ノート:竹内眉山

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項名の変更について[編集]

項名の竹内眉山を、「竹内孫八(たけのうちまごはち)」に変更したく存じます。眉山は絵師としての雅号ですが、彼のことを第一義に絵師と考える人は皆無でしょう。広重の東海道五十三次の版元である、保永堂主人の孫八を見出し語とするのが、ごく当然のことと考えます。特にご意見が無ければ、竹内孫七孫八に移動し、眉山は孫七孫八へのリダイレクトと致します。--Falcated会話) 2021年9月23日 (木) 13:29 (UTC) 一部書き直し--Falcated会話) 2021年9月23日 (木) 13:30 (UTC) 修正--Falcated会話2021年9月23日 (木) 13:43 (UTC)[返信]

それでは1週間以上待ちましても、ご意見が御座いませんでしたので、竹内孫八に記事を移動させます。--Falcated会話2021年10月3日 (日) 12:35 (UTC)[返信]
移動先にリダイレクト履歴があると、自力では移動できなかったので、Wikipedia:移動依頼#10月上旬(1日から10日)に依頼しました。--Falcated会話2021年10月3日 (日) 12:54 (UTC)[返信]

改名提案[編集]

上記の「項名の変更について」では手続き不備とされましたので、再度改名提案を行います。理由は上と同じです。日本語話者なら多くの方が知っているであろう、歌川広重保永堂版東海道五十三次版元主宰者である竹内孫八は、眉山の画号で絵本を残しましたが、孫八名義とは異なり、研究者にしか知られていないのが実情です。日本美術史に名を残した「竹内孫八」を、記事の名前としたく存じます。異論が御座いましたら、書き込みをお願い致します。--Falcated会話2021年10月6日 (水) 11:25 (UTC)[返信]