ノート:産業革命

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アメリカのカートライト? [編集]

産業革命の進展という項目の「織機・紡績機の改良」という一節の中に、 「これらを受けてアメリカのエドモンド・カートライトが 蒸気機関を動力とした力織機を1785年に発明し、さらに生産速度は上がった」と

ありますが、カートライトはイギリス出身と思いますが、 これは誤植として、訂正してよろしいでしょうか。 何か私の知らないことがあったらご教授ください。

--Winnies42 2010年6月26日 (土) 13:22 (UTC)[返信]

「工業革命」 について[編集]

「工業革命」って単に"industry"を「産業」ではなく「工業」と訳しただけではないでしょうか。であれば別名ではなく、単に訳語の問題であって、もっともらしく「工業が著しく発達したので、工業革命(こうぎょうかくめい)ともいう」と書くのも、なんだかなといった感じなのですが。「工業革命」という用語の原語や由来、文脈に詳しい方はいらっしゃいますでしようか。 コータ 2005年10月6日 (木) 16:32 (UTC)[返信]

農業→工業→情報[編集]

大学で、

1.灌漑や堆肥使用などによる農業革命:余剰労働力や集住地の発生

2.機械や燃料による工業革命:工業生産性の飛躍的上昇

3.コンピューターとネットワークによる情報革命:自動化と意思決定支援による生産性向上

とかいう順番で、生産性の飛躍がおきた歴史が語られていました。

私見では、情報革命の研究のなかから、それまで産業革命とされていた一連の事象を工業(第二次産業)の革命と捉えなおす動きが出たのだと思います。

「情報革命の研究のなかから、それまで産業革命とされていた一連の事象を工業(第二次産業)の革命と捉えなおす動きが出た」と言いますと、具体的にはどの様な分野で産業革命の再評価が行われているのでしょうか。歴史学で「情報革命」の研究が行われているとは思えないので、社会学の分野でしょうか。「産業革命」という用語は"Industrial Revolution"という言葉の訳語であり、"industry"の訳し方によっては「工業革命」という用語が用いられる場合もあります(あまり一般的ではありませんが)。しかし、これはあくまでも同じ"Industrial Revolution"という概念を表す言葉であり、「産業革命」と「工業革命」が別々の概念を示す言葉として使われている訳ではありません。また技術の進歩や生産性の向上などは「産業革命」といわれる現象の一要因・一局面に過ぎず、産業革命の「革命」たる所以は都市化、社会の工業化、中産階級の勢力伸長、労働者階級の成立等、社会の著しい変化にあります。逆に社会変化の大きさと期間の長さから「産業革命不在論」といった議論にも繋がっています。従って、産業革命を工業分野に限定するような内容の記述は誤解を招きやすいのではないか、と思います。「工業革命」という言葉は、「産業革命」という記述を一カ所、「産業革命(工業革命)」とする程度の記述に止める、または産業革命から生産性の向上のみを取り出して「情報革命」と対比させるというパースペクティヴが定着しているのであれば誤解の無い様に工業革命に一項目を割いて記述するのが良いのではないか、と思います。 コータ 2005年10月12日 (水) 11:29 (UTC)[返信]
学問的な分野としては、経済史や社会経済史、経営学など経済学・経営学に関わる分野が情報革命研究と産業革命再評価をしています。「産業革命の『革命』たる所以は都市化、社会の工業化、中産階級の勢力伸長、労働者階級の成立等、社会の著しい変化にあります」というのは私も、その通りであると思います。農業革命や情報革命においても同じです。私は、それぞれ「生産性の飛躍」が社会全体に影響を与える革命だと理解しています。確かに、産業革命が起きる素地にはそれ以外の経済・社会面での変化が存在します。しかしそれらは全て、連続的な系譜を辿る変化で、最終的な断絶を起こすきっかけは「生産性の飛躍」であり、イノベーションではないでしょうか。機械制工業に着目してこそ産業革命という概念は支持されるし、それにとどめなければ歴史の海の中を拡散し、「発端は大航海時代から」などとなり、それこそ「産業革命不在論」になりかねません。私は歴史的事件ではなく産業革命を歴史的概念としてとらえるために、工業の革命とみる立場が、項目を明確に立てるという意味でより価値ある百科事典となるのではないかと考えます。具体的には、現在の産業革命の中に「工業革命」として説明を付与すればよいのではないかと思います。 Nikka 2005年10月13日 (木) 00:13 (UTC)[返信]
情報革命・工業革命・農業革命などの表現を好むのは、ほかにも工学方面などがあると思われます。生産性を飛躍的に増大させ、社会様式に変化を与えたのは、いったいどのような「技術」であったのかという側面に注目すると、それぞれが情報技術・工業技術・農業技術となります。もっとも、このような考え方は「技術決定論」的であるとして、批判の対象にもなりやすく、これらの用語が使われるかどうかは分野や研究者次第だという印象を持っています。
「工業革命」のページが必要かどうかは悩ましいところですが、少なくとも情報学において、工業革命の概念には社会様式の変化が含まれますし、工学方面や技術方面から眺めると、産業革命と工業革命の語の差異はほとんど意識されていません。(もちろん、強く意識している研究者もいますが、少なくとも学部生の中で特段に意識している人は少ないと認識しています。)私個人の意見としては、やはり現行の「産業革命」のページの一節で工業革命の語について説明するのが、記述量が少ない段階では妥当な印象を受けます。
(ついでに付記しますと、「産業革命」に含まれる「産業」とは一体どのようなものなのかというのも、いつか焦点となるかもしれません。産業には、「産業人」「産業教育」「○○産業」といろいろな用例がありますので。)--YuTanaka 2005年10月12日 (水) 16:18 (UTC)[返信]
以下の文章は歴史学中心的な偏向に基づいて書かれていますので、その点を差し引いてお読み下さい。YuTanakaさんの仰る様に産業革命と工業革命を意識して使い分けている人は少数派かと思います。私自身も多数派に属し、単純に訳語の違いと認識していました。ご存じのように"Industrial Revolution"という言葉が初めて使われて以来、この言葉は社会・経済全体での変化を指して使われてきた歴史学上のテクニカル・タームです。ですが生産という観点に着目し、産業革命の過程において見られた機械技術の発達のみを、「情報革命」ならびに「農業革命」と対比されるべき「工業革命」として切り出すのも面白いかもしれません。研究者の間でも一般的ではないという点で別項目として立てるには適切ではなく、お二方の仰る様に産業革命の項目内で一節を割くのが妥当かと思います。現状の「工業が著しく発達したので、工業革命ともいう」という記述は「工業が著しく発達したので」と産業革命に含有されていた工業技術の進歩のみを切り出しておきながら、「工業革命ともいう」(「ともいう」に注目して下さい)という書き方で産業革命と工業革命を同格の名称として扱っており、あたかも「産業革命」という言葉まで技術の発展のみを指すかの様に読む事ができてしまいますので修正が必要かと思います。分かりにくいかもしれませんが、「工業が著しく発達したので、工業革命ともいう」と書いた場合と「(産業革命時における)工業の発達を指して、工業革命という」と書いた場合のニュアンスの違いと言えばお解り頂けるでしょうか。
Nikkaさんに質問なのですが、何故、生産性が飛躍すると社会に大きな変化をもたらすのでしょうか。灌漑の開始は確かに生産物の増大によって階層分化を加速しましたが、産業革命では生産性の向上は工業製品の価格の低下をもたらした他にどのような直接的な変化を社会にもたらしたのでしょうか。価格の低下は長期的に見れば給金の低下によって相殺されており、「産業革命が労働者に利したか」という命題は100年来の論点となっています。Nikkaさんの言う、生産性の飛躍と「イノベーション」では労働者階級の形成や都市化といった産業革命によってもたらされた変化を説明できないのではないでしょうか。灌漑の開始と産業革命、「情報革命」を対比させるという枠組みはあくまでも生産性という観点から歴史上にその飛躍を見出しているのであり、人類の歴史を生産性のみから推し量る事は出来ないと思います。Nikkaさんの先生も授業で、産業革命の過程で生産性の飛躍が起きたと仰ったのであり、生産性の飛躍が産業革命だとは仰ってはいないのではないでしょうか。ところで「農業革命」という言葉は歴とした歴史用語であり18世紀後半にイギリスで起こった農業技術上の革新を指します。灌漑の開始について使用するのは明確な誤りです。また「なんとか革命」という言葉は多分に言ったもん勝ちな所はありますが、基本的に現在進行中の事柄については歴史学の研究対象からは外れる為、「情報革命」はまだ歴史学上の用語ではとはなっていません。現在の変化が将来の更なる変革の単なる前触れでは無いとどうして言い切れましょう。その辺りの微妙な歴史学ごころを含み置き頂ければ幸いです。 
それとYuTanakaさんの指摘について、産業革命は「産業」「革命」ではなく「産業革命」という一つの言葉であり、一般的に産業が何を意味しようと、工業が何を意味しなかろうと「産業革命」の意味する所には何の関係もないと思います。この言葉はテクニカル・タームであり、学問的な蓄積によってのみ規定されるものだと考えます。 コータ 2005年10月16日 (日) 16:27 (UTC)[返信]
今さらながら白状してしまいますと、問題となっている記述は、以前に私が「工業革命」からリダイレクトを張ったときに、(何でも良いから一文でもあった方が)説明がないよりはマシであろうと思って、私が付け加えたものです。趣旨は、工業革命の語について多少触れるというものであり、産業革命の定義説明に影響を与えることを意図しているわけではありません。これから少し考えて該当の文章をいじってみますが、しっくり来ない部分があれば気軽にいじっていただけるとありがたいです。
なお、工業革命の語は、技術論的な観点からの扱いとなると思われますので、技術論系の記事が増えてくれば、リダイレクトやめて、新たに記事が書かれるかもしれません。--YuTanaka 2005年10月17日 (月) 14:03 (UTC)[返信]

生産性の飛躍とその影響[編集]

お答えします。

「何故、生産性が飛躍すると社会に大きな変化をもたらすのでしょうか」とのことですが、生産性の飛躍は甚大な影響を社会に与えています。まず、コータさんがおっしゃるとおり価格低下が起きますが、この価格低下は比較優位を読んでいただければ分業がすすむ歴史と深くつながりがあることが分かっていただけると思います。

それまでの、インドの綿織物における比較優位は、イギリスの綿織物生産性の飛躍により、完全に比較劣位に転換してしまいました。これは、現代まで続く工業国と農業国の分化という構図と同じものです。また、この工業国化と密接に関わるのですが、自由貿易の拡大によって、イギリスは比較劣位だった穀物の輸入の拡張を実現させ人口急増を支えることに成功しました。また、自由貿易による高生産性産業への資源集中は、労働者階級の激増をもたらし、各種社会運動や政治体制への影響を起こしています。

また、それまで荷馬車、人力、船によって行われていた都市への生活物資搬入における生産性の飛躍が、巨大化する都市を支えることになります。この場合は、蒸気船や鉄道がそれにあたります。

また、綿織物業における生産性向上は、アメリカ南部における綿花生産の拡大と奴隷制農場の活況につながり、自由貿易と保護貿易の激突が南北戦争に影響しています。

18世紀の終わりにイギリスで起きた生産性の向上が、続く19世紀の、世界を巻き込む同期的変革の渦へつながっているのは間違いないと思います。

もうひとつ、「『産業革命が労働者に利したか』という命題は100年来の論点となっています」とありますが、100年来の論点になる理由は良く分かります。それは規範的分析だからです。規範的というのは「利したか?」という問いかけに価値判断が含まれているということです。「産業革命が一人当たりGDPを増加させたか」という命題であれば、真です。これは事実解明的分析だからです。また、「利したか?」どうかは分かりませんが影響を与えたのは確かです。

産業革命はコータさんがおっしゃるとおり、歴史上さまざまな影響を及ぼしており概念的にも広がりがちです。しかしながら、産業革命がさまざまなものに与えた影響と、産業革命が何であるかという切り分けは、重要ではないかと思います。生産性の向上が産業革命の核であり、その影響先としての社会階層分化や都市化を捉えなければ、産業革命は近代と19世紀そのものになってしまいます。「産業革命の過程で生産性の飛躍が起きた」というのはそういう意味では、不明瞭です。では、産業革命のスタートとは何なのでしょうか。もし生産性が飛躍しなければ、産業革命とは呼べないのではないでしょうか。

イギリス以外の国における「産業革命」が機械制工業と不可分でないところからも、産業革命の定義は明らかであると思うのですが。

農業革命の件は不勉強で申し訳ありません。灌漑の開始などの一連の事象は定住農耕の開始とも違うような気がするのですが、何と呼んだらよいのでしょうか。

まず幾つか指摘させて頂きます。「自由貿易の拡大によって、イギリスは比較劣位だった穀物の輸入の拡張を実現させ人口急増を支えることに成功しました」との事ですが、これは誤りです。イングランドとウェールズの人口は1750年から1801年までの期間に600万から900万に増加していますが(1)、穀物法の撤廃は1846年の事であり、この期間の人口増加を支えたのは農業革命の結果増加した国内の食料生産とされています。農業革命と囲い込みが産業革命の前提条件の一部を整えたとされる事はご存じかと思いますが、これは産業革命に必要な必要な労働力と食料の供給を可能とした為であります。ちなみに穀物法の廃止は人口増加を支えるためというよりも、安価な小麦の輸入によって食品価格を下げ、労働者の賃金を切り下げる事を目的としていた、というのが19世紀半ばに行われた自由主義的諸改革についての基本的な理解です。
また「自由貿易による高生産性産業への資源集中は、労働者階級の激増をもたらし、各種社会運動や政治体制への影響を起こしています」、この一文は私の「労働者階級の形成に対する説明になっていない」という発言に対する反論かと思われますが、これは「労働者階級の激増」についての論であり、「労働者階級の形成」についての説明にはなっておりません。歴史学および社会学でいう「労働者階級」とは対自的な階級意識を持つ様になった労働者の集団であり、単なる労働者やその集団とは異なります。産業革命以前にも生産手段を持たないプロレタリアートとしての労働者は存在していましたが、産業革命、というよりもむしろ工場における大規模かつ均質な労働を経験する事によって、階級としての意識(あるいは幻想)を共有する様になり、労働者階級が成立したとされています。「高生産性産業への資源集中」、この資源とは恐らく労働資源、つまり労働力を意味しているのかと思いますが、必ずしも生産性の高い分野に労働資源が集中した訳ではありません。産業革命開始から一世紀を経過した1860年の時点で、「イノベーション」によって生産性の向上した分野に従事する労働者は10人のうち3人程度だったとの事です(2)。労働資源の集中が行われていたとしても、これは農業から他業種への移動であり、労働者階級の激増として論じる事は出来ないと思います。人数の増加という点であれば、労働者階級の増加、というよりも人口全体の増加という観点から議論されるべきかと思いますが、社会構成上の人口比率の変化として18世紀後半から19世紀前半にかけて最も顕著なのは労働者階級の増加よりも、中産階級、特に下層中産階級の興隆であるとされています(3)。ちなみに絶対的な数の上での変化で言うと、18世紀後半から19世紀末までを通じて最も増加が著しいのは、技術的発展から見放されていた家事使用人であり、1901年の時点で全ての職業の中でも最大の集団となるまでに至っております(4)。
次に「荷馬車、人力、船によって行われていた都市への生活物資搬入における生産性の飛躍が、巨大化する都市を支え」たというくだりに関してですが、鉄道、蒸気船への転換、所謂「交通革命」の影響が現れて来るのは1830年を過ぎてからである為(5)、初期の産業革命に際する都市化に大きく寄与してはいません。特に食料など、交通革命以前から都市の近郊から運びこまれていた品目に関しては、交通革命後も早々には鉄道や蒸気船に切り替わらず、大きな変化を見せ始めるのは1870年代に食品保存技術の進歩を待たねばなりません(6)。
産業革命は労働者に利したか、という所謂生活水準論争は、物価の変動を加味した実質賃金に加え、社会の変化によって新たに増えた資質細目や喪われた既得権益などに関する議論の事です。一人あたりの国内総生産を算出した所であまり意味はありません。
長々と書いてしまったので最後に総括的に述べさせて頂きます。産業革命によって、家内制手工業から工場制機械工業への転換が行われ、工場での大規模かつ均質な労働が労働者をして階級意識に目覚めさせる。また農村から工場への労働力の移動によって、都市化が進行する。産業資本家は工業によって利益を得て、地主貴族階級の牙城を崩しかねない程に勢力を伸ばす。こういった産業革命論はステレオタイプではありますが、高校の世界史で教えられる程度にはオーソドックスな産業革命論であるかと思います。確かに産業革命において、生産性の点でブレイクスルーがあったのは事実であります。しかし、労働者の階級的覚醒や都市化は手工業から機械工業への転換というよりも、家内制から工場制への移行によって引き起こされており、生産性の飛躍にのみ焦点を当てたのではこれらの変化を説明しえません。もちろん私は生産性の向上が重要でない、などと言っているのではありません。生産形態の変化によって生じた変化を加速し、革命たらしめたものこそ、手工業から機械工業への転換によってもたらされた生産性の飛躍である、と言いたいのです。生産形態の変化と生産性の飛躍、この両者は質・量、それぞれの点での社会変化の要因であり、産業革命の両輪として理解されて然るべきだと考えます。
(1)荒井政治「白いパンと一杯の紅茶」 角山榮・川北稔編『路地裏の大英帝国』 平凡社 1982、p.60
(2)A.ブリッグズ 『イングランド社会史』 筑摩書房 2004、p.293
(3)I.ウォーラステイン『近代世界システム 1730~1840s -大西洋革命の時代-』名古屋大学出版会 1997、p.5
(4)P.ホーン 『ヴィクトリアン・サーヴァント -階下の世界- 』 英宝社 2005、p.23
(5)A.ブリッグズ、p.335
(6)荒井政治、p.85


追伸 灌漑の開始は今の所、「灌漑の開始」としか言いようがないみたいです。今のうちに何か当時の他の変化と絡めて、良い名称を付ければ何十年後かには正式な名前になっているかもしれません。 コータ 2005年10月18日 (火) 17:36 (UTC)[返信]

改めて産業革命の定義[編集]

少し方法論について述べます。産業革命は、イギリスで起きた世界初の事象を指す場合と、諸外国で起きた事象を指す場合があります。これらを比較して抽象的な産業革命を抽出します。すると、産業革命は生産性革命が核になっていることが分かります。この抽象的なモジュールとしての産業革命は、動く条件としてさまざまな環境の素地をインプットとして持ちます。そして、このモジュールはさまざまな社会の変化をアウトプットとして持ちます。そして、インプットとアウトプットはモジュールではないので、環境の素地と社会の変化は厳密には産業革命ではないのです。

無論、歴史は絶え間なくつむがれるものですから抽象化は困難です。しかし百科事典である以上、項立てと定義記述をしなくてはならないので、切り分けていくことは必要です。

そこで現在の状態を久しぶりに見てみると「産業革命(さんぎょうかくめい、英: Industrial Revolution)とは、18世紀から19世紀にかけて主に西ヨーロッパで起こった機械の導入による産業の変革と、それに伴う社会構造の変革のことである。」となっています。

「それに伴う社会構造の変革のことである」これをふくめるかどうかが、恐らくコータさんと私の違いです。私は、この社会構造の変革を産業革命の影響と捉えているので、「社会構造変革」は別モジュールとなります。「社会構造変革」を含めないのは、それを含めると「近代化」や「英国近代史」の説明になってしまうからです。それほど産業革命の影響範囲は絶大です。その影響が絶大だったのはとりもなおさず、生産性の飛躍が核であるからです。前回の説明はその産業革命のアウトプットとしての「社会構造変革」についても説明しています。ですから産業革命の途上だけでなく、その後も含めて捉えていただくと理解していただけるのではないかと思います。

私が考える「英国における産業革命」の定義は、「ジョンケイの飛び杼から、蒸気機関、鉄道の発明にいたるまでの連鎖的な諸産業の生産性飛躍」です。そして生産性の向上が革命とよばれるゆえんは、まさにその飛躍が断絶と呼べるほどの向上であり、関連諸産業の連鎖的生産性向上へつながり、社会構造をゆるがしたからです。

そして、ラッダイト運動が発生しても工場制機械工業への転換が進んだのは、その体制が比較優位であったからです。比較劣位であったならば何も影響せずに消滅していったことでしょう。

歴史は連鎖していますから、次々と影響ルートをたどり、話が広がっていくのは歴史の醍醐味でもあります。しかし、キリのいいところできらなくては百科事典になりません。世界恐慌が大戦まで話を深めていますが、そういうのはやはり違和感があります。


では、前回に対する回答を

  • 穀物法と自由貿易について

穀物法にも記載してあるとおりです。背景はおっしゃるとおりですが、その結果は農業革命だけでは支えきれないほどの人口増加です。ですから産業革命モジュールのアウトプットとしての影響ということです。産業革命が起きなければ、農業革命による産出増加で支えきれるだけの人口しか増えないはずです。日本における産業革命も、同様に危機的なほどの人口増加をもたらしています。

  • 労働者階級の形成について

形成には、数が重要なことは言うまでもありません。民主主義へ移行する社会においては、選挙権がなくても数が運動の発端になります。

  • 高生産性産業への資源集中について

無論、労働力配分がすべて高生産性産業へ投入されるはずはありません。「10人のうち3人程度」であれば十分です。現在の先進国では、製造業の労働者に占める割合は1~2割程度ですから、3割は相当傾斜していると言って差し支えないでしょう。

  • 大都市と物流効率化について

これもまた、産業革命のアウトプットですが、東欧や北米から英国の大都市へ蒸気船・蒸気機関車によって穀物が運搬されていました。

  • 労働者を利したかについて

申し訳ないです。私は、「利したかどうか」の議論が規範的分析なので答えは出せない、としか述べていません。ただ、「一人当たり実質国内総生産が19世紀に増加したか減少したか」という問いをしたなら答えが出せるというだけです。

以上です。

根本的な部分での違いが明確になった様ですので、他の事はさておいて今回は一点だけ。「産業革命」という用語は社会変化を含んだ言葉として用いられてきました。これは私独自の説ではなく、(少なくとも私の知る限り)研究者および歴史教育においてある程度、コンセンサスのある使用法です。手元の資料に限りがありますので、あまり多くは紹介できず申し訳ないのですが、Oxfordの"Dictionary of British History"ではこの言葉がそもそも最初から社会・経済での変化を指して使われた事を示していますし、経済と社会について研究が行われてきたとも書かれています(1)。
山川の『世界史B用語集』(日本語リファレンスでまともなものが手元に無いので恐縮です。が、教材という事でオーソドックスな内容であるという点に関しては折り紙付きかと思います)では「産業・経済・社会上の大変革」と書かれています(2)。また孫引きなのですが、20世紀を代表する歴史家の一人であるホブズボウムは社会・経済の変容を見過ごしてはならないと述べています(3)。この様に「産業革命」という言葉は社会・経済上の変化を含んだ言葉として発明され、その様に使われてきており、既に一つの言説であるといっても過言ではありません。従って今、ここで既存の研究・議論を打ち棄てて「産業革命」という言葉を新たな定義の下に使い始めるべきではないと考えます。仮に再定義を行ったとして、それは既存の研究とは互換性を持たず、言葉を乱し混乱を引き起こす可能性があります。どうしてもと仰るのなら、何か「産業革命」以外の、別の新しい言葉を持ってこられては如何でしょうか。
(1)John Cannon,(2001), Dictionary of British History, Oxford University Press, New York, p.345.
(2)全国歴史教育研究協議会編『世界史B用語集』 山川出版社 1995、p.167
(3)I.ウォーラステイン『近代世界システム 1730~1840s -大西洋革命の時代-』名古屋大学出版会 1997、p.3
コータ 2005年10月20日 (木) 14:50 (UTC)[返信]
反応が無い様なのですが、時間もたった事ですので、引用部分を削除し適当に要約した形にしました。 コータ 2005年11月6日 (日) 03:20 (UTC)[返信]

全体的に整理が必要では?[編集]

現在の所、第一次と第二次という分類が当然の様な構成になっていますが、この分類は研究者によってはそういった分類をする人もいる、という程度のものでしかありません。また、各国の産業革命も現在ではこういった一国史的な捉え方は殆どされる事はなく、単に各国の工業化という理解がされているのではないでしょうか。全体的に抜本的な整理が必要ではないかと考えます。 コータ 2006年1月21日 (土) 15:03 (UTC)[返信]

「第二次産業革命」という記述と「各国の産業革命」の記述を他の項目(工業化などかな?)に移すなどして「産業革命」を整理するということですか。「産業革命」を歴史学の専門用語としてイギリスで18世紀から19世紀前半に起きた事象の記述にするという方針でしょうか。それならば、私は賛同です。「第二次産業革命」といわれている事象は、歴史学においてどのように考えられているのでしょうか。--Nikka 2006年1月23日 (月) 03:04 (UTC)[返信]
「第二次産業革命」という言葉は現在ではほとんど目にする事はありません。単純に、「重化学工業への転換」といった捉え方をされている様です。産業革命自体、各国が等しく経験するという性質のものとは考えられなくなってきています。所詮、イギリス一国の例でしかないものを世界中に当てはめようというのが無理な話です。そういう意味では記事を別にして各国固有の「工業化」を記述するというのも悪くない考えかと思います。「産業革命」の中で各国の工業化を扱うのも筋違いではありませんが、独立した項目として十分な文章量が確保されるのならば、別項目として立てるのも十分有りだと思います。 コータ 2006年1月23日 (月) 16:58 (UTC)[返信]
「工業化」にすれば、重化学工業化や現代も続いている開発途上国などの工業発展をも扱うことが可能になりますね。整理後の「産業革命」は何か加筆などされる予定ですか。--Nikka 2006年1月24日 (火) 07:05 (UTC)[返信]
折を見て、一昔前の定説だったホブズボウムの「二重革命論」、世界システム関連の話題など、代表的な話題を新旧とりまぜて流してみようかと思ってます。 コータ 2006年1月25日 (水) 14:09 (UTC)[返信]

工業化を書いてみました。併せて、「諸国の産業革命」の項も移しました。まだ移したばっかりなので未整理ですが、工業化に特化して書いていきます。コータさんも加筆してみたください。では!--Nikka 2006年2月23日 (木) 07:10 (UTC)[返信]

工業化に移動した内容については、反対意見の無いようでしたら、こちらの記事からは削除した方がよいかと思います。という訳で、どなたか削除に反対の方、おられますか。 コータ 2006年2月24日 (金) 15:39 (UTC)[返信]

エンゲルスとマルクスが広めた?[編集]

219.108.14.2さんが追加された、「フリドーリヒ・エンゲルスの著作(1844年)とカール・マルクスの著作(1848年)がこの言葉を広め」という記述について出典等、ご存知の方いらっしゃいますか? --コータ 2007年7月22日 (日) 07:57 (UTC)[返信]

その後、出典が示されないので、この部分の記述を除去しました。復帰される際は出典をお願いします。--コータ 2007年9月6日 (木) 15:49 (UTC)[返信]