ノート:濃姫

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濃姫肖像画について[編集]

掲載されている肖像画の素性がわかりません。本当に濃姫のものなのでしょうか? 例えば、信長であったり秀吉であったり、有名な肖像画がある場合はそれを掲載するのもよいと思いますが、一般的に知られていないものを掲載する場合は、いずれの所蔵である等、素性を明らかにした方がよいと思います。以上の署名の無いコメントは、(会話履歴)氏が[ 2006年7月1日 (土) 03:05]に投稿したものです(Nnnによる付記)

掲載画の説明文
申し訳ない、細かいところは何もわかりません、ので岐阜城にて撮影したので岐阜城に問い合わせるなどして確認してくださいな有名かどうかもわかりませんので--Nnn 2006年7月1日 (土) 00:37 (UTC)[返信]
著作権侵害が疑わしいと思われるので、画像のリンクを外しました。 2007年3月3日 (土) 22:52 (UTC)[返信]

呼び名について[編集]

「鷺山殿」と呼ばれたとする史料はありますが、稲葉山城で生まれ育ったとされる史料はないのではないでしょうか? 「「鷺山殿」と呼ばれていたはずがない。」とまで言い切るには、根拠に乏しいのでは? 2007年5月24日 (木) 08:32 (UTC)[返信]

『濃陽諸士伝記』の記述について[編集]

一度「死亡と生存、どちらとも取れる内容である」と修正された記事が再度「死亡」と断定する形に書き換えられています。この記述を付け加えたユーザによる再修正ではないかと思いますが、このようなことを続けていると編集合戦になりませんか?なお、当方は歴史の専門家ではないので、『濃陽諸士伝記』でどのように記述されているか記載されておらず、そもそも『濃陽諸士伝記』が史料として信憑性が高いものなのかどうか不明確であるため、いわゆる独自研究とどう違うのかわかりません。この記述追加・編集・再編集に関わっていない方の意見をお聞かせいただければと思います。--202.32.14.78 2009年10月20日 (火) 03:44 (UTC)[返信]

御局との同一人物の可能性[編集]

御局というのは、大体は乳母のことを称していました。同じ織田家内のことであっても信長の妹・お犬の方の乳母は過去帳に御局と書かれています。

そのため、安土殿との同一人物の可能性があるということだけでよいのではないでしょうか? 安土殿というのは安土城にいた人物で、並大抵の側室に拠城の安土という土地を冠しません。豊臣秀吉妹の朝日姫も徳川家康に嫁した後、駿河殿と称されていることを考えるとやはり、拠城を冠する女性は正室なのではないでしょうか? なので、信長公御台(正室)=安土殿=濃姫と考えるのが良いと思います。

また、御局というのは織田信雄の乳母である可能性の方が高いと思います。 --翁草 2011年10月23日 (日) 05:05 (UTC)[返信]


戦国時代エンサイクロペディア[編集]

(戦国時代エンサイクロペディアより)とはなんでしょうか。悪戯と解釈して削除しました。当方の考え違いであればわかるように説明し、文体も他のパートと平仄をとっていただきたい。--4thmoon会話2015年11月25日 (水) 16:43 (UTC)[返信]

中立的でない表現について[編集]

本文中にあった「生駒氏の記録のある『武功夜話』は近年その資料として精度に疑いを持つ評価が圧倒的である。」という一文は、一部の人間を傷つける表現であり、「圧倒的」というワードを使用するなど中立的でないと解釈したため「生駒氏の記録のある『武功夜話』は資料的価値や成立年代に問題が指摘されており、議論中である。」に書き換えました。前野家古文書『武功夜話』については、肯定説と否定説があり、議論中です。『武功夜話』に対して肯定的な意見を持っておられる方に大変失礼であると感じましたので、ページ武功夜話を確認した上で書き換えました。もし、こちらの勘違いであればご指摘などをお願いいたします。また、新参者ですので議論ページの使い方が間違っているかもしれませんが、その時もご指摘をお願いします。 以上、報告をさせていただきました。 --2001:240:2027:6610:9159:2B2C:2BEF:590A 2021年9月26日 (日) 14:22 (UTC)[返信]