ノート:神護寺三像

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中立的な観点について[編集]

記事内容について、新説に偏った記述であると感じたため、中立的な観点のタグを設置しました。--薔薇騎士団 2009年1月15日 (木) 00:56 (UTC)[返信]

念のために申し上げておきますと、通説側・新説側いずれの論にも与することなく記述したつもりです。具体的にどの箇所に偏りがあるのかをご提示くださいませ。一旦、観点テンプレを外しておきます。--shimoxx 2009年1月15日 (木) 14:30 (UTC)[返信]
まず、タグの除去は、ノートでの議論で合意が形成されてからでお願いします。記事の内容が公平でないと感じた部分を列挙します。
・神護寺側の反論が掲載されていない。
神護寺のサイトを見ると、新説に対して反論をしています。これも明記すべきではないでしょうか。
「近年、米倉迪夫氏が発表した新説は新聞にも報道され、大きな反響を呼んだ。ある出版社などは、その後の学会の反論をまったく無視して、伝源頼朝像の表記を百五十年も時代の下る足利直義に変更するところまででてきている。」
この記述を読むと、いわゆる「新説」というものが純粋な学問的論争からではなく、「話題性」、「新規さ」、「売り上げにつながる」といった観点から、出版社が取り上げていると、神護寺は反論しているようです。
「現時点では、伝源頼朝像の表記を変更する必要はない。」
これは神護寺の公式見解ですね。これも明記すべきではないでしょうか。
>米倉・黒田の新説は、主に歴史学者および若手美術史家の支持を受けている。対して、通説を支持し新説へ批判を加えるのは年配の美術史学者に多い。
この記述は客観的なのでしょうか? 私には何か印象操作のような気がします。大体黒田氏や米倉氏は、もう年配にならていますよね? また通説を支持してるとして、名前が書かれている宮島新一は、この方たちと同じ年くらいか、少し若い方ではないでしょうか?
>三像それぞれの像主を判断する客観的根拠もなく頼朝・重盛・光能がとりあえず比定されているなど、通説の論拠の薄弱さも浮き彫りとなった。
賛がないなど、通説を裏付ける根拠が絵画上にないということなら、新説の根拠も同じくないということになるのではないでしょうか。足利直義像とか、絵のどこを見ても記述がないと思います。
>一般的には、論理の明解さから新説を支持する意見が多いとされるが、美術史の立場からは、三像の画風が平安後期-鎌倉初期のものであり、
「一般的」というのは、何を指すのでしょうか。新説は美術史の分野では広く支持されていないのなら、一般的というのはおかしいのでは?--薔薇騎士団 2009年1月15日 (木) 23:34 (UTC)[返信]
具体的なご指摘ありがとうございます。
理由を明示しないままのテンプレ貼付は、濫用ともとれる行為であり、除去されることはままございまして、今後は提案理由を初めにお示しいただけますと大変助かります。
さて、神護寺の見解ですが、これは学術的な批評を経たものなのでしょうか?同寺サイトに掲載されている見解は、米倉・黒田説を批判するばかりで、上横手雅敬等による評価を無視するなど、むしろ一方的であるようにも思われます。神護寺の見解を詳しく記述することは、かえって中立的な観点に抵触してしまわないでしょうか。もちろん、神護寺が米倉・黒田説に批判的であることは事実ですので、そのことはしっかりと記述すべきだと思います。
新説を支持するのは主に歴史学者や若手美術史家で、通説を支持するのは年配の美術史家に多いという記述は、私個人の見解ではなく、情報源に基づくものです。しかし申し訳ありません。その情報源が何であったかを出典欄に明示しておらず、図書館に行って探さないと思い出せそうにありません。ですので、情報源が明らかになるまでは、この記述を一旦消去しておくのが適当だと思いますが、いかがでしょうか。
>新説の根拠も同じくないということになるのではないでしょうか。
通説は『神護寺略記』を像主比定の根拠としていましたが、『略記』は「仙洞院には後白河院御影と、平重盛、源頼朝、藤原光能、平業房の肖像等がある」と述べているのみで、伝頼朝像がなぜ重盛や光能ではなく頼朝に比定されているのか客観的な説明がなし得ない点を新説は指摘しているのでありまして、「通説を裏付ける根拠が絵画上にない」と言っているわけではありません。また、新説は『足利直義願文』を根拠として像主比定を行っており、私の見る限り主に歴史学者からですが、客観的な論証がなされていると評価されているようです。
>「一般的」というのは、何を指すのでしょうか。
本項を書く際に、図書館で信頼しうる文献にいくつか当たったところ、新説の論理の明解さを評価する意見の方が明らかに多かったので「一般的」と書きました。また、必ずしも美術史の分野から広く支持されていないわけでもないように感じられました。
本項執筆に当たっては、昔からのホットな論争ですので、一方の説に与することのよう注意を払ったつもりです。ただ、「少数の人々が支持する観点が、あたかも非常に広く受け入れられている観点と同じだけ注目に値するかのような書き方をするべきではありません」(Wikipedia:中立的な観点)とあるとおり、実際に調べてみて多くの支持を得ていたことは事実です。その結果、新説の記述量が多くなりました。それは、私が新説側に偏っているのではなく、ウィキペディアの中立的な観点の方針に沿った帰結であることを、どうぞご理解くださいませ。
もちろん、なるべく多くの文献にあたったつもりではありますが、私の調査が不足していた可能性もあります。その場合は、議論の実情がわかるソースをぜひご提示ください。例えば、もし通説の方が多く支持を集めていることが検証できれば、中立的な観点に基づいて、そのことを記述するとともに通説側の記述量を増やす等の修正をほどこすべきでありましょう。--shimoxx 2009年1月16日 (金) 15:02 (UTC)[返信]
神護寺の見解は、宮島新一氏の説を紹介していますので、それ自体は学術的なものです。もっとも神護寺は研究・学術機関ではありませんので、神護寺の見解が学術的かどうかは重要ではないと思います。あくまでも肖像画の所有者としての見解として紹介すればよいかと考えます。
「若手」とか「年配」というのは、学問研究においては関係ありません。若手に支持されていれば正しいわけではなく、また年配だからといってダメだという訳でもありません。この一文は明らかに不要であり、通説を支持する立場の人に対して失礼だと思います。
一般的というのは、単純に筆者の主観的印象でそう感じたということでしょうか? また美術史で広く支持されていない、という見解はどこから来たのでしょうか。それと「通説」が少数の人々が支持するという見解はどこから来ているのでしょうか。これも筆者の主観でしょうか?
もう一ついいますと、国も国立博物館も「(伝)源頼朝像」という名称変更は行っていません。これは新説が権威ある機関から、十分な承認を得ていないことを意味していると思います。--薔薇騎士団 2009年1月16日 (金) 21:21 (UTC)[返信]
ではまず、所有者である神護寺が宮島氏の所説によっていることは本文で触れることにいたしましょう。
「若手・年配」云々は、参照した文献に書いてありました。わざわざこのような記述がなされているということは、論争の現状を説明する上で必要な情報だと考え、本項に記述いたしました。私自身は若手は頼りなく、年配は信頼できるという印象を抱いています。ただ、私は上で「年配・若手~の記述は典拠が明らかになるまで一旦消去しておきましょうか?」と提案しています。にも関わらず「失礼だ」などと的外れなご指摘をされる本意を理解しかねております。私の提案に対するご意見をどうぞお願いします。
「一般的」「必ずしも美術史の分野から広く支持されていないわけでもない」などの表現は、私の「主観的」な印象ではなく、関係資料をなるべく広く(10数冊程度)調べた結果から得られたものであり、他の方が調べられても同じ結論に至るであろう「客観的」なものだと考えています。薔薇騎士団さんもぜひ様々な資料に広く当たられてみてください。
名称変更の件ですが、新説に完璧な決定打がないから名称変更されていないだけで、権威ある研究者(上横手雅敬、山本幸司ほか)からの十分な承認は得ていますよ。
今回のご指摘は本項の内容をより良くするものであると前向きに受け止めています。おかしいと感じた箇所への指摘だけでなく、修正の具体案などの建設的なご提案をお待ちしています。--shimoxx 2009年1月17日 (土) 14:01 (UTC)[返信]

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  • 「新説を支持するのは若手研究者に多い」云々という件の出所は、辻惟雄著『日本美術の歴史』(東京大学出版会、2005)の200ページの脚注だと思います。私がなぜこれを覚えていたかというと、「年配の研究者は首をかしげている」という辻氏の言い方が、なんか若手研究者を軽く見ているみたいで、読んでいて不快感を覚えたためです。辻氏自身は通説寄りであり、伝頼朝像は13世紀を下らない時期の作であるとしています。
  • 「『(伝)源頼朝像』という名称変更は行っていません」というのは、「源頼朝像」→「伝・源頼朝像」という変更は行っていないという意味か、「源頼朝像」→「足利直義像」という変更は行っていないという意味か、どちらでしょう。もし前者の意味でしたら、それは間違いです。国宝指定名称は1951年の指定時からずっと「伝源頼朝像」です。
  • 私見では、現在の記事内容は、通説、新説、新説に対する通説側の反論のいずれにも目配りして公平に書かれており、「中立的観点」のタグを貼るほどではないと思います。ただし、「若手」「年配」の部分は(たとえ出典があろうとも)、辻氏の個人的見解であり、除去した方がよいでしょう。学問に「若手」とか「年配」とかは関係ありません。何歳くらいを「若手」「年配」と認識するかは人にもよるし、今現在「若手」の人もいずれはおっさん、おばさんになります。米倉迪夫、黒田日出男、宮島新一の3氏はいずれも1940年代の生まれで、同世代です。私見では、「論争」の節の冒頭の2文を除去し、同じ節の3段落目の「一般的には・・・されるが、」を「新説を支持する意見がある一方で、」くらいの表現に直せばオッケーかなと。
  • 神護寺は学術研究機関でも公的機関でもないし、所有者の寺院が寺伝を尊重するのは当然なので、神護寺側の見解はあまり重要でないと思います。それは書いても書かなくても中立的観点の点からは問題ないでしょう。--Urania 2009年1月18日 (日) 04:00 (UTC)[返信]
Uraniaさん、ご意見ありがとうございます。
>私見では、「論争」の節の冒頭の2文を除去し、同じ節の3段落目の「一般的には・・・されるが、」を「新説を支持する意見がある一方で、」くらいの表現に直せばオッケー
これに異論はありません。このご提案で合意できれば嬉しく思います。
>神護寺側の見解はあまり重要でない
神護寺の見解をワンセンテンス程度でサラリと紹介するのであれば、良いだろうと思います。--shimoxx 2009年1月18日 (日) 19:54 (UTC)[返信]
>出所は、辻惟雄著『日本美術の歴史』(東京大学出版会、2005)の200ページの脚注だと思います。
了解しました。ただこれはやはり主観的な一文だと思うので、外したほうがいいと思います。
>「源頼朝像」→「足利直義像」という変更は行っていないという意味か、どちらでしょう。
こちらの意味で使いました。記事の外部リンク先の京都国立博物館の「源頼朝像」の解説を読むと、「鎌倉前期の大和絵肖像画の代表的傑作である。 」として通説に従った解説がなされています。ご承知のように博物館には美術史専門の学芸員が多数勤務していますので、名称を変更していない、創作時期を鎌倉前期としているというのは、専門的知識からの判断だと思います。「伝~」というのは、神護寺もそのように表記している点、また国宝指定時から「伝~」ということなので、それでいいと思います。
>私見では、「論争」の節の冒頭の2文を除去し、同じ節の3段落目の「一般的には・・・されるが、」を「新説を支持する意見がある一方で、」くらいの表現に直せばオッケーかなと。
はい、これでいいと思います。
・神護寺側の見解は、学術的な意見としてではなく所有者の見解として一文を書けばいいと思います。--薔薇騎士団 2009年1月19日 (月) 06:54 (UTC)[返信]
上記の議論を踏まえて修正してみました。
一点ほどお断りしなくてはなりません。最後の段落では、「新説を支持するのは主に歴史学者であること」「歴史学者は論拠の明確さを支持理由にしていること」を記述いたしました。(cf.上横手雅敬氏、野口実氏、佐多芳彦氏ら)
この記述にご異論なければ、観点テンプレをお外しください。しかし、ご異論がありましたら、再度ご指摘をお願いいたします。--shimoxx 2009年1月19日 (月) 16:44 (UTC)[返信]

若干修正してみました。まず肖像画の名称については、国、国立博物館等で名称変更が行われていない点、また所有者の神護寺が「伝……像」としている点から、従来の名称に統一しました。また、新説の根拠の内、美術史的な根拠については、かならずしも美術史専門家の幅広い同意が得られていないという観点から、「論証」したのではなく「一つの説を提示した」という理解で若干文言を修正してみました。--薔薇騎士団 2009年1月22日 (木) 02:42 (UTC)[返信]

10年以上を経て、少なくとも「中立な観点」においては、十分な内容と考えますので、「中立」タグを外します。加筆されたみなさん、ありがとうございました。--Falcated会話2022年10月8日 (土) 16:03 (UTC)[返信]