ノート:福田千鶴

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2010年6月の差し戻しについて[編集]

>近年は、精力的に人物史に関する研究を世に送り出し、その実証的な手法に共感する多くの読者に迎えられている。

という一文がありましたが、そういうことが言えないであろうと思いましたので除去させていただきました。福田さんの史学研究を概括した文献があるのかわかりませんけど、わたしの記述部分は、福田さんご自身の著作のまえがきやあとがきを参照しています。福田さんの人物評伝は「酒井忠清」「淀殿」の二著のみですし、この両著はそれぞれ御家騒動研究、奥向制度研究から派生したものであろうと思われますし、「人物史に関する研究を精力的に展開している」とは言い難いのではないでしょうか?

という理由から差し戻させていただきましたが、ご異論はありますでしょうか。--でここ 2010年6月4日 (金) 09:20 (UTC)[返信]

著作タイトル中の固有名詞へのリンクに付いて[編集]

たびたび気になるのですが、著作タイトル文中の固有名詞へのリンクは不適切であると考えます。たとえば「酒井忠清」へのリンク先の記事は福田氏の著作に関するものであるはずが、そうではなくて人物記事としての「酒井忠清」になるわけです。『酒井忠清』は、福田千鶴による著作。何年の刊行。吉川弘文館による人物叢書シリーズの一冊。福田氏はこれこれの観点からお家騒動史の研究を行い、その過程で忠清の人物史について着目し、同書ではこれこれの新見解が展開されていると、本来ならは著作に関する記事になるはずです。

リンク先の人物記事で研究史までしっかり加筆されていれば必ずしもとは思うのですが、やはり不自然さを感じ得ません。「江の生涯」はなぜ「江」の部分だけリンクするのでしょうか。本来的に分割不可能なはずの著作タイトルの特定単語のリンクは、違和感を感じます。「-たちの戦国-」のようなリンク方法はありえないからです。--でここ 2011年4月3日 (日) 13:16 (UTC)[返信]

問題ないと思います。なぜならそれが福田氏の著作名であることは明示的であり、閲覧者が「酒井忠清」へ行ったとして、その人物について福田氏が伝記を書いたのだということは分かるからです。たとえば「チャイコフスキーの生涯」でも同じことです。--以上の署名のないコメントは、121.92.81.252会話/Whois)さんが 2011-04-03 14:17:29 (UTC) に投稿したものです。

わたしは、著作タイトルにリンクが貼られていれば、著作に関する記事があると考えるのが順当な閲覧者の判断であろうと考えます。そうではなくて人物記事へのリンクですし、わたしは意味のないリンク行為であると考えます。例えば歴史小説家の作品リストにおいて「竜馬がゆく」は坂本龍馬へのリンクが適切であるとお考えでしょうか?研究者が執筆した人物評伝から人物記事へリンクされている利便性はわかるのですが、利便性を求めるあまり不適切なリンクを貼る行為について、私は良くないなと考えますが、この点については他の方の意見を集って合意形成をするべきであろうと考えます。--でここ 2011年4月3日 (日) 15:15 (UTC)[返信]

意味がないことはありません。たとえば大原富枝『於雪-土佐一条家の崩壊』という小説で、「土佐一条氏」へリンクを張ることは、十分意味があります。そのようなリンクは多数あるのが現実です。これがたとえば湊かなえ『告白』で、単に普通名詞としての「告白」へリンクするのでは、これはもちろん意味はありません。しかし歴史上の人物、建物などへのリンクは、それについて詳しくない人に利便性をもたらします。--以上の署名のないコメントは、121.92.81.252会話/Whois)さんが 2011-04-04 01:13:45 (UTC) に投稿したものです。
リンクを貼ることで利便性が生じる点はその通りであるのですが、私は不適切なリンクを行う点に関してどうしても違和感があり、この点においてどちらを重視するのかがIP様との間の見解の相違のようです。このあたりはもっと他の視点を持つ方のご意見をまって、とりあえずの折衷案として脚注化する処置をしてみました。--でここ 2011年4月4日 (月) 01:36 (UTC)[返信]
情報脚注化する処置」については、2012-03-11 08:59:53‎の版などを参照。--Yumoriy会話2023年8月29日 (火) 03:07 (UTC)[返信]