ノート:穂国造

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記事名と記事の冒頭定義で食い違いが見られます。必要であればどなたか修正をお願いします。Tekune 2005年9月5日 (月) 04:58 (UTC)[返信]

http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E7%89%A7%E9%87%8E%E6%B0%8F%E3%81%8C%E7%A9%82%E5%9B%BD%E9%80%A0&ei=UTF-8&fr=top_v2&x=wrt&u=kotatujo.cool.ne.jp/hyo/shohin/tour/siseki/175.htm&w=%E7%89%A7%E9%87%8E+%E6%B0%8F+%E3%81%8C+%E7%A9%82+%E5%9B%BD%E9%80%A0&d=eyP65uxsOM_i&icp=1&.intl=jp

姓氏家系大辞典の著者・大田亮氏は、「神社を中心としたる宝飯郡史」でこれを否定しています。 太田氏は、古代の田口臣をその出自としているのですが、太田氏は、牧野氏が穂国(律令以前の東三河)入国したのが、国造時代としていますが、田口臣が蝙蝠臣から分かれるのは、律令以降のことですから、これもおかしいわけです。

でも、律令時代に田口臣は、蝙蝠臣から分かれたっていっているのに、国造時代に田口臣が穂国入国したっていうのデタラメ矛盾してますよね。これは、太田亮氏にしては、らしくない見解でした。

>>>>>>>>>> デタラメな学説のようです。牧野氏=穂国造説は。--以上の署名のないコメントは、220.217.212.91会話投稿記録)さんが 2007年2月25日 (日) 16:56(UTC) に投稿したものです(KurmUmyによる付記)。

出典の必要性[編集]

本日、節構造の整理と要出典貼り付けなどを行いました。概要が先に来るべきでしょう。なお、新たに付け加わった支配領域などに他項目から移した部分もあります。また、この項目には参考文献が一切ありません。穂国造を肯定するにしろ否定するにしろ、しっかりとした出典が必要です。なお、一次史料から考察するのは、考察方法自体に出典が無いと不可能です。執筆者の独自研究になってしまいます。肯定否定両方に研究・評価の出典を求めます。--KurmUmy 2008年11月17日 (月) 09:27 (UTC)[返信]

おかしいといわざるを得ない点[編集]

「穂の国」自体が偽書である『先代旧事本紀』を元にした説である。また、

>意味は「三河(国)穂評(ほのこおり)穂里(ほのさと)の穂部佐(ほべのたすく)」という人名であると解釈され、穂国造との関連が考えられる。

里長の「たすく」レベルの下級官僚がなぜ国造と関係があるのか。そもそもここに「三河国穂評」と「穂」が「こおり」にすぎない事が明記されている。

>「三川の穂の別の祖ぞ」

古事記で「ワケ」とされているのにいつのまにか「ミヤッコ」にされているのは、『先代旧事本紀』の偽書性の現れです。 「偽書に基づいた記事」テンプレなどがあれば張るべきです。

Tonbi_ko 2009年3月22日 (日) 14:18 (UTC)[返信]

ご指摘の穂部佐(ほべのたすく)の記述ですが、この記事の記述を整理した際、私が表現改変を不適切に行ったのが原因です。この部分の出典をよく参照せず、不適当な解釈を行ってしまいました。お詫びすると共に、記事も修正しました。特定の意見に曲解するつもりはありませんでした。ただ、私ではうまく表現できない上、記事と関係性が薄い気が個人的には致します。私が新規に加えた部分ではないため消しませんが、おかしければ修正・削除をお願いします。
しかし、『先代旧事本紀』が偽書であるからというだけでこの国造の説を否定的にみるのはまずいと思います。個人的には論争がある記事内容だと思うのですが、『先代旧事本紀』「国造本紀」は学問的に完全に否定されたものではなく、有用性を主張する学者もいます。「穂の国」を問題視する部分に関して、出典が出ていないことが問題です。Tonbi_ko様がご存じでしたら出典明記をお願い致します。上記の「『先代旧事本紀』の偽書性の現れ」という主張も、出典がないと独自研究になってしまいますし。なお、私は「穂国造」の存在を肯定的に見る資料しか見つけられませんでした。誤解される特定の立場を主張するつもりはないことを明記しておきます。--KurmUmy 2009年3月23日 (月) 16:32 (UTC)[返信]
正確性テンプレで指摘された疑問点、"穂部佐(ほべのたすく)"云々は、研究資料としての価値であり国造と直接関係なしという上記の編集で解決したと考えます。
"「三川の穂の別の祖ぞ」"については、『先代旧事本紀』=偽書の観点からの否定であり、正確性テンプレの問題ではないでしょう。穂国造の存在を否定する出典付きで加筆すれば済みます。
以上の理由で、正確性テンプレを外します。加えて言葉を濁さないように編集したので一応外します。問題なら具体的な指摘をお願いします。なお「偽書に基づいた記事」テンプレには反対です。「偽書」は内容の有用性が論争になることがあるので、統一的な定義ができないでしょう。個々の学説で批判があることを出典つきで記述すれば十分です。--KurmUmy 2009年4月23日 (木) 12:24 (UTC)[返信]

馬越長火塚古墳のこと!

豊橋市教育委員会は、穂国造の墓とするが、まったくのデタラメである。 豊橋市石巻町は、八名郡に当たり、宝飯郡ではない。 評制度での八名評の木簡は確認できず、存在しない。国造など、いるはずもない。

国造本紀の穂国造は、兎上足尼とあり、豊川市小坂井町の兎足神社と関連するという。豊川市小坂井町は宝飯郡。--115.39.1.238 2014年1月16日 (木) 08:50 (UTC)[返信]

船山古墳(ふなやまこふん)は東三河最大級の前方後円墳で,全長94m,前方部幅約65m,後円部直径56m,高さ6.5m,後円部を東に向け周囲に堀は確認されていない。築造の時期は,石室の形態が竪穴式であることや出土した埴輪(はにわ)などから,古墳時代の中期と考えられる。発掘調査の結果,円筒埴輪(えんとうはにわ)が古墳の周りに40基,高さ3mのところには1列28基が確認されている。また1988年(昭和63)年の調査では円筒埴輪を利用した埴輪棺(はにわかん)が発見された。被葬者は大化改新以前にこの地方の支配を朝廷から任された豪族だと考えられている。

愛知エースネットには、豊川市 の船山古墳が穂国造の陵墓の扱いですね。--118.106.117.168 2014年2月4日 (火) 03:38 (UTC)[返信]