ノート:總持寺

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改名提案[編集]

このページ「諸嶽山總持寺」を「總持寺 (横浜市)」に移動したいと思いますので、一応ルールに従って告知します。「横浜市」を付すのは、東京都足立区の同名寺院(通称西新井大師)と区別するためです。寺院の名称については、項目名(ページ名)に「山号」を含めるかどうかで以前論争がありましたが、「山号は付けない」ということで以前に合意されています。ページ名に山号を含めない理由は、長くなるのでCategory‐ノート:日本の寺に書きました。Urania 2005年5月18日 (水) 16:52 (UTC)[返信]

項目移動について[編集]

現在の總持寺にある内容を總持寺 (曖昧さ回避)に移動させ、この總持寺 (横浜市)を空いた總持寺に移動させたいと考えているのですが、構いませんでしょうか。

 理由は、当寺は曹洞宗大本山であり、同派に15,000軒ある寺院の中で同率1位の寺院でもあります。そのような有名寺院に地名を付ける事は、その他の有名寺院の付け方と比較して不公平であるからです。

 なお、東京都足立区の同名寺院については、通称の西新井大師として記憶・検索する閲覧者が大半であると思われます。--Kstigarbha 2005年12月18日 (日) 11:47 (UTC)[返信]

(賛成)ご提案のとおり移動すべきと考えます。Urania 2006年4月30日 (日) 03:27 (UTC)[返信]
移動させました。(遅くなってすみません)--Kstigarbha 2006年7月25日 (火) 04:01 (UTC)[返信]

紹瑾和尚について[編集]

文化財の項目中に「絹本着色紹瑾和尚像」と有りますがの紹瑾和尚とは、一意に「瑩山紹瑾」を指すものでしょうから「絹本着色紹瑾和尚像」 「絹本着色[[瑩山紹瑾|紹瑾和尚]]像」で構わないのではないでしょうか?--Monte Fango 2008年8月5日 (火) 08:27 (UTC)[返信]

「絹本着色[[瑩山紹瑾|紹瑾和尚]]像」、ならびに、伽藍-大祖堂解説中の二祖・[[峨山韶磧|峨山]](がさん)禅師更新。--Monte Fango 2008年8月6日 (水) 05:15 (UTC) 1週間掲示の後、==紹瑾和尚について==は削除いたします。[返信]

平安時代の記述[編集]

平安時代は「真言律宗」の寺院であった旨が書かれておりますが、一般的に真言律宗と呼ばれる宗派は、鎌倉時代に叡尊によって興された一派とされており、平安時代において今日で言うところの真言律宗の寺院があったとは考えにくいことです。もしかしたら、真言宗と律宗の両方を修めていた寺院である(平安期には複数の宗派の混在は珍しくはない)とも考えられたのですが、確証が持てなかったために一応「要出典」を付けさせていただきました。出来れば詳しい方による適切な修正が望まれるところです。--水野白楓 2009年2月17日 (火) 15:52 (UTC)[返信]

項目再移動の提案[編集]

数年前に逆の議論が行われているようですが、やはり地名を付け「總持寺 (横浜市)」とすべきだと考えます。
関東では「總持寺」と言えば横浜市鶴見区を連想するでしょうが、西日本では西国三十三箇所の寺院を連想します。駅名(総持寺駅)にもなっており、日常的に接する機会も多いです。また曹洞宗寺院としても、横浜市の總持寺は西日本ではそれほど著名ではありません。
にも拘らず横浜市の總持寺のみ地名を付けず代表格とするのは、特定の地方の「常識」を全国的に標準化することであり、受容できません。寺院ではありませんが、郵便局関連では最近、同様の平等化の理由から曖昧さ回避項目を地名を付けない項目名とし、個別の項目には全て地名を付ける方向に動いています(具体例:一宮郵便局本庄郵便局。議論はノート:塩川郵便局ノート:一宮郵便局 (愛知県)を参照)。一部の地域に偏ることの無いウィキペディアにするためにも、再改称を提案します。 Bakkai 2009年10月21日 (水) 06:39 (UTC)[返信]

(賛成)同名の項目の中で、何が代表か、どちらか優先かという議論は、尺度や基準が無数に考えられ、議論しても往々にしてこじれることが多いので、よっぽどの場合(全国の8,9割の人が問題なく納得するようなレベル)でなければ、平等な曖昧さ回避としておくのがよいと思います。--るなあるてみす 2009年10月21日 (水) 08:28 (UTC)[返信]
ところで、Wikipedia:改名提案に提案が出されていないようですが?--るなあるてみす 2009年10月22日 (木) 12:16 (UTC)[返信]
(反対)まず一般論としては、記事名や曖昧さ回避のあり方はその分野の執筆者のお考えを優先してよいのではないかと思っています。Wikipedia:ウィキプロジェクト 仏教もありますし、意見を求めてはいかがでしょう。私は縁遠いながらも自らの考えとしても#項目移動についての議論を支持しますし、大本山寺院一覧に挙げられている總持寺以外の寺院に「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を採用している記事(興福寺清水寺等)が少なからずあることを、先に述べた考えから受け入れています。読み手としても郵便局記事群と少々違っても私は気になりません。さて、この記事に関しては、私はノート:總持寺 (曖昧さ回避)#総持寺・總持寺の曖昧さ回避のあり方ノート:万福寺 (曖昧さ回避)#改名提案で冗長ともいえる議論をしたことがあるので、いささかかたくなで中立性を欠いているかもしれません。以下は割り引いて読んでいただいて構いません。
曖昧さ回避が平等であるべきかという点に関して、Bakkai さんは曹洞宗寺院として著名でない地方があるとのご見解ですが、大本山の「永平寺」と「總持寺」が、他の曹洞宗寺院と別格でないというのは腑に落ちません。しかしこれは、私が東京在住のためかもしれません(偏った立場であると指摘されると、そこから抜け出ていると言い立てられるほど世間が広くないのです)。とはいえ、地名による曖昧さ回避には違和感を持ちます。この記事は、創建を奈良時代にさかのぼる、曹洞宗大本山寺院を対象としています。明治時代に横浜市に移転しましたが、その歴史のほとんどは輪島にありました。内部リンク(特に人物記事)の多くは移転前の總持寺を指しています。現状の記事内容は横浜市移転後に偏っていますが、それは別の話でしょう。できれば改名には時間をおいて、よりご興味をお持ちの方、執筆なさる利用者の方のご意見を伺いたいと思います。--Kurihaya 2009年10月28日 (水) 15:32 (UTC)[返信]
(反対)多分野にわたる記事の比較であればいざ知らず、仏教記事どうしの比較は仏教分野の尺度で考えるのが相当と思います。新興宗教とかでもない限り、大本山の記事は別格扱いで構わないかと。もしも Wikipedia:ウィキプロジェクト 仏教 で議論があれば、そちらを尊重します。--Su-no-G 2009年10月29日 (木) 04:45 (UTC)[返信]
念の為お伺いしますが、現状維持支持の方々は「總持寺が大本山だから」との理由であって、「總持寺が少なくとも関東地方/東日本では有名だから」との理由ではないのですね?この論理だと、ウィキペディアが首都圏のみのものとなってしまい、私としてはそれを危惧しているのです。分野毎に命名基準が異なることもあり得るのは、私も理解しています。 Bakkai 2009年11月1日 (日) 15:37 (UTC)[返信]
総持寺がもし北陸にそのままあった寺だったとしても、同じことを申しますよ。Kurihaya さんもそうでしょう。--Su-no-G 2009年11月1日 (日) 16:25 (UTC)[返信]
過去の議論や現行の記事名(いずれも總持寺に限りません)から、この分野では著名な寺院に関しては「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を採用している例があることを承知しており、それを尊重しようと考えています。著名度の差は大本山寺院であることからくるのだろうと私は想像しています。總持寺の所在が横浜か輪島かは私の意見には無関係ですし、總持寺が関東で有名なのかも分かりません(曹洞宗大本山と知っていて、横浜鶴見の寺院とは知らない方がいらっしゃっても不思議に思いません)ので、それを根拠とする反対ではありません。--Kurihaya 2009年11月2日 (月) 05:05 (UTC)[返信]
反対
『岩波仏教辞典』第二版「総持寺」
「横浜市鶴見区にある曹洞宗大本山、山号は諸嶽山。1911年(明治44)石川県鳳至郡門前町から現在地に移転。(中略)これを京浜の地に移した。能登の旧跡には別院が建てられ、総持寺祖院と称し、今日に至っている。」
『広辞苑』第五版「総持寺」
「横浜市鶴見区にある曹洞宗の大本山。もと石川県鳳至(ふげし)郡門前町にあり、(中略)1911年(明治44)現在地に移転。」
『大辞林』第二版「総持寺」
「横浜市鶴見区にある曹洞宗の本山。山号,諸嶽山。もと石川県櫛比(くしび)村(現輪島市)にあった行基開創と伝える密教系の寺。(中略)明治末に現在地に移建された。」
上記辞典には横浜市鶴見区の「總持寺」のことだけが掲載されており、同寺の記事名を代表的なトピックとすることは妥当であると考えます。--Resto1578 2009年11月8日 (日) 10:43 (UTC)[返信]
(反対)理由は他の方と同じです。通俗的な認識と業界的な認識を混同しています。ここでは業界的な認識を優先すべきです。横浜の総持寺が代表的なのは、「大本山だから」(総本山といってもよいかも。曹洞宗で最も末寺数が多かった)であって「東日本では有名だから」ではありません(首都圏でも通俗的な知名度は低いと私は感じます)。Bakkaiさんはノート:塩川郵便局で「重要性によほど格差がない限り、関連する全ての記事名を「@@@ ($$県)」へと移動し、曖昧さ回避項目を設置すべきだ」とおっしゃっていますが、横浜の総持寺の場合、他の総持寺に比べて、重要性に格段の格差があります。なお山名についても、平等な曖昧さ回避についての議論が現在進行中であり、むやみやたらに平等な曖昧さ回避は行わない方向で議論が進んでいます(Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_山)。--Ara-Ara 2009年11月11日 (水) 08:36 (UTC)[返信]
(反対)理由は他の方々と同じです。宗派によっては「総本山」と「大本山」が別々の場合もありますが、曹洞宗の場合は「総本山」は存在せず、「大本山」が一番上です。鶴見の總持寺は、永平寺とともに、末寺1万5千を擁する大宗派の中心寺院であり、これを「代表的トピック」にするのが妥当と思います。
本件はWikipedia:改名提案に告知されていなかったので、2010年2月分として告知をいたしました。議論停止してから3か月以上経っており、改名反対意見の方が多く、「改名」の方向で合意される可能性はまずないと思いますが、一応告知をして、しかるべき周知期間をおき、問題なければ記事冒頭の改名タグを除去するということにしたいと思います。よろしくお願いします。--Urania 2010年2月27日 (土) 04:49 (UTC)[返信]
(報告)改名提案告知後、2週間ほど待ちましたが、どなたからも意見はありませんでしたので、(再)改名への合意は形成されなかったと判断し、改名タグを除去しました。--Urania 2010年3月13日 (土) 14:44 (UTC)[返信]

読み[編集]

初めまして。總持寺のよみを「そうじゅじ」と直しました。私の家は曹洞宗です。その和尚様から「『そうじゅじ』というのが正しい呼び名です」と聞いたので訂正しました。

冒頭文[編集]

記事名に焦点を当てた 2009 年 - 2010 年の #項目再移動の提案 節の議論とも関連します。私は本記事の対象を、14 世紀の開創から現在に至る曹洞宗の寺院として捉えています。内部リンクも、葬式、お墓を除けば、その多くは「鶴見の總持寺」を指していません。記事の現状が横浜市鶴見の寺院の説明に多くを割いていることは否定しませんし、その記載を削るべきだとも主張しません。しかし、長い歴史の中で、鶴見にあるのは 1 世紀余りでしかありません。本当は歴史節やらを加筆したいところなのですが、手を付けられずにいます。その考えから冒頭文を編集したところ[1]、「鶴見二丁目にある寺院」に復す編集が加わりました[2]。Resto1578 さんの提示なさる出典を否定するものではありませんが、輪島時代を含めた大本山の記事であるべきか、鶴見を主眼とした記事であるべきか、改めて方向性を探りたいと考えています。歴史中心の大本山記事と、伽藍を中心とした鶴見の寺院記事とを分割することもできるのでしょうが、熱心な執筆者が現れないと実際的ではないように思います。--Kurihaya会話2017年12月5日 (火) 07:39 (UTC)[返信]

まず、記事の定義はなるべく簡潔にすべきです。その点から見ても「14世紀に能登に開創されたこと」を定義文に含める必要は低いものと感じます。そこはちゃんと「歴史」節に記述するのが筋でしょうし、そちらを充実させるべきかと。なお、記事の分割については見通しが悪くなるだけではないでしょうか。--KAMUI会話2017年12月5日 (火) 09:22 (UTC)[返信]
  • コメント 「14 世紀の開創から現在に至る曹洞宗の寺院として捉え」た冒頭定義にすべきだということでしたら、それが一般的だということを示す意味で、そのような冒頭定義としている事典類を提示されるべきかと存じます。Resto1578 さんは『岩波仏教辞典』第二版、『広辞苑』第五版、『大辞林』第二版において、鶴見にある寺院として記述されると提示されております。私の分かる範囲でも、『国史大辞典』(吉川弘文館)、『日本大百科全書(ニッポニカ)』(小学館)、『デジタル大辞泉』(小学館)、『日本国語大辞典』(小学館)において、いずれも第一義は鶴見にある寺院として記述されているかと存じます。『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』は「曹洞宗大本山。諸岳山と号し,横浜市鶴見区にある。もと,(以下略)」という形ですね。また『世界大百科事典 第2版』(平凡社)、『百科事典マイペディア』(平凡社)では鶴見と輪島の両方で項目が立てられています。以上を包括して、一般性で言えば現時点の記述で十分かと考えます。--Saigen Jiro会話2017年12月5日 (火) 10:39 (UTC)[返信]
お時間をいただきました。Cinii が本文 PDF を出さなくなって、文献を当たるのも一手間ですね。とりあえず近所の図書館で、総持寺そのものをある程度紹介しているものを当たりました。
  • 『道元 読み解き事典』(大谷哲夫、柏書房、2013 年、P. 362 道元関係用語集)「山号は~。現在は神奈川県横浜市鶴見区鶴見に所在するが、もともとは石川県輪島市門前町に所在した。曹洞宗の大本山。能登の永光寺にいた瑩山は~(以下、10 行ほど鶴見ではない記述が続く)。」
  • 『淡交ムック 禅入門 - わかりやすい禅&坐禅』(淡交社、2003 年、P. 128) 「瑩山禅師は、元享元年 (1321) 能登総持寺(明治時代に火災により現在地に移転)の開山に請われたが~」
  • 『別冊太陽 日本のこころ 239 禅宗入門』(平凡社、2016 年、禅宗寺院案内)「大本山総持寺は、元享元年 (1321)、瑩山紹瑾禅師が能登(石川県)の諸嶽寺を定賢律師より譲られ、これを禅院に改めて諸嶽山總持寺と名付けたことに始まる。しかし、明治 31 年 (1908) に不慮の出火によって七堂伽藍を焼失したことにより、明治 44 年 (1911) にの徒から横浜市鶴見へ移転し、次々と伽藍が再建された。なお、旧地は總持寺祖院として再建され、地域の信仰を集めて今日に至っている。」
  • 『別冊太陽 日本のこころ 197 道元』(平凡社、2016 年)前掲『別冊太陽 日本のこころ 239 禅宗入門』にほぼ同じ。
さて、さらに、総持寺に言及している文献を、索引のあるものから確認してみました。『新アジア仏教史 13 日本 III 民衆仏教の定着』(末木文美士(編集委員)、佼成出版社、2010 年、PP. 186, 196, 215)、『新アジア仏教史 14 日本 IV 近代国家と仏教』(2011 年、PP. 24, 25)、『新版 日本の仏教を知る事典』(奈良康明(編著)、東京書籍、1994 年、PP. 47 室町時代の仏教, 104 曹洞宗)、『仏教の事典』(朝倉書房、2014 年、P. 328 曹洞宗)、『別冊太陽 日本のこころ 239 禅宗入門』(前掲、PP. 44-54 曹洞宗の歴史)、『道元 読み解き事典』(前掲、PP. 89, 171, 252)では、いずれも能登あるいは大本山としての総持寺であり、鶴見の現在地の総持寺を指していません。『道元 読み解き事典』(前掲、PP. 225, 309)は現在の総持寺として言及があり、『別冊太陽 日本のこころ 197 道元』(前掲)では今の総持寺として写真で伽藍が紹介されています。Google Bokks[3]も中が見られないものが多いのですが、明らかに鶴見の総持寺を指しているのは、鶴見のお坊さんが紹介されているものの他は、地域観光案内等が多い印象を受けます。大きな図書館に出向いてもいないのですけれど、現在地の伽藍紹介や観光案内等、明治の移転関連を除いて、現在の冒頭第一文にあるような鶴見二丁目の総持寺として言及している文献がいかほどあるのか疑問です。--Kurihaya会話2017年12月19日 (火) 09:15 (UTC)[返信]
 個人的には(あくまでも冒頭定義に関しての)当該議論での信頼性としてはご提示の文献より『広辞苑』や『国史大辞典』等の方が優っているかと存じます。似た議論として過去に「天皇」項の定義文でも、事典類の定義文(大多数が日本国憲法における定義)と歴史的君主の面を勘案して、冒頭定義と第二文で役割分担をすることに落ち着きましたが、今の当該議論においてもその認識です。以上コメントまでにて、他の方々のお考えを待ちます。--Saigen Jiro会話2017年12月21日 (木) 10:21 (UTC)[返信]
お付き合いいただきありがとうございます。「天皇」で似た議論があったとのことで ノート:天皇/過去ログ3#導入部 を読んでまいりました。私が「長い歴史の中で、鶴見にあるのは 1 世紀余り」と書いたことで、「憲法上象徴とされるのは 2 代のみ」とでもいう主張だったらどうしようかと思いましたが、そんなことはありませんでした(失礼しました)。そこでの議論と、こちらでのご意見を合わせ読んで、Saigen Jiro さんとは冒頭部分、とくに第一の定義文の検討手法が異なるのだと気づきました。Saigen Jiro さんは、(極端な表現をすれば)「**は++である」という定義文を各種文献から探し、その文献の信頼性を計る(事典は信頼性が高い)というお考えでいらっしゃるのですね(違ったらごめんなさい)。それであれば、いくら淡交社とはいえムックよりも、大型事典がずっと上になりますね。私は、対象の事物の分野の文献で対象がどのように言及されているかを把握することで、冒頭部や本文の構成を検討しているのです(もちろん事典類は先行する優れたまとめですから参考にします)。結果として、本文に十分な出典がある前提では、定義文そのものや冒頭リード文には(重複するので)出典を付けずとも構わないのではないかとも思っています。ですから、19 日の報告では、後段の「さて、さらに」以下の方が私にとっては重要なのです。そして、この手法は、排除されるべき独自研究とは捉えていないのです。改めて申し上げると、
a) 曹洞宗の大本山(の一)であること。
b) 瑩山禅師(道元禅師の「正伝の仏法」の教えを日本の「曹洞宗」とした、曹洞宗では道元禅師ともに最重要人物)が(能登の地に)開創し、宗門拡大の拠点とした寺である(これが a につながる)こと。
c) 鶴見の地の寺であること。
私は、a, b と比較して c の重要性は低いと判断したため、他の事典類のスタイルマニュアルを踏襲せずとも構わないと考えた次第です。事典類が出典としての信頼性が低いなどというつもりはまったくありません。このノートで 2009 年から議論しているようなものですから、急ぐものではありません。長々となって、他の方が入りにくくなってしまうでしょうか、失礼しました。--Kurihaya会話2017年12月22日 (金) 10:15 (UTC)[返信]
『(極端な表現をすれば)「**は++である」という定義文を各種文献から探し、その文献の信頼性を計る(事典は信頼性が高い)』ということではなくて、百科事典の冒頭文を作るからには、百科事典として望ましい(= 一般性の高い)スタイルはより信頼性の高い市販の事典類から導かれるべきだという認識で、上のコメントをしております。待つと言いましたが念のため記します。--Saigen Jiro会話) 2017年12月22日 (金) 11:57 (UTC)(修正)--Saigen Jiro会話2017年12月22日 (金) 12:20 (UTC)[返信]
(補足) 換言すれば「文スタイルに対する要出典」ということで、その意も込めて先に『「14 世紀の開創から現在に至る曹洞宗の寺院として捉え」た冒頭定義にすべきだということでしたら、それが一般的だということを示す意味で、そのような冒頭定義としている事典類を提示されるべき』と発言いたしております。--Saigen Jiro会話2017年12月22日 (金) 12:20 (UTC)[返信]