ノート:白木屋 (デパート)

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「トリビアの泉」は記述する価値がない[編集]

なんか繰り返し「『トリビアの泉』に白木屋火事ズロース伝説」を記そうとする方がおいでになりますが、それは記す価値がありません。

第一に、当該トリビアはたまたまおれも見ましたが、井上章一の調査をふまえてそれを覆すという内容のものではなく、井上章一以前の都市伝説を垂れ流しただけのものでした。よって、井上章一によって否定された内容のものにすぎません。

第二に、この都市伝説は、今でもあちこちでしたり顔で語られるものですが、『トリビアの泉』はその系列に属するもののひとつでしかありません。特筆すべき大誤解というほどのものではない。

上記理由から、『トリビアの泉』に関して、本項目に記述をする価値があるとは思われません。次にやったら、「調査不足によっていまだにデマをばらまいている番組もある」といった方向で加筆させてもらいます。

--Nekosuki600 2006年5月15日 (月) 12:50 (UTC)[返信]

関連性のあるものを載せて悪いのか。トリビアのネタを正当化する意図はこちらにはない。
「これは明らかに真である」という記述をしたわけではなかろう。
むしろそこまであの記述を否定するのは理解に苦しむ。
それとそこまで井上氏とやらの調査を弁護する理由がわからない。
本人か、熱狂的な井上気狂いか。ご苦労なことだ。--以上の署名のないコメントは、202.162.112.10会話/Whois)さんが 2006年5月15日 (月) 15:16 に投稿したものです。
取捨選択という概念がない方は百科事典の執筆には不向きです。--Nekosuki600 2006年5月15日 (月) 15:24 (UTC)[返信]

取捨選択をして無機質な百科事典になるよりはだいぶ良かろう。百科事典という 概念を究極に突き詰めて作ると需要が減ると思うが。 例えば松本人志の記事を見てみろ。バラエティに溢れてて面白い。 見る人の目をひきつける百科事典も俺はあっていいと思うがね。 あっ、それと余計な気をきかせて松ちゃんの記事を削ったりするなよ? あれはあれでいいんだから。202.162.112.10 2006年5月15日 (月) 15:35 (UTC)[返信]

百科事典にも面白さや楽しさは必要でしょうが、それがテレビのバラエティ番組と同質のものとは限りません。テレビのバラエティ番組のような面白さや楽しさしかご存知ないのならば、やっぱり百科事典の執筆には不向きだと思います。「またどっかの調査不足のテレビ番組が間違えた」という程度では、情報性も意外性も新規性もなんもないわけで、端的に言って、面白くないんですよ。--Nekosuki600 2006年5月15日 (月) 16:24 (UTC)[返信]

まぁそんなに必死になるなら無益な論争だし俺はこれ以上載せんが、 一つ思うのは、その「面白くない」はあんたの判断だろ? 見る人みんなが面白くない、って感じるとは限らないよ? あんたの感性がズレてたとしたら?まぁズレてるんだろうな。 実際あんたとの論争も全然面白くないし。202.162.112.10 2006年5月15日 (月) 16:34 (UTC)[返信]

ま、クスグリのつもりで載せたものがRevertされたら二回も同じものを載せたりせずにさっさとあきらめるのが正解でしょうね。--Nekosuki600 2006年5月15日 (月) 16:40 (UTC)[返信]

井上氏は「 その後、白木屋は女性店員にはズロースを穿くことを義務付け、翌年には和服から洋装を奨励した。」という部分についてはどう記述されてるのでしょうか? また「ズロースをはいてなかったから犠牲が拡大した」というのが都市伝説だったとして、その伝説が洋装の普及に一役買ったのであれば、それはそれで記述する価値があるでしょう。 この白木屋の話はある年代以上の人には非常に身近な話です。この伝説が洋装普及に影響を与えたのは事実ではないのですか?その点について井上氏はどう書かれてるのですか?

白木屋火事事件の過去の通説について[編集]

またなんか過去の通説に基づく編集が出てきているので、節を作っておきます。なんかご意見がありましたら、いきなし編集するのではなく、ノートでまず主張をしてくださいな。とりあえずなんだ、文献はあるし、根拠とされる情報も提示されているし、「パンツはいてなかったからいっぱい死者が出た」という情報は過去の通説という扱いで十分じゃないかと、おれは思います。百科事典が都市伝説の布教を手伝ってしまってどーするって、やっぱ思うし。--Nekosuki600 2007年9月1日 (土) 14:29 (UTC)[返信]

Wikipediaは中立的な記述が求められるので、極力淡々と、検証可能な資料に基づいた書き方がいいんじゃないかなあと思います。
この事件自体はよく知らないので口出すのはアレなんですが、こんな感じの両論併記っぽくしたらなんかマズイんでしょうか。--赤井彗星/2007年9月1日 (土) 15:25 (UTC)[返信]
両論併記が妥当でしょう。--Greenleaf 2007年9月1日 (土) 16:38 (UTC)[返信]
反論され、その後有効な再反論ができないため黙殺している説を、最初の反論説と同等に扱う必要はないでしょう。「黙殺することによって相手の反論を無化する」というのは、特に利益がからむ議論なんかではふつうにあることで。もっともまあ、この事件に関しては、「再反論ができないため黙殺している側」というのは一枚岩ではなく、それこそ「空気」みたいなもんで、誰も真面目に反論して自説を返り咲かせようなんてことを志していないというのが原因だと思うけれども。--Nekosuki600 2007年9月1日 (土) 17:21 (UTC)[返信]

その後。

つい最近、おかあさんが城東小学校の生徒で、校舎の理科室から白木屋火災を見ていたという話を聞いて育った方とお話をする機会がありました。「白木屋の火事以来日本の婦人はパンツを履くようになりました」ということだったのでそれは違うんじゃないかと聞き返したところ、「母が言うには、野次馬の男の人たちが見える見えるとはやし立ててひどかったと言っていました」とのお返事でした。

しかしだ。城東小学校と白木屋(現コレド日本橋)って、直線距離で500mくらいは離れているんだよね。間のスペースは東京駅八重洲口の真正面で、まあ今みたいなビルだらけではなかったにせよ建物は立ち並んでいたはずだし。

城東小学校の理科室から火事の煙くらいは見えたかもしれません。でも地上の野次馬の様子がわかったはずはないし、野次馬が口々に何を言っていたかが聞こえるはずはないのです。ただ、そのひとのお母さんの中では、それが「真実の歴史」になっているのでしょうし、それを敵対的に否定してもしょうがないだろうと思う。なので、八重洲ブックセンターのそばにお住まいなので入手は容易だろうってことで、井上章一の『パンツが見える』をお勧めしておきました。

過去の通説ってこのように信じられて来たのだなあとか思うと、ちょっと感慨深いものがありました。自分の認識とかも常に見直していかないと危ないわね、なんてことも。--Nekosuki600 2008年4月10日 (木) 17:35 (UTC)[返信]

その女性の証言に信憑性が薄いというのはその通りですが、だからそういう事実はなかったと決め付けるのは無理がありますね。 ここでいえるのは、その女性の証言は作られた記憶の可能性が高いということだけであり、それ以上でもそれ以下でもありません。 はやしたてていた野次馬がいたというのは事実か、嘘か、この証言だけで断定できるのでしょうか?

人間は自分の信じたい事を「真実」だと思い込みたい生き物です。 これはあらゆる事柄の、「肯定派」「否定派」いずれについてもいえることです。

白木屋伝説は作られたものだという立場に最初から立ってしまうと、事実の究明はできないでしょう。

 文章を整理しました [編集]

沿革 センテンスが長すぎるもの等を整理しました。
店舗 東急百貨店から移動しました。開店データは沿革から転記、住所データは確認ができたもののみを記載しました。--ロクベー会話2013年6月16日 (日) 08:04 (UTC)[返信]