ノート:浄土真宗本願寺派

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近時、概要の冒頭部分に、「歴史的経緯からみても、浄土真宗(真宗)の本流となる宗派といえる。」の一文が付加されたようであるが、一宗に複数の派が存在する場合、いずれを「本流」とみなすかは、宗教観あるいは歴史観により見解が異なるものであり、上記の文章は辞書的表現としては客観性を欠く不適切なものではないか。また一派を「本流」と位置づけることは、他派を暗に「傍流」とみなしているかにも受け取られかねず、穏当さを欠くとも思われる。かかる主観的表現は、こうした場においてはこれまでもあまりなされていなかったように思われる。以上の点より見て、当該部分に関しては、改変または削除が望ましいと考える。。以上の署名の無いコメントは、202.32.197.65会話/whois)氏が[2007年1月16日 (火) 16:02(UTC)]に投稿したものです。


「辞書的表現としては客観性を欠く不適切なもの」とか「一派を「本流」と位置づけることは、他派を暗に「傍流」とみなしているかにも受け取られかねず、穏当さを欠く」とか「かかる主観的表現」とか「当該部分に関しては、改変または削除が望ましい」とかは、貴殿一人が勝手に受けた印象・貴殿一人の勝手な考え方(その証拠に貴殿以外に誰も意見表明していない。「誰も意見表明してないから皆賛成してくれている」なんて思ったら大間違い)。どう感じるか、どう受け取るかは人それぞれだ。どこが本流で、どこが傍流だか、私にはどうだっていいが、議論が熟してない段階での改変・削除は可笑しい。貴殿は大谷大学の人間であり、真宗大谷派の関係者と見てよろしかろう。全てのことにおいて真宗大谷派を、または宗門の見解を中心に考え過ぎているのではないか?また、最近になって本願寺派、大谷派双方の項目で連続して荒らし行為が起きて、保護がかけられている。必ず貴殿のIPアドレスで編集がなされており、ノートには必ず先頭に貴殿の意見が書かれている。そしてその直後に保護がかけられている。貴殿の「真宗大谷派と宗門の見解中心主義」の意見が荒らし行為をエスカレートさせているのではないか?貴殿一人の責任でもなく、状況証拠でしかないが、貴殿には自重を求めたい。--ロンヤス 2007年6月28日 (水) 14:45 (UTC)[返信]

素朴な疑問として歴史的経緯で見たら高田派や仏光寺派が本流で本願寺派は簒奪者となるのでは?--以上の署名のないコメントは、202.229.202.70会話/Whois)さんが 2007年10月4日 (木) 02:14 UTC に投稿したものです。


批判記述について[編集]

218.113.249.208による連続投稿が続いていますが、以下の記述に関して中立的、客観的でない表現が散見されます。 その為、一度コメントアウトしました。

== 批判 ==
所属僧侶を「宗派推薦」として選挙に出馬させたりするなど、団体としては政治運動と直接関わりを持たない伝統仏教各宗派とは大きく違い、他の真宗各派と共に社会的・政治的に踏み込んだ活動をすることから、政治運動的・左翼運動的過ぎであるという批判の声も内外からある。また、本願寺派や同派が加盟する真宗十派による真宗教団連合の活動内容が左傾化しているとして、そのことを憂慮し問題視する僧侶の一部や門徒有志による私的団体も存在する。
--以上の署名のないコメントは、218.113.249.208会話/Whois)さんが 2007年6月12日 (火) 12:45 UTC に投稿したものです。

以上の記述について、それを客観的に示す具体的なソースの提示、あるいは表現の見直しをしていただきたいと思います。 --MKT 2007年6月13日 (水) 21:44 (UTC)[返信]


一方的な再投稿がなされていますので、コメントアウトしました。なぜ問題がある記述なのか、以下の点についてお答えください。
  • 団体としては政治運動と直接関わりを持たない伝統仏教各宗派とは大きく違い、 →他の伝統宗派も大小さまざまな政治的関与・活動をしており、本願寺派だけが特筆される理由とはなりません。その点はいかがか?
  • 政治運動的・左翼運動的過ぎであるという批判の声も内外からある。 →具体的にどのような批判の声があるのですか?
  • 真宗教団連合の活動内容が左傾化しているとして、 →その批判をしている私的(?)団体について、ソースを提示してください。
  • 「批判」という題も適切とはいえません。
上記について、真摯にお答えいただけず、繰り返し投稿が続く場合には、保護を申請しますので、宜しくご承知おきください。

上の記載について[編集]

上の記載について、私は投稿者ではありませんが、意見を述べさせていただくと、「本願寺派だけが特筆される理由にならない」とありますが、その前に「他の伝統宗派も大小さまざまな政治的関与・活動をしている」と貴殿は反論なさっているのですから、こちらの方を具体的に説明してから、「本願寺派だけが特筆される理由にならない」と反論するのが筋です。投稿者は「本願寺派が宗派推薦で候補者を出している」という、宗門機関紙「本願寺新報」に掲載されているくらいの公然とした事実に基づく本願寺派の具体的な政治運動を投稿していますが、貴殿は「他の伝統宗派も大小さまざまな政治的関与・活動をしている」という抽象的表現しかしていません。また、この項目は「浄土真宗本願寺派」という団体のことを説明した項目なので、「浄土真宗本願寺派」という団体が、その団体の名とその団体の責任において行っている活動ならば、他の宗教団体が同じような活動をしてようがどうだろうが、「浄土真宗本願寺派の活動」として投稿しても、何等問題はありません。また、記述の正当性を別にすれば、記述されているのは「批判投稿」ですから、その内容からだけ判断しますと、「批判」という題は、言い方は変ですが、「適切」です。あとのご批判は投稿者しか答えられないでしょうし、私も特に意見はありません。しかし、投稿者が貴殿の「上記について、真摯にお答えいただけず、繰り返し投稿が続く場合には、保護を申請しますので、宜しくご承知おきください」という記述にかかわらず、また同じ投稿をしているようなので、私の方から保護依頼をしておきます。--以上の署名のないコメントは、ヌーフ会話投稿記録)さんが 2007年6月18日 (月) 09:50 (UTC) に投稿したものです。[返信]

誤解があるようなので補足します。上の記載本願寺派だけが特筆される理由とはなりませんという表現は、確かにヌーフ氏のご指摘のとおりですが、それが私の反論の主旨ではありません。
私自身も宗派の政治運動に批判的な声があることは承知していますが、「批判」のみを抽出し、批判のための批判をするかのような現行の記述に対して問題を感じています。仮にこの記事を採用するならば、批判の声に加えて、宗派なりの公式的見解や、逆に件の政治活動を評価する側の声も記述に含んでいるべきです。また、表現としても、左翼運動的過ぎ活動内容が左傾化しているという記述のありかたは抽象的で「百科事典」にそぐわないと考えます。何を持って左翼運動的なのか?(政治活動をしたら左翼?)また、教団連合に対する批判が突如として現れる理由も理解できません。
しかしながら、さっくりリバートせずにコメントアウトに留めた理由でもありますが、件の動きについて「批判がある」ことを記述することは認めつつも、その批判の前提としての活動の具体的内容が記述されないのは、公平・中立性を欠くものであります。(ヌーフ氏ご指摘の「本願寺新報」に記載されている内容についてすら記述されないのですから)
この点、ぜひとも名無しで投稿を続けておられる方には、ノートでの対話を望んでいたのですが、残念なことです。
ということで、今般の保護申請は結構なことですが、IPによる上記投稿については、一旦削除の上で保護されることを希望します。--MKT 2007年6月18日 (月) 19:51 (UTC)[返信]

再び上の記載にについて[編集]

「本願寺派」の政治運動に批判的な声があり、その批判内容が事実であるならば、真実ありのままを読者に説明する責務のある「百科辞典」に、「そのような批判がある」と記載されても仕方がないと思います。ですが、同時に「百科辞典」には、中立公平性が絶対条件として求められます。貴殿のおっしゃる通り、「批判」のみを抽出するのは確かに問題で、「批判」をするならそれとバランスのとれた肯定的内容(貴殿の言葉を拝借すれば、「宗派なりの公式見解」や「政治活動を評価する声」)の投稿も必要です。現状の投稿のままでは、一方的な批判にしか受け取れず、中立公平性に欠けているのは確かで、上記の貴殿の投稿には賛意を表明したいと思います。--ヌーフ2007年6月18日 (月)


「真宗大谷派」のノートのページを御覧下さい。ここにも投稿しているヌーフ氏が極めて真っ当な意見を書いておられるので、それに従って、ここの「現況」の項目も一部修正しました。--釈教昭 2007年6月28日 (木) 10:29 (UTC)[返信]


「真宗大谷派」のノートのページを御覧下さい。そこに投稿しているロンヤス氏が上記のヌーフ氏よりも遥かに真っ当な意見を書いておられるので、それに従って、ここの「現況」の項目も全部削除しました。--釈教昭 2007年6月28日 (木) 12:50 (UTC)[返信]

「歴代門主」からの新門削除について[編集]

 「歴代」とは、代々とか世々という意味である。新門がいずれ門主になるのは確実であろうが、項目名が「歴代門主」となっている以上、未だ門主の座にない者の名を記述するのは適当でない。いくら門主就任確実な「次期門主」ではあっても、「門主」ではない。--釈教昭 2007年7月13日 (金) 11:20 (UTC)[返信]

かつてのお東騒動のときに、大谷光紹師、大谷光輪師の2度、真宗大谷派の新門が、門首に就任しなかったケースがあります。現在のところ宗会で議論はあるようですし、浄土真宗本願寺派で同様の事態が生じない保障はありません。このため、私は新門は記述しない方がいいかと思います。現在、本文を見ますと、歴代門主の項目に、再度新門の項目が新設されていることについて、ご議論いただければと思います。--翰林硯士 2010年1月8日 (金) 16:35 (UTC)[返信]

MKT氏による記事削除について[編集]

 簡単な削除理由に納得できなくもないが、冒頭に「この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。」とあるように、いまだ議論中のことであり、個人の判断により一方的に削除するのは好ましくない。削除する前に、このノートにおいて削除しようとする理由を具体的、且つ詳細に述べ、議論するか、或いは議論を促した上で削除すべきである。--釈教昭 2007年9月2日 (日) 10:32 (UTC)[返信]

ノートの冒頭でもとりあげられていますが、「本流である」との表現は恣意的であり、かつ他を傍流であると誤解しかねない「あいまい」表現ですから、削除したいと思います。
歴史的経緯についても、それを理由とするにはムリがあるでしょう。ということで、一旦コメントアウトさせてください。
釋教昭にひとこと。貴殿も過去に「~~のノートで真っ当な意見を書いているから」という理由で削除されていますが、せめてご自身で削除理由を引用されたり、それなりの説明を加えた上で削除なさるべきだったのではないでしょうか。「削除」自体に異論はないものの、そのプロセスは拙速に過ぎる感じを抱かざるを得ません。ご自身も項目「現況」をめぐる半保護の状態を他山の石とされるなら、それに見合った投稿姿勢で臨んでいただきたいものです。ついでに、ノートへの記載も、上から下へ時系列で投稿いただくのがマナーですので、貴殿の投稿を移動させていただきました。よろしく。--MKT 2007年9月14日 (金) 02:15 (UTC)[返信]

半保護を解除しませんか[編集]

過去ログ、「現況」の項目をめぐる投稿合戦は一応の経過措置を経て、収束したものと思われます。このことについて、以後数日間、特に異論などがなければ半保護を解除したいと思います。 --MKT 2007年9月14日 (金) 02:15 (UTC)[返信]

反対です[編集]

現段階における半保護解除は時期尚早であり、反対です。「現況」については収束したかもしれませんが、また新たな「本流云々」という議論がふってわいてきました。この議論は終わってないように思います。半保護状態では釈教昭氏とMKT氏などの特定ユーザーのみの投稿で済みますが、全ユーザーが投稿可能となると、この本流云々の議論につけこみ、よからぬことを企むユーザーによる連続投稿が懸念されます。本流云々の議論については、釈教昭氏の投稿かと思いましたが、履歴を確認すると、どうもそうではないようです。少なくとも、「本流になるといえる」という投稿を最初にした投稿者が、どのような考え、歴史的背景や資料からそう判断できると思ったのか、理由を聞いてみた上で改めて議論をすべきだと思います。その為には、その投稿者に意見表明するよう呼びかけなければなりません。時間はまだ必要です。 それから釈教昭氏もMKT氏も本流云々の議論のみに終始していただき、他のページや過去のページでの投稿のことを持ってきて、互いを批判するようなことはおやめください。 --ネアンデルタール 2007年9月16日 (日) 13:15 (UTC)[返信]

私も反対[編集]

「残念ながら」現状では半保護解除には反対を表明せざるをえない。ここでの半保護は「現況」という項目名での「批判」を理由に始まった。その議論は、たしかに収束したように思える。しかし、一難去ってまた一難。今度は本流だとかなんだとかいう議論が始まった。恣意的かどうか、他を傍流と思うかどうかは今後の議論に委ねるが、半保護を解除すると、ネアンデルタール氏が言う「よからぬことを企むユーザーによる連続投稿の懸念」は確実にある。元々、「現況という名の批判」を行ったユーザーには、浄土真宗本願寺派に対する批判が底流にあったと考えられるので、今度はその悪意を持ったユーザーが、この本流傍流議論を使って同団体を批判してくるように思われる。そういうユーザーを半保護によってなるべく排除した上で、真面目なユーザーによる真っ当な議論がもう少し必要ではなかろうか。「本流になるといえるという投稿を最初にした投稿者が、どのような考え、歴史的背景や資料からそう判断できると思ったのか、理由を聞く」必要性はあると思う。履歴から調べ、その投稿者に議論への参加を呼びかけをしてみてはどうだろうか。その為の猶予期間は必要であろうかと思う。MKT氏、貴殿が半保護を早く解除したい気持ちは痛いほどよく分かる。私もだいぶ以前に「浄土真宗の本流になるといえる」という記述があるのには気付いていたが、その後削除されていたので、特に気にしていなかった。しかし、忘れた頃にぶり返したこの議論。悪質ユーザーによる意図的な何かを感じる。理由は違っても、2度も3度も半保護、または保護状態におかれては恥である。ここで貴殿の呼びかけにより半保護が解除され、その結果また編集合戦が起こったら、半保護解除を呼びかけた貴殿にも責任の一端が及ぶことになる。貴殿が悪意を持って半保護解除を呼びかけているとは到底思えないので、そうなったら貴殿が哀れだ。ここはもう暫く半保護のままで限られたユーザーによる議論の行方を見守るか、或いは議論に参加するかしたほうが得策ではなかろうか。--ヌーフ 2007年9月16日 (日) 14:28 (UTC)[返信]

ネアンデルタール氏、ヌーフ氏のご意見ありがたくたまわりました。また、ご忠言についても同意する部分が多く、お二人のご指摘に従いたいと思います。--MKT 2007年9月20日 (木) 04:20 (UTC)[返信]

221.119.252.204氏による書き込み[編集]

浄土真宗本願寺派の直属寺院(別院等)について、「名目上は門主が住職となるが、輪番が代理住職を務める」と、あります。しかし、輪番は、直属寺院という一つの宗教法人の代表役員職が主務で、その輪番であり、住職の代理ではないと思います。  よって、「直属寺院は門主が住職となり、輪番が宗教法人の代表役員となる。」でしょう。--以上の署名のないコメントは、221.119.252.204会話/Whois)さんが 2007-09-24T12:36:55 に投稿したものです。

本願寺住職と執行長のような関係の書き方が必要だと思います。
もっとも、代表役員の宗教法人の事務に関する権限は、「宗教上の機能に対するいかなる支配権その他の権限をも含むものではない」とされている(宗教法人法第18条)ことをどのように表現するか、考えたいと思います。
宗教法人「浄土真宗本願寺派」宗規第43条第1項には、「直属寺院の代表役員、責任役員、代務者は総長の申達によって、門主が任命する」としか規定していません。
同条第2項但書には、副住職、前住、寺族、門徒のうちから門徒総代が選んだ者のうちから、当該寺院の申請に係る者について、総長が任命することができる旨の規定があります。
浄土真宗本願寺派「寺院規程」(宗則)第19条によれば、住職以外の代表役員に関する任期を4年と定めています。このことから、住職や輪番以外の者を代表役員に選任する可能性も残っていますので、
「直属寺院は門主が住職となる。別院には輪番が置かれ、輪番が別院の寺務を主管する。通常、輪番が宗教法人たる別院の代表役員となる。」と書くような合意ができればいいと思っています。
--翰林硯士 2010年1月8日 (金) 16:22 (UTC)[返信]
--翰林硯士 2010年1月8日 (金) 16:40 (UTC)訂正。[返信]

本流の表現について[編集]

「歴史的経緯からみても、浄土真宗(真宗)の本流となる宗派といえる。」との一文について、ノートでも何度か議論の俎上にのってきたことです。一旦はコメントアウトされ、ノートでの議論も試みられました。しかしながら、結局のところ他の項目で保護がかけられたりしたことで十分な結論が導き出せないまま、今に至っています。現在はこの板で釈教昭氏によって明確な理由無くコメントアウトが解除されています。

そこで、改めて「浄土真宗(真宗)の本流となる」との一文について、異議を申し立てたいと思います。その理由として、件の表現はそもそも本流の定義が不明であり、検証不可能な記事に該当します。また、解釈によっては真宗他派を傍流とするとも読めるため、中立的観点にも疑問が生じます。そもそも「本流」という客観性を欠く記述自体、独自研究に該当するのではないかと考えます。

この際、釈教昭氏による一連の編集については不問としますが、上記の一文について削除をしたい旨、ご意見をお聞かせいただきたいと思います。--MKT (Talk) 2007年11月23日 (金) 12:05 (UTC)[返信]

異論ないと断定して、当該項目を削除します。議論の終了を意味するものではありません。--MKT (Talk) 2007年12月25日 (火) 07:19 (UTC)[返信]


異論がないなら削除するのには賛成だが、「釈教昭氏による一連の編集については不問」などという言い方は良くないな。不問にするとかしないとか、そんな権限は貴殿にはないはずだ。むろん私にもない。誰にもないのだ。お怒りはごもっともだが、こういうときこそ大人の対応で丁寧な言い方しないと、また編集合戦を呼ぶぞ。モホサピエンス2007年12月29日 (土) 11:14


私も今回は記述の削除に賛成したい。前回は「議論がまだ不十分で、ここで削除すると、また編集合戦が起きる。議論する時間が必要」と思ったからだ。今回も、残念ながら十分議論をしたとはいいがたい。しかし、時間は十分あったにもかかわらず、何も意見表明がなかったのは、「記述削除に異論がない」とみるしかないと思う。確かに本流云々という記述は、一部に誤解を招く恐れが有るので、記述を残したまま、無期限に向こうからの意見表明を待つわけにはいかないと思う。MKT氏も「議論の終了を意味するものではありません」とおっしゃっておいでなので、これからも反対の方には、どしどし意見表明をして欲しいと思う。 しかし、MKT氏の「釈教昭氏による一連の編集については不問とします」という御発言には、私もモホサピエンス氏の上記の記述と同意見だ。私たちにはそんな権限はないし、責任を問う方法もない(その辺は管理人の判断になるのだろうか)。自然と「不問」になると思うので、お気持ちは理解できるが、わざわざ御発言する必要もなかったのではないだろうか。編集合戦が起きる懸念はあり、「反保護」ではなく、「保護」になるかもしれない。私個人の意見だが、この項目の荒らしを目的としているのは、1人ではないと思うので・・・。--ヌーフ 2007年12月30日 (日) 00:04 (UTC)[返信]

確かに大人気ない発言ではありました。事を荒げても誰も得しないことを経験してはいるのですが、反省です。
釈教昭氏は「本流云々」についてどうお考えですか。--MKT (Talk) 2007年12月30日 (日) 07:32 (UTC)[返信]


言ってるそばからまた釈教昭氏によって記述が回復されていた。とりあえず削除しといた。釈教昭さん、MKT氏も「大人げない発言だった」と、謙虚に反省の弁をおっしゃり、真摯に貴殿のご意見をお尋ねなのだから、貴殿も単なる荒らし目的ではないのなら、そろそろ意見表明したらいかがかと思う。「釈教昭」というハンドルネームで投稿するのがお嫌なら、IPアドレスや別のハンドルネームでも(私個人は)いいと思うので、記述を残したいと思う貴殿のお考えを是非ともお聞かせ頂きたい。--ヌーフ 2007年12月30日 (日) 09:47 (UTC)[返信]

非常に有意義なご議論を読ませていただきました。現在、当宗派四州教区教区会議長として発言させていただきます。
政治的に左翼系に傾いているということは、宗派議会議員の一部に左翼系の活動をされている人がいることや、当宗派の活動中心である基幹運動の内部に活動家が入っていることからも事実であり、当然ですが、それに反対する活動家も多くいることも事実です。しかし、それは時代の趨勢と言うものでもあり、当宗派内部で解決する問題であり、収束した時期をみて、書き込みがあれば宜しいかと思います。
直属寺院の中で廃止合併が進められている問題ですが、これは活動拠点がなくなるということではなく、別の活動方法を模索しているというものであり、単に不活動であるということではありません。無論、経済的問題での廃止合併だけではありません。為念。booze 2009年2月3日 (火) 04:07 (UTC)[返信]