ノート:葛根廟事件

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T-34[編集]

現在使用されている写真T-34/76 1941年モデルのようですが、1945年の満州において運用されていたのでしょうか?これこれあたりがいいような気がしますが、Commons にはないんですよね。Takabeg会話2015年7月7日 (火) 13:00 (UTC)[返信]

検証中[編集]

葛根廟事件#否定説の部分について、過去の編集履歴を見ながら復元作業をしてみたのですが、Wikipedia:独自研究と虚偽出典が多くて、葛根廟事件に言及しているのは、ジモニンさんの新聞記事 (セニャブスカヤさんはそれを引用しただけ)、それに藤岡さん編集の書籍の三つだけした (私の調査が甘いのかもしれませんが。。。)。しかも、セニャブスカヤさんは、より一般的に「満洲における赤軍の残虐行為」疑惑のことを書いているので、「この事件は歴史の捏造でありソ連軍兵士に対する中傷だ」とは主張していません。また、藤岡さんの編集した書籍でこの事件に言及しているのは、木村貴志「非武装で避難中に襲われた葛根廟事件」で、そこには「ソ連・ロシア側がこれを隠蔽していると主張する。彼らによれば、ソ連はカティンの森事件でみられたように、虐殺を行った後で公式記録や証言を捏造し、そうした事件が相手国(ここでは関東軍)の行為であったとして責任を押しつけている」というようなことは書かれていません (他の場所に書かれているのであればページ番号を提示していただかないと。。。)。実は、藤岡さん編集の書籍以外は、全てネット上にあり、これらの論文を全て読みましたので、時間があるとき、どこが独自研究でどこが虚偽出典なのか一つ一つ指摘したいなぁと思っていますが、今はそこまで時間がさけませんので、{{要検証}}を添付するのみにとどめておきます。Takabeg会話2019年4月24日 (水) 12:44 (UTC)[返信]

それと、アファナシー・ベロボロドフの主張が書かれていますが、この人物は第一赤旗軍ロシア語版の司令官でした。同軍は牡丹江方面に侵攻してきた部隊です。日本人の集団自決事件というのは結構起きていますが、「牡丹江ってどこ?葛根廟中国語版ってどこ?」、つまり距離もかなり離れています。ベロボロドフが葛根廟事件について主張しているわけでもありません。Takabeg会話2019年4月24日 (水) 13:00 (UTC)[返信]

@Takabeg:さん、あなたは記事を不中立的な版で戻りました。残念ながら、これは十分ではありません。
言及について。
普通に、藤岡信勝さんの本と新聞記者の記事と自費出版によって出版された回想録はほとんど信頼できる情報源ではありません。 「…ソ連はカティンの森事件でみられたように、虐殺を行った後で公式記録や証言を捏造し、そうした事件が相手国(ここでは関東軍)の行為であったとして責任を押しつけている…」の部分について私はもう前に述べた。差分:葛根廟事件
「教科書が教えない歴史」でこの句が見つかりませんでした。

私はセニャフスカヤさんの引用を直した。
確かに、ベロボロドフ上級大将は第一赤旗軍の司令官だった、第39軍司令官はリュードニコフ上級大将です。 でも、ジモーニンさんは全体的な状況を示す実例として、ベロボロドフ上級大将の場合に言及した。また、セニャフスカヤさんはほかの情報源に言及しました。

ちょっとおかしいですね… あなたは1つのセクションと2つのセクションでTemplate:[誰?]を添付しませんでした。
中山隆志さんの出典はも違う。この本で「死決グループの攻撃」について説明があります。
名前と軍隊の階級がもフィックスした。 --AeonsStudy会話2019年4月28日 (日) 22:19 (UTC)[返信]

利用者‐会話:AeonsStudy#葛根廟事件でのあなたの編集についてであなたの編集の問題点について指摘して返答に代えさせていただきました。Systemic bias のせいかなぁと思っていましたが、「典拠」をよく調べてみると、それにとどまらない問題があるような気がしてきました。気のせいだといいのですが。。。-- Takabeg会話2019年5月6日 (月) 13:56 (UTC)[返信]

葛根廟事件の「否定説」の段落で使用された典拠[編集]

コメント依頼の前段階として、上記問題編集において使用されている「典拠」を提示しておきますので、お時間のある利用者有志の方々は覗いてみてください。

  • 2. エレーナ・スパルタコーヴナ・セニャフスカヤロシア語版 Елена Спартаковна Сенявская  「「文明のヨーロッパ」と「野蛮なアジア」における「ロシアの蛮人」:1944年から1945年の赤軍の解放作戦に関する神話―今日のインターネット空間で」『大祖国戦争:ロシアと世界における歴史と歴史的記憶』
  • «РУССКИЕ ВАРВАРЫ» В «КУЛЬТУРНОЙ ЕВРОПЕ» И «ДИКОЙ АЗИИ»: МИФЫ ОБ ОСВОБОДИТЕЛЬНОЙ МИССИИ КРАСНОЙ АРМИИ В 1944–1945 гг. В СОВРЕМЕННОМ ИНТЕРНЕТ-ПРОСТРАНСТВЕ «Великая Отечественная война: История и историческая память в России и мире».
  • 3. 平野達志、スヴェン・サーラ、シュテファン・ゼーベル「ナショナル・メモリーとローカル・アイデンティティーの表象における最近の展開:対馬、松山、舞鶴における記憶のポリティクス」『日本研究』20
  • Hirano, Tatsushi; Saaler, Sven; Säbel, Stefan (2008). “Recent developments in the representation of national memory and local identities: the politics of memory in Tsushima, Matsuyama, and Maizuru”. Japanstudien (German Institute for Japanese Studies) 20.
  • 4. 玉野井麻利子「記憶・・・」
  • Tamanoi, Mariko Asano (2012). 記憶 / Kioku / 思い出 / Omoide / Memory. Center for Japanese Studies, UC Berkeley.
  • 5. 林志弦 ( 임지현)「犠牲者意識の民族主義のトランスナショナル・ヒストリー環太平洋空間において:クラコフ教育大学年報」『政治学研究』XIII 165
  • Jie-Hyun, Lim (2014). “Transnational History of Victimhood Nationalism – On the Transpacific Space, Annales Universitatis Paedagogicae Cracoviensis”. Studia Politologica XIII 165. **ここからダウンロードできます。
  • 6. ハナエ・クリハラ=クレーマー「敗北からの逃走:日本人の満洲からの脱出」『東北アジア史機関誌 (ハワイ大学マノア校)』9
  • Hanae, Kurihara Kramer (2012). “Fleeing Defeat: The Japanese Exodus from Manchuria”. The Journal of Northeast Asian History (University of Hawai'i at Manoa) 9.
    • Google で “Fleeing Defeat: The Japanese Exodus from Manchuria” と入力するとトップに出てくる東北アジア歴史財団のサイトからダウンロードできます。何故か韓国系のサイトに多い。

上記のうち、1. は葛根廟事件に触れていて (お粗末な否定説で1987年当時の否定説の焼き直しですが、現時点では論評は控えます)、2.1. を引用 (紹介)しています。3.4.5.6. は葛根廟事件に触れていません。私が見落としているようでしたら、指摘してください。-- Takabeg会話2019年5月6日 (月) 13:56 (UTC)[返信]

こんにちは、Takabegさん。
特別:差分/66265924編集の要約で説明どおり、恐らく私は「荒らし」について間違いました。 
Wikipedia:安易に荒らしと呼ばないから:相手個人ではなく、相手の編集や主張の内容や中身について意見するようにしましょう。
私はPoiksoaさんは「荒らし」とは呼ばなかった、ただ以前の編集について意見を述べました。 なので、これは”個人攻撃”とは呼ばれない。
藤岡信勝の『教科書が教えない歴史<2>』について。
1.私はこの本を買った、でも上記の引用が見つかりませんでした。
2.この引用は特別な主張、特別な証拠が求められる。(WP:RS
3.藤岡信勝さんは歴史学者ではありません。
だから、私は{要検証}を付せず、編集は大胆に行きましたとこの引用を除去しました。
私は218.251.49.237さんの会話ページで自分の考えを述べました、でも返事がなかった。
ジモニンさんの記事について。
Far Eastern Affairs雑誌でほかの典拠はあります。
Krasnaya zvezdaという文字列はもう参考文献リストで言及されていた。
出典を明記するのために、ほかの情報源(産経新聞とか)を表示する必要がありませんか?
もし私の編集について何か問題があれば、話し合っておくと良いです。 Systemic biasの問題を指摘してくれますか?
Hanaeさんは葛根廟に触れた(49ページで)。
麻山事件に関する脚注記述とほか出典を混同しないでください。これは「都合が悪い記述」ではありません、事実誤認です。
いまこの記事は主に引揚者の証言に基づいています。 だから、 Hanae (2012)、Tamanoi (2012)、Jie-Hyun (2014)、Hirano (2008)を追加することが適切であると思いました。
鎮西駅でおこった事件とか、中国残留婦人の状況とか、国民学校の児童死亡とか、厳密にいうと葛根廟事件に直接関係のない情報。でも、私はこの部分を排除しませんでした。
なぜ3.4.5.6.の典拠は独自研究になったのかを説明してください。 
つまり、民族主義的な新聞と歴史修正主義者の本と自費出版によって出版された回想録を使って大丈夫ですか? これはダブルスタンダードではありませんか? 
Wikipedia:法律家ごっこWP:NOTSOAPBOXを読んでください。
利用者:废科举の話が私にどう関係があるのか? 私はWikipedia:大使館についてを知っています、これありがとう。 
あなたは何か問題があれば遠慮なく質問してください。
”お粗末な否定説”とか言葉はご遠慮ください。 結局、私は”お粗末な陰謀説”のよな言葉を使えませんでした。
いまは疑問に感じている部分を戻りました。--AeonsStudy会話2019年5月12日 (日) 22:13 (UTC)[返信]


出典の問題はまだ修正されていなかった、だから相当部分を排除しました。--AeonsStudy会話2019年7月23日 (火) 15:59 (UTC)[返信]

  • AeonsStudyさん、こんにちは。この件、すっかり忘れてました。すみませんでした。ただ、命日が近づいてきているので、騒ぎになったり、AeonsStudyさんご自身が批判の的になるのを避けるために、早急に解決しておきましょう。
  • 「お粗末な否定説」と言っている理由を簡単に説明します。ジモニンさんの『クラスナヤ・ズヴェズダ』(ロシア国防省の中央機関紙) での記事 (論稿)は、脚注など無く、研究の体をなしていません。当時4歳だったコヤマ・タカトシさんという人物の証言を引用して論評しています。この記事では、コヤマさんは、8月18日に虐殺事件が起きたと言っていることになっています。また、リュドニコフ指揮下の第39軍の攻撃地区に当該の開拓村があったこと。佳木斯にいたヤマモト・ハルコさんという人物の証言を引用し、「拘留された日本人の証言によると、多くの入植者は、満州での彼らの統治への報復を恐れて自殺した」と書いています。軍の報道によると、第39軍第5狙撃軍団が葛根廟の駅と村に無血入城 (ジミニンさんによれば「解放」) したのは「18日ではなく、8月14日だ」と書いています。コヤマさんの証言が間違っていると言いたいのでしょう。第1極東戦線第1赤旗軍を指揮したベロボロドフが、その回想録で、捕虜になった日本の第五軍の将軍から尋問で得た証言を文書化した、として、司令官の清水規矩と第五軍軍医部長佐藤俊二の証言を引用し、その後の調査で林口滴道河で第135師団が日本の民間人を殺害した、と書いています。つまり、「当時4歳だったコヤマ・タカトシさんという人物の証言」以外は、葛根廟と無関係なんです。というわけで、否定説としてはお粗末に過ぎるわけです。コメント依頼の準備をしますので、もうしばらくお待ちください。それと、あまり無理はなさらないようにしてください。--Takabeg会話2019年7月24日 (水) 11:15 (UTC)[返信]
  • Hanaeさんについては、失礼しました。確認しました。Mori Rumiko. (1988). Haha yo, tomo yo kōya de nemure. Tokyo: Nitchū shuppan. (Mori, 1988, pp. 84-87) つまり、森留美子『母よ、友よ広野で眠れ―葛根廟事件の真相』日中出版、1988年8月14日第1版、ISBN 4-8175-1163-X、84~87頁を参考資料として提示しています。これらのページは、斉藤桂子 (旧姓児玉)さんの証言「葛根廟から生還して」のうちの「母に短刀でのどを刺され」という章が相当します。参考までに、87頁の最後の文章を引用しておきます:
ソ連兵にも女性がいて、私たちが生きているかどうかを確認して歩いて居ました。動くとたちどころに撃たれてしまうので、私は頭を突っ込んだままじっとしていました。子どもと離れ離れになってしまった母親が、子どもを捜しまわっていたら、ババーンと撃たれてしまいました。生きている者は、みな殺すという感じでした。

ですから、Hanaeさんの引用はちょっとチェリーピッキングになってしまっていますが、使用可能だと思います。葛根廟に関係のないものは除去、葛根廟に関係があるといわれている (葛根廟事件遭難者名簿を見てみたのですが、「当時4歳だったコヤマ・タカトシさんという人物」が見つからないんです) ものに関しては具体的に記述することが必要でしょう。

民族主義的な新聞と歴史修正主義者の本と自費出版によって出版された回想録とは具体的にどのソースのことを指しているのでしょうか? Wikipedia:信頼できる情報源を厳密に適用するとクラスナヤ・ズヴェズダもアウトということになりますがよろしいのでしょうか? 個人的には、利用者から問題が指摘されたとしても、「民族主義的な新聞」、「歴史修正主義者」、「国軍の機関紙」などでも引用することはできると考えています。ここで細かいことを言っても仕方ないかもしれませんので、遅くとも今週末までにはWikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼に「葛根廟事件の出典などについて」を提出します。とりあえず、問題が指摘されている全ての記述も含め元に戻して要検証箇所全てにマーキングして、それから議論をすすめましょう。議論の対象となる編集をされた218.251.49.237さんや利用者:Kajitakさんなどはアクティヴでないので参加できないかもしれませんが、広く参加を求めましょう。--Takabeg会話2019年7月24日 (水) 12:21 (UTC)[返信]

Takabegさん、こんにちは。 私の上記の説明を読んでください。

『クラスナヤ・ズヴェズダ』のかわりにほかの出典を追加しました。また、『Far Eastern Affairs』雑誌が参考文献として列挙されていた。

おそらく、あなたはジモニンさんの記事を勘違いしていたようです。

ソ連側第39軍報告書とソ連兵士の証言はコヤマさんの言葉を反証している。日付の間違いはほかの証言でありました。 上記に記載しました通り、ジモーニンさんは全体的な状況を示す実例として、ベロボロドフ上級大将の場合と第一赤旗軍の文書に言及した。  結局、ソ連側第39軍報告書は葛根廟と何か関係があります。

Hanaeさんの記事について。私は「まとめ」から引用しました。多分、ここは他の記述を使うほうがいいです。

私は産経新聞のよな情報源などかまわない。でも、

  1. 導入部でもっと中立的な記述が必要
  2. 特別な主張には特別な証拠が求められる

たとえば、「仁義仏立開拓団...ソ連軍機械化部隊の攻撃...」は特別な主張と思えます。 『教科書が教えない歴史』の問題について私は今さっき記載しました。

「具体的な記述」についてを説明してください。 議論を呼ぶ事件だから、遭難者名簿を慎重に扱わなくてはならない(正確な遭難者数は不明のようです)。

私はWikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼の提出に賛同します。--AeonsStudy会話2019年7月26日 (金) 23:01 (UTC)[返信]

こんにちは。AeonsStudyさん、Far Eastern Affairsに掲載された1987年の記事のことはしっています。その頃、中国残留孤児の証言がメディアを賑わせたので、それに対するソ連側の反論・否定説として書かれたもののうちの一つです。本文中には、Zimonin, Vyacheslav Petrovich (2010). Kanun i final Vtoroi mirovoi voiny: Sovetskii Soyuz i prinuzhdenie dal'nevostochnogo agressora k miru (istoriograficheskii analiz). IDV RAN. とありますよね。原典がロシア語であればラテン文字化するかわりにロシア語ならロシア語で正確に記述・引用してください。実際に添付した利用者以外の第三者がソースを捜すのが困難になっています。また、Wikipedia:独自研究をしない、とくにWP:SYNTHESISを確認してみてください。葛根廟事件に言及していない出典をあたかも葛根廟事件に言及しているかのように提示するのは、「脳内変換」が介在してしまいますので、独自研究になります。こうした独自研究を認めてしまうと、満州における本事件以外のソ連軍による虐殺、強姦、暴行事件全般に関する研究や考察までもが際限なく加筆されてしまう恐れがあります。それらもWikipedia:信頼できる情報源にあたるものもあればあたらないものもあるでしょう。Wikipedia:信頼できる情報源であれば、他の適切な記事において使用することは可能でしょう。質問に関してですが、ジモニンさんが唯一本事件に言及している唯一の部分はТакатоси Коямаという当時4歳だった子供なのですが、遭難者名簿にはこの名前はみあたりません。産経新聞などの一般紙から (スポーツ紙やタブロイド紙や機関紙は論外)、生存者の証言などを引用してもかまわないとは思いますが、歴史に関する記事ですので骨子というかメインストリームは、書籍や論文などの二次資料で書くのが理想だと考えていますし、そういう形に修正する予定です。少なくとも、冒頭部分の産経新聞からの引用は書籍や論文などの二次資料に置き換えたいと考えています。それと、否定説だけを「事件の研究」とするのはWikipedia:中立性に違反しますし、特定の人物にのみ肩書を書くのは「偽の権威」ともとられかねませんのでいかがなものかと思います。なお、Wikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼は準備中です。--Takabeg会話2019年7月27日 (土) 03:20 (UTC)[返信]

コメント依頼 (方針・ガイドライン違反の指摘)[編集]

本記事における問題点について方針やガイドラインに従って簡単にまとめました。方針やガイドラインに従う形で、異論・反論や問題点の追加などのコメント、よろしくお願いします。

  • 信頼できる情報源違反
    • 冒頭部分の定義文を新聞からより高次の二次・三次資料 (研究者によるもの)に交換する。
    • 骨格となる「あらすじ」以外 (例えば証言など)については一般紙の使用でもかまわない。
    • 藤岡信勝らは、虐殺は実際に起こったことであり、ソ連ロシア側がこれを隠蔽していると主張する。」から始まる文章は、示された頁にそうした記述は見当たらない。示された典拠には事件の概要が書かれているに過ぎない。また、藤岡信勝が記述したものではない。よって、虚偽出典・虚偽の記述にあたるので、除去する。内容からの性格な引用は妨げない。
  • 独自研究違反
    • 葛根廟事件に言及していない典拠 (例えば、満州へのソ連軍侵攻一般について言及しているが、本事件に言及していないもの) は、当然ながら本記事において典拠とはならない。全て除去する。なぜなら、「脳内変換」という独自研究が介在しないとなりたたないため。葛根廟事件に言及していないものは、独自研究であるため除去する。Jie-Hyun, Lim (2014) Tamanoi, Mariko Asano (2012). Hirano, Tatsushi; Saaler, Sven; Säbel, Stefan (2008)などがそれに該当する。本記事で使用するのは独自研究にあたる。独自研究部分は除去される。詳細については、ノート:葛根廟事件#葛根廟事件の「否定説」の段落で使用された典拠を参照。なお、、Hanae, Kurihara Kramer (2012)については、森留美子『母よ、友よ広野で眠れ―葛根廟事件の真相』からの一部引用を確認しています (上記)。
    • 第一赤旗軍の指揮を執ったベロボロドフの回顧録は、牡丹江方面のことであるため、本記事で使用するのは独自研究にあたる。よって除去される。
    • ジモニンの執筆した記事のうち、冒頭の一例 (コヤマ少年)のケース以外は葛根廟事件に関連したものではない。当該ケース以外を本記事で使用するのは独自研究にあたる。独自研究部分は除去される。また、2010年の『クラスナヤ・ズヴェズダ』紙の記事を典拠として示しているにもかかわらず、新聞記事であるとの説明を記述を除去するのはルール違反 (そもそも機関紙であるため出典無効の対象)。1987年の論文に置き換える必要がある。また、何を根拠に否定しているのかを具体的に書く。
    • 「なお、2日前に発生した麻山事件の場合も、ソ連軍は日本軍・満州国軍との戦闘について記録しているが、避難民を攻撃したことへの言及はない」という記述では葛根廟事件に言及されているのか否かを 利用者:Kajitakさんが明らかにする。葛根廟事件への言及がなければ独自研究にあたることになる。その場合、独自研究部分は除去される。
  • 中立的な観点違反
    • 「事件の研究」という箇所のサブタイトルは、南京大虐殺否定論者たちのほうが「まし」といえるレヴェルでの否定説しか存在しないのが現状であるが、「プロパガンダ」とはせず「否定説」とする。
    • 特定の筆者による意見・説・主張に関しては、Wikipedia:言葉を濁さないに従って修正する。例えば、「避難民女性達は日本軍のプロパガンダのせいで恐怖し、ソ連兵士に強姦されると思ったため自決したとされる。」という主張の主体を明確にする。
    • 本文中で特定の人物 (筆者や研究者)に肩書を付するのは止める。必要とのコンセンサスが得られれば人物の略歴をDipnoteに付する。
  • 検証可能性出典を明記するに従い、書誌情報を正確に記す。ページ番号が付されていないもの、書誌情報が原語で書かれていないものなどに関しても、{{要ページ番号}}、{{要検証}}を付する。
  • スタイルマニュアル#画像違反
  • File:39th army HQ report, 14 august, 1945.jpgについて「1945年8月14日、ソ連第39軍本部の報告書」だけでは百科事典的な意味をなさない。Wikipedia:スタイルマニュアル#画像において「画像には適切な説明文を添えることが推奨」されている。従って、適切な説明文が添えられる必要がある。これが満たされない場合は、除去する (Commonsから削除するわけではない)。
  • 利用者:AeonsStudyさんの日本語はご本人が書かれている通りまだ下手です。いいたいことは、なんとなく分かりますが、正確には伝わってきません。Wikipedia:大使館でチューター的な利用者を見つけることを強く推奨します。また、「民族主義的な新聞」や「歴史修正主義者」などという言葉を使用するのは、利用者の観点の中立性に疑念を生じさせる一因となるでしょうから、オススメしません。議論に参加してくださる利用者の方々におかれましては、WP:CIVWP:ATTACKに十分に留意してください。--Takabeg会話2019年7月28日 (日) 13:37 (UTC)[返信]