ノート:米内光政

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身長180cm。体重97kg[編集]

11月末まで待って、「身長180cm。体重97kg」に情報源の脚注が付かなかった場合、この部分を削除します。--rshiba 2009年11月5日 (木) 03:56 (UTC)[返信]

編集[1]で「要出典範囲」を削除した人がいたようですが、予告通り、削除しました。復活させるならば、情報源を註記してください。--rshiba 2009年12月1日 (火) 04:36 (UTC)[返信]

参照方法[編集]

「参照方法は十分できている」というコメントとともにTemplate:参照方法を削除した方がいらっしゃるようですが(特別:差分/81102434)、「文献が列挙されているだけ」の状態が解決したとは思えません。いったん戻します。

そもそもこの「参考文献・関連文献」の欄は、ここに書かれている文献を参照して記事本文が書かれたものではありません。最初は2006年4月15日 (土) 13:52時点における版で「伝記」という名前のセクションが作られ(特別:差分/5333624)、題に「米内光政」と入っている書籍が列挙されていきました。しかし、2009年3月13日 (金) 03:19時点における版(特別:差分/24824896)でこのセクションに加えられた文献が2012年6月4日 (月) 09:00時点における版(特別:差分/42789905)で「米内は殆ど登場しません」として削除されているほどです。この一覧にある文献は、記事本文に使われていないどころか、「伝記」として適切かどうかも検討されていないのだろうと思います。またこのセクションは現在「参考文献・関連文献」を名乗っていますが、これは2015年2月27日 (金) 17:57時点における版で「関連文献」から改名された(特別:差分/54562382)結果です。同時にTemplate:参照方法がつけられており、この記事が実際に列挙されている文献を参照して書かれたものか、確認されてはいないでしょう。

私は削除依頼の準備作業として、列挙されている文献の一部を確認しましたので、わかったところは参照情報を追加しましたが、全部済んでいるわけではありません。たとえば「彼は上手くいけば化ける」と言った人がいる、と書いてあるのは、この中のどの文献でしょうか。また、「軍艦長門の生涯」を参照して書かれたのは記事の中のどの部分でしょうか。私にはどちらもわかりません。結局「参考文献・関連文献」に列挙されているのが、本文を書くのに使われた「参考文献」なのか、本文からは参照されていないが主題に言及している「関連文献」なのかは、本文全部に出典をつけてみないとわからないわけです。「参照方法は十分できている」とは何が十分なのかもわかりませんが、参照方法のテンプレートをはがすかどうかは、本文全部に出典が示されている状態にしてから考えることだと思います。--西村崇会話2020年12月30日 (水) 19:56 (UTC)[返信]

総理大臣の採点表[編集]

「福田和也『総理大臣の採点表』文藝春秋」という文献を出典とした記述がいくつかあるのですが、この文献はいつ出版されたものでしょうか。

米内光政は履歴が見られませんのでもう確認できませんが、同じ文献を出典とした記述のある近衛文麿東條英機を見る限り、2011年4月に一人の利用者が書いていった記述のようです。近衛文麿によれば福田和也の「伊藤博文から小泉純一郎までの(中略)総理大臣を点数方式で論じた著書」とのことですが、"総理大臣の採点表"で検索してもこれら3記事や、その引用と見られる文章が十数件ほど出てくる程度です。著書、として存在するなら書籍販売や古書店も出そうなものですが、検索結果にそうしたものは見られません。

「伊藤博文から小泉純一郎までの…」に該当する福田和也氏の著書を探すと、文藝春秋から2002年に出た『総理の値打ち』があります。これの誤記ならそれでもよいのですが、米内光政では批判的な記述の出典として示されているほか、東條英機には『総理大臣の採点表』からの引用のように示されている一節もあり、元がたどれないのは問題があると思います。『総理の値打ち』を確認のうえ、該当する記述が『総理の値打ち』にあるようなら、この本を出典として書き換えるのが適切だと思います。もっとも、批判なら『米内光政と山本五十六は愚将だった』にもあるので、こちらを出典として書き直した方がよいかもしれません。--西村崇会話2021年1月13日 (水) 12:30 (UTC)[返信]

『総理の値打ち』を確認の上で、近衛文麿東條英機は『総理大臣の採点表』→『総理の値打ち』に書き換えました。しかし、米内光政は放置します。
まず近衛文麿の記述は『総理の値打ち』にもありました。東條英機も、『総理の値打ち』からの引用と見た場合は文が改変されている、という問題はあるものの、対応する記述が『総理の値打ち』にあります。よってこの2記事は『総理の値打ち』出典に書き改めました。
しかし、この米内光政に関しては、記事に書かれているが『総理の値打ち』には記述がない事項があります。記事には『総理大臣の採点表』を出典として「派兵が事変全体の長期化を招く危険には米内は考慮をはらっていなかった」と書かれています。しかし『総理の値打ち』には米内が派兵を強行した旨の記述はあるものの、米内がこの点を考慮していなかった、という記述はありません。「展望なし」という総評があるのみです。
おそらくこの部分の投稿者は『総理の値打ち』を見ながらこの本には書かれていないことを記事に加筆し、書名も『総理大臣の採点表』と誤記した、というのが実情なのだろうと思います。しかし、私にはどうしても見つけられない『総理大臣の採点表』が実在し、それには米内が考慮していなかった旨が書かれている可能性も0ではありませんので、この記述はそのままにします。--西村崇会話2021年8月6日 (金) 16:01 (UTC)[返信]