ノート:練炭

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集団自殺について[編集]

硫化水素のページでは硫化水素による自殺を防ぐ意図から、硫化水素の発生方法など極力記述しないよう配慮されています。 同様に、練炭自殺についても配慮し、極力、練炭自殺については必要最小限の記述に留めるべきかと思います。--以上の署名の無いコメントは、219.102.85.109会話投稿記録)さんによるものです。

硫化水素とは事情が異なります。発生法・利用法・使用状況などを分離せず、百科辞典とは何かを吟味しない提案には賛同することができません。--Los688 2008年5月5日 (月) 04:58 (UTC)[返信]

歴史と起源[編集]

どなたか練炭の歴史と起源に関する知識をお持ちの方はいらっしゃいませんか?

無効な出典を除去しました[編集]

いろいろな理由で無効な出典が目立ったためいくつか除去しました。

  • 「角型塊炭の時代」節の「練炭は当初、膠(ニカワ)で固められていたが」の出典として司馬遼太郎坂の上の雲が示されておりますが、たとえ地の文における作者の解説であっても、歴史的事実の出典として小説は不適当です。
  • 「小野澤辰五郎による練炭の改良」節の「小野澤辰五郎は、自ら練炭の研究を行い、...練炭を、臭いを抑えマッチ一本で着火できるまで改良して」の出典として元特許庁職員の回想録が示されていますが、この論文から読み取れる事実は、「小野澤辰五郎が昭和27年に"着火用炭の製法"という名目の特許を取った」ということだけであり、具体的な内容はまったく不明であり、記載文の出典にはなり得ないので除去しました。
  • 同節の「戦前に於いては、....石炭と木炭などの炭類をフノリを使って炭団のように人力で固めて個人や養蚕農家や小規模な商店で作る場合も多く、練炭成形器も市販されていた」の出典とされている里山のくらしは、1960年代の子供の作文ですから、そもそも戦前の記録とは言えないでしょう。おまけに練炭はおろか木炭や石炭に関する話すら出てきません。完全な虚偽出典です。
  • 「中国大陸での練炭生産」節の「煙台炭礦には、戦前、南満州鉄道経営による練炭工場があった」の出典とされているページ[1]は現在見当たらない上に、書誌情報もなく確認しようがないため除去しました。
  • 「第二次大戦以降」節の「社会に急激に液化石油ガス(プロパンガス)や灯油が普及するに従い、練炭が担っていた利用用途が、それらへと置き換えられていった」の出典としてリンクされていた2つのウェブページ日本LPガス協会昭和戦後史は、いずれも適当な出典とは言えないので除去しました。いずれのページにも「練炭の用途がLPガスや灯油に置き換えられた」と読み取れるような記述はありません。さらに言えば昭和戦後史の方は主催者や執筆者も一切不明であり、新聞記事の引用で紙名が書かれていないなど基本的なレベルで信頼性が疑わしいサイトです。Wikipediaの出典として必要とされる信頼性を満たさないため、どのような記述の出典としても用いるべきではありません。
  • 「上つけ練炭コンロの発明」節で「1962年(昭和37年)練炭の製造流通が最盛期を迎える」の出典とされている港区立芝小学校の学校便りのページは存在しますが、肝心の出典元とされる「郷土資料室から」のページは見当たらず、アーカイブでも見付からないので除去しました。
  • 「ベトナム」節の3つの出典のうち、大阪府高等学校社会科研究会のページはリンク切れでアーカイブでも検出できなかったので除去。ベトナムオフロードは個人ブログなので出典無効としました。

--Loasa会話2015年12月6日 (日) 08:19 (UTC)[返信]