ノート:海野幸氏

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吉川弘文館『源平合戦事典』の海野幸氏の項目によると、幸氏は「滋野系図」を元に幸広の子となっています。現代語訳吾妻鏡でも幸氏の父は幸広となっていました。幸親が保元の乱に参加している年齢なら、幸氏の父というより祖父の方がしっくりくるかと思いますが、どうでしょうか?--小者 2008年11月15日 (土) 06:33 (UTC)[返信]

東京堂出版の『吾妻鏡事典』ではどの史料に拠ってるかはわかりませんが、幸親の子になってました。はっきりしてないようなので、一応幸広の子説も追記しました。--小者 2008年11月24日 (月) 14:09 (UTC)[返信]