ノート:波田町

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すでに過去のものになった「波田町」の項目ですが、私には2つの気になる事柄があります。 1つは、概要にある「下原スイカ(しもっぱら)」という読みです。私はこの部落にはなじみがあります。「しもっぱら」と呼ぶこともありますが、地元ではやはり「しもはら」と呼んでいるのではないでしょうか。私も「しもっぱら」という呼称は知らないわけではありませんが、「しもはら」の方が落ち着きます。45日以内に異論がなければ、「下原スイカ(しもはら‐)」に修正させていただきます。 もう1つは、「町名の由来」です。「古くからこの地は波多村と呼ばれていたが、1933年に豊富な水田に対する望みから、波田村に改称」と記述されています。1933年といえば、波田開田を始めとしたピーク時の水田開拓はほぼ完成していました。改めて「豊富な水田に対する望み」を抱く必要はなかったと思います。この記述は、私が波田小学校の児童であった時に聞いたことと、大きく違います。私が小学生の時に聞いたこととは違うと、しばらく前に、その時に町会議員であった方に質問したところ、「政友会と憲政会の対立が村の中で激しかったので、波(波乱)の多い村という名前を改めたものだが、そういう政争が激しかったというのは外聞も悪いから、ああいうことにしてある」と答えられました。とんでもない歴史の偽造であると同時に、認識違いです。いいじゃないですか、政治闘争が激しかったなんて。たぶん、今の人たちよりも当時の人たちの方が、政治に敏感だったのですよ。村の中の主導権争いの結果が自分の利害に直結していたという後進性もあるかも知れないけれど、そういう政治に対する敏感さって、今の波田だけではなく、今の日本全体が欠如してますよね。だから投票率も下がるわけで・・。話は飛びましたが、この点についても、45日以内に異論がなければ、書き直させていただきたいと思うのですが、いかがですか。 --ジガンザン8108 2010年5月22日 (土) 15:18 (UTC)[返信]