

見出しで、一般的に周知されている内容・概要や要約を書きべきで、「血液型で性格は判断できるか?」の結論が出ていないにもかかわらず、「原罪」という表記は、適切ではない。また、編集内容の要約を記載してもらいたい。--JIMISHIMO 2006年12月28日 (木) 05:13 (UTC)

>「血液型で性格は判断できるか?」の結論が出ていないにもかかわらず
これについては、至る所で語られている。本文の「血液型性格分類の問題点」では、詳しくまとめられているので、一度は御覧になってもらいたい。「メディアが断続的に報道している」ことが、流布に繋がっている。海外ではメディアが断続的に報道することはないので、血液型別の性格の特性は流布していない。これは周知の事実。マヨネーズ 2006年12月28日 (木) 17:23 (UTC)

1.この記事には、血液型占いからもリンクしています。血液型占いとして考え方として、血液型性格特性は載せるべき。

2.海外がどうとかより、日本(身近)でそういう考え方が知られているということが大事。日本では血液型別の性格の特性は流布しています。本文2行目で、日本含め近隣諸国で広く流布と記述しています。よく読んでください。日本語Wikiでは、特に場所を指定しない場合は、日本を指します。

>テレビや新聞や雑誌などの血液型性格分類は、「やらせ」であるという話もある。また、しばしば「血液型占い」と呼ばれ、テレビ番組の占いコーナーなどでも血液型占いが扱われることがあるが、血液型占いは全くの迷信であり、伝統的な占いと同一の範疇に含めることはできないと考える者も存在する。
ここで書かれているとおり、迷信と考えている者は一部です。--JIMISHIMO 2006年12月28日 (木) 22:17 (UTC)

迷信と考えているものが「一部」であることの検証ができるのですか。迷信でないと考えているものがどの程度いるのでしょう。すべての血液型の組合せと性格とがリンクしていないのにねえ。真っ当な判断力があればこんなものを信ずる理由がないんですからね。--PeachLover ももがすき。 2006年12月29日 (金) 00:43 (UTC)

一部です。割合を気にしてるのなら、大部分や極少数という記述でもかまいません。あなたが迷信と思っていて、私が迷信と思って無い以上、一部なのです。 あなたの意見は、まったくの無駄です。ここノートでは、個々の論を意見するのではなく、文章修正を中立的な観点から修正する為の話し合いをする為にあります。--JIMISHIMO 2006年12月29日 (金) 01:46 (UTC)

確かに全部ではないですけどね。一部なのか、大半なのか、検証ができませんから、あなたの意見も無駄ですね。テレビ云々自体が無駄なのでコメントアウトしました。再記述する際には、出典を明記して下さい。--PeachLover ももがすき。 2006年12月29日 (金) 01:51 (UTC)

一方的な修正をしているように見えます。差別を助長というのは、まったく関係ないと思いますが。百科事典では化学的根拠に基づく事実や、周知されている事実を記述するが大事で、記述内容により、助長されるうんぬんは、利用者の問題です。 血液型性格分類という主題で、「一般的にA型は几帳面で・・・」という文をあなたの主観だけで消すのは、適切ではありません。 信じる・信じない、正しい・間違っているにかかわらず、たくさんの人が常識と思って知っていることなのですから。修正却下を求めます。--JIMISHIMO 2006年12月29日 (金) 03:05 (UTC)

常識と思っているのですか??? 血液型で性格を分類するという事象があることは多くの人が知っていると思いますが、それを「常識」と捉えるかどうかは別の問題です。あなたの周りにはがこのような児戯に類する分類を「常識」と捉えている人が多いのかもしれませんが。あなたの主観を記載する場所でもありませんので、無理に記述を残す必要がないでしょう。修正却下などというシステムはありませんのであしからず。--2006年12月29日 (金) 03:44 (UTC)

常識という意味を再度調べました。多くの人に知られていること=です。常識であってますね。却下とは、自主的に訂正してくださいと促したつもりなんですが、無駄でしたね。あなたが修正したことでノートで話しにあがっているのに、相手の書込み自体への突っ込みしか入れないのは、生産的な会話と呼べません。 でわ、ウィキ方針に則り、私なりに修正していきます。 それと、今までの人が審議して見出し文を書いているのに、追記だけならいざしらず、ばっさり削除するとは、ノートの意味ないですね。それと、編集が多いときは尚更、編集内容の要約は、書きましょう。--JIMISHIMO 2006年12月29日 (金) 04:30 (UTC)

客観的に示す方法として、例えば一般的な書籍ではこのように書かれている、とか書いたら良いのでは。あと少々難しいかもしれませんが、テレビでの放送の頻度などは検証可能なデータとして挙げられないでしょうか。とにかく「周知されている事実」であることを示す何らかの信頼できる情報源が必要です。--Calvero 2006年12月29日 (金) 05:06 (UTC)

中立な意見&アドバイス、ありがとうございます。 科学的に証明されていない(遺伝子が性格と関連しているか解明されていないことに同じ)ものを、公的機関が発表しているのを、探せませんでした。 また、BPOへの苦情などで各代表的なメディアが放送規制しているので、新聞各社でも有力情報が見つけれませんでした。 過去のテレビの放送実績として、下記を提示します。

岡山大学大学院 http://www.okayama-u.ac.jp/user/hasep/articles/2005/_507Hasegawa/_507Hasegawa.pdf

あと、go.jpに絞って検索しましたが、下記が最高情報でした。

金沢医療センター http://www.hosp.go.jp/~knzwhosp/shinryou/naika/ketuekinaika/triviaNo6.htm

それと、情報の正確性は立証できませんが、血液型性格判断肯定派として言いたいことがまとめられているサイトは、外部リンクでもある

NPO 血液型人間科学研究センター http://www.human-abo.org/index.html

上記を参考資料として見出しに「一般的にA型は几帳面、B型はマイペース、O型は大らか、AB型は天才肌、と言われています。」 と追加します。(25004/12/28 TBSの特番内容 http://www.tbs.co.jp/program/ketsuekigatasp_20041228.html 参考)

それと、肯定派否定派のつぶし合いをするのは無駄と思いますので、節-肯定派の見解-を作ります。否定派は、必要なら作成してください。--JIMISHIMO 2006年12月29日 (金) 15:01 (UTC)

常識とは「多くの人に知られていること」ではありませんよ。一般人が共通して持つべき普通の知識及び判断力のことです。ただ単に多くの人に知られていると言う場合、人口に膾炙している、と言うべきでしょうね。そういう意味では、血液型と性格との関連は常識とは呼ばず、ただ単に流布されていると言った方がよいと思いますが。どちらの立場にも言えますが、属する集団内で受け入れられている説=常識、ではないということです。

元々の記述は、否定派というよりは、科学的な視点からの記述であったと思いますが…まあ、肯定派の主張を分割するのはwiki的にはいい考えかもしれませんね。86.101.91.207 2006年12月31日 (日) 14:20 (UTC)

参考として挙げられている、岡山大学大学院の記述にはちゃんと目を通していますか?「一般的にA型は几帳面、B型はマイペース、O型は大らか、AB型は天才肌、と言われています。」は、単にTBSの見解でしかないわけです。様々ある説のうち、特定の一つのみを抜き出して強調する必要は無いだろう、と思いますが。86.101.91.207 2007年1月8日 (月) 19:29 (UTC)

削除と修正(2006/1/17)[編集]

各所に不確定なことや仮定・推測の域を出ない記述や個人の主観の域を出ない書き方がなされていた箇所がありましたのでその部分を削除。また、他所からの丸写し同然である上に長い記述があったので削除と修正を加えました。問題があれば理由と共に指摘してください。--以上の署名のないコメントは、59.147.154.231会話/Whois)さんが 2007年1月16日 (火) 15:29 (UTC) に投稿したものです。

血液型性格分類の矛盾点[編集]

血液キメラと呼ばれる複数種類の血液型を持つ場合について考えてみるとしよう。 逆の視点で、性格から血液型を当てようとした場合は多重人格者ということになるのだろうか。 さらに元の視点から見ると、多重人格者は血液キメラということになるのだろうか。--以上の署名のないコメントは、60.39.162.197会話/Whois)さんが 2007年2月21日 (水) 21:09~21:11 (UTC) に投稿したものです。

血液型性格分類の「歴史」について[編集]

「歴史」に関しては、批判的な記述が多すぎるため、下記の記述を入れるべきであると考えます。1週間以内に本ノートに異論がなければ、「合意の形成」がなされたと判断し、記載します。これに限らず批判的な記述に偏らず、「血液型性格分類」がもたらす「プラス」又は「マイナス以外」の効果についても記述を行うべきではないかと考えます。

「一方で、血液型性格分類が主に女性の話題のひとつとして定着した現在においては、血液型と性格に関連する多数の出版物が存在し、雑誌の掲載記事となっていたり、あるいは関連の商品が多数販売されている。対象は実在の著名人はおろか、フィクションの登場人物にさえ及び、血液型の設定がないフィクション作品など探す方が難しい。このため、経済的価値はもはや軽視できないものになっていることも事実である。人権問題にかかわる危険性が指摘されているが、そのような些細なことよりも、日常会話や占いで普通に用いられるなど、文化娯楽的な貢献が大きいことは見逃せず、血液型性格分類はその真偽に関わらず有害なものではないとの意見もある。」--X-15 2007年5月4日 (金) 10:27 (UTC)

「人権問題にかかわる危険性」が「些細なこと」と記載しようと堂々とおっしゃる貴方の感覚には、失礼ながら全く畏れ入るほかありません。
疑似科学的な根拠に基づいて流通している商品一般について、「経済的価値」が大きいとか「文化・娯楽的な貢献が大きい」(?)ならOKとの記述が必要というお立場なんでしょうか。
血液型性格分類には科学的な根拠がないことは明白である以上、それが一般社会の中で信用に値する性質のものなのかどうかという観点からすれば、批判的な記述が基調となるのは当然でしょう。 Hkato 2007年5月4日 (金) 17:45 (UTC)

「OK」とは考えていませんが、記載はしてもいいと考えます。血液型性格分類に科学的な根拠がないことはわかりますが、単純な娯楽として取り扱うこと自体は「迷信」や「星座占い」などとと同レベルのもので、取り立てて批判される必要はないと考えます。さらに、「血液型性格分類」が東アジアを中心に大きく広まっており、今や経済的価値を有するコンテンツとなっていることについては、その賛否は別にして特筆されるべきものがあるでょう(血液型性格分類がもたらす諸現象については、その功罪にかかわらず公平に記載されるべきでしょう)。なお「そのような些細なことよりも、」の一文は「主観的」であるので外します。--X-15 2007年5月5日 (土) 05:24 (UTC)

どちらかと言えばX-15さんの見解に賛成します。広く世間で問題にされているのは、あくまで血液型性格分類を科学的な理論や実験に基づく事実として捉えることであって、現時点では科学的根拠がないことを踏まえた上で、占いや日常会話の題材に取り入れている分には、問題視している人はそれほど多くないと思われます。ソースはないので個人的な見解に留まりますが・・・。
また、テレビ局スタッフの略歴に血液型を記載することや、漫画・ゲームのキャラクタに血液型を設定することに対する見解(否定的・肯定的にかかわらず)は、少なくともそれなりに信頼の置ける情報源では見たことがありません。
概要の「しかし、相変わらず民法テレビ局スタッフのプロフィールには血液型が付きまとっている。」、1節の「しばしばゲームや漫画などでは血液型を言及することが多く、旧世代の悪い価値観が未だに蔓延っている。」の部分は、それなりのソースの提示がない限り、削除もしくは修正した方が望ましいと思われます。2007年5月5日 (土) 18:51 (UTC)

他言語での項目名を根拠にした記述の削除[編集]

西欧での受け取られかたの記述ですが、これはWikipedia自身がソースとなっていて根拠がありませんので削除しました。主張自体はうなづけるものではありますが、それを示すには外部のソースを参照すべきです。--DoWhile ? 2007年6月28日 (木) 03:34 (UTC)

外部リンクについて[編集]

一部不適正なリンクがありましたので大まかに削除しました。 偏ったリンク集となっておりましたので、wikiとしては相応しくないと判断しました。 細かい事ですが、削除したリンクを修復された方がいたので記載させて頂きます。--以上の署名のないコメントは、Lammtara会話投稿記録)さんが 2007年9月2日 (日) 13:29 (UTC) に投稿したものです。

主張の裏付けとなる出典先として、単なる一個人のサイトを利用していますが、これは不適切です。どのような外部リンクを使うべきかを読み直された上で訂正するか、その主張自体を削除してください。--121.102.39.19 2008年2月4日 (月) 13:46 (UTC)

独自の研究は禁止されています[編集]

Wikipedia:独自研究は載せない」はWikipediaの公式ルールです。Wikipediaでは自分の考えを開陳してはいけません。何らかの確かな文献(資料)に掲載されている情報だけを投稿するということです。なおかつ、投稿者は出典(信頼に足る情報の出所)を、各情報ごとに明記する義務があります。肯定的な内容であろうが、否定的な内容であろうが、いずれも出典付きで、かつ原典どおりの意味を伝える文によって構成されていなければなりません。現状を見るに、いかにも独自の研究と思われる文がいくつも紛れ込んでいるようなので、順次コメントアウトなどの処置をしてゆくことにします。--BTTP 2007年9月3日 (月) 06:24 (UTC)

「テレビでの扱い」について[編集]

「血液型性格診断の問題点を番組で取り上げて指摘していたのは2007年半ばまで、NHKだけであったが」と言うのは私の記憶とは異なります。かなり昔の話になりますが、テレビ朝日のたけしの万物創世紀や番組名は忘れましたがテレビ東京でも、血液型と性格の因果関係を否定した発言があったと記憶しています。無かった事の証明もあった事の証明もある意味悪魔の証明になってしまうので、当該部分の表現を変更します。--邪狩 2007年10月11日 (木) 18:03 (UTC)

原典は挙げておくように。削除してはいけません[編集]

Roryazが2007年9月23日 18:14に、能見正比古らの書籍のリストを勝手に削除しましたが、そのようなことはしてはいけません。

血液型性格分類が擬似科学であるとしても、原典そのものは挙げておく必要があります。原典を掲載しておかないと、そもそも一体、何(対象となっている仮説)について研究者たちが議論をしているのか、題材がはっきりしなくなります。原典の書名(およびISBN番号など)は絶対に消去しないように。

(たとえ、内容の不正確さに腹が立とうが、説の内容が(自分自身の差別体験・思い出などと重なって)個人的に嫌いであろうが、原典のリストは掲載しておく必要があるのです。ゲーム脳百匹目のサル水からの伝言などの項も参照のこと。いずれも疑似科学や悪徳商法ですが、もちろんそれの発信源となった原典はWikipediaに掲載してありますし、掲載しておく必要があるのです。) --BTTP 2007年10月20日 (土) 08:22 (UTC)

Bopkon(Roryazのソックパペットの疑いが濃厚なアカウント)が、2007年10月23日07:35にも原典を削除しましたが、そういう行為は認められません。Wikipediaにおいて(原典の書名が掲載されているということは原典の内容(情報の質)が肯定されているということでない、ということをよく理解して、今後は感情的な削除を控えなさい。RoryazやBopkonのやっていることは荒らし行為です。これ以上繰り返すようなら投稿ブロック依頼も検討します。

この記事に掲載してあるのは、能見の書籍だけではありません。山崎賢治や詫摩武俊の書籍・論文も掲載してあります。能見の書籍だけが冊数が多いのは、能見の書籍群は、まさに議論の対象になっている本、テーマそのものとも言えることと、実に数十冊も出版されており、バリエーションがあり、そのありさまを記述するには、とても1冊の書名を挙げただけで済ますわけにはゆかないためです。通常、長期に渡って類似の説が発表されつづけている場合は、初期のものを優先的に挙げるものなので、初期の数冊を列挙しています。 繰り返しますが、能見の書籍名が挙げてあることが、能見の説が肯定されているということではないことを理解しなさい。そういう単細胞な反応、幼稚な反応は止めなさい。能見に限らず、他の著者や他の学者が、複数の著書や論文(紙のもの)を出版したり発表していれば、同様に複数掲載すればよいのです。 --BTTP 2007年10月24日 (水) 07:05 (UTC)

検証可能性の考え方をよく理解すること[編集]

Roryazなどは、Wikipediaでの「検証可能性」という考え方をよく理解するように。Wikipediaでは、仮説が最終的に事実かどうか、というようなことについてあまりムキになってはいけないのです。Wikipediaの記述で重要なことは、どの(信頼できる)資料にどのような情報が書かれているのかということを、自分の個人的な感情は抑えて淡々と記述してゆくことです。たとえ仮説の内容が(根底から)間違っていても、誰によって、いつ、何というタイトルの書籍で、どのような内容の仮説が、どのような表現(テーゼ、定式化)で発表されたのか、ありのままに正確に記述(引用)してゆく必要があります。

それと、わざわざムキになって否定する文を大量に掲載しなくても、学者による批判的見解の引用文が項目の末尾にわずか数行書かれているだけでも、仮説の内容は不正確なのだろうということがまともな読み手には十分に伝わります。仮説をムキになって否定するために、独自の研究や不正確な論理をでっちあげて批判文を掲載してはいけません。それでは元々の原典が不正確な情報であるうえに、さらに不正確なエッセー(どこに原文が書かれているのかも確認できない、誰がその批判の論理を思いついたのかはっきりしない、得体の知れない文章)が増えてゆくばかりです。これでは記事全体がゴミの山のようになってしまいます。今後も独自の研究は削除してゆくことにします。

批判的な情報を記事後半に掲載することは大変結構なのですが(私も今後出典を探りながら投稿しようと思っています)、批判文を掲載する時でも、常に信頼のできる資料を出典とし、できるだけ正確に引用するように。自分で思いついた批判文(=独自の研究)を書き込んではいけません。出典は原則的に、ネット上の資料ではなく、印刷物や学会で発表された論文などであるべきでしょう。(ネット上の無名の一般人による肯定・否定の主張などを引用してはいけません。そんなものを織り込んでいたら、この項目に限らず、不正確なだけですし、キリがありません。それと、"何であれ批判していれば科学的な考え方"、というような単純なものでもなく、素人による批判の論理・論法にも疑似科学的なものや論理的な間違いが忍び込んでいることが多々あり、説明が無駄に混線するばかりですので、無名の一般人の主張・批判は、使えません)今後は著者の実名および職業(○○大学医学部教授 ○○大学社会心理学科講師、等々)などがはっきりとしていて、版(バージョン)が決定・固定しており、20年後でも50年後でも、書名やISBN番号およびページ数などで一意的に文章が特定できる資料から引用するように。

出典は、書き手の個人名も組織名も特定できない匿名で書かれたような資料(=情報の責任者がはっきりしていないもの)であっては絶対にいけません。そのような出典の選択は今後は慎むように。情報は、情報の内容も大切ですが、それ以上にその情報を誰が発信しているのかということが大切なのです。今までに投稿されたものでも、資料の著者名が明らかでないものは、順次削除してゆくことにします。

今後投稿する人は、めんどくさがってネット検索で済ましたりせず、紙の資料を借りるなり手に入れるなりして自力で読んで、原則的に著者名資料名掲載ページの3点を特定して投稿するように。

--BTTP 2007年10月20日 (土) 08:22 (UTC)

BTTPさん。検証可能性も独自研究を載せない事も大変重要ですし、ご意見の内容自体は基本的に間違ってはいないと思います。しかし、Wikipedia:礼儀を忘れないについてももう一度思い起こされて心に留めていただけますようお願い申し上げます。つまりはもう少し他の利用者への思いやりを持って欲しいということです。(以下礼儀を忘れないより抜粋)

私達のウィキペディア・コミュニティは、これまでの経験をふまえて、複数の基本原理(meta:Wikimedia principles)の間に、非公式ながら優先順位を設けるようになってきています。最も重要なのは、記事は中立的観点にたって書かれなければならない、ということです。そして、他者へ常識的な礼儀を守って接することは、その次に大切なルールです。

--Marius(Koiwatanuki) 2007年10月25日 (木) 01:33 (UTC)

歴史欄と冒頭部分のRevertおよび修正について[編集]

コメントがおかしくなってしまいましたが、歴史欄については中立的観点から時系列に従った客観的な記載が求められるという立場から、Bopkonさんによる修正(歴史欄の「教育学者古川竹二による一連の研究」についての記述に対して、今日におけるその評価を書き加えたもの)はリバートさせていただきました。

また、ノートページの記述の、投稿者本人以外による(あるいは署名が無く本人によるものと特定できない形での)削除は健全な議論を行なう為には不適切と思われる事から、これもリバートさせてもらいました

また、血液型正確分類は学術的な正当性だけの問題ではなく現実の社会に多大な影響を与えている「社会問題」でもあるという観点からの記述を本記事冒頭部分に付け加えさせてもらいました。--Marius(Koiwatanuki) 2007年10月29日 (月) 09:12 (UTC)

まずBTTPの記載では能見正比古は問題なく、その他研究者のほうに問題があるような記載になっていましたので、能見正比古自信の研究の問題点を紹介のすぐ後に付け足しました。著書の紹介では能見正比古1人のものを数冊も選別してるので、遠回しに紹介したがっているとも捉えられますし、中立的ではありませんので、削除させてもらいました。血液型性格分類の具体性を紹介するとしても、それぞれの血液型のよく言われている欠点や、IQテストの結果や、衝動性の検証結果など、どれも現実にある情報ですが、それらを載せることは健全ではない。BTTPのように遠回しに「出典だ」などと言って載せることは、モラルに反していると判断します。そもそもRoryazuのソックパペットなどと勘違いして長々と怒りを無駄な文にしている時点で、BTTPとは健全な議論ができそうにないです。--Bopkon 2007年10月29日 (月) 09:25 (UTC)

「BTTP氏の記載」とはどの部分を指しておっしゃっているのでしょうか。Bopkonさんが追加した記述の前の文章の事を指しているのであれば、「血液型正確分類」が広く流布されるに至った歴史的事実を記述しているだけであって、問題の有る無しについて特定の立場で言及したものとは私には認められません。BopkonさんはBTTP氏の言動が「モラルに反している」と判断されたという事ですが、モラルにもいろいろあると思いますがどのようなモラルに反するとおっしゃっているのでしょうか。wikipediaはオンラインで利用でき、誰でも自由に編集できる百科辞典(つまり知識の集成)を作り上げるプロジェクトであり、運営資金等はそのコンセプトに賛同した人々の様々な寄与によって運営されています。そして、その基本となるのが基本方針とガイドラインに掲げられている方針およびガイドラインです。基本方針の中でも特に「中立的な観点」「独自研究は載せない」「出典を明記する」等の考え方はwikipediaが「自由に編集できる」というコンセプトを維持しつつ百科辞典として一定の信頼を得る為に必須の原則であると思われます。wikipediaプロジェクトの成功の為にこれらの原則を最大限尊重していくのが私の考えるWikipediaの編集におけるモラルです(もちろんそれ以前の問題として「人の道」を外してはならないと思いますし、基本的な方針には「他の利用者を尊重し礼儀正しくする」という事等も含まれている訳ですが)。さて、Bopkonさんが「モラル」とおっしゃっているのはどういう観点に基づいての事なのでしょうか。他人がモラルに反していると公の場で誹謗したからには「モラルとして」その根拠についてきちんと説明する事が求められると思いますが。--Marius(Koiwatanuki) 2007年10月29日 (月) 10:23 (UTC)

テレビ番組などで紹介されていた例として、テレビ番組で放送されていた捏造だらけの情報を具体的に載せるとする。これが健全だと思いますか?1人の書籍だけを何冊も中心に紹介すれば、その1人の価値観だけが紹介されることなります。「捏造書」として紹介するならわかりますが、古い書籍としか紹介しないで載せるならば尚の事、その人の狂信者に都合がよくなるだけです。何冊も1人の価値観だけが紹介するより、他の国の研究者の書籍なども紹介して価値観の紹介が偏らないようにすることが大事なのです。--Bopkon 2007年11月9日 (金) 03:10 (UTC)

私はBopkonさんが上で述べられた事と、実際に行なっている言動との間に激しいギャップがあると思いますよ。また事実認識も誤っていると思います。
Wikipediaは誰でも執筆に参加できる「百科辞典」なのであって、教科書ではありません。Wikipediaの執筆にあたって中立的観点がもとめられるとはいっても、一人の執筆者が全ての観点について網羅する事を求められてはいません。Bokponさんが別の観点について書き加えたければそれは自由です。しかし他の人がそれを不適切だと判断して削除するのも自由です。しかし、そのやり方には慎重さが求められると思います。私にはBokponさんがこの記事の全体の構成について十分考慮していただいているようには思えませんし、形振り構わずに他人の書いた文章に自分の主張を混ぜ込んでご自身の主張のみそうように図っているようにも思えます。
他のの異なる考え方を持つ執筆者との折り合いをうまく付けて合意点を見出して行く事も、多くの人が一つの記事を作り上げていく為にはどうしても必要です。そのためには、あくまで感情的は排除して冷静に、自分の事も含めて客観的に物を考える必要があると思います。
例えばBokponさんが現在の記事内容の言うところと異なる自身の主張(出典は必ず求められますが)について書きたい場合には(もちろん出典は求められますが)、両論併記の形になるような工夫をするべきだと私は思います。(ただし私にはBokponさんが「血液型性格分類のでたらめさ加減をもっと強調したい」というような意図以外の、過去の本ページ内容には無い何か新しい観点をお持ちだとは思えないのですが)
そもそも「血液型性格分類の狂信者」が現に世の中にいるのでしょうか。私には「なんとなくそれが正しい」ように思っている人が沢山いて、それからお金儲けのためにそれを利用しているマスコミ等のメディアの存在があって、それがこの血液型性格分類という「悪意の無い差別現象」を生み出している、主な理由だと思います。だれか悪者が血液型性格分類を広めようとしているなどという発想から物を考えるのは、確かにその方が話は簡単ですが、それは現実逃避でしかありません。
確かに、そのことにより差別されるなどの被害を蒙っている当事者からみると、なかなか解決が進まない現実を目の前にして、悪者探しのような単純思考に陥りたくなる気持ちもわからないではありません。(私も別の意味では今の日本社会に置いて「マイノリティ」と言っても良い存在ですから)しかし、そのような単純な構図で物を考えられるほど差別等の問題は簡単ではないのです。テレビの番組をいくら声高に批判しても、それを見た人の大多数がこのWikipediaを読んでくれて認識をあらためてくれるる可能性はまずありません。ここでできるのは、心ある人が血液型性格分類というものがどういう問題なのかを理解してもらえる糸口となる事です。そして解決に向けてはあくまで冷静で客観的で紳士的でなければなりません。相手が疑似科学である以上科学的に反駁するのも得策ではなく、アンケート方法の問題等をいくら書き連ねても無益です。解決には世間の一般認識を変えていかなければならないのですから、戦術としては、疑似科学者よりわれわれの方がより客観性・科学性を重んじていて、信頼できるという評価を勝ち取る事が非常に重要なのです。
そして、少なくともBTTPさんに関しては「血液型性格分類」の問題点についての客観的な情報(「でたらめ」のような主観的表現の対極にあるもの)を伝られるようになるべく努力してこられたのだと思います。それが勢い余って少々行き過ぎた表現になってしまっていたとは思いますが。

--Marius(Koiwatanuki) 2007年11月14日 (水) 04:11 (UTC)

編集合戦はやめましょう[編集]

現在の状態は実質編集合戦状態と言って良く、このままであれば保護依頼等が必要な事態にあるものと思います。

現在の状態を解決するにはどうしたら良いでしょうか。私なりに解決できるように図って見たつもりですが、もうどうしたら良いかわからなくなりました。しかし現状の記事内容はこのまま放置するべきではないと思ってはいます。

特に(これは私個人の意見ですが)一部元々科学的でない血液型性格分類に対して不適当な批判を行なっている部分が現在あり、これらが疑似科学者に反駁の余地を与え一般の人に疑似科学者の主張にも一理あるというような誤解を与えてしまいかねないものとなっていると思います。(疑似科学批判を疑似科学でもって批判するような)

また、基本認識として、私はBopkonさんは何か重大な事実誤認をされているように思います。 また、BTTPさんの言動も非常に高圧的で「お説教」的なものであり、他人を見下したような文体で、相手が受け入れやすいような工夫もなく、目的に対して適当な言動ではなかったと思います。それがBopkonさんに誤解される原因となったのではないでしょうか。

私の認識を整理(十分には整理できていませんが)は以下の通りです。

  • Bopkonさんは、BTTPさんを能見氏の狂信者あるいは、擁護する立場に立っているものと誤解しており、そのため現在ではBTTPさんに対するネガティブキャンペーンを張る行動にでている。
  • また、言動から鑑みるに、BopkonさんはBTTP氏のノート等への書き込自体は長い事もあってよく読まれていないのではないかと推察しますがいかがですか。
  • また、一部疑似科学批判のような主張もしているように見受けられますが、方法論として適当でないように思います。
  • BTTPさんは、能見氏のの主張に対しては本来むしろ反対の立場にある。ただし、中立的な観点、出典の明示等のWikipediaの公式の方針かなり強くこだわっており、他人にもそれを強要と言っても良いほどに求めている。
  • Bopkonさんを公然と他の利用者のソックパペットであるかのような指摘したのは不適当だったと思います。そのような疑いがあったのであればCheckuser依頼(この場合それでよかったんでしたっけ?)等の対応を行なうべきであって、推測だけに基づいて他の利用者に対してそのような中傷を行なうべきではないと思います。
  • 私の意見は、「歴史」節には、その時点で現に起こった、行なわれた事実だけを書くべきであり、「でたらめ」であるというような「主観的評価」を書き加えるべきではないと思います。そのような記述は別の適当な節に書くべきです。「歴史」節が比較的上部にある事ではじめてこの記事を読んだ人に能見氏らの著述等が正しいものであるという誤解をあたえる心配がもしあるのであれば、その対処としては歴史節の位置を下に移動するなどの工夫をしたらどうかと思います。

血液型性格分類がもたらしている深刻な影響については私も日頃大変憂慮してきました。しかし、その他疑似科学的な事、差別・偏見の解消に向けた取り組み全般についても言える事ですがまた、こういった問題に対するにあたっては慎重の上にも慎重に、また、あくまで感情的にならず、厳正に・客観的な立場で物事を進めていかなければならないものだと思います。

最後になりますが、それ以前の問題として、Wikipediaは何が正しくて何が間違っているのかといった事について、議論を戦わせたり、意見を主張する為の場ではありませんのでその点皆様よく思い出していただきたいと思います。また喧嘩・口論の類はもちろんご法度です。みなさん記事を執筆される前に一度はごらんになっているとは思いますが、ページ下部の「ウィキペディアについて」というリンクからたどれる数々のページに目を通されてみて、Wikipediaは何なのかもう一度再確認していただけたらと思います。

--Marius(Koiwatanuki) 2007年11月12日 (月) 05:07 (UTC)

被リンクに関して、出典の部分で、リンクがしてあるので、別枠で、リンクをする必要がないので、 外部リンクの部分は削除しました。--以上の署名のないコメントは、Hjioujoiresosryfewa会話投稿記録)さんが 2007年11月22日 (木) 11:25 (UTC) に投稿したものです。

著作権侵害の疑い[編集]

2008年1月5日 (土) 02:42 (JST) の版から2008年1月5日 (土) 02:56 (JST) の版まで(その間の差分)の内容が百科事典に相応しくないですます調になっているため、どこかからの転載である可能性があります(プレビューもせずに?短時間で何度も修正しているようですので微妙なところですが)。もし、見つかりましたら特定版削除依頼をお願いします。 --Mzm5zbC3 2008年1月4日 (金) 18:40 (UTC)

編集に感情が入りすぎていると思いますし、公平な視点に立って編集されていません。 客観的に見て、「偏りすぎている」・「感情論」・「閲覧者に訴えかけている」などの文章を見つけ次第削除 します。 文句がある方は、bloodtypeinfometion@yahoo.co.jp のアドレスまでどうぞ --以上の署名のないコメントは、210.151.173.121会話/Whois)さんが 2008年1月15日 (火) 15:46 (UTC) に投稿したものです(Mzm5zbC3による付記)。

ノートページに投稿する際には署名を忘れずに行ってください(編集ボックスの上に並んでいるボタンの右から2番目のボタンを押すと、投稿後に自動で日付と署名に変換される記号が挿入されますので便利です)。それから、あなたが最初から喧嘩腰なのは感心できません。誰よりもまずあなた自信が感情を排して公平な視点に立ち、ウィキペディアのルールとマナー(ウィケット)に配慮をしてウィキペディアでの編集や議論に参加してください。まずはウィキペディアへようこそをご覧になる事をお勧めいたします。また、あなたの提示した意見対しての議論(文句ではなく)は個人的なメール等でではなく、このノートページ上において、公開の元に行われるべきです。また、明らかに客観性が無いと思われる場合でも、編集合戦等を避ける為にあらかじめノートページで議論し合意形成の上で行われることをお勧めします。また↑で「特定版削除依頼」の話も出ていますが、実際に特定版削除が行われた場合はその版以降の全ての編集が無効になるという点にもご留意ください。--Marius(Koiwatanuki) 2008年1月16日 (水) 02:15 (UTC)
その分の編集はすべて rv してありますので特定版削除してもそれ以降の編集が失われる恐れはありません(差分がなくなるので問題のある編集部分だけの特定版削除が可能です)。また、その苦労より著作権侵害の方を Wikipedia では重視するので、どちらにしても問題があれば特定版削除はされます。あと、ツールボックスの署名ボタンに関しては JavaScript によって行っているためブラウザ側で JavaScript を無効にしていると使用できないのでその補足も必要でしょう。基本的には入力ミスなどを防ぐために手入力せずに ~~~~ による署名をお願いします。また、 210.151.173.121 さんにはお願いなのですが新しい話題は [+] で新しい節を作成して下さい。前の話題と繋がってしまうと話が混乱します。 --Mzm5zbC3 2008年1月16日 (水) 12:18 (UTC)

「読売新聞の血液型の本」について[編集]

「マスメディアでの取り扱い」のところに

最近では読売新聞が蒸し返し、血液型の本を発売しており、信じているかのように振舞うことで利益を得る人達を中心に売り上げ100万部を記録している。なお、読売新聞は過去に「血液型は性格には関係なく、そうしたことで人を判断しようとしている人は可哀相な人」という記事を載せていたことがある。

とありましたが、事実と異なっているため削除しました。 最近の血液型本の出版社は文芸社や主婦と生活社、青志社などであり、「読売新聞が」という記述は勘違い、もしくは嫌がらせと思われます。

--118.8.213.70 2008年10月23日 (木) 18:38 (UTC)

外部リンクの追加[編集]

「血液型」のページに、こちらに書くべき外部リンクがあり、同様のものがこのページにはなかった(説明だけはあった)ので、追加しておきました。 (その際に、当方の不手際により何度も編集を重ねてしまいました。この場を借りてお詫びします。)--Snowfall 2008年11月15日 (土) 08:31 (UTC)

社会問題の要出典と独自研究[編集]

出典があったので記載し削除しました。ひとつだけ不明なものがありますが、独自研究のタグをつけるほどの内容とは思えないので要出典を残して削除しました。--巴赫 2009年9月3日 (木) 09:07 (UTC)

項目の整理の提案[編集]

この項目は、概要までの記述で十分終わっているので、それより以下は削除でもウィキぺディアとしての役割は果たせていると思われます。 --Fuseoyama 2010年1月10日 (日) 06:59 (UTC)

概要までの記述で十分終わっている」・・・意味が分りません。なぜ概要までの記述で十分なのか、その理由と根拠を提示してください。でなければ除去に同意しかねます。私が見る限り概要以下の項目は、社会的な取り扱いや歴史なのどの解説を踏まえており、百科事典的であると言えます。不要な理由は見当たりません。--Mkhcan487(Talk/Contributions) 2010年1月10日 (日) 12:44 (UTC)